2.『ノーマルライフ』

  三六は高校からの帰り道の途中のスーパーマーケットに必ず寄る。
 授業が終わって、学校の図書館でその日の授業の復習をして学校を出ると、ちょうど生鮮品の値下げが始まるのだ。スメラギチェ−ンのスーパ−は品数が多く、三六のお目当てであるコーヒー豆まで豊富に置いてある。普段ならゆっくりと目利きするとこだが、今日は急いで宗主の元に行かなければならない。
「家業ですか……」
 手の中の買い物袋の重みを感じながらポツリと三六が呟く。
 学校などで周囲の家庭環境の話しを良く耳にする。
 やれ進路はどうだとか、やれ家族はどうだとか――。
 その度に、三六は自分が周囲とずれていることを感じるのだ。
 周囲との違いは幼い頃から気づいていた。
 レールから外れるという言葉。
 よく青春ドラマとか三六の好きなジュブナイル小説で聞く台詞だ。
 ――多分、死村はそんなレベルではない。
 ドロップアウト・オブ・ドロップアウト。
 元からレールや道など歩いておらず、つまり根本的に点から異なる。
 極論に近い乱暴な言い方だが、より多くの人が考える『普通』が、その社会の『普通』であり真実だ。
 死村は普通の定義から外れていると言ってもいい。
 それがゲミュート――いわゆる心情を掻き乱すのだった。
 かと言って、三六に生きる場所は死村しかなく――。
 三六はしばらく歩くと、鉄筋コンクリートの重厚なマンションの前で足を止める。
 慣れた動作で、玄関ホールに入り部屋番号と呼び出しボタンを押した。
「ただいま」
 そう、自宅に帰って来たのだ。
 スピーカーフォンから返事が返り、その直後、厳重に閉じていたガラスの扉が横に開く。
 オートロックの自動警備システム――と、言ってもそれほどすごい物ではない。
 三六はエレベーターに入り最上階の五階に向かう。
「……」
 揺れるエレベーターの沈黙の中、三六はふと物思いにふける。
『沈黙は一つの会話である』と言ったのはW・ハズリットだったろうか。
 考えても仕方ないことや、悩んでも仕方ないことで悩むのは悪いことじゃない。そういう時は静かに沈黙して自分と会話をすればいい。
 普通であること――。
 十四は、答えは三六の中にあると言った。
『ジャメ・ビュ』……未視感、経験してることや知っていることを初めてだと感じること。
 今まで、どこかで答えを見ているのかもしれないし、触れているのかもしれない。三六の気づかないどこかで――。
 エレベーターが停止すると、五階で降りて隅の部屋へ向かった。
 通り過ぎるどの部屋にも表札がない。ただ簡素などこにであるドアが並んでいる。
 五十六、一二三――。
 表札の変わりに格部屋のドアには漢数字で番号が書かれ、それが延々と廊下の端まで続いていた。
 ただ、三の絡む数の表記だけ、三七、やや一九三のように表記されている。
 死村では三という数字は奇数ならぬ危数とされ、十三や三十三等の三の絡む数は、一三や三三と表記するなど独自の文化を持っている。死村独自の文化だが、日本人が四や九のつく数字を嫌うのと同じ風習的な物だろう。
 そう、それは部屋番号などではない。至極簡単な答え――ここに住むのは皆、死村の血族、つまり各部屋の番号は一族の名前である。
 現在、三六と一緒に暮らしているのは、一三、十四、十五の四人だが、マンションの他の部屋には宗主や他の死村の者達が住んでいる。
一族全員が同じマンションに住む、それも死村の文化である。
 一族で一つのビルに住む……三六は小学生になるまでそれが普通だと信じていた。
 どこの家でもきっとそうなのだ、と。
 まだ幼い三六が十四にその理由を聞くとこう答えた。
『三六さん。死村は皆、寂しがり屋さんなんですよ』と。
 子供の頃は、十四の言葉を鵜呑みにしていたが、今考えれば一族の家業という側面もあるのだろうと思う。家業――それもまた、死村では文化でありごくごく普通のことだ。
 三六は奥の部屋の前で立ち止まるとドアフォンを押す。
 ほどなくしてドアが開き、アロハシャツの老人がひょっこりと姿を現した。
 ツルッと光る頭にはサングラスを乗せ、両耳にはピアス――それらは老人の顔に刻まれた皺とひどく不釣合いな物だった。
「おお、三六」
 老人に向かって三六が頭を下げた。
「宗主様、お話を窺いに参りました」
 ゆっくりと頭をあげ、三六は老人を見つめる。
 三六はこの老人――宗主が玄関に出てくるまで、室内にいるのか、いないのかさえ分からなかった。
 今も確かに目の前にいるというのに気配というものが全くない。
「よく来た。よく来た。さぁ、お入り」
 宗主がニコニコと微笑み三六を手招きする。
