第十回前編『人形』




 北崎藤蘭は孤独だった。それは今の今に至るまで変わらない。
 家族がいないわけではない。
 ただ、藤蘭の両親が愛したのは藤蘭ではなくその才能だった。
 親が子に期待するのは当然かもしれないが、それも度を越せば様々な歯車が狂っていく。
 最初は乗馬用の鞭だった。
 魔術師としての素養があった藤蘭が思い通りに動かなければ両親は容赦なく打った。それでもミスをすることはあるし、些細なことで両親の機嫌を損ねることがある。それでも両親は容赦しなかった。
 それが繰り返される内にエスカレートした時、藤蘭はちょっとしたミスで檻に閉じ込められた。檻に閉じ込められ裸のまま夜を明かす、そんな日々が何日も続くようになった。
 虐待により心をそがれ、命令と言う糸で動く日々。
 そんな地獄の中、藤蘭を保護したのは魔術教会支部だった。
 何も変わらなかった――。
 魔術教会は藤蘭に期待していると言いながらも思い通りに動かすことに執着した。
 藤蘭は人形と同じだった。
 人間になりたい――その想いが北崎藤蘭という孤独な人形と人形師である或不を引き合わせた。
 だが、藤蘭を愛しながらも或不もまた藤蘭を自分の人形としか見なさなかった。
 護衛の『てむじん』、監視の『ごりあて』。
 人形に囲まれながら藤蘭は――或不の願いを知ってしまった時、脱走を決意する。


 ◇


『鈴原冬架……』
「或不だね」
 冬架の問いに『ごりあて』は頷く。
『久しい』
「その機械の体に自分の人格をインストールしてのか、或不」
『そういうことだ』
 冬架の問いにマシーンボイスが答える。黒い鉄の体躯から発せられる音声には人間味が一切なかった。或不こと、サンプルネーム、α/EGは元より人間などではない。
 それは冬架も藤蘭も知っていることだった。
『まさか、お前が絡んでいるとは考えもしなかったが、ここらで退いてはくれまいか。今の私にはお前に構っている暇はない』
「随分と勝手だね。その子のせいで私のスレイヴが大怪我したのに」
『知っているよ、私の藤蘭と口を聞いたあの少年だろう?お前には悪いが私の藤蘭と口を聞いた以上死んでもらうよ』
「変わらない奴だ」
『変わったさ。私はより人間に近づいた』
 機械的な中にどこか執着にも似た感情が宿る。鈍重な金属音を軋ませ或不の首が動く。瞬間、その頭部で空気の塊が破裂する。
 放ったのが藤蘭のせいか、或不は動こうともしない。
 元より威力はさほどではなく或不――『ごりあて』の頭部を破壊できなかった。
 風の起こす魔術。これは一つの武器と同じく性能が決められた力だ。
 どのような魔術師が行使してもそれほど威力は変わらない。
 ただ詠唱だけが異なる。
 呪文の詠唱とは自己の体に刻み込んだ魔力を発現させる為のものであり、その内容には魔術師としての性質が現れる。
 魔術の発現になる呪素構成式と発動詠唱は最小限でも発動できるが、より多くの意味合いを込めた方が威力は格段に増す。
 藤蘭は感情のままに詠唱を簡略し風の塊を放った。その為に威力はほとんどなく、パァンという音はまるでシャボン玉が割れるようだった。
 それでも藤蘭は叫ぶ。
「或不!!」
 その叫びを無視し、或不は冬架に語り掛ける。
『藤蘭をこちらに渡せ。それは私のものだ。私の全てだ』
「嫌!私は貴方のものなんかじゃない!!」
『いや、私のものだよ、藤蘭。君はずっと私を探してくれてたじゃないか』
「貴方を殺して自由になるために貴方を探してただけ!その為にここに来たんだから!!」
『無理だよ、藤蘭。本体の或不はこの奥のプラントにいるが既に抜け殻だ。殺したところで意味なんてない。この私は止まらない』
「それでも、私は……!!」
