第十一回『真犯人と一つの事件の終わり』@

  紅王の器である少女が放った極光――微弱中性子。
 それにより生じた電磁波パルスが全ての或不の機能を停止させる瞬間、最後まで呟いていたことは藤蘭を連れ帰ることだった。壊れたラジオのように何度も何度も。
 どんなに憎しみを口にしても妄執を口にしても、それは本体からダウンロードされたことに過ぎない。決して感情などではない。
 全てが終わった後、気を失っていた藤蘭を助け起こしたのは山野夕陽だった。
 廃墟で会った時と同じでとても優しい人――。
 どうやら、あの眼鏡の少年と二手に分かれて紅王の器である少女のことを探していたらしい。
 このまま一緒に来るかと言われたが藤蘭は断った。
 まだすべきことが残っているから――。
 代わりに縁があったらまた会おうと約束した――また会いたい、そう思ったから。
 その山野にお礼を告げ、藤蘭は一人屋敷に入っていく。
 会うべき相手がいた――。
 このプラントに入るのは初めてだったが、調べている内に地下への階段を見つけた。
 階段を降りた先、そこが或不のプラントだった。
 様々な実験装置が配備され、『ごりあて』を作るのに使われただろう残骸が残っていた。
 研究室の椅子の上、そこに天才と呼ばれた或不がいた。
 白衣が大好きだった或不。
 本能に打ち勝つという意志を持っていた或不。
 α/EGという名で呼ばれ人間に憧れた哀れなモルモット。
 後天的にダムドの要素を与えれる実験の過程で、知能だけが肥大してしまった人口ダムドの試作品――そして、その生き残り。
 最初は小さな実験だった。モルモットを使った実験。
 それがいつのまにか常人の研究レベルを超えた時、人間以下と見下される存在が人を超えるという矛盾に辿り着く。
 人になれるはずだと思ってしまった。
 それを面白いと思う者が現れてしまった。
 それを利用しようとする者が現れてしまった。
 α達は人間になる為に人形を研究し、鈴原冬架と出会い居場所を失くし廃棄処分された。たくさんのαが死んでいった。糸を切られた哀れな人形は今までの全ての生が実験だった。
 そのことにα/EGは何も感じずに前に進んでしまった。
 人になる為に。姿かたちばかりの人間に憧れ最後は命の抜け殻となり、人間になれなかった哀れな人形。
「動物として生きていれば幸せだったかもしれないのに」
 泣いた。
 椅子に座ったまま死んでいる――白衣の奇形チンパンジーを抱きしめて。
 チンパンジーに戻ることも、ダムドになることも、人になることもできなくて死んだαを抱きしめて。
 声を出して泣いた。初めて誰かの為に涙を流して泣いた。
 自分以外の誰かの為に何かができることが人間の条件だとするなら、この時藤蘭は人となったのかもしれない。



第十一回『真犯人と一つの事件の終わり』A


『夕陽ちゃん……』
『冬架さん……』
互いの指を絡ませ互いの名を呼ぶ――その些細な行為から一歩踏み出した先に二人は到達しようとしていた。
愛しさを含んだ夕陽の唇がそっと冬架の細く白いうなじに触れる。触れたら汚れて
しまいそうなほど白い肌にほんのりと赤い唇の痕が愛の証として刻まれた。
『夕陽ちゃん……』
 幼い唇が耳元で吐息をこぼしながら囁く。
 酔ってしまいそうなほどに甘く、蕩けるようなベルベットのソプラノボイス。
 愛しい支配者の指先がそっと、夕陽の長く艶やかな黒髪を弄ぶ。
 白いベッドの上で抱きしめ合う仔猫たちはお互いに触れ合うことを躊躇わない。
 胸の鼓動が聞こえてしまわないだろうかと思うほどに、夕陽の中のビートは激し
さを増していく。
『冬架さん……』
 蒼い瞳に妖艶で蟲惑的な光を宿した冬架はジッと夕陽を見つめる。
 鈴原冬架――。
 ツインテール、金色の髪、蒼い瞳、小さな体、華奢、華麗、叡智、破壊者、創造
