第九回『山野夕陽の仮説』
事務所に戻った時、最初に見たのは山野の泣きそうな顔だった。
「高瀬君……」
今にも泣き出しそうな弱々しい声で僕の名前を囁く。
顔面蒼白、というのだろうか山野の狼狽は明らかだった。自分でも何をしていいのか分からなかったのだろう、カウンターの上には山野お手製の火炎瓶やスタンロッドなどがズラリと並べられていた。明らかに冷静ではない。
『ちょっと、性悪眼鏡、山野さんを落ち着かせなさいよ』とバックの中で『手』が呟く。
『分かってる』と僕が呟くと同時に、これら凶器の所有者である山野夕陽はすがりつくように僕の胸倉をつかんだ。
「た、高瀬君……冬架さんが!冬架さんが!」
「落ち着いて」
僕の言葉は山野に届いてなかった。狂信者である山野にとって冬は特別なのは知ってた。信仰の対象が危機に瀕することが山野をここまで脆くするとは思っていなかった。
『落ち着いて山野さん、あの子がまだ犯人に襲われてるとは限らないし……』と手が言った。
それは楽観だと僕も山野も分かっている。鈴原冬架の凄さを認めている。冬は百台のテレビ画面を同時に見せても全て同時に把握できる。空間把握能力が僕たちの比じゃない。藍空市内の街並みぐらいなら全て図面を見るように把握しているはずだ。
その上、計算高い冬がこうして動くということは何らかの考えがあり、必ず犯人と接触する。それを分かっているからこそ、山野もここまで動揺している。
「ねぇ、どうしたらいいの!?冬架さんが!!冬架さんが!!」
仕方なく、僕は山野の手を握り返す。
「たははは」
僕が笑うと山野はキョトンとしていた。普段笑わないから少し違和感があったかもしれない。
「な、なに、いきなり、どうしたのよ、高瀬君」
『うわ、死んだ魚が口をパクパクさせてる』と『手』が呟いた。上手に笑ってみたつもりだがまだ練習が必要のようだ。
「局長が『ピンチの時こそ笑うぐらいの余裕を持って』って言ってたから。少し真似してみたんだけど」
「あ……」
局長の言葉を思い出したのか山野が小さく呟く。すると山野の手が僕の手から離れた。
「この私としたことが……」
少し俯いて山野が小さく呟く。口角筋の強張りが僅かに落ちている。
僕は『手』をカウンターに置き、冬のワークステーションの前に座った。このワークステーションは冬の手作りで、大分カスタマイズされているが使い方は大体覚えている。
「少しは落ち着いた?」
僕を見つめたままコクリと山野は頷く。
「僕だって同じだよ、山野」
自分の状態を伝える必要性かあるがどうか僅かに迷ったが僕は口にした。
「僕も今、焦ってるんだと思う」
こういう感覚は焦燥感とでも言うのだろうか。
足元からジリジリと焦がされるような感覚。それが僕を狂わせようとしていることが分かる。判断を鈍らせ思考能力を低下させていた。
「だけど、それじゃダメだ」
何よりも優先すべきは冬を助けることだ。判断を見誤ってはいけないし、冷静に対処しなればならない。熱くなったらそこで終わり――これも局長の言葉だ。
「僕達が今しなければならないのはそういうことなんかじゃない。冬をいかにして見つけて助けるかだよ」
一呼吸して山野は頷き、乱れていた髪をかきあげた。
「ええ……冷静にならないと。そうね、私は山野夕陽、冬架さんの右腕となる存在だったわ」
そう呟いた山野はキッと表情を引き締める。
「勘違いしないでね、高瀬君。これで私に勝ったと思わないで」
「別に思わないよ」
少しぐらい落ち込ませといた方が良かったかもしれない。ただ、山野はもう大丈夫だろう。この切り替えの速さと、無駄なポジティブさが山野の強さだと思う。
そして、今までもそうだが、こういう時の山野はどんな不利な状況でも覆す。どんな無茶でもやってのける。局長と同じだ。それは僕には出来ないことだ。
そして、山野は一言も僕を責めない。僕の為に冬が飛び出したと分かっていながらも。僕は山野に胸倉をつかまれた時、責められると思っていたのに。
自然と口元が綻ぶとそれを見て山野がいつも通り『やれやれだわ』と呟く。
「表情なんか作るもんじゃないぐらい貴方だって分かるでしょ」
「そうだね。笑顔なんて意味の無いことだと思ってたけどそうでもないらしい。学習したよ」
