第八回『スペースボールリコシェット』

『報復1』

 

 維持原グループの本社ビル、五十八階。
 表向きは都知事という役職に就いている維持原瓶太郎は、相変わらずデスクにた
るんだ頬肉をすりつけ愉悦の世界にトリップしていた。脂肪の塊である腹を揺らしながら、愛撫するように美少年の皮で作られたデスクを撫で回す。七十も近いと言うのにその股間は固く熱くなり、デスクの脚にこすりつける度に瓶太郎を興奮させる。それが十代の少年の素股に挟まれているような感覚を与えてくれていた。
「ボクちゃんのデスク、うえへへへへへっへへ」
 まどろんでとろけるような、恋する乙女のような瞳で机への思いをねっとりとか
らみつける。テレビでは決して見せることのない維持原の醜悪な本性だった。
「次はどこの国がいいかなぁ。アジアもいいなぁ。うひひゃほへへへへぷぷぷ……

 聞くものの嫌悪感を誘う笑い声が部屋の中に響き、コレクション達にこびりつい
ていく。人間の剥製に、人間の皮で作ったランプ、全てエド・ゲインも感動して小踊りする暗黒異物だった。
「ここまでの完成度はやっぱり日本人のクリエイティブな才能ゆえだよねぇ。ああ
、日本人に生まれて来て僕ちゃん、幸せだなぁ」
 維持原はそんなことを呟きながら笑う。
 巨大黒社会(チャイニーズマフィア)、九頭龍門(クトゥルーゲート)との取引
が思った以上の成果をもたらしたこと、それが維持原の腹の脂肪をより厚くしてくれた。月給二十万で四苦八苦している下級市民を見ているときと同じ気分だった。腹の底から笑いが込み上げてくる。
ババ抜きでうまく相手が騙されてくれた時のような絶頂感、
全ては構造改革特区構想案と九頭龍門のおかげだ。
 経済の活性化による地域での構造改革を目的とした構造改革特区構想案は、
東京都知事である維持原と内閣官房構造改革特区推進室が中心となって進めている。東京都内にカジノを設けることを提案したのも維持原であり、房構造改革特区推進室は既に維持原の私物だった。
 勿論、カジノを都内に導入することへを考慮する反対派も多かったが、維
持原には反対派を抑える強み、ジョーカーが既に維持原の手札の中にあった。
 九頭龍門だ――。
 九頭龍門は殺人と破壊活動を生業とする武力組織であり、他の組織とは一線を隔す

 ほとんどの黒社会がミャンマー、ラオス、タイ国境に接する『黄金の三角形(トラ
ペゾヘドロン)』で製造されるヘロインを取り扱い、香港経由でアメリカ、ヨーロッパへ輸出しているが九頭龍門は違う。
 中国共産党が政権を取った1949年、私財産を持つことも許されず華僑になる
しかなかった人々が持った、閉じ込められ歪められ溜め込んだ鬱屈した感情。それは極端なまでの攻撃性と暴力へと変貌し、血の結束を生み出した。広東、湖州、客国、福建、海南の華人集団すらも巻き込み動かすほどの力を有すまでの圧倒的な暴力による支配、それが九頭龍門の流儀だ。
 九頭龍門は自らを華族と称し場所も種族も選ぶことなく自分たちの利益の為にあ
りとあらゆる物を殺して殺して殺し尽くす。
 正真正銘の狂人達――異常者である維持原瓶太郎を持ってしてそう思わせる集
団だった。
 『私の言語の限界が世界の限界を意味する』――それはルートウィヒ・ウィトゲ
ンシュタインの言葉だ。
 この世界には維持原でさえ辿りついてない部分が、理解できていない部分が多い。
セヴンブリッジの途切れたカードのように、世界と世界の繋がらない部分とそれを埋め繋ぐ何かが存在する。それこそジョーカーのような何か。
 それは九頭龍門であったり、超常的な何かであったり、金でだけでは辿り着けない
領域だ。そして金の世界で生きている人間が関わるべき領域ではない本当の暗黒がこの世界には存在する。そして、それは関わった者を蝕む。九頭龍門の暴力の矛先が向かったのはカジノ反対派だった。決して直接は手を下さない。その家族にも手を出さない。最初に師を殺し、隣人を殺す。次は親族だ。闇賭博の前座駒にし弄び殺す。近づく死の意味に気づいた時、カジノ反対派の者達は実に簡単に賛成派に寝返った。
 
九頭龍門の息のかかったカジノの国内参入、闇賭博の国内許可と交換の殺戮は日本系組織との軋轢を生じさせるかもしれないが問題はない。いらない手札は捨てればいい。維持原は自分にはその資格と力があると確信している。常に強いカードは権力者の元に集まると維持原は知っている。
 