『藤蘭にはどこにも行く場所はないだろう?さぁ、おいでよ、藤蘭、藤蘭。可愛い藤蘭。お前を私がずっと守ってきたじゃないか。藤蘭は私の側にいないとダメなんだ。さぁ、藤蘭。おいでよ、藤蘭。お前に酷いことをする男どもは全員殺してやろう、藤蘭、藤蘭。お前の持ち出したてむじんもお前を守れなかったじゃないか。私しか居ないんだよ、藤蘭』
 冬架の頭の中で様々な事象が繋がっていく。
  藤蘭を追いかけ、或不が街を移動する。藤蘭に話しかけた男性を殺しながら――。
 それを冬架が知っている『ある事実』と照らし合わせれば全てが見えてくる。
 この事件の全てが繋がっていく。
 途切れ途切れのリンクが築かれる。
 断片が真実に変わった。
 パズルが全て繋がっていく。
 方程式は既に出来上がっていた。
 答えは既に冬架の手の中で形になっていく。
「或不……」
 静かに冬架が呟く。
 限りなく冷酷な全てを見限る瞳が或不に向けられていた。
 その瞳は限りなく冷酷。限りなく蒼に近い暗黒。
『おおおおおおおおおおおおおおおおお。その瞳だ、鈴原冬架。私を追いやった貴様の鋭さだ。なんと憎しみが込み上げてくることか。その表情、貴様を殺したいという憎悪を私に抱かせるぞ』
「機械の肉体となりながら感情にすがるのか、或不」
『なんとでも言えばいい。私はこの体の為に今まで研究を続けてきたのだ。次は藤蘭だ。機械の体で人間になるんだ。私と藤蘭は人間になって永久に生きるんだ』
「或不、私はその少女に興味はない」
 冬架は淡々と抑揚なく声を発する。
「我がスレイヴを傷つけたその少女がどうなろうが私の知ったことではない」
 淀みもなく迷いもなく、鈴原冬架は言い切る。
 愛する者たちを傷つけた者としてしか藤蘭を見ていない冬架にとって、或不も少女も敵でしかなく、冬架の選ぶ答えは決まっている。
「だが、貴様が私の愛しい者を傷つけるというのなら貴様を破壊する。この世に一片たりとも存在などさせはしない」
 冷酷さと静かなる怒りを込めて鈴原冬架は告げる。
「貴様は銀の門を越えて原初に還れ」
 表情のない機械の肩が揺れた。それは怒りではない。『ククク』というくぐもった笑い声が発せられる。怒りなどではない。侮蔑に似た笑いだ。その笑いを表情の代わりに声と全身を使って表現していた。
『貴様も所詮、同じだろう、鈴原冬架。愛しい者を思い通りに支配しなければ気がすまない。貴様が自分の物を傷つけた私を憎むのと、私が藤蘭に近づく男どもを殺していたのと何が違う。そんなキサマに何かする権利があるのか?』
 或不と藤蘭。冬架と卓士。両者の関係は似ている。
 冬架は卓士をスレイヴとして扱い、或不は藤蘭を人形として扱っていた。
「戯言はそれだけか?私は愛しい者を支配するつもりなどない」
 愛は支配などではない。
 生まれ出でる感情を消して思い通りにすることになんの意味があるというのか。
 冬架が望んでいることはそんなことではない。冬架が望むのは卓士が幸せであることだ。それが冬架の心を満たしてくれる。
 愛しているからだ。自分の気持ちが叶ったとしても卓士が幸せでなければ意味がない。
 卓士に一方的な気持ちをぶつけながらも冬架はそれを知っている。人は独りぼっちでは幸せになどなれない。
「私はただ愛するだけだ。紅蓮の焦土を歩むことになろうと、奈落に身を落とそうと、ただ愛する者が幸せなら私はそれで構わない。離れることを望むならその苦しみを乗り越えよう。痛みを胸に永久に思い続けよう。それが貴様に出来るのか?出来ないだろうな、我楽多人形。キサマを壊す権利だと?知ったことか。貴様の存在自体が気に食わん。それだけだ」
再び、或不は身体を震わせる。鈴原冬架の瞳とは対照的に表情のない感情を表現するように声と全身を使って現す。
『魔力が切れたお前に何ができる?お前の人形に私が倒せるか?』
「殺すよ」
 ふいにどこかからそんな声がした。