学校や集団生活の為に覚えた表情を作る技術とは違って、自然と出る表情はまだコントロールできないがいつか冬に見せることが出来るだろうか。
「とりあえずは休戦ね」
山野は武器の片づけを始めた。片付けというよりも一つ一つを品定めしているように見えるのは気のせいだろうか。
「了解。今は冬を助けることだけを考えて協力しよう」
「そうね。捜索に無線式カメラを使うの?」
スタンガンの火花を散らせながら山野は呟く。
「ああ、後は『手』の協力次第だけど」
冬のハックしてる街中の無線式監視カメラを媒体に遠隔視を行えば短時間で冬を見つけることができるかもしれない。なんとしても、冬が犯人と接触する前に見つけなければならない。
「はっきり言えば、私が性悪眼鏡に協力する義理はないんだけど」
カウンターの上で『手』はモニターを見つめる。画面内では事件があった箇所が赤く、ハックした無線式カメラがあるコンビニや無人契約機は黒く点滅していた。
「『手』さん……」
山野が口を開こうとしたのを『手』が遮った。
「でも、山野さんが、あの時、私を落ち着かせて生きろって言ってくれたことは覚えてるから」
山野が少し驚いたような顔をすると『手』は苦笑いを浮かべた。
「山野さんはずっと泣いてた私に優しくして励ましてくれた。正直、まぁ、嬉しかった。そりゃあ、スタンジャケットのこととか、兄さんのことはあるけど性悪眼鏡と違って謝ってくれたし。それに仇は山野さんじゃないから」
「『手』さん……」
「か、借りを返すだけだからね!それに、そこの性悪眼鏡!感謝しなさいよ。アンタみたいなロクデナシを私が助けてやるんだからね」
そう言うと『手』はカウンターを器用に移動し、パソコンのキーボードに触れる。
「このパソコンを媒体にすればいいのね?」
「ありがとう、『手』」
「『手』さん……ありがとう」
僕と山野の言葉に『手』は照れくさそうに『フン』と鼻を鳴らした。
「パソコンとか、カメラとか、ぶっ壊れても弁償しないからね!」
『手』の為か、呼吸を数回整える。
それを見ながら山野は少し考えるような仕草の後で呟く。
「高瀬君、時間がないわ。場所は携帯で伝えるから動き出して」
山野はマーカーのノック部分を顎先に当てながら『ンー』と唸った。
「でも、どこに向かうかは分かってない」
僕達は或不廃児の屋敷がどこにあるのか特定すらできていなかった。
「高瀬君、ずっと次の被害者が出るのを防ぎたくて考えてたことがあるの。今回のことに何か規則性があるんじゃないかしらって。多分――冬架さんもこのことに気づいたんだと思うわ」
そう言うと山野はカウンターに置いてあった藍空市のマップを手にし、赤いマーカーのキャップを口で開ける。
「この事件って藍空市内全域で起きてるように見えるけど、冬架さんの言ってたAグループとBグループが気になったのよ」
『簡単にAグループを街中で殺された人、Bグループは人気の無い場所で殺された人ってことでわけようか』と冬は言っていた。
「Bグループの被害者が昼間、逆にAグループは全員が夜だったよね」
頷くと山野はピンクの手帳にメモされた被害者のリストを開く。
「いい?これは私達が廃屋でてむじんとあの子に会うまでの情報だけど」
山野の手にしたペン先がリストの中の被害者を分けていく。
・上尾庄吉楼(うえおしょうきちろう)……無職・男性。路上にて遺体発見。A。
・笠田有事(かさたゆうじ)……警察官・男性、交番内にて遺体発見。A。
・奈丹濡麗美(なにぬれみ)……高校生・女子、山間公園のゴミ箱にて遺体発見。B。
・家瀬手ヒロミ(けせてひろみ)……高校生・女子、山道に放置されていた状態で遺体発見。B。
・喜七優子(きしちゆうこ)……高校生・女子、市内の廃屋にて遺体発見。B。
・安威高尾(あいたかお)……小学生・男子、路上にて遺体発見。A。
・楠津銀河(くすつぎんが)……喫茶店員・男性、喫茶店内で遺体発見。A。
・虎外昴(こそとすばる)……高校生・男子、森林公園にて遺体発見。B。
可愛らしい丸文字で書きなぐると山野はメモ帳をトントンと叩いた。
「この連続して殺された女子高生とウチの学校の男子生徒はBグループじゃない?それを除いてみると……」