トランプの大富豪と同じだ。強いカードさえ持っていればそこから引き摺り下ろされることはなく常に王座に君臨できるだろう。
 維持原は自身の人生の絶頂を確信しながら視線をデスクに戻し、愛撫を再開した。
 ドアがノックされたのはその時だった。
 喪服のような真っ黒なスーツの集団が部屋に踏み込む――。
 その怒りのままに、家族を傷つけられた憎しみのままに死村の血族はその力を振
るうこととなる。狙いは維持原、ナインドラゴン関係者、九頭龍門、文龍(ウェンロン)。維持原が何であろうと、九頭龍門がどうであろうと関係などない。
 数分後、維持原瓶太郎はいとも容易く人生の絶頂から突き落とされた。
 手札のジョーカーは切られないまま、維持原にとってのゲームはブラックジャック
で言うところのバーストアウトだった。

 

 この直後、皮肉なことに九頭龍門はジョーカーがペナルティになるカードゲームが存在することを知らしめられることになった。
 そして、この日を境に維持原グループ、並びにプライベートカンパニーサービスは、瓶太郎の弟であり、怪物と称される維持原裕次郎が取り仕切ることになった。


『報復2』

「アンタのせいで!!アンタのせいで!!」
 カンカンという乾いた音と共に、肉と骨に銃弾がめり込む音が響いた。
 喪服のような黒スーツの少女は何度も何度も引き金を引く。
 涙を流しながら、引き金を引く。絶望を指先に込めながら。
 千切れた肉片と血を浴びながら、声を張り上げて。
「アンタがいなければクロちゃんは!!」
 この男が国内にカジノを参入させようなどと考えなければ九頭龍門は日本には進出しなかった。
 この男がいなければ誰も傷つくことはなかった。
 九六三が死村家の中で慌しくも楽しい日々を過ごすはずだった。
 やり場のない怒りが銃弾に込められていた。
 グリップを握り締める少女の手に男の手が置かれる。
「もう、死んでいる、三六。弾丸の無駄だ」
 長身、オールバックの男が静かに重く呟く。
 三六の銃弾を浴び維持原瓶太郎は既に肉の塊だった。最早、原型など止めず赤黒い血が維持原の愛した人皮の机、カーペットをべっとりと汚しその価値を落としていた。
「十二兄さん……」
 三六の手からM14が力なく転がり落ちた。立っている事が出来なかったのか、よろけたその身体を十二が支える。互いに言葉はなかった。
「十二、宗主から連絡が入った。ナインドラゴンの殲滅は完了したが人形遣いには逃げられたそうだ」
 同じく黒スーツを着た男の言葉に十二は頷く。
「包囲班と隠蔽班にも連絡を」
 十二は感情を乱すことなく冷静に対処していく。
 時々、三六は本当にこの兄に感情があるのか疑問に感じることがある。どんな時でも起きたことは起きたこととして対処し、極めて冷静に受け入れる。そういう兄だと三六は分かっている。それが第一線で戦っているプロである証だと。
 だが三六にその割りきりが出来るかと言えば無理だ。十二のように割り切れなければクールになることもできない。
「三六、帰還するぞ。長居は出来ない」
 三六は動かない。
「三六」
 他の死村たちが室内から出て行く中、三六は動かない。
 十二は強く、三六の身体を抱き寄せる。ギュッと自分の胸に抱き寄せ離さなかった。
「だって、クロちゃんが――!!」
 どうにもならないことは分かっていた。
 もう何もできることはないと。
「葬儀が――ある。我々はそれに出席しなければならない」
 死村でもっとも冷静と呼ばれる男の淡々としたいつもの口調。
 だが、その手は寒さの中でかじかむよりも強く、どうしようもないほどに、震えていた。十二がそれを表に出すことはない。なぜなら三六の兄だからだ。今、十二がしなければいけないことは家族をまとめ、支えることだ。それを十二は理解している。十二の気持ちが分からない三六ではない。
 だが、それでも――。
「兄さん……」
 十二の手が震えていることに気づき、コクリと三六は頷いた。
 三六の押し殺していた心から涙と声が毀れ、硝煙の中に混じり消えていく。