 恐ろしく抑揚のない声だった。少年と女性の中間に位置する音域にありながらまるで感情のないような声――それが辺りに響く。
「冬を傷つけるなら殺すよ。誰でも」
 まるで感情がないようなその声は屋根の上からだった。
 聞きなれたボーイソプラノに冬架は目を丸くする。
 なんでここにいるのか理解できなかった。
 来るはずもないと思っていた。
 声が出なかった。言葉にもならなかった。
 逆行を浴び屋根の上から降下するシルエットに冬架は叫ぶ。
「たっちゃん!!」
 シルエットに向かい冬架が叫んだ瞬間、金属と金属がぶつかり合う音が響いた。


第十回中編『人形2』


 高瀬卓士が重力に引かれ地面に向かった時――。
 耳を劈く金属の摩擦音と共に、飛び散る火花が輝く。
 卓士の全力と重力を+した一撃の威力は絶大だった。
「意外と使えるね、これ」
 自分の身長ほどもある道路標識で或不を切裂いたまま、卓士はそんなことを呟く。
 力任せに断ち切裂かれた或不の巨躯は頭部から真直ぐに腰まで叩き切られていた。
 冬架は何が起こったか理解した上で、ただ卓士を見つめていた。
 当の卓士は道路標識を二度、三度と振り下ろす。その度に火花が飛び散り、重々しい音が奏でられる。
容赦はなかった。
 数十回叩きつけ、道路標識が壊れると或不が完全に沈黙したと判断し攻撃を終える。そして、一呼吸。
「良かった。不意打ちが上手くいって」
 と、何事もなかったかのように言葉を紡ぐ。
「ああ、そうだ。これが敵だよね?とりあえず壊したけど良かったのかな?」
そんなことを言いながら卓士が冬架に問う。
「たっちゃん……」
 卓士を見つめる冬架にはさきほどの冷酷さは微塵もなかった。豹変と言っても過言ではないほどにその表情は弱々しいものになっていた。
 卓士はいつもどおりの無表情で答える。
「怪我はない?」
 その言葉に冬架は戸惑う。
「う、うん……」
 おずおずと、もじもじと、まごまごと、とにもかくにも、まごつく冬架。その様子に卓士も気づく。
「どうしたの?」
「たっちゃん……勝手なことして怒ってない?」
 少しの間。
「やっぱり……怒ってる?」
『ああ、そのことか』と呟き卓士は答える。
「多分、怒ってる。僕も一応、人間だから」
 さらりと。抑揚もなく卓士はそんなことを口にした。
 冬架は目を丸くした後、瞳を僅かに潤ませる。
「たっちゃん……」
 驚く冬架の意味が分からなかったのか、卓士が再び尋ねる。
「どうしたの?」
「う、ううん。何でもない。何でもないよ。ただ当たり前のことなんだよ。きっとそれは当たり前のことなんだけど――」
 初めて卓士が自分のことを人間と認めたこと――。
 ずっと自身を人形のように扱っていた卓士が――。
 感極まった冬架が卓士に抱きつき、卓士が冬架を抱きしめる。いつものように。
「人間だから――」
 その様子を呆然と見ていた藤蘭が呟く。
 聞こえないほど小さな声で呟き、胸元を握りしめたことに二人は気づかなかった。
「あ、冬。そっちもとりあえず殺すの?」
藤蘭の姿に気づいた卓士が壊れて歪んだ道路標識を握りしめると、藤蘭はビクリと身体を強張らせる。卓士があまりにもナチュラルにそんなことを口にしたのに驚いているようだった。
「あ、ダメだよ。たっちゃん。とりあえずで殺しちゃ」
「そうだね。拷問して必要な情報を吐かせた後――」
何の躊躇いもなく淀みもなく卓士がそんなことを口にした時、
『これで終わったと思うのか?』
そんな声が当たりに響く。聞きなれたマシーンボイス、高圧的な口調。それはさきほどまで聞いていた声だった。
『いい気になるなよ』
抑揚もない代わりにオブラートに包むこともないむき出しの言葉が、声に現れない感情を感じさせる。
「なんで!?」
 動揺した藤蘭が真っ二つにされた或不を見たが完全に沈黙していた。
