3.『リトルスナイパー』


 蒼い月灯かりが寂しく闇の中で輝いてる。
 儚く、蛍火のように――。
 うつろう闇には儚い灯かりが似合うのなぜだろうか。
 ビル風が林立する高層建築物を通りすぎる度に唸り声をあげていた。
 湿度は20%、南南西からの風速は12マイル。
「……あそこですね」
 三六はやや緊張した声で呟いた。
 濃紺のセーラー服がビル風に煽られるその度に少しだけ肌寒さを感じる。
 今、三六が立っているのは標的のマンションから、200ヤードほど先のビルだった。
 手にはやや大きめのギターケース――。
 それを冷たいコンクリートの上に置き、中からライフルを取り出す。
 ごくごく自然な、慣れた手つきで。
 死村で銃を使う者は少ない。
 体術や技能に劣るが集中力と繊細な神経を持った三六には狙撃が最も適していた。
 通常、狙撃は二人のチームで実行される。
 一人がスナイパー、もう一人がサポートの観測者だ。
 だが三六の目があれば観測者は必要ない。
 三六の目は死村の中で最も優れていて、暗闇の中でも確実に針穴に糸を通す動きができる。
 こうしている今も、しっかりと200ヤード先の室内をしっかりと捉えていた。
 三六が立つこのビルはそれほど高くはないが、斜線が通るギリギリ高さだ。
 高ければ高いほど、狙撃に適するわけではない。
 下向きの射撃では重力の弾道に及ぼす影響が誤差となることがある。
 高すぎる位置は狙撃自体の難度を上げてしまうのだ。
 高さ、角度、風向きから考えてもこのビルは狙撃に最も適しているだろう。
 三六は伏せ撃ちの体制を取る為に毛布を引いた。
 ――今回の仕事のターゲットは暴力団組員の男性らしい。
 依頼人のことや、殺す理由は聞いてないが、多分それはどうでもいいことだろう。
 殺して、また殺して……ただ、殺す。
 初めて人を殺して死村と認められた時からその運命は変わらない。
 最早、普通に生きることなど……そもそも普通とはなんなのか。
 三六はフォアエンド先端のパイポッドを展開してからストックを抱きうつ伏せになる。
 体をコンクリートと固定し、ストック内からモノポッドを引き出し調節した。
 コンクリートと体がしっかりと一つに重なる感覚――それは暗殺前のいつもの感覚。
 さらに300口径ライフル弾を収めた装弾子ごと機関部に押し込む。
 薬室に弾丸を押し込む冷たく魂のない音。
 ――淡々と慣れた動作でこなす自分自身に嫌悪感がした。
 このスコープの縁取った世界に映る物……。
 これから奪う命――。
 これから奪う未来――。
 初めて殺した時の十字線が標的と合った時の恐怖感や緊張はもうない。
 月明かりに反射するマンションの窓ガラス越しに標的のシルエットが見えた。
 標的の男性だ――。
 妻がいて――子供がいて――友達もいるだろう。
 誰に恨まれてかは知らないし、知ることに意味はない。
 今此処でその命を奪う。
 縁取った世界に標的を捉える。
 丁度、窓際に立った。
 風が強く吹く――。
 三六はゆっくりと引き金を――。