『報復3』




  ルーレット台の中に小さな丸い弾が転がった。
  白と黒と赤が混ざった玉――眼球。それがねちゃねちゃと血を纏い転がる肉音を奏でるがそれよりも深い叫びと絶望にかき消された。
「フフハハハ……」
 カチカチ――という音は悲鳴の中でもはっきりと響く。
 賭博場ナインドラゴンで響くのは歓声やドラムロールなどではなく阿鼻叫喚の絶叫とカチカチと歯を鳴らす音だった。反吐より淀んだ闇には上品な音楽は似合わない。血肉がそがれる音こそ、削られ抉られ潰され切裂かれる命のBGM。その指揮を取るカチカチという不快音が再び響く。
「ハハハハハハハ……」
 少年は壇上の上で愉快そうに笑う。
 聞こえてくるVIPや官僚達の叫び声が心地良かった。
「十分に暴れろ、スペースボール・リコシェット(星屑の欠片)!!」
 少年の声と共に、光が煌く。
 その一瞬で財界著名人たちが次々と切裂かれ肉片になっていく。
 手、足、首、どこだろうと関係ない。光は全てを容赦なく切裂いた。
 赤い絨毯を黒く染める鮮血が勢い良く撒き散らされ、肥えた男達の薄汚れた臓物がナインドラゴンの闇を深めていく。
 少年はそれを眺めながら本部からの伝達を思い出していた。
『文龍、君は少しやりすぎた』
 分かってる――。
『この意味が分かるかね?少し勝手が過ぎたな。我々が日本に進出するには少しゲームの流れが変わってしまったようだ』
 ああ、十分理解している――。
『その責任が君にあることは言うまでもないが――』
 分かってる――。
『つまり、もう君はいらないということになるね』
 いつだってそうだ――。
『今まで役立ってくれてありがとう。君の始末はグリグラに頼んである。彼の気分次第だが人形として使って貰えるかもしれないな。ではさよならだ』
 裏切りやがって――。
 自分だってお前達なんてもういらない――。
 組織の力を利用して一三を見つけることが出来たのだから――。
「フフフ、ハハハハ」
 画面を割られたモニターは放電の涙をあげ、真っ二つになったスロットはコインの血を盛大に撒き散らし、何もかも一切合財を切裂かれた。
 悲鳴。悲鳴。悲鳴――。
 両腕両足を切断された男が臓物だらけのカーペットの上で必死に逃げ惑う。確か、死村九六三の両手両足を切裂いた後で豚にファックさせて便所で飼いならすと提案した男だ。残念ながらオークションで負けたが、自分の両手両足で我慢して欲しい。
 しかし、その体でどこに逃げても無駄だ。外にはあの連中がいるから――文龍は容赦なく男の首を切り落とした。
次に目についたのは政治家の娘だ。確か、この雌ガキは死村九六三とその兄弟を生け捕りにして無理矢理兄弟にレイプさせると提案したはずだ。他人の性行為に興味を持つのは他人の糞に興味を持つのと同じだ。
 そんな糞みたいなガキは糞のように死ねばいい――文龍の手から放たれた光が少女を糞のように細かく切裂いた。
 死んだ、死んだ、みんな死んで静かになった――。
 たまらなく愉快だった。なにもかも壊れてしまえばいいと心底思った。
 だが、音が止んで感じたのは寂しさだった。
 それがおかしくて、肉片だけになった薄暗い空間で少年は笑う。
 どうせ地獄に落ちるなら道連れは多いほうがいい。
 最初からどこにも行けなかったのだから、ならば深淵の底で死ぬまで死を撒き散らし踊っている方がいい。
「文龍――!!」
 ふいにそんな叫び声が響く。
 部下だったディーラーが地獄の扉を開いて中に入ってくる。
 もう何もかもに興味がなかった。
 いいや、殺そう――そう思った時、ディーラーの身体が崩れ落ちた。
 文龍はカチリと歯を鳴らす。
「やっとだね。やっと復讐に来たか。あの小娘の物語は終っちまったもんね」
 黒い喪服のようなスーツを纏った男達は言葉もなく血肉の饗宴に足を踏み込む。
 恐れもなく淀みなく迷いもなくただ標的を殺す為に――。
 木偶人形が死んで一三達が結界から脱出し――。
 文龍が維持原の死を聞いた時すでに、賭博場『ナインドラゴン』は死村の総攻撃を受けた。正真正銘の総攻撃。一三と九六三を除く戦力が60階通りの地下に集まっていた。
 死村の上位十人の内、五人。
 さらに同盟関係にある悪原一族から上位五人。
 オールスター・オールデッド・オーケストラ、完全抹殺の大合唱。