者、摂理、支配者、天才、情緒不安定、絶対記憶、ARPAU、異端児、プロトコル、組織、赤の派閥、切り札、愛玩、道具、受け皿、オルタナティブ、ヴァンプ。山野夕陽にとっての絶対。崇拝の対象にして恋愛対象。何 よりも愛しい者。愛されたい者。側に居られるだけで心を満たしてくれる者、全て――鈴原冬架。
 その冬架の白く細いメフィストの指先がそっと、夕陽のボディラインをなぞりだ
し、白いシャツの胸元からツーっと滑っていく。
 くぐもった声を漏らす夕陽の身体がビクンと跳ねた。そのタッチはとてもソフト
で、天使のように繊細に、悪魔のように大胆に、指の触れる場所は夕陽の触れて欲しい場所に向かっていく――冬架の為だけの場所に。
 ふと――そこで夢は途切れる。
 それは深層心理に刻まれた願望が見せるいつもの夢だった。
 名残惜しさを感じながらも夕陽は目を開く。
 時間は四時半、見なくとも分かる。いつもの習慣で新聞配達の三十分前には目が覚
めてしまう。
 頬を紅潮させた夕陽は溜息をつくと髪をかきあげる。
 身体が熱を持っている。目覚めた夕陽の頭の中のルービックキューブが滅茶苦茶に
乱されていたのに、考えることは冬架のこと。このままでは一面冬架マークのルービックキューブが出来上がってしまいそうだった。


 いつもの新聞配達が終わった後、夕陽は朝食を終えてバイト先にスクーターを走らせた。
 バイト先には敬愛する冬架がいるはずだ。一日一度、冬架の声を聞けばすぐにでも元気になれる。いつも緊張して上手く話せないし、中々親密な関係にはなれないが側にいれるだけで満足だった。その満足感を感じながらも夕陽は強さに焦っていた。
 この事件の間、ずっと自分にできることが何のなのか悩んでいた。
 自分はルーンもなければ超人的な戦闘技術も魔術も持っていない。
 何が冬架の為にできるだろうか――。
 その答えが出そうになったがまだ辿り着けていない。
 答えなどそんなものかもしれないと悟ったようなことも考えたが――冬架がいる、それだけでやはり全てがオールオッケーな気もしている。
『私に出来ることなんて折れないことと自分を信じることぐらい、それと冬架さんを愛しぬくこと』等と夕陽は思っている。
 夕陽自身、気づいていないが、それがこの世界で最も強いことであり――何の力も持たない山野夕陽は誰よりも強く正しい。
 ただ、本人からしてみればそんなことはどうでもよく、強さ等よりも恋愛成就させる力が欲しいと真顔で答えるだろう。
 それ故に今まで能力覚醒の機会を得ながらも未だ覚醒には至らず、この先も異能を得ることはない。しかし、それすら山野夕陽の強さだからだ。もちろん、本人がそのことに気づくことはない。
「冬架さん……」
 ほんのりと頬を染め夕陽は呟く。
 夕陽にとって大事なのは美少女とクリームパン、そして愛しい冬架なのだから。
 その冬架と会えるとあり、夕陽はワクワクしながら事務所前にスクーターを止める。メットを取ると髪形をチェックして笑顔を浮かべた。冬架や美少女にのみ浮かべるスマイルだ。
 夕陽は階段を飛ばしながら上がり、事務所のドアを開ける。
 この時間なら入ってすぐのカウンターで冬架が壊れたワークステーションを修理しているはずだ。壊れたのはもちろん、夕陽の家で暮らすことになった『手』の魔力を限界まで使ったせいであり、街中の無線式監視カメラも能力の余波を受けて壊れてしまっている。冬架曰く、今度は絶対に壊れないワークステーションを作ってみせるらしい。そんな冬架の覇気に満ちた顔に夕陽は蕩けそうなぐらいときめいしまった。今思えば、それが淫らな夢を見た原因かもしれない。
「おはようございます、冬架さん」
「おう、夕陽ちゃン」
 残念。笑顔が一瞬で消える。
 ドアの中にいたのは探偵事務所の局長だったからだ。
 だらしのない姿で髪はぼさぼさ、シャツはよれよれ、徹夜明けのサラリーマンのようだった。非常に情けない姿だが、こう見ても腕利きの探偵であり、現在は冬架のセカンドスレイヴ、元は『藍空市最強』士郎のスレイヴだった男だ。