 昨日会ったばかりだというのにまるで数週間もあってないような口調だった。もしかしたら、十四が言うように死村は寂しがり屋なのかもしれない。
 三六は黙って宗主の後を着いて、室内に入っていく。
 宗主の部屋は相変わらずゴチャゴチャしていて、短い廊下にもゲーム機の箱やコミックが陳列されている。ナウなヤングに喰らいつくというのがこの老人のポリシーだ。
 キッチンとバスに挟まれた廊下の先にドアがあり、宗主が先行してドアを開く。
 ドアの奥、そこは十畳ほどの広さの和室だった。
「三六さん」
 部屋の中で座っていた人物が柔らかな声で三六の名を呼んだ。
「あ、兄さん……」
 思わず三六が声を上げる。
 部屋の奥に跪座していた十四がいつもの微笑を浮べ頷く。
 その横顔は赤く染まった障子から漏れる夕日を受けていた。
 和室の最奥、十四の傍らに宗主が座ると三六も跪座した。
「三六よ……」
「はい……」
 明かり障子を通った陽の光が、三六の白い頬を染める。
「まず、ワシに膝枕を……」
「殴りますよ、宗主様」
 十四と三六が同時に言葉を紡ぐ。
「兄さんと意見が……」
「ええ、珍しいですね。三六さんと意見の一致とは……これも兄と妹の愛でしょうか。素晴らしい、素晴らしすぎますね。三六さんの日記に書かれる様が浮びますよ。今日、私は、兄さんと意見が一致し、真実の愛を感じました……」
 三六はとりあえず変態の言うことは無視した。
 意見の一致に少しでも喜んだ自分の馬鹿さ加減に後悔しながら。
 一瞬、緩んだ宗主の顔が鋭い表情に戻る。
「ふは。戯れだよ、三六。お前さんはちと固すぎるからな。もう少しくだけた態度でもええのにのう……」
 いやいやいや、本気だった。
 宗主はあの変態同様に本気で言っていた。
「実はお前に仕事をしてもらいたい」
 スッと宗主は三六の前に書類を置いた。
「……殺すんですか?」
「簡単な殺しじゃよ。ゲームに例えるならイージーモードでノーコンテニュークリアできるようなもんかのう」
 ごくごく普通に発せられたその言葉に宗主は頷く。
 依頼を受け、人を殺す。それは暗殺集団死村にとって当然のことだ。
 暗殺集団――それもまた極々自然に三六が受け入れた境遇だ。
 ゆえに、それに対しては疑問など持たない。
 ある者は素手で肉を裂き、ある者は玩具に偽装した暗器で完殺する。
 そして、またある者は自身の資質で依頼を遂行する。
 三六は死村の血に塗れた道を、生まれた時から歩んでいる、故に疑問は持たないはず――だった。
「分かりました」
 三六は手を突いて礼をすると、音も立てずに立ち上がった。
 それをみながら宗主は目を細める。
「そうか。三六もようやく音を立てず歩けるようになったのだな……初めて人を殺してもう五年か」
 三六は言われてそのことを思い出した。
 ――特に何かを感じることはなかった気がする。
 ただ、殺した。それだけだ。
 だから思い出したと言っても、何となくだ。
 それは殺すという行為があまりにも日常的になり過ぎているせいでもある。
 息をするように、呼吸をするように人を殺す。
 それは世間の定めた『普通の定義』から大きく逸脱することだった。
「はい。五年です」
そう、三六は思ったことを口にせず答える。
「お前ぐらいの年齢ならもう一人で殺していけるはずだ。十四や一三のように立派な暗殺者になりなさい。いつか二つ名で呼ばれるぐらいのな」
 立派な暗殺者――。
 三六は老人の言葉には応えず、背を向ける。
「あ、三六さん」
 十四に呼び止められ三六が振り返った。
「三六さん、『ベルベット・ガーデン』のライヴに行きたがってましたよね。実はチケットが手に入りまして」
 十四がスッとポケットからチケットらしき紙切れを取り出した。
「え!! 本当ですか!!」
 三六のあどけない瞳が御馳走を目の前にした時のように輝く。
 さきほど、人を殺す話をしていたばかりなのに――。
 ちなみにベルベット・ガーデンは中高生女子に人気のロックバンドである。
 死村家でそういうことに興味を示す者は少ないため、十四が知っていたのは驚くべきことだ。
「ええ。この仕事が終わったら二人で行きましょう」
「行きます!! 行きます!!」
 宗主は歯軋りしながら十四を睨む。
「クッ。小細工しおって……!!」
「フフ、ちゃんと三六さんの日記で欲しい物はリサーチ済みですよ」
 心底悔しがる宗主と、何故か誇らしげな十四。
 ――最早、何も言うまい。
 三六は無言で部屋を出たのだった。


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