 『忠』を信条とする死村は家族を踏み躙る者を許さない。
 『友』を信条とする悪原は『友』を傷つける者を許さない。
 八属の内、二属による過剰なまでの報復。
 容赦もなければ半端もない。九頭龍門は虎の尾を踏んでしまった。
 だがそれこそ文龍の望むところだった。
「いいよ、やろうよ!!ここから先は僕と兄貴の物語だ」
 文龍の腕の振りと同時に光の煌きが疾走する。
 それは黒スーツの男達を一人残さず切り裂いて殺す。
 一瞬で全てが決まる――はずだった。
 だが、光はあまりにも唐突に消える。
 死村の中の一人、長髪の死村が手にしたバラの花束の前で光は途切れた。
 途切れたというよりも消滅に近い。
 花束に触れた瞬間、光は周囲に霧散してしまっていた。
 その輝きには儚い美しささえある。あまりにも見事にかき消された。
「スペースボールリコシェット!?」
 自身の能力を過信していた文龍の戸惑いを無視し、花束を手にした男が一歩前に踏み出す。
 やはり、その足取りには迷いなどない。
 一歩踏み出すだけで大気を震えさせるほどのプレッシャーを放っている。怒りだった。表面上は落ち着いているが違う。
 長髪の死村が文龍の前で立ち止まった時、殺されると思うほどにその怒りは重い。それを表面に出すことなく、長髪の死村はかけていたサングラスをゆっくりと取る。それは映画俳優のような優雅な振る舞いだった。
刹那――『あ』と思わず文龍は呟く。
 そのサングラスの下の顔――それは文龍が慕う一三と同じだったからだ。
 文龍はそれがどういう意味かも知っている。
「十四――!!一三兄貴の双子の弟!!」
 文龍はそれだけでスペースボールリコシェットが消された訳を理解する。
 十四の能力、『棺の薗(ローズ・アンダー・ガーデン)』は錠前を蕩けるほど柔らかくしたり、薔薇をコンクリートよりも硬くすることもできる物質の硬さ柔らかさを変質させる能力であり、文龍の能力とは相性が悪い。
 動揺する文龍とは対照的に死村は静かに笑う。圧倒的な重圧を放ちながら、風に舞う花弁を見つめるような秀麗な顔立ちを微笑ませていた。
「少し怒っていますよ、文龍君」
 静かに死村十四は囁く。ゾクリとしたものが文龍の背筋を通り過ぎる。
 シグナルレッド。
 人間に備わった危機感知能力が危険を教えてくれていた。
 それを無視することができなかった文龍の頬を雫が垂れていく。
「高らかに誇りを持って私の名を名乗りましょう。『黒き眠りへ誘う者(マインスリーパー)』の二つ名と……死村十四の名を。せめて儚く散りなさい」
まだ勝つ方法はある――文龍はそう確信していた。
「アンタの能力は分かってるんだ。幾らだって対処の方法は――」
 文龍が呟いた時、死村十四はバラの花束を構える。
「『棺の薗――刻まれし墓碑銘(エピタフ)』」
美しき声が奏でる旋律がその名を紡ぐ。
鋭利な刃物のような殺意が戦慄を加速させる。
「な……!?」
 文龍は強く歯を噛み合わせた。
 そのシルエットが壊れたスポットライトに照らされ、文龍の瞳に影を差す。
 文龍の中で確信が音を立て崩れていく。
「なんだよ、それ?」
 文龍は目の前の光景を見ながら何度も何度もカチカチと歯を鳴らす。
それはもはや癖ではなく、原初の感情から来る行動だった。
 『棺の薗に刻まれし墓碑銘(ローズ・アンダーガーデン・エピタフ)』、それが文龍を奈落の底に突き落とす。
 能力を知れば対処方法を考えられる、それはそうだ。
 だが、文龍は十四の本気を知らない。
 これが、目の前のそれが、十四本来の能力の使い方とは全く知らなかった。
「冗談だろ!?スペースボールリコシェット!!」
 襲い掛かってくる焦燥感に駆られ、力の限り叫び全力の一撃を放つ。
 だが、スペースボールリコシェットの煌きは眼前の闇に消されていく。
 死村十四の微笑はこれから抹殺する文龍を凍りつかせる。
「やめろよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!僕と兄貴の物語を邪魔するなぁ――!!」
 限界を超えるほどに強く噛み締めた文龍の歯に無数の亀裂が走る。それを意に介する暇もなく――。
 深淵の底、踊り手を食らう魔物が舞い降りた。