 ――引かなかった。

 様子がおかしい。
 突然、標的の体が窓際に叩きつけられた。
 抗争だろうか。何かが室内で起きている。
 心臓は不規則なリズムを刻みだす。
 ざわめく不安が心に広がっていく。
 どうする。このまま続けるか、撤退するか。
 躊躇った瞬間だった。
 スコープの向こうで標的の体が――千切れ飛んだ。
 切裂いたのは血に染まった褐色の細い手だった。
「!!!!」
 スコープに映る赤。赤。赤。肉片。
 まずい!!!!
 肌を突き刺すような感覚――。
 何が起こっているか理解するより先に、死村の本能が危険のシグナルイエローを告げていた。
 ここにいるのは確実にまずい!!!!
 しかし――遅い。
 撤退しようと行動した時、標的のベランダの窓がゆっくりと開く。
 思わず三六の動きが固まる。
 窓から現れたのは三六よりもう少し年下の少女だった。
 夜の闇に包まれた褐色の肌と大きな瞳が月明かりに照らされ輝いている。
 凝視した三六の瞳とベランダに立った少女の目が合う。
 その瞬間だった。
 跳んだ。
 少女のしなやかな褐色の筋肉のバネがコンクリートを弾き宙に舞う。
 その出来事は三六が認識した映像を脳に伝える刹那であり、故に声を発する間もなかった。
 思わずライフルが手から落ちる。
 トッ、という階段を二段飛ばしで飛ぶような軽い音。
 少女の体が近場のビルの屋上に降り立ち、もう一度跳んだ。
 それを数回繰り返し少女は三六の前に降り立つ。
 ――シグナルレッド!!
 少女のスカートと、サラリとしたショートヘアがビル風に踊る。
 ビル間を跳躍する人間離れした動きを見せた少女は八重歯を見せて微笑む。
 少女の白を基調としたセーラー服と、鮮やかな褐色の肌のコンストラストが少女の輪郭を、存在感を際立たせていた。
 三六は死角なる背中でP38マニュリーンを握り締める。
「はじめまして」
 少女はそう言うと、人懐っこい笑みで照れくさそうに笑う。
 どこにでもいる愛らしい少女のように。
「あ、いえ、こちらこそです」
 三六は律儀に頭を下げる。
「ええと、お姉さんは殺し屋だよね?」
「ええ、そうです」
「あ、やっぱり同業者か……」
「あの貴方も……?」
「そ。一応女子中学生兼殺し屋です」
 少女は三六よりもさらに薄い胸を張る仕草をしてみせる。
「お姉さんとターゲットがブッキングしたみたいだね」
「ええ……」
「お姉さんさ、こういう時のルールって知ってる?」
 ルール、そう呼べるほどの物ではない。
 第一に優先すべきは仕事や任務だ。
 殺し合いは二義的なものでしかない。
 だが、時々、この少女のように不必要に接近してくる者がいる。大概、そう言った者は何かしらの狂気や厄介事を孕んでいるのだ。
 そういう事態の暗黙のルール――身を守る為に殺すこと。
 三六は無言でP38マニュリーンを構える。
 それが少女の言葉への返事だった。
「なんだ。知ってるんだ」
 少女の左手が素早く伸び、
「なら話は早いよね」
 P38マニュリーンの遊底をつかんで押し上げた。
「!!!!」
「オートマティックは遊底を押すと、排莢孔が露出して撃針は作動しないんだっけ?」
 少女の右手が高く振り上げられる。
「バイバイ、同業者のお姉さん」
 銃を離し、三六が、少女から、跳び退ろうとする。
 本能が告げていた。
 あの右手は――危険だ!!!!
「ああああああああああ!!」
 叫び、自然にもれた叫び上げ、三六が飛び退った。
 その瞬間、少女の右手が三六の前髪をかすめコンクリートを切り刻む。
 右手を振り上げて、降ろした。
 それだけだった。
 それだけで十分だった。
 三六は僅かに口を動かす。
 あまりにも圧倒的で絶対的な破壊。
 音もなく抉られたコンクリートには五本の大きな傷痕が出来上がっている。
 禍々しく、荒々しく、えぐりとられた爪跡だ。
「あちゃ。外しちゃったか……」
 少女がパチンと指をならしてみせると、魔法が解けたように三六は正気に戻った。
 冷や汗がゆっくりと、ゆっくりと、三六の頬を伝う。
 薄っすらと――死の予感を夜風に感じた。
「お姉さん、避けると痛いよ? ちゃんと切裂かれてくれなきゃ……それとも 戦うなら戦士として誇り高く戦闘しないとね」
 三六の歯がカチカチと、自然に音を鳴らしていた。
 思考がうまく定まらず、情報処理の限界を超える。
 何故、こんなわけも分からず、名前も知らない、出会ったばかりの、全くの他人に、ここまで――。
 でも、それはこの世界では当たり前のことで。それなのに、それなのに、この感覚は――。
 思考した言葉のフラグメントをまとめあげる暇などなかった。
 すでに少女が、三六の眼前まで接近していたからだ。
 反射的に三六は、つま先でギターケースを蹴り上げる。
 三六の指先がそれを受け取ると、そこへ、少女の拳がめり込んだ。
 さきほどの一撃と違い、ただ突き出された拳。
 防げると、思考した。
 ギターケースが盾になると。
 インパクトの瞬間までは。
 ――違う。
 刹那、体の筋肉が縮小するような衝撃が通り抜ける。
 体が一瞬、宙に浮く感覚がした。
 三六は悟る。
 少女の細い腕――違う。日常的には普通の少女を装う為につけられた柔肉。
 そのカモフラージュの下は凶器だ。
 限界まで鍛えられた刀のような鋭さを持った武器だ。
 それを三六は見抜けなかった。
 『ギターケースが砕け散った』、三六がそう認識した時、
 風を切裂く音を聞く。
 少女の鋭い蹴りが、腹部にめり込む。
「あぐぇ……」
 蛙が潰される様な声の後、血の混ざった胃液が飛び散った。
 ブツリと目の前が途切れるような感覚。
 刹那、高く振り上げられた少女の足が三六の脳天に振り下ろされる。
 対応しきれないほど、素早い動きの連動――。
 三六の体の奥から稲妻のような熱が駆け巡った瞬間、足に力が入らず、体が地面とキスしていた。
 鼻先に流れてくる生々しい匂い。
 ぶれる視界は少女のリズミカルな動きを見つめていた。
 ――レベルが違う。
 これではまるで子供と大人の喧嘩だった。
「じゃあね、お姉さん。バイバイ」
 少女が三六の襟首をつかみ持ち上げる。
 スッと振りかざしたのは先ほどの右手だった。


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