 これ以上はないという程に壊され炎を上げる巨躯。
 全てが終わったはずだった。
『鈴原冬架、本当の絶望はここからだ』
 ゆっくりと声が近づいてくる。
 ゆっくりと金属の軋む音を響かせて。
 ゆっくりと重金属の重々しい足音と共にそれは現れる。
 全てがスローに感じるほど絶望的な光景――。
 玄関のドアが弾け飛び、舞い落ちる金属と木片の先に現れたのは鉄の巨躯だった。
 一機、二機、三機――十機。絶望的な数の重金属人形の群れ。
 量産『ごりあて』――意識をダウンロードされた或不の群れが冬架達の前に姿を見せていた。


第十回後編『人形3』


 壁のように聳える鉄機の群れは一斉に抑揚のない声を放つ。
 抑揚も感情もない声には明らかな優越感があった。自身の勝利を確信した余裕だ。
『ここはメインプラント。既にここへ全ての『ごりあて』の搬入は終っている。分かるか?圧倒的な力の差が。ここから先、貴様等には絶望しか与えられないということが』
 あまりにも絶望的な光景だった。隔離された世界に逃げ場などなく、眼前には何十体という黒鉄の塊が揃っている。それは、まるで重々しい鉄のカーテンのようでもあり、重戦車が進軍するかのようでもあった。
 機械人形の群れ、或不が再び一斉に問う。
『何故、ここにいる奴隷人形』
 人形のような少年、高瀬卓士が冬架を庇いながら答える。
「冬を守りに来たから」
 再び或不は問う。
『そうか。そうだよなぁ。守ることが貴様にプログラムされた存在理由だものなぁ』
「違う」
『何が違う?貴様はただ自分の存在理由に従って行動しているに過ぎない。まさか貴様のような人形が愛などとほざくまい』
「それはいけないことなの?」
 卓士がそう答えると或不の群れは重々しい金属の前進(パレード)を止めた。
『何?』
「僕には愛とか想いとかそいうのは理解できない。持ってない感情だから。だけど僕はここにいる」
 動きを止めていた或不が再びジリジリと卓士と冬架に迫っていく。
「ここにいるのは命令されたからじゃない。僕の意思だよ。それだけははっきりしている」
「たっちゃん……」
 ギュッと冬架は卓士の袖を握り閉めた。
 圧倒的な戦力差と戦闘力の差が出来上がっていて、傍から見れば勝敗は明らかであり、冬架と卓士がむごったらしく殺されることは容易に想像できたとしても――冬架は恐れを抱かなかった。不思議と怖くない。卓士が側にいてくれるそれだけで想いが強さに変わっていくような気がしていた。
 冬架の胸の奥に炎が灯り、その熱が疲弊した冬架の力に変わっていく。
『鈴原冬架のスレイヴ……人形風情がこの私に』
「たっちゃんは人形なんかじゃない!!」
 八重歯をむき出しにして激昂する冬架。
 それは始めた会った時に或不に言った言葉だ。そして冬架はそれを信じている。
 卓士と或不とは違う――。
 ずっと冬架はそれを卓士に教えたかった。
 決して殺人機械などではない――。
 自分の意志を持って生きていると――。
 その結果、冬架の側を離れても構わない。それが卓士の意思なのだから。
 その為に出来ることは――。
 冬架にできることは――。
『もういい、死ね』
『ごりあて』こと或不の重量感のある両腕が動いた。
 金属の激しく軋む音と共に三人を囲む或不の腕が疾った。
 腕と腕をつなぐ鎖の引き伸ばされる音。
 四方八方から伸びる鉄の両腕が風を切裂く。
 勢い良く迫る腕に冬架が身をすくめた瞬間、卓士が冬架を抱きかかえ飛び退る。
 卓士の反応は素早く的確だった。
 紙一重、二人のいた場所で破砕音が響く。
 金属と金属が激しく衝突する衝撃音だ。
 そこで何十本の腕が集まり絡み合う様は冬架の背筋に冷たい汗を流させる。
 その場に残っていればズタズタに身体を引き裂かれていただろう。