 心の痛みと向き合った九六三――。
 心の痛みを忘れようとした李――。
 そして、心の痛みから目を逸らした文龍――これより、文龍の物語は閉幕に向かう。





『報復4』

 


 『スペースボール・リコシェット』――それが文龍の能力名だった。
 それが通じない相手と出会ったことは今までなかった。
 少なくとも今までは――。
 カチカチカチと文龍は闇の中で歯を鳴らす。
 なんでこんなことになったのかずっと考えていた。
 一三に拾われたこと。一三に黙って組織で殺しを請け負いだしたこと、組織の薬に手を出したこと、自分の抹殺命令が一三に出されたこと。一三がそれに逆らい組織を抜けたこと。
「なんだ、悪いのは全部僕じゃないか……」
 そんなことを呟きながらも、様々な記憶が走馬灯のように駆け巡っていく。
「ああ、そういうことか……記憶をいじられていたのは僕も――」
 砕けかけた歯を鳴らす文龍。その淀んだ瞳で目の前を見つめ呟く。
 少しでも口を開けば血の匂いが口の中に広がってくるのを感じさせられる。
 それは外からも内からもだった。
「なんだよ、これ……」
 もう一度、文龍は呟く。ダーツの的のように無数の木片と鉄筋、人骨が体中を貫通した痛ましい姿で。無論、体は思うように動かない。
 クルクルと動くスポットライトが、『ナインドラゴン』店内に散らばった血と肉と骨を照らし出すのを壁にもたれたまま眺めていた。蒼、紅、碧、目が霞むせいかカーペットを染め上げる血が妙な色に見える。
 深海100フィートでは流れた血が緑色に見える。それは太陽光線のうち赤い色光が届かないからだ。深海では闇が深くなればなるほど光は消えていく。それはこの世界と同じだ。
「嗚呼、ここにも光が届いてないのか……」
 自分から流れる血が本当に赤いのかどうか怪しくて文龍は歪に笑った。
「でもさ、アンタ達のその闇より深い黒は変わらないね」
 点滅するスポットライトが喪服のような黒いスーツとサングラスの男を照らす。
 その背後には同じようなスーツを着た若い女、老人、子供まで肉海に佇んでいる。
 肉片のほとんどは文龍が作ったが、中には部下も混ざっており、死村達は文龍の部下たちで作られた死山血河の中で何事もなかったかのように立っていた。
 それを見つめながら、壁に持たれた文龍は歯を鳴らす。
「ここまでするのかよ、アンタたち……」
「家族が傷つけられましたからね。当然のことですよ」
 それを文龍は鼻で笑う。
「家族、家族、家族って――」
「家族と忠義、それより大事な物はありますか?」
 ニッコリと――先頭に立っていた十四は微笑む。秀麗という言葉がこれほど似合う男がいるだろうかというほどに美しい男だった。まるで物語に出てくるような王子様のようでもある。その均整の美は芸術と言えるかもしれないさえ思わせる。
何よりも、それは少年が最も愛した男と同じ顔だった。
「貴方は死村を怒らせた。死ぬ理由としては十分ですよ」
 微笑む十四はそう言うと、手にした赤いバラを文龍に向けゆっくりと死を告げた。
 死村の名は髑髏の旗。
 戦う無意味さを教える為のもの。威嚇の印。
 死村の名は髑髏の旗。
 その名を背負うのは伊達や酔狂ではない。覚悟の証。
 死村の名は髑髏の旗。
 旗の下に集った者は血よりも強い『忠』で結ばれた者たち。家族の絆。
 死村の名は髑髏の旗。
 家族を傷つける者には一切の容赦はない。攻撃の印。
 それが例え国家のトップであろうと。どれだけ巨大な組織だろうと変わることは無く、オールデッドは揺るがない。
「兄貴の嘘つき……僕と変わらないじゃないか。この殺人鬼どもは」
 一三の言葉を思い出し文龍は呟く。
「殺人鬼と一緒にされるのは困りますね。死村は悪党ですが望んで殺しません」
 ニコニコとしたまま死村十四は一歩、前へ出る。
 一三の言ったように確かに悪党だと文龍は思った。
 敵と判断した者にここまで容赦のない真似をするとは――。
 グリグラは上手く逃げただろうか――。