山野のマーカーがマップに幾つかの赤い点を繋いでいく。
「最初の事件があった場所から繋いでくと、だんだん北に向かってないかしら?それで、ほら」
再び山野が点と点をマーカーを結んだ。
「今日はほとんど市内の中心で事件が起きてる」
思わず僕は山野の顔を見つめた。正直、少し驚いている。
前々から妙に洞察力があると思っていたがここまで出来るとは思っていなかった。
確かに山野の言う通りだ。これに冬も気づいていた――いや、最初から気づいていて黙っていた可能性がある。冬は僕に嘘をつかないが黙っていたことは前にもあった。
「じゃあ、兄さんの仇は――」
表情を曇らせた『手』の言葉に山野は頷く。
「ええ。その途中ある昨日の廃墟や隠れる場所があったと考えるのはどう?そこに私達が偶然来たとしたら?」
「隠れる必要性はあるの?」
手の言う通りだった。北を目指しているのなら、何故手間がかかる方法を選んでいるのだろうか。
「何かに追われてて見つかるのを避けたいとしたらどう?それで仕方なく殺してたとか……」
山野はマーカーのノック部分を顎先に当てながら『ンー』と唸る。どうやらまだあの女の子を信じているようだった。しかし、山野の言う言葉を信じればあの女の子の殺したくないと言う言葉の意味が理解できる。
「何か目的があって北を目指してると考えると、多分、あの子は或不廃児のことを探してるんじゃないかしら。冬架さんと高瀬君の或不廃児の情報を合わせて考えるとつながると思うわ」
「そこは僕はどちらでもいいよ。冬さえ守れればそれでいいから」
藍空市北へどう動くか考えた後、僕は立ち上がる。
「ここは『手』と山野に任せるよ」
「ええ、すぐ私も行くからそれまで冬架さんを――お願い」
「安心していい。僕は絶対に冬を守る」
山野の言葉に頷き動き出す。局長が間に合うか分からないし、力を失った僕がどこまで出来るかは分からない。それでも僕は――冬を守りたい。
第九回中編『冬架の闘い』
「さぁ、単独行動だよ、冬架。君はどう動くのだね」
闇の中、小さく灯る赤い炎がゆらめく。黒衣の少女の小さな掌の上で。黒の王と呼ばれる最上位ダムドの一人である少女はくすりと笑い再び炎を見つめる。
その炎の中、巨躯の機械人形『てむじん』と着物の少女と対峙する冬架の姿が映し出されていた。
今頃、卓士が探している頃だろうとは思うが教えるつもりも介入するつもりもなかった。冬架の精神にコンタクトできたのはほとんど偶然でしかない。
そして、見ているのは決して卓士に言われたからでも善意からでも、目的があるわけでもない。ただの好奇心からの行動だった。
「冬架、君が普段どおりに冷静ならそんな力に頼らなかっただろうに。私が君と精神の回線を繋いでいることもすぐに察しただろうにね」
場所は藍空市郊外にある或不の屋敷の狭く長い回廊。
館には結界が張られ、周囲から気付かれにくくなるように細工が施されている。これならば戦闘が起きても問題はないだろう。
だが、冬架は元々近接戦闘ができるタイプではない。それは冬架も分かっているはずだ。
「らしくない、らしくないのだよ、冬架。まったくもって君らしくないのだよ」
このような単独行動は普段の冬架ならしない。冷徹な判断力と深い思慮を持って解決策を練っただろう。うまく周囲を動かし、リスクを最小に抑えただろう。
「魂に脂肪がついたのか、それとも君から冷静な思考を奪うまでに『たっちゃん』が愛しいのだね。狂おしいほどに」
卓士でも相手にならなかった者に冬架が挑む――状況は絶望的だろう。本当に賢い者ならここで退くだろう。
だが、卓士のこととなれば別だ。卓士が傷ついたとなれば別だ。卓士が能力を失ったとなれば別だ。
綿密に積み上げたプランを壊してでも、卓士の幸せが何よりも優先される。完璧に進んでいた計画が狂ったとしても卓士が優先される。たった一手間違えただけで世界が滅びに向かうとしても卓士が優先される。
その為に冬架は自分が傷つくことを厭わないだろう。
『愛する者の為に』――それはあまりにも普通であり、誰しもが考えることだ。
「元より、語らず、説明せず、行動で示すという天才の不文律など何一つ守っていない君のことだ。そういう思考に辿り着いても仕方ないだろうね」