「まずいね。あの数を相手にするのは」
 冷静に観察し次の行動を選択する卓士は藤蘭の側に近づく。
 そうすれば藤蘭を巻き込まない為に遠距離攻撃はしてこないと判断したからだ。
 卓士は或不の群れを見つめ冬架を庇うように身構える。
 自然とそこに藤蘭が寄り添い三人は再び或不に囲まれる形になった。
 或不の動きが僅かに鈍る。藤蘭を巻き来ないように攻撃する為だ。
「たっちゃん……」
 眦に強い意志を宿し、冬架は或不を見つめたまま呟く。
「たっちゃん、勝つ方法があるよ」
 絶望的な状況の中で冬架は既に光明を見出していた。
 それは限りなく危険な賭けであり、一歩間違えればと考えることが怖くなるようなことだった。
「二十パーセントだけ力を解放させて」
 藤蘭はその言葉の意味が分からず首を傾げたが、冬架も卓士もその言葉の意味は十分すぎるほど知っていた。
 それでも冬架の瞳から輝きは消えない。
「冬……」
 冬架の瞳の強さ、それは卓士が側にいてくれるからだ。
 枯れたはずの魔力が甦るような気分だった。今ならどんなことでもできるような力を感じていた。
「私は負けないよ、たっちゃん。或不にも自分にも」
「でも……」
「信じて、たっちゃん」
 卓士は少しの間、冬架の瞳を見つめていたが少しだけ俯き頷く。
「危ないと思ったらすぐにやめさせるよ?」
「うん!!」
 冬架が頷き、瞳を閉じると同時に大気が震えた。
 圧倒的な力の奔流が、エネルギーの集約が大気を歪ませ始める。大気の歪みは地鳴りと共に魔力のうねりとなっていく。
 変化は大気だけではなく冬架自身にも影響を及ぼしだす。
 集まる力と共に徐々に冬架の髪が赤く染まっていく。
 まるで炎のような鮮やかな真紅。王の気高さを宿したクリムゾン。
 蒼から紅蓮の焔を灯した瞳に変わり、ゆっくりと開かれる。
 冬架の中で力が目覚めようとしていた。
 圧倒的なこの世界を焼き尽くす力。
 絶対的な破滅の力。
 その力の名は『キングクリムゾン(紅眼王)』。
『ブラックサバス(黒衣王)』、『ホワイトアルバム(白夜王)』、『グリーンディ(碧緑の王)』と並ぶ者、小さな冬架には大きすぎる力。
『何をしている、鈴原冬架!!』
 或不達が一気に冬架に迫ろうとするのを遮るように、藤蘭は二人の前に歩み出た。
「なにか勝算があるのね。だったら私が時間を稼ぐから」
 藤蘭の小さな唇が動き呪文の詠唱が始まった。
『何故だ、藤蘭!!』
 冬架たちに迫っていた或不が藤蘭の放った風の塊を浴びた。だが威力はない。あくまで足止めだ。
『私達は共にある、そうだろう?お前は私のものだ。誰のものでもない、私のものだ。永遠に私のものだ、私だけの――』
「人間だよ」
 藤蘭がふいに或不の言葉を遮った。
「人間だよ、或不」
 眦に強い意志を宿し藤蘭は呟く。
『藤蘭?』
「この人たちは人間なんだよ。でも、私達は違う」
 拳を握り締め、藤蘭は叫ぶ。
『藤蘭?』
「でも、私は人間になりたい。人形なんかじゃない、人間に。私は自由になりたい!!」
『違う違う違う違う違う!!藤蘭は私のもので、私は人間で、違う違う違う違う!!思い出すんだ、私が北崎家に魔術の実験台として連れられた日を、私ともに自由になりたいと誓った日々を――』
「私のことは私が決める。誰にも投げない!!多分、貴方には人間は理解できないわ、或不」
『藤蘭!!』
 或不の叫びの中、冬架が苦痛の声を上げた。
「ダメ……力が……」
 弱々しい声と共に冬架の周囲で大気が燃え盛り始める。まるでその場の全てを紅蓮の世界に誘うように徐々に焔が広がっていった。
 冬架の意識が遠のいて心が赤い王に飲み込まれていく。
 足元から解けてしまいそうだった。扱おうとしている力はあまりにも大きすぎる。このままでは意識が持たない、そう思った時、
「冬……」