 そんなことを考えながら文龍は血まみれの手を突き出す。
「スペースボール・リコシェット……」
 文龍の手が動き電車を切断したあの技(トリック)を仕掛ける。
「兄さんから習いませんでしたか?そういう技は一度見破られた瞬間に終わりだと――」
 表情を変えることもなく十四はさらに一歩踏み出す。
フッと風に吹かれるように煌きは消え、必殺の一撃は何の効果ももたらすことはなかった。
「残念ですが私には通じません」
「だよね……」
 力なく笑い文龍は歯を鳴らす。
 掌から毀れたのは仕込んでいた極小のガラス欠片だった。
「僕のスペースボール・リコシェットは摩擦を操る力……。投げたガラス欠片の摩擦を操って切断しようとしてもさ、アンタに触れた瞬間に柔らかくされたんじゃ意味がないよね」
「能力の使い方が甘すぎですよ。その能力はまだまだもっと可能性があったのに貴方は攻撃にのみ特化しすぎましたね」
 最初から役者が違う。己を見つめ能力を磨き続けた死村の若き天才に敵うはずなどなかった。
「殺人鬼と殺し屋か。そうか、そうだね。一三の兄貴もそれを言いたかったのかな」
 カチカチカチと歯を鳴らす文龍の瞳が僅かに潤んだ。
 一三のことを思い浮かべてしまったからだ。
「死ななきゃ……ダメかな?」
「ええ」
 何の躊躇いもなく、十四は答える。
 思わず文龍が吹き出すほどの素っ気なさだった。
「殺せるの?僕を殺すと一三兄貴は怒らない?」
「怒る――でしょうね」
 その言葉に文龍はさも可笑しそうに笑う。
「ああ、僕と兄貴が再会する物語だと思ってたのに。途中まで上手く言ってたのになぁ……」
 十四はピタリと文龍の前で足を止め見下ろす。
「……こう考えたことはありませんか?」
 静かに、ゆっくりと丁寧な優しさを持って死村で最も冷酷な男は微笑む。
「貴方の物語の筋書きは決まっていて、闇賭博の本当の駒は――」
「僕――だろ」
 カチカチと文龍は歯を鳴らす。
「知ってたよ。僕が華族メンバーにも数えられてないことなんてとっくにさ。九頭龍門の核は宗教団体、中枢の華族はほとんどそこに属してたけどさ、嫌いなんだよね、そういうの」
 さもバカらしいと笑いながら文龍は天井を見上げた後、視線を十四に移す。
 目に溜まっていた涙を堪えきることはできなかった。
「でもさ、そこしかなかったんだよ、僕には」
 本当にそうだろうか――?
「そこしかさ」
 ただ一三だけを選んでいれば――。
「なかったんだ」
 普通に再会していれば――。
「ねぇ、なんでこんなことになったのかな?」
 カチカチカチ――歯が何度も音を立てる。
 それは誰にも分からないし答えることはできない。
 勿論、やり直すこともできない。カードゲームならもういちどプレイできる。だが人生という遊戯は一度だけだ。
「ねぇ、一三兄貴……」
 文龍の手がそっと十四に向かって伸びる――。
 ここにいるのに――なぜ、一三を遠くに感じるのだろうか。
「僕はどこで間違えたのかな?」
 一三の双子の弟である十四の頬に触れ文龍は呟く――。
 十四はただそれを拒むこともなく見つめ続けた。
 それがもっとも文龍が苦しむと知っているからだろう――。
「会いたかったけどさ――終わりだよね」
 文龍の手が力なく床に落ちた。そして俯いたまま呟く。
「ここから早く逃げた方がいいよ。もうすぐ跡形もなく消し飛ぶからさ」
 少しだけ十四はキョトンしていた。何故、そんなことを教えるのか理解できないというような表情だった。
 文龍自身は自分の気持ちを理解している。
 一三に九六三のことを告げた時と同じ気持ちだった。
 本当は死村の名の下にずっと行きたかった。
 今ならそれがはっきりと分かる――。
 何かにすがりつながりを求める心や、屈折した感情がそれを許すこともなく、迷路の中を彷徨い続けていた。
 あの木偶人形と同じだった。
 ただ寂しいのが嫌で嫌で――。
 つながりを求め、偽りに身を委ね――。
 痛みから目を逸らした――。
「本当になんでこんなことになっちゃったのかな」