 アパートが灰になってしまった冬架の保護者あり、上司でもある。
「朝早くからどうしたンだ?」
 珈琲を片手に局長が『たはは』と笑う。
「あら?冬架さんは?」
「ああ、たっちゃンが病院に連れてったぜ」
「まだお体が悪いのかしら?」
 心配そうな夕陽の問いに局長は髪をかきながら頷く。
「ああ、疲労はまだ残ってるな。あれだけの力を使えば無理もない話だけどな」
「そう……」
「そう心配するなって」
 局長は『たはは』と笑いながら珈琲を夕陽の前に置く。
 香ばしいその匂いが夕陽の鼻先にまで漂ってくる。
「事件も終わったのに冬架さんが体調を崩すなんて……」
「ほとんど終ったと言えば終わったようなもンだしじっくりと治してもらわねぇとな」
「え?」
 ふいに夕陽の胸がざわつく。
「どういうことですか?」
「ン?」
「いえ、終わったと言えば終わったって……」
「ンー。まぁ、言った通りさ。まだ不完全だ」
極々自然に局長はそう呟く。だが夕陽にはそれが錘となって、深い闇に心が沈んだ。
「だって或不が死んで事件は――。確かに或不の支援者や自宅の地下ラボや結界を作った人物は判明してないけど、自宅は藍空市と魔術教会が取り壊しに入ったし――」
「その事件は――な」
「その事件は?」
「警察庁指定1302号事件を知ってるかい?ちっとばかし調べるのに時間がかかって助け行くのが遅れちまったのは俺のミスなンだが――」
「警察庁指定事件……」
 警察庁指定事件とは簡単に言えば、県や担当区域の垣根を越えて協力する凶悪事件を指す。
 各都道府県警のもつ情報を相互に交換、統合し、連絡や協力を密にするものであり、これらの協力は要請が無くても無条件に自動的になされる。
1 302号事件は、夕陽が日本に来たばかりの頃にテレビで見たことがあった。
「愛知特殊科学大学教授だった男が、刃物で市内の住人を無差別に殺害した事件ですね」
「そう。その後、他県で長期間に渡って繰り返してた――」
 警察庁指定1302号事件は、四年ほど前、亜既実勇(あきみゆう)が男女無差別に殺し、十人以上殺害した事件だ。
 その殺人に軌道や方向性という物が全くなく、捜査は難航したが、唯一、女性だけは贄を連想させるような華奢で小柄な女の子ばかりを殺害していたということが事件解決の鍵となった。
 その事件が、世間に最も注目されたのは殺害した少女の頭部を食べたことだ。
「それが今回と……」
 そこまで口にして夕陽はハッとする。
「持ち去られた頭部……!!」
「そういうこった」
 警察庁指定1302号事件当時、亜既実勇は今回と同じように頭部だけを持ち去った。
他県で逮捕される直前、亜既実勇は最後の被害者である少女の頭部を食べた後だったらしい。
 そして今回の事件でも殺された少女の頭部は発見されていない。
「でも、犯人は或不で……それに男性だって殺害されてて――」
 そこまで言いかけて夕陽は素早くポケットの中から手帳を取り出す。
 描かれていたのは例の被害者リストだった。
 夕陽の手にしたペン先がリストの中の被害者を分けていく。
 ・上尾庄吉楼(うえおしょうきちろう)……無職・男性。路上にて遺体発見。A。
 ・笠田有事(かさたゆうじ)……警察官・男性、交番内にて遺体発見。A。
 ・奈丹濡麗美(なにぬれみ)……高校生・女子、山間公園のゴミ箱にて遺体発見。B。
 ・家瀬手ヒロミ(けせてひろみ)……高校生・女子、山道に放置されていた状態で遺体発見。B。
 ・喜七優子(きしちゆうこ)……高校生・女子、市内の廃屋にて遺体発見。B。
 ・安威高尾(あいたかお)……小学生・男子、路上にて遺体発見。A。
 ・楠津銀河(くすつぎんが)……喫茶店員・男性、喫茶店内で遺体発見。A。
 ・虎外昴(こそとすばる)……高校生・男子、森林公園にて遺体発見。B。
ハッとした顔で夕陽は局長のことを見つめる。
「そういうことなんですね、局長……」