 その身体を抱きしめたのは卓士だった。
「たっちゃん……」
 それだけで意識が力が一つになっていく。
 周囲を焦がす炎が力に変わる。
 だが、火炎が弾ける音と共に卓士の身体が炎に包まれていく。あふれ出る魔力の奔流は卓士にも影響を及ぼしだしていた。
 炎の申し子である冬架と卓士は違う。冬架にはなんともなくとも卓士には身体を焦がす高温の炎だ。
 それでも卓士は表情を変えない。
「たっちゃん!!」
「大丈夫」
 焼かれながら冬架の身体を強く抱きしめる。
 卓士自身の強い意志で。
「ダメ、離れて!!」
「大丈夫だよ、冬。」
「ダメ!」
「倒そう。一緒に」
「たっちゃん……!!」
 その言葉が冬架の散漫になりかけた意識を繋ぎ合わせる。
「たっちゃん……すぐ終らせるからね!!だから、だから――!!」
 集められた力が冬架の手の平に集まっていく。
 冬架を天才と言わしめる要素の一つに高等技術である元素変換がある。
 冬架の得意とする高等技術、二重魔術同時発動と同じ高みに位置し、魔力で鏡を作りだすことも、魔力粒子を自由に組み変えることも可能とする。
 今までにこれを体得できた魔術師は歴史上で数人しかいない。それを冬架は八歳の時に体得していた。
 簡単なことだった。自転車と同じで一度出来れば簡単使いこなせる。何より発動の為の高い魔力を消費する必要がないのが冬架に合っている。
「征くよ……!!」
 元素変換の仕込みは既に終っていた。
 或不の屋敷に入った時に魔力の粒子は十分にばらまいてきた。
 砕けたミラーの粒子は存分に屋敷を漂っているだろう。
 後はそれを圧倒的な力をもって化合させるだけだ。
 一人ではここまで上手くできなかった。
 だが卓士がいるおかげで成功確立は三十パーセントから九十パーセントに上がっている。確立が上がった今や、冬架の魔力が数段階上になった。今まで足りなかった魔力、威力を十分すぎるほど補ってくれている。
 高まった魔力は、周囲の魔力粒子すら巻き込んで元素を中性子に変換していく。
 まずはヘリウム3を構成する為、陽子と中性子に変換させる。
 そして、重水素を構成する中性子と陽子に変換し全ての準備は整った。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 冬架の小さな両手が空に掲げられる。全ての力は掲げた両の手に集まっていた。
「ぐううううううううううううううううううううう!!」
 溢れそうな力の奔流に冬架の掌が開きそうになる。そこにスッと卓士の手が添えられた。完全だった。何も怖れることはない。冬架はその手の中で一つにした力を解き放つ。
「たっちゃん――大好きだよ」


 圧倒的な魔力でヘリウム4と陽子を核融合反応させた時――エネルギーが生まれた。
 周囲全てを白い光が包んでいく。
 一瞬の光、強烈で鮮烈な白い閃光。
 それは本当に刹那だった。
 光が収まった後、そこに立っている者はいない。
 大規模な電磁パルスは或不の微細な部品を焼き尽くし破壊していた。
 データ全てが消えた或不が動くことはなく、最早ただのがらくた人形だった。
 中性子の為、被爆は少ないが冬架と卓士もさすがに立っていることはできなかった。
 全てが終わった時に駆けつけた二人を除いて。
 その光景を見つめながら男は髪をかく。
「たはは。二人とも派手にやりやがったな」
「暢気なこと言ってる場合じゃないです!冬架さんが!!」
 あくまで暢気な男に対し、黒髪の少女は酷く慌てていた。男はやれやれと笑う。
「ま、あとで説教だな」
 男はそんなことを呟き卓士と冬架の身体を抱き上げた。


次回→第十一回『真犯人1』



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