 文龍が呟くと十四は背を向け、他の死村にも出口に向かうように指示する。
「止め刺さないの?」
「ええ、これ以上苛めると兄さんに嫌われてしまいそうですからね」
 どちらにしろ死ぬなら止めは刺さない――そういうことだろう。
 そうすれば『殺したか?』と聞かれた時に『殺してない』と答えられる。
「そっか。僕は一三兄貴に嫌われたまま死ぬんだから、いっそアンタも止めさして嫌われてくれればいいのになぁ……」
 文龍は毒づきながら死村達が去っていくのを見つめ呟く。
「ねぇ――」
 ふいに文龍は甘えるようなひどく弱々しい声を発する。
 それは子猫が雨の中で鳴くような寂しさを持った声だった。
「頼みがあるんだ」
 そんな言葉に聞く耳などもたず十四は歩き続ける。
「兄貴に電話させてくれないかな?」
ピタリと十四の足が止まった。
「電話――ですか」
「ああ――」
「どうせ後悔するだけですよ?」
 十四の穏やかな表情の中に辛辣な皮肉が篭っていた。言いたいことは文龍も分かった。電話の結果も分かってる。
「分かってるよ。分かってるんだ。でも、頼む、頼むよ。どうか――」
 少しの間の後、十四は携帯を差し出し去っていく。
 ただ素直に差し出したわけではない。もちろん優しさなどでもない。
 死村十四は文龍が一番傷つき、後悔する選択肢を理解している――文龍はそのことに気づきながらも、差し出された携帯を受け取りゆっくりとボタンを押す。
 しばらく呼び出し音が鳴っていたが、数度目のコールで一三が出た。
『十四か?どうした?呼吸がおかしいぞ?十四?』
 言葉は出なかった。何も言えなかった。胸が張り裂けそうなほど苦しい。
 反応がない為、携帯の向こうの一三が黙る。文龍がこのまま携帯を切ろうとした時、
『……文龍?』
 ふいに一三はそんなことを尋ねた。黙っていることが出来ず文龍は声を振り絞る。
「兄貴……」
『文龍……』
「僕が間違ってました。ずっと、ずっと、謝りたかったんだ」
 そして――。
『気にするなよ』
 一三は許す。それは分かりきったことだった。
 そう、許してしまうことは分かりきっていた。
「兄貴……」
 と、一三は短く答えた。十分だった。それだけで十分だった。
 文龍は歯を噛み鳴らすことなく笑顔を作る。
「兄貴、さよなら」
 僅かな間。
 一三はその意味を悟ったのか噛み締めるように呟く。
『……バカヤロウ。大バカヤロウだよ。お前は』
 その言葉には実の弟をたしなめるような優しさがあった。
 一三は目を逸らさない。心の痛みから。常に自分と向き合う。
 モニター越しに見たあの死村もそうだった。
 死村の者達はそうやって生きている。
 それは李や文龍にできなかったことだ。
 痛みを忘れる為により大きな痛みや他者の苦痛を必要としたり、目を逸らし続けてきた。
 文龍にとって人間は残酷な生き物でなければならなかった。価値がない存在でなければならなかった。
 そうでなければ文龍が間違っていたことになってしまう。
 だから、自分が正しいと肯定しながら文龍は人を殺し続けた。
 殺すたびに軋んでいく痛みから眼を逸らして。
「ありがとう、兄貴……」
 文龍は携帯の電源を切った。
 ごめんなさいとさよならとありがとうが言えた。
 それだけだった。それだけで文龍は十分だった。
 そして、心の底から後悔した。
 取り返しのつかないことをしてしまった自分のことを心底恨んだ。
「死にたくないなぁ……」
 最後に希望を持ってしまうなんて――。
「死にたくない、死にたくないよ、兄貴」
 許されてしまうなんて――。
「優しすぎるよ、兄貴。本当は死んじまえって言われたかったのに。死にたくなくなっちまうだろ」
 生きていればやり直せると思ってしまうなんて――。
 心の痛みを自覚してしまうなんて――。
 どれだけの人間を無慈悲に残酷に殺して来ただろう――生き残るが出来たらと思う資格はないのに。
 破壊され尽くされた虚栄と退廃の空間で一人、ポツンと残った文龍は大好きな一三のことを考え心の底から笑っていた。