 局長がコクリと頷いた瞬間、夕陽は切れていた糸がつながっていくのを感じた。



第十一回『真犯人と一つの事件の終わり』B


耳を貫くような破滅的なビートと狂っているとしか考えられないほど激しいメロディ。曲の加速し続けるようなサウンドが狭い待合室に鳴り響く。この病院で良く流れているこの曲は『ドランカー・グッドパパ』の『パパ・キリングミー・ママ・ホールドミー』というらしい。曲名を考えると病院には全く相応しくないとは思う。
いつものことだからすっかり慣れてしまったが、士郎さんの病院では常にこういうハードビートのパンクロックを流している。それは本人の好みと言う理由であり、他の理由はないらしくこだわりという名の我がままだと冬は言っている。
ここではその我儘に誰一人として文句を言わない。
荒れ狂う旋律の中、茶色いソファに腰掛けた老人達が震える体でリズムをとって、体を上下にカクカクと震え動かしている姿は、全身が音に揺られているようだった。いつも思うが、きっとこういうのを地獄絵図と言うのだろう。
「うう、頭の中でエイトビートが……除夜の鐘みたいに響いてるよ。ゴンゴンガンガンな諸行無常の響きだよ」
「情緒も何もないほどに随分激しい除夜だね」
僕の横でピンクパジャマを来た冬が苦しそうにうめいた。
「大丈夫、冬?」
僕がそう言うと冬はいつものようにモジモジとしながら呟く。
「たっちゃんが除夜の鐘と同じ数だけキスしてくれたら痛みがなくなるかも……」
 108回で冬の煩悩が消えるとは思えなかった。
 あの事件から三日、冬架は内在する力が安定しないらしく体調を崩している。五月の始めに起きた事件と同じ状態で体力も魔力も大分消耗していて疲労により発熱した。ゆっくりと休めば治るらしいがその間は出来る限り僕が付き添うことにした。
冬はここに来るのを苦手にしているが、病院なら士郎さんのところが一番信頼できるし安心できる。藍空市内で数少ないダムドの医者だからだ。他の音楽を聞いてる患者もほとんどがダムドであり、既に五百歳を越えている者もいると推測されるが、それも士郎さんに比べればまだまだ子供だろう。
 ふと僕達が音楽を聞きながら待っているとドアが開いた。
「次の人どうぞ、入ってくれ」
 診療室から白衣の女性が出てくると、冬がビクリと身体を震えさせる。
「し、士郎ちゃん……」
「お、冬〜。」
 士郎さんがにやりと笑う。僕の乏しい表現力では上手く伝えることはできないが、兎を前にした獅子みたいな感じで心底嬉しそうに顔を歪める。
「相変わらずかわいいな。んー?そうか、そうか、そんなに私の治療が受けたいのか」
「にゃああああ」
 怯える冬が僕の後ろに隠れたが、士郎さんは子猫をつかむように冬の襟首をつかみあげる。
「今日もじっくり診てやるよ。見られるのが気持ちよくなるぐらいにな!!」
「見られるのって気持ち良くなるんですか?」
 僕の問いに冬が手足をジタバタさせた。
「士郎ちゃん、たっちゃんに変なこと教えないでください!!それに、た、ただの風邪だからそんなにじっくり診なくていいです〜!にゃあああああ!」
「楽しい診察の時間だぜ」
「よろしくお願いします」
「たっちゃぁぁぁぁぁぁん!!」
 士郎さんに引きずられていく冬。
 僕が手を振ると、白いドアがパタンと閉じられる。
 そして、いつものように冬の叫びが聞こえてきた。
 とりあえず僕はすることもないので新聞紙を開く。
「円高ドル安か……」
「にゃああああああああ〜!!」
 診療室の奥からパンクロックに混ざって冬の悲鳴が響く。
「ああああ、たっちゃんにも見せてないのに〜!!!」
「はーはははっははっは!」
「いや〜!!」
「はははははははっははは!!」
 僕は必要な情報を把握する為にぱらぱらと新聞紙をめくる。
「にゃあ〜!!やめて〜!」
「ぎゃははっはははははっは!!!!」
 パンクロックと悲鳴、笑い声が部屋に混ざって響きあう。老人達はそんなことを気にすることもなくリズムを取り続けていたが、曲の変わり目でふいに冬の声が途絶える。
 数分後、僕が新聞紙を閉じたときドアが開いた。
 診察室の中から着崩れした冬とニコニコした士郎さんが出てくる。なんでそんなに嬉しそうなのだろうかというぐらいに幸せそうな顔をしていた。
「ああ、いつも通り金はただでいいぞ。ほれ、薬だ。帰って寝ろ。楽しかったぜ」
 士郎さんは冬に薬を渡すと禁煙パイポをスパスパ吸う真似をした。どこか艶々とした顔をしているが、冬の方はガクガクと震えていた。冬は僕の方にすがりつくように抱きついてくる。
「うう、汚された〜!」
「あー、はいはい。」
 なんだかんだ言ってちゃんと診てくれるから僕たちはここに来る。変なことは何一つないと思うのだけど。
「とりあえず帰るよ、冬」
「い、一刻も早く帰りたいです……」
「了解」
 冬に抱きつかれたまま僕は出口まで歩き出す。
 背後から他の女性患者の嬌声が聞こえてきたが僕達は顔を見合わせ聞こえなかったことにした。
 駐輪場で自転車の後ろに冬を座らせアパートに向かう。
 ペダルを漕ぎながらぼんやりと今回の事件のことを考えた。
 北崎藤蘭はどういう気分だったろうか。
 死体を材料にした人口骨格筋肉で巨人が作られていくのは?
 或不を信じたのは?必要としたのは?
 或不が変わっていく様をどう考えていただろう?
 と、そこまで考えたが意味のないことだと気づいてやめた。
 思考することは大事なことだが意味のないこともある。
『ごりあて』は回収され、また誰かが利用するかもしれないがそれは僕にとってどうでもいいことだった。
「ねぇ、たっちゃん」
「ん?」
「あのさ……」
 自転車を走らせて数分、ふいに冬が呟く。
「真犯人はたっちゃんだよね」
 


第十一回『真犯人と一つの事件の終わり』C


「AとB……。首を駆られた高校生女子……。或不は男しか殺さないはずじゃないのかしらとは思ったけど……。つまり、つまりですよ、局長。或不以外の真犯人がいるってことですか?或不が殺したのとは別に高校生女子を殺してた犯人がいる――」
 夕陽の問いに局長は『たはは』といつも通り余裕たっぷりで頷く。自分のペースを崩さないのがいいとこでもあり、悪いとこでもある。時々、それがひどく夕陽をイラッとさせることがある。
「局長――。楠津君が殺されることはあるけど高校生女子が殺されるはずはないわ……」
「そこだぜ。そいつを調べるのに時間がかかっちまったのさ」
「一体――何を調べたんですか?」
 夕陽の問いにコクリと局長は頷く。
「楠津銀河は警察庁指定1302号事件――亜既実勇の実の息子だ」
 夕陽は眼を丸くして局長を見つめる。パズルの足りなかったピースが新たな情報により埋められていく。ジグソーパズルは残り数枚になれば全体の形は見えてくるが、最後の1ピースをはめ込んでこそ完成する。夕陽にとって足りなかったピースは最も大事な欠片だ。
「事件の直後、楠津は藍空市の母親の実家に引き取られてたみたいだな。そこら辺は市内でも把握してたみたいだ」
「ということは――」
「高校生女子を殺害したのは楠津銀河だ。事件前の行動と証拠も頼まれて押さえてある」
 頼まれて――そのおおよその見当は夕陽でもついた。パズルのピースを最後まではめる必要なくほんの数枚だけで全体の形を知ることができる人物。完成することを目的としない人物――。
「でも、楠津君は――。楠津君が高校生女子と同じように殺害されてるのはどういうことですか?」
「ああ、その楠津も誰かに殺されちまったみたいだ――」
「局長、楠津銀河を殺害したのは誰ですか?一体、何のために――」
 局長はンーと唸った後、珈琲を飲み干す。
「さぁ、そいつは俺には分からないな。或不かもしれないしもっと別の奴かもしれねぇ。だがよ、黒の奴やウチのマスターなら分かってるかもな」
「ええ、冬架さんならきっと――」
 敬意と畏怖の念を持って呟く夕陽を見つめ、局長は小さく重く呟く。パズルを解くと言うことに対し天才的な嗅覚を持つ冬架がこの事実を見過ごすはずもない。最初からこの事件の結末を知っていて動いていたのだろう。
きっとそれは卓士の為に――ズキンと胸が痛んだ夕陽は珈琲の水面の揺れを見つめる。
「だがよ――」
 ポツリと局長は呟く。
「それよりも問題なのはもっと別のことだぜ」
 その眦に僅かな鋭さが宿った。それだけで肌に感じる空気が重くなっていく。チリチリと鋭いエッジを地肌に突きつけられるようだった。
「え?」
「マスターが力を使ったことも、たっちゃンが能力を失ったことも問題だがよ、藍空市が或不や能力者の流入を許しちまってることだ」
「あ……」
 そう言われてみればその通りだ。藍空市自治組織の対応も追いついてなければ或不がこの街に入り込んでることも把握できていない。勿論、或不の手引きをした者のことも何も分かっていない。
「鉄壁だった能力者やダムドの管理体制に何かが起きている――?」
「ああ。最悪、藍空市内で把握できてない能力者がまだ出てくるかもな」
 もしそうだとしたら――。
 能力者が引かれ合う引力に巻き込まれた藍空市の人々は――。
 もし、市内で気づかれず能力者が増加しているとしたら――。
 それがこの四月から起きている急激な行方不明者増加と関わっていたら――。
「この街で何が起きてるんですか?」
「そいつは俺にも分からねぇさ。能力者が普通に暮らす分には問題はねぇ。だが、そいつが悪意を持って能力を使っているとしたら――」
 その言葉を受け止める夕陽の手元で黒い水面だけが静かに揺れていた。この事件も大きなパズルを完成させるための1ピースに過ぎないのかもしれない。


第十一回『真犯人と一つの事件の終わり』D

「たっちゃんが真犯人って言い方は少しヘンだね」
 クスクスと冬がおかしそうに笑うのが分かった。僕は振り返ることはせず、夕暮れの街中を走り続ける。
「答えはね、望んだところまで辿り着けるんだよ。たっちゃんに話したよね。或不の遺伝子伝達構造の差異とか」
「遺伝子伝達がDNAからRNA、蛋白質へ伝えられるってところまでは理解してるけど」
「うん。そこから先の専門的なことを知るか知らないかはたっちゃん次第だよ。或不の開発コンセプトとかバックボーンとか、誰がどういう風に関わってるかとか、知りたいと願いさえすれば答えにたっちゃんは辿り着ける。でも私はそこに辿り着く必要は感じてない」
 一瞬だけ、酷く邪悪な、世界すら自分の物と言い張ったあの赤のような熱気がペダルを漕ぐ足元から背筋を通り抜ける。
「私の全ての決定権はたっちゃんだから」
 本当に一瞬のことだったが僕は背後を振り返ることはできなかった。
「たっちゃんはどこまで望むの?」
「冬と同じでいいよ。或不の背景とか知ってても仕方ないし興味もないから」
 と僕が答えると背後で冬がクスクスと笑う。
「冬はやっぱり分かってたんだね」
 僕がそう言うと僕の背後で冬が『うん』と頷く。最初からその可能性を考えなかったわけではなく、ただ尋ねなかっただけだ。
「うん……楠津君を殺したのはたっちゃんだよね」
 少しの間の後で僕は答える。
「そうだよ」
「そっか……」
 とだけ冬は呟く。それだけだった。
「何か聞かないの?」
 自転車のペダルを漕ぎながら僕が問う。
「信じてるから必要ないよ。どうせ何か理由があるんでしょ?」
「冬が楠津の次のターゲットだったから」
 そう言うと冬は小さく溜息をつく。
「そっか、次に殺されるのは私だったんだね」
「うん。少し前から冬のことをストーキングしたり聞きまわってることに気づいてね。自宅の中を調べさせてもらったら食べかけの頭部が電子レンジの中に入ってたよ。ほとんど原形止めてなかったけど母親だと思う」
「楠津君は捕まえて殺したの?」
「うん。とりあえず拘束して殺した。本人は自分がなんでこんなことをしたのか分からないって言ってた」
『なるほど』と冬が呟いた。
「それで筋肉の硬直が早いのと、胸骨柄を一突きにされてたのに説明がつくね。でも、なんで私に言ってくれなかったの?」
 少しだけ冬が怒っていることが僕にも分かった。それは楠津を殺したことではなく僕が黙ってたことに対してだ。警視庁のデータを盗ったことではなく、僕に対して罪悪感を感じた時と同じだった。
「ごめん」
「ううん。たっちゃんが怪我してないならそれでいいよ。でも、今度からそういうことするなら言って欲しい」
 優しく子供を諭すように冬は囁く。
 最初から冬が僕を肯定することはなんとなく分かっていた。
 それは今までどおりのことだ。
 だが――。
 僕は不確実なことを口にするか迷ったが、それを言葉にすることにした。
「僕はね、冬。楠津を殺したことを冬に言わなかった理由が何となく分かるんだ」
 淡々と。いつも通りに。
「うん」
 抑揚なく。
「多分、躊躇いもなく人を殺せる自分を冬に見られるのが嫌だったんだと思う。今ならなんとなく分かるんだ」
 だから僕は市内で或不が起こしていた事件に便乗して楠津殺害をうやむやにしようとした。今までだってそうだ。
 牛尾の事件も、双子の事件も、バラバラ死体の事件の時も、眼球事件の時も――僕は嘘をつかない代わりに自分のしたことを冬に言わなかった。
「たっちゃん……」
「でも、冬が一人で或不の屋敷に向かった時、命令に逆らってでも、命令されてなくても、プラグラムされたことでなくても、僕は自分の意思で考えて動くことができる、それが分かった。それが心なのかどうかは知らないけど意志だと思う。そういう意味では自分のことを人間だと言ったけど、人を殺すことに何も感じてない殺人機械みたいな自分がいるのも事実で――うまく表現できない」
「いいよ、たっちゃん」
「うん……」
 冬は何も言わない代わりにギュッと僕の身体を抱きしめた。
 柔らかで華奢で暖かい感覚が背中に伝わってくる。
「たっちゃん、覚えてる?私が始めて紅眼王になった時」
「うん、覚えてるよ」
 それはずっと昔、冬と僕が日本に来る前のことだ。
「その時さ、力の使いすぎで私が醜い不定形の肉の塊になったよね?そんな姿になっても再生能力のせいで死ねなくて――たっちゃんが再生するまでずっと抱きしめててくれたよね」
「ああ、そんなこともあったね」
「その時に冬は冬って言ってくれたの覚えてる?それと同じだよ。たっちゃんはね、たっちゃんでいいんだよ。人形だって人間だってナンだっていいんだ、たっちゃんだから。だから全肯定してあげる。それがエゴでもたっちゃんが迷う時は海より深い私の愛とエゴで包んであげる」
 クスクスと冬は笑う。
 それが正しいことなのか間違っているのか僕には分からない。
 ただ、僕は僕でいい――そう思うと自分が確かに此処に存在するような気がした。
 僕の居る場所は冬の側だと思うことができる。
「たっちゃん、私達はどこにも辿り着けない」
「うん」
「でも夕陽ちゃんは違う。絶対にこの街で起こりだした事件や異能に突き進んでく」
「或不のような存在に?」
「ううん、もっと性質の悪いの。或不が一人であそこまで出来たのには理由があるんだよ?」
「理由か。何らかの異能がそれに関わっていて、山野が今後も事件に関われば僕達が巻き込まれることがあるかもしれないね」
 山野の持っている才能は他人すら巻き込むトラブルに躊躇いなく突き進むことだ。
 その時、僕は自分の意志で行動を決めることができるだろうか――等と少しだけ考えた。
「冬」
「うにゃ?」
「治ったら二人でどこか行こうか?」
「うん!!」
 いつも通りに冬が僕に抱きつき、僕は自分がどうすればいいのか分からずにペダルを漕いで夕暮れの街を走っていく。少しだけ軽くなった背中で冬の存在を感じながら。

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