ぼんやりと黒の王は思い出していた。
初めて冬架と会った時のことを――。
「ガラス玉のような蒼い瞳に何も映さず、一切の感情をその愛くるしい顔に宿らせず、思うことも許されず、人間らしい感情などというものは与えられず、残酷さと傲慢さだけを与えられ玉座に佇む人形。それが後に鈴原冬架と呼ばれることになる君だったな」
それ故に冬架は知っている。
心を持たない者として生まれることの意味を。
「君は変わったね。『たっちゃん』と関わることで。今の君の無邪気さを取り繕った残酷さに罵られてみたい気持ちもあるが」
甘い吐息を漏らしながら黒の王は身震いをする。
「私は変わらない君も好きだったのだよ。その傲慢さと残酷さを持ってこの身体を傷つけて欲しいと思ったこともあるのだよ」
結果の見えた戦いだった。
この少女と巨人が何故、或不の屋敷に現れたかは黒の王にも分からない。
面識はないし、この少女が或不とどうからんでいるのか見当がつかない。
冬架は知っているはずだ。この二人が藍空市で起きている事件の犯人ではないことを。黒の王のように感づいているならば、だ。
そう考えれば、本来ならば戦う理由はないだろう。
だが、冬架にとっては大きな意味が二つある。
一つは或不が感情のない人形を作ったことに対する責任だ。
冬架とヘンリー・アーミッティジが或不の研究所に協力者を装い赴いた理由。それは非人道的な研究を停止させる為だった。
本来はその証拠をつかみ、支援者共々根絶やしにすることが目的だったが、それだけでは冬架の気は済まなかった。
同行した卓士がてむじんのプロトタイプを見た時――。
『僕とあまり変わらないね』と淡々と抑揚もない声で呟いた時――。
涙が流れどうすることもできないほどの激情に駆られたという。
そして、冬架はこの計画を完膚なきまでに叩き潰すことを決める――。
それだけだった。それだけで冬架は或不の研究を終らせた。
許せなかったのだろう。そういう存在を作り出そうとする行為が。自分と卓士と重ね合わせてしまったのだろう。
冬架は或不が長い年月をかけ、心血を注いだ研究を自分が終らせることで或不の自尊心を打ち砕いた。
だが、『てむじん』は存在してしまった。或不が作り上げてしまった。
ならば、冬架が壊す。それは責任でもあり、けじめでもあり、自分と卓士の為でもある。それが例えエゴであろうと冬架は卓士の為に全てを選択する。
そして、二つ目、この『てむじん』が卓士を傷つけた。それを冬架は許さない。絶対に許さない。
「『たっちゃん』の話では、あの少女が北崎藤蘭なのだね」
黒の王は『ふむ』と小さく唸った。
「断言してもいいのだよ、冬架は負けないだろうね」
そう呟いた時、炎の中で二人の会話が始まっていた。
北崎藤蘭が冬架を指さした。
『貴方は、誰?何故、ここにいるの?』
ありえるはずがないそう思っていたのだろう。ここに来る者などいないと。
その怯えにも似た表情を見つめ、冬架は淡々と言葉を紡ぐ。
『それはこっちが聞きたいな。なんで『てむじん』と一緒に行動してるの?或不は?』
ピクリと藤蘭の身体が固まった。
『なんで知ってるの?或不の部下?』
その表情、仕草、言葉から冬架はありとあらゆることを読み取っていることに北崎藤蘭は気付かない。
『違うけど、色々あるんだよ、こっちもね』
『貴方も或不を探してるの?』
イレギュラーなコンタクトだが、どうやら目的は同じらしい。
藤蘭は酷く警戒するようにジッと冬架を見つめた。その表情に怯えがある。それが黒の王には興味深い。目の前の小さな少女がどれほどの存在か気づいているらしい。
『貴方、人間じゃない。でも、貴方、魔力がすごく弱い』
確かに藤蘭が言う通りだった。冬架の戦闘能力も魔力も下の下。単体ではまともに戦闘を行うこともできない。
今も黒いマントを模した魔力を増幅させる為のブースターを装備しているが、その限界値はたかが知れている。
幾ら魔術を覚えてもそれを行使する力がほとんどない。いわば知識だけの格闘技ファンみたいなものだ。それは冬架も分かっていた。
『分かるでしょ?『てむじん』から漏れる高密度の魔力が』
黒の王も冬架も知っている。外界からの気を魔力に変える機構を考えたのは冬架なのだから。
『怪我――したくないならここからいなくなって。私のてむじんは貴方に容赦しない』
藤蘭からの通告を聞きながら冬架は『てむじん』を見つめる。
『貴方のこと分からないけど、私と『てむじん』の邪魔はさせない』
邪魔などするつもりはないだろう。目的は或不と『犯人』を見つけること。
だが、冬架には責任がある。
『てむじん』を作る一因となったことではない。
自分が関わった者が卓士や夕陽を傷つけたことだ。
今なら断言できるだろう――限りなく冷酷になれることを。
卓士に愛されようとする鈴原冬架ではなく本来の鈴原冬架に戻ると。
『私と『てむじん』、か』
冬架が嘲るように小さく呟く。
『自分が『てむじん』のマスターになったつもりなんだね』
『え?』
藤蘭がそう言った時だった。
あまりにも唐突に、冬架目掛けて『てむじん』が床を蹴り飛び出してくる。
『ダメ、『てむじん』!!』
制止を呼びかける藤蘭の甲高い声を聞きながら、冬架は蒼い瞳でそれを見据える。こうなることは分かっていた。
『言うこと聞くはずがないんだよ、それが。君がどういう理屈で一緒にいるか分からないけどね』
冬架が呟いた瞬間、眼前に迫る『てむじん』から火花が散り、電流が弾ける様な凄まじい音が屋敷の中で響く。
『だから使ってるというのは間違いなんだよ。ましてや、そんな権利も君にはない
よ。そう誰にもないんだよ』
けたたましい音の中、目を見開く少女を見つめ冬架は口の端を吊り上げる。
てむじんの動きを止めていたのは薄い光の鏡面だった。
『リフレクトスペル』――無属性魔法であり魔術を反響させる物だ。それを冬架が改良して術式を組み上げた物が目の前の光の鏡面とも言うべき壁だった。魔術を反響させるのではなく拒むための魔術であり、魔力の低い冬架でも数回使うことができる。
『私は弱い。だけど勝つことは容易いよ』
ただ魔力を拒絶するそれだけの効果のはずだった光の壁は『てむじん』とぶつかり合うことにより、稲妻のような激しいスパークが起こる。
『な――!!』
冬架を見つめる藤蘭の表情に動揺が浮かび上がる。そこに先ほどまでの取り澄ました落ち着きはなかった。
『どうして!?』
藤蘭が呆然と『てむじん』を見つめ呟く。
『簡単なことだよ』
冬架は電流の弾ける様な音を聞きながら呟く。
『てむじんは起動する為に魔力回路を使ってるからだよ。『てむじん』の魔力回路
は外界からの魔力を吸収して体内で増幅する機構。その回路から魔力を全身に流すことで『てむじん』は機能している。なら、その魔力を拒絶することがどういうことかは分かるよね?』
『てむじん』はその身体を動かす魔力が、動力源が鏡面に拒絶されていることに気付くことなくこのまま動き続けるだろう。壁に激突し続けるような物だ。考えることもなく感じることもない、ただ心音と体温で敵を認識し行動することを冬架は知っていた。それもそうだろうと黒の王は僅かに笑う。
『なんで、貴方が私の知らないことを知ってるの!?』
冬架は黒い煙を体から燻らせる『てむじん』を見て溜息をつく。
『心を持たない人形か、そんな物作っていいはずがないのに。心がないのがどういうことか――分からないだろうね』
外見と似合わずひどく鋭利で冷徹な言葉をどこに向かって投げかける。
それはかつて冬架が去っていく或不に投げかけた言葉だったことを黒の王は知っている。
『見ているんでしょ、黒の王』
その言葉に黒の王は頷く。
「邪魔するつもりはないのだよ。ただ関わった者として結末に興味があるのだよ。出来ればその少女の死体も欲しいのだがね」
『それは約束できないよ』
焼け焦げだす『てむじん』の巨躯を見つめ冬架は呟く。
負荷に耐え切れない『てむじん』の身体が崩壊のビートを奏でだした。
ふと一際、奇妙な音が響く。
『え――?』
冬架はそう呟き、ゆっくりと自分の腹部を見る。
瞬間、『てむじん』を封じていた光の壁が僅かに揺らぐ。
黒く太い巨大な腕が、背後から臓器を抉り、骨と肉を貫いていた。
冬架は僅かに首を動かし、背後を見る。
そこにいたのは――巨躯、『てむじん』そのものだった。ただ違うとすれば、そのカラーリングは、黒く染め上げられた身体は、光が届かないような暗黒だった。
『ごりあて……!!』
歯を噛み鳴らし藤蘭が黒い『てむじん』に向かって呟く。
そこには怒りとも憎しみとも取れる強い感情が込められていた。
『また、そうやって殺すのね、ごりあて!!』
光の壁が消えた瞬間、『てむじん』が動いた。せき止められていた水が溢れ出すように、容赦もなく、冬架の身体に向かい空気の壁を突き破り突進する。そして、藤蘭が目を覆う中、金属と金属が衝突する音、それは重機関車がぶつかり合うような破壊音だった。
その衝撃と音の中をキラキラと輝く光の欠片が四散した。
それは弾け飛んだ冬架の欠片だった。
ぶつかり合い、互いに吹き飛ばされた二体の巨躯の上にもその光が降りかかる。
その欠片が触れると静電気のように弾け消えていく。
そこに転がるはずの冬架の骸はなかった。
言葉もなく驚愕している藤蘭の足元に『てむじん』の部品である鉄板の欠片が転がる。そんなことにも気づかず、藤蘭はただその光景を見つめていたが、ハッとして天井を見上げた。
「遅いのだよ北崎藤蘭」
あまりにも遅かった。遅すぎる。光の鏡面の意味にようやく気づくのでは手遅れだ。
『虚像!!』
鏡の反射を利用し作った冬架の姿と同じように、天井の鏡も光に還っていく。
背後にいる冬架の姿を、前にいるように思い込ませるには間に居る藤蘭達が邪魔だった。ならば直接に姿を映すのではなく天井を経由し騙せばいい。背後の冬架の姿が天井の鏡に映りそこから反射させ藤蘭たちの前に映す、それは反則もいいところだ。背後であたかも藤蘭達の前に立っているように見せかけるなど考えもしなかっただろう。しかもこの薄暗さと視界を遮る『てむじん』が一役買ったのだろう。
『事情を聞かせてもらっていい?』
冬架の言葉に身体を震わせ藤蘭が僅かに後退する。
『ダメ!てむじん!!起きて!』
『無駄だよ。回路が完全に壊れてるから』
容赦もなく冷酷に冬架はそれを告げた。
その時――藤蘭の背後でそれが、鋼の身体がゆっくりと起き上がる。
冬架と黒い『てむじん』――『ごりあて』に挟まれた藤蘭が怯えた声をあげた。
『そう、『ごりあて』、『ごりあて』か。或不は何体作ってるんだろうね』
冬架の蒼い瞳が僅かに揺らいだ。
当然、そんな冬架の問いに答えることなく、心を持たぬ巨躯は軋んだ音をたてる。
『いい加減覗きはやめたらどうかな?』
冬架の言葉の後、黒の王の掌の中の炎が消える。
「切断されてしまったのだね。君の決断を楽しみにさせてもらうよ、冬架」
闇の中、そう呟きながら黒の王は微笑んだ。
まだ自分が表に出るときではない。
それはきっと、もっと先のこと。だが必ずその時は訪れる。
その時まで己の敵となる紅蓮と焔の支配者の成長を見守り続けるだろう。
「その時は君の敵になるのだろうかね?」
呟いた瞬間、黒の王を挟むように立っていた灯篭に炎が灯る。次々と等間隔に設けられた灯篭にも炎が灯されていく。その終わりに立っていた男は『たはは』と笑う。
「考えたくねぇ話だな」
黒の王はコクリと頷く。それは同じ気持ちだった。
「フフフ、そうだね。頼んでおいた仕事の報告ついでにお茶でもどうだい?」
ゆっくりと黒の王は男に近づく。
「君さえ望むなら私を君の物にしてくれていいのだよ。君の支配の中で眠ることができるなら本望なのだよ」
そして、抱きつくように男の腕に身を任せた。その胸に頬を埋め仔猫がじゃれつくように甘える。本来ダムドは人間よりも愛情、愛欲、嫉妬が数倍強い。男は少し戸惑ったがダムドにとってはごくごく自然なことであり、それは冬架にとっても黒の王にとっても当然のことだ。
「いや、ウチのマスターから呼び出しがかかっててね」
「そうか。実に残念なのだよ」
そう言いながらもまどろんだ瞳を男に向ける。
「ウチの探偵事務所存続のピンチって奴でね。そうゆっくりもしてられねぇのさ」
男の手が黒の王の頭をなでると、自然と恍惚の吐息が漏れた。
ゆっくりと惜しむように黒の王が男から離れる。
「行くのだね?」
「ああ、どうにも出遅れちまったみたいだが、ここから巻き返させてもらおうか。
死村の名にかけてよ」
第九回後編『或不』
薄暗い回廊に黒い塊。地獄に続く道の門番のようなその塊は微動だにしない。
ともすれば西洋甲冑のような、『てむじん』と違い人間味を全くはいだようなデザインの巨躯。それがその半分の大きさも持たない、華奢な二人の少女の前にドンと立ちはだかったていた。
「『ごりあて』……」
着物の少女がひどく狼狽し黒い巨躯を見つめ続ける。
「『ごりあて』……こんな物を作っていたのか」
着物の少女のとなりで金色の髪の少女が呟く。その蒼い瞳に怯えの色などなく、むしろ、倒すべき者を目の前にした時のような戦意をむき出しにしていた。
「或不の作った新型ってところかな」
蒼い瞳の少女、鈴原冬架の言葉に、着物の少女――北崎藤蘭は頷く。
言葉を交しながらも、ジリジリと二人は黒い機械人形から距離を取る。
「『ごりあて』は許さない。私が自由に生きること。私が男の子と言葉を交わすこと。私が研究所から離れること。或不がそういう風にプログラムしたから。だから私は『てむじん』と……でも、どこにいても『ごりあて』は……」
『そういうことか』と冬架は呟く。それは、ある程度は被害者の特徴と殺害時刻から想定していたことだった。今回の被害者が『ごりあて』に殺されたのは偶然に街を徘徊していた藤蘭と遭遇していまったからだ。そして、冬架の前に『ごりあて』が現れたのは藤蘭が襲われていると判断したからだろう。
そして、被害者の中で何故か女子高生が殺されたいたのは――。
「これを作った或不は?」
北崎藤蘭はただ首を横に振る。
「分からない……『あの人』と出てったから。やっと自由になれたと思った、その後、『ごりあて』が現れたから……或不を知ってれば私が殺してる。その為にこの町の或不の拠点に来たんだから」
それがどれだけの人間を死に追いやっただろうか。
深夜の街を徘徊してる藤蘭を見つけた警察官、偶然人気のない場所で遊んでいて藤蘭と出合ってしまった子供、気まぐれに話しかけた男、ただ藤蘭と出会ってしまった為に殺された。ただ口を聞いてしまっただけで。卓士が狙われることになる。それが冬架には許せない。
「あの人?」
冬架が呟いた瞬間だった。
唸るような機械音が停止していた『ごりあて』から響きだす。
一時的に機能停止していた『ごりあて』が動き出そうとしていた。
「君のミスを教えようか?」
冬架の手がキュッと藤蘭の手を握った。
「なんで君の居場所に『ごりあて』が現れるか分かる?」
「え?」
冬架の手が足元の機械をつまみ上げる。それは『てむじん』からこぼれ落ちた内部パーツの一つだった。藤蘭の視線がその小さな部品に注がれる。
「それは?」
「『てむじん』の中に仕込まれた発信機だよ」
藤蘭の言葉はなかった。
「つまりはそういうこと。アレは君の命令を聞いていたけど決して君の味方なんかじゃなかったってことだよ」
「そんな……」
ただ目を丸くしたまま冬架を見つめ続けていたが冬架はその小さな手を引っ張り出す。
「何してるの?逃げるよ?」
冬架に手を引かれながら藤蘭は戸惑う表情を見せた。
「逃げるって……」
「今は状況を立て直すよ」
「そうじゃない、だって私は貴方の敵……」
「敵だよ。君たちはたっちゃんと夕陽ちゃんを傷つけた。それって私の中ですごい重いことなんだ。私にとってたっちゃんや夕陽ちゃんは世界そのものだから」
冬架の言葉は藤蘭をより困惑させるだけだった。
「怒ってないの?」
「怒ってるよ、少しだけね。だから、後で一発――」
そう言いながら冬架がグッと拳を作ってみせると、戸惑いを見せながらも藤蘭は薄っすらと微笑み頷く。
「うん……」
「――口の中に電球突っ込んでぶん殴るかんね」
握った拳の親指がピッと立ちグッドサインを作る。
真顔で冬架は迷いも淀みもなく言い切った。
冬架の中で卓士を傷つけられるというのはそれだけ重く、それが藤蘭に理解できるはずもなくより一層戸惑う。それを無視して冬架は表情をキッと引き締める。
「走るよ」
二人の小さな身体が長い回廊を走り出す。藤蘭は何度も背後から足音を響かせる『ごりあて』の様子を伺っていた。
一方、こういう状況に何度も直面している冬架は落ち着いている。冷静に自分にできることをするだけと知っていた。
「貴方は、なんでそんなに『てむじん』を……」
息を切らしながら藤蘭が冬架に問う。
「作った――っていうのもあるんだけどね」
走るのが苦手な冬架が荒い息で答えた。
「作った?」
藤蘭が背後を気にして後ろを見た時、『あ!』声を上げる。同時に『ごりあて』の巨躯が軋んだ音を奏でる。モーターの悲鳴は壊れたステレオから流れる音楽のように歪んだ音だった。
「『てむじん』!!」
半ば壊れかかった我楽多、『てむじん』がそこにいた。その腕が『ごりあて』の身体をつかみ押さえ込んでいた。体から火花が飛び散らせ、もつれ合い格闘し合う機械人形。
金属でできた拳がぶつかり合い軋んだ高い音が響く。どう見ても壊れかけた『てむじん』には限界が訪れ傷つく度に、体内からは蒸気と共に金色の光が漏れていた。
その光を見た藤蘭が呟く。
「あの光……さっきの貴方の魔術」
「そうだよ」
冬架は振り向くことなく、『鳥が飛んでる』と子供に言われて『そうね』と答える母親のごとく『この子は何、分かりきったこと言ってるのかしら』という感じであしらう。あらかじめ分かっていることにいちいちリアクションしている余裕はないということもある。藤蘭は連れ戻されるだけで済むが冬架は命が懸かっているからだ。間違いなく『ごりあて』は冬架を殺すだろう。
「説明して、どういうこと?」
冬架は息を切らし面倒そうに呟く。
「命令プログラムを魔術粒子に変換して、『てむじん』の破損箇所から魔力回路に流し込んだんだよ」
「いつ、そんなこと――」
と言いかけて藤蘭は目を丸くする。
「最初からあの鏡面は『てむじん』を支配する為の仕込だったのね」
藤蘭の言うとおりだった。
鏡面が割れ魔力の粒子になった時、それが『てむじん』の壊れた強化骨格から体内に侵入していた。それが出来たのは冬架が『てむじん』の構造を把握していたからに他ならない。
「新型の『ごりあて』は解析してないから難しいけどね」
さらりといとも容易そうにいった冬架の手を藤蘭は強く握る。その震えは冬架にもはっきりと分かった。
「痛いよ。そんな強く握ったら」
そんなことを気にすることなく藤蘭はまくしたてる。
「貴方、簡単そうに言うけどそれがどれだけ凄いことか分かってるの?それがどれだけとんでもないことか分かってるの?あれを作った或不は天才と言われたのよ?機械と人間の融合、有機と無機による新たなる存在、それを或不は作ったのよ?」
藤蘭が何を言いたいか冬架にも分かった。そういう視線にも慣れている。
「貴方は本当に何者なの?」
藤蘭が尋ねた時、回廊の先にオレンジの光が見えた。
「出口――!!」
僅かな安堵が藤蘭の表情に現れる。
出口を越えて玄関を飛び出した瞬間に視界が広がった。
外だ。結界内から外に出れば幾らでも振り切ることが出来る。それはあの鈍重な動きと今まで逃げてきた藤蘭が証明していた。
藤蘭は安堵感と足がもつれたこともあり、その場にへたり込んだ。着物はぐちゃぐちゃで汗まみれであり、肩で息をしているのは冬架も同じことだった。
「決められたプログラムをそんな数分で簡単に変えられるわけない、しかも貴方の魔力なんて私よりも弱いのに……」
「否定はしないけどね」
藤蘭の言う通り冬架は、覚えてる魔術に反して魔力が極端に低い。そのせいで魔術を使う回数が限られていた。
「聞いたことがある……魔術師教会を追放されたある天才魔術師は一日でありとあらゆる魔術を見ただけで使いこなしたって。金色の髪と碧眼の魔術師だったって」
冬架はゆっくりと首を横に振る。そして自嘲的に呟く。
「こんな無様な天才なんていないよ」
本気で冬架はそう思っている。
「私なんてさ、うまくいかないことの方が多いんだから」
本気でそう思っているからこそ、少しだけ苛立ちを込めて冬架は呟く。
天才だったらきっとここまで必死にならず、もっとスマートに卓士と恋愛していたのではないかといつも冬架は思う。
自分を好きになってうらうのに必死、無様なほどに必死。もちろん、女性的魅力やスキルのない冬架が理想どおりに上手くいくはずもなく、空回りしかしてない。
それを理解しているからこそ、鈴原冬架は本当に自分はダメだと思っている。うまくいかない時に自分が世界中で一番必要ない物ではないかとさえ思うこともある。
だが、それは誰でも感じることだ。不完全な自分を疎ましく思う、