 死村達が無事脱出した直後、賭博場『ナインドラゴン』は炎に包まれた。




『終幕〜探していた何かはそこにあった〜』

 どういうわけかは分からないが死村九六三は大通りを歩いていた。
 とてもいい天気だった。見上げれば空はどこまでも蒼い。まるで真夏のように透き通っている。
 雲一つない空は綺麗で太陽の日差しも優しかった。
 白くて暖かくい日差しのせいだろうか、街が蜃気楼のようにぼやけて感じていると大通りを心地良い風が吹きぬけていく。
 風に揺れる燃えてしまったはずのコートとタイトスカート。子供っぽい自分の外見を大人っぽく見せてくれるから好きだった。何より一三が買ってくれたことが一番大きい。
 本当はデートで着るはずだった服だが燃えてしまったものは仕方ない――そんなことを考えながら歩き続ける。
 ふと、道の向こうから男性が歩いてくる。
 その隣にはまだ幼い女の子の姿があった。
 しっかりと迷わないように手を繋ぐ姿に九六三は思わず微笑む。
 その男性はどこかで見たことのあるような顔だったが、何故か思い出すことができない。ぼんやりと頭に霞がかかっているようだった。
 男性はそんな九六三の前に立ち止まりにこりと微笑む。
 それだけだった。
 九六三と男は擦れ違い西と東に別れていく。
 次に擦れ違ったのは中国人の少年だった。
 少年は九六三を見つめニッと子供らしい笑みを浮かべる。
『アンタ、強いよ。自分の痛みから最後まで逃げなかったもんな』
 それが何のことかは分からなかったが、それだけを口にすると少年は通り過ぎていく。
 道を探すようなたどたどしい足取りだったが何故か大丈夫のような気がした。
 九六三も再び蜃気楼の街中を歩き出す。陽炎のように揺らめく大通りを抜けて東に向えば、
 路傍のジプシー。
 トランク一つを手にしたホームレス。
 傘を差した喪服の少女。
 様々な人が蜃気楼の中を彷徨っていた。
 しばらく歩き続け、ふと、背後を振り返る。
 すると、そこには何もなかった。
 ただ荒涼とした砂礫の大地ような空間がそこに広がっているだけだ。
 引き裂かれた灰色の大地と墓石群の街並みはまるで全てが終ってしまっているかのようでもある。
 それはとても寂しい世界であり、一三に救われる前に見ていた世界と良く似ていた。
「独りぼっちはもう嫌だ」
 怯えるのではなく強い意志を持ってその世界を否定する。
 もうそちら側には絶対に行かない、そう約束した。
 その誓いは道を示してくれる。九六三は迷うことなく歩き続けた。心の中にある何かの在り処を――帰るべき場所を目指して。それが例え心を締め付ける痛みでも構わない。そこにどんな苦しみがあろうともう逃げ出さない。
「三六、十五、十四、一三……」
 大切な者たちの名を呟いた時、蜃気楼の町並みは溶け夢から目覚める。
 少し瞼が重いが、ゆっくりと開けば見慣れた天井が見えた。
 あれから、どれぐらい時間が経っただろうか。大気の流れがかすれた口笛を吹いていることを感じた。ならば、まだ街は深いまどろみの中だろう。
 少し首を左に動かして見ると身体を襲う痛みを感じる。
 恐る恐る左腕を見ると、切り取ったはずの先があることにも驚く。
 そして――その左手の先には一三がいてくれたことにもっと驚いた。
「九六三……」
 一三がゆっくりと名前を呼んでくれた。九六三は名前を呼ばれるのが好きだ。そこに自分が存在することを感じることができる。特に一三に呼ばれるのが好きだった。だから九六三もありったけの気持ちを込めてその名を呼ぶ。
「一三……」
 お互いの存在を確認し合うように互いの名を呼び合うのはもっと好きだ。
 少しだけ潤んだ一三の瞳が九六三を見つめる。
 一三は少し痩せて髪が短くなっていた。でもそれが似合っていて少し可愛い。今までよりも二十歳らしく見えた。
 そんな姿を見つめていると、ふいに一三は九六三の身体を抱きしめる。
 九六三は少し驚いて『あ……』と小さな声を上げた。
 一三に言葉はない。だが身体が震えていることはすぐ気づいた。
「一三……」
 その胸の中で九六三は再びその名を呼ぶ。先ほどよりも想いを込めて。
 ドキドキして胸が張り裂けそうで苦しい。
 好き――。
 口には出せない言葉を心の中で何度も繰り返す。
 一三の珈琲を飲む仕草も、家族を何より大事にするところも、自分を大事にできないダメな生き方も、強さの中に隠しているとても純粋で脆い弱さも、何もかも好き。想えば想うほど、鼓動のリズムは乱れていく。九六三は照れ隠しにゴホンと咳払いをする。
「皆は無事か……?」
「ああ。今は子守の旦那の葬式に出てる」
 家族の無事に九六三は安堵の吐息を漏らす。
「九六三……これを」
 ふいに一三の手が九六三の左腕にアクセサリーを付けてくれる。それは鷲の羽根がついたペンダントだった。九六三の金色の髪とよく似合っている。
「これは?」
 ドキドキしながら九六三は尋ねる。
「ずっと目覚めたら渡そうと思ってたンだがよ、貰ってくれるか?」
「うん……すごく嬉しい。絶対大事にする……」
 頬をほんのりと染め九六三は小さく頷く。
 大好き――だから胸が苦しい。
 でも、一三から瞳を逸らす気はない――痛みからも気持ちからも何からも。
「一三、今度……二人で出かけよう」
 一三は何度も何度も頷く。
「ああ。九六三の好きなとこによ、どこにでも行こうぜ」
「絶対だぞ……?」
「ああ」
「約束だからな」
 何度も一三は頷き、そっと九六三の右小指と自分の小指を絡めた。固い傷だらけの指先は温かくそして優しい。
「約束だ」
 強い眼差しで一三は呟く。
「うん……」
 九六三が微笑むと、そっと一三の手が髪をなでてくれた。
 それがあまりにも幸せで安心して落ち着いたら猛烈な眠気が襲ってきた。痛みを誤魔化していても体力はまだ戻っていなかった。
「一三、少し眠っていいか」
「ああ」
 離れようとした一三の袖をかろうじ動く右手でつかむ。
「ン?どした?」
 いつも通りの鈍感な一三は不思議そうな顔で九六三を見つめる。あまりにも真顔で見つめられたせいで恥ずかしくなってきた。
 一三が戸惑っても九六三は手を離さない。
「出来れば……その……このまま……がいいんだ。抱きしめていて欲しい」
 ようやく気づいた一三はいつも通りに『たはは』と笑う。余裕たっぷりの笑い方、今はそれが九六三にとって心地良い。いつも通りの死村家の日常がそこにある気がした。
「ゆっくり休みな。俺はどこにも行きはしねぇさ」
 そっと一三の手が九六三の短くなった髪をなでてくれる。
「うん……」
 九六三は一三の腕の中で、もう一度ゆっくりと眠りについた。


 探していた答えも何かもはじめからここにあった――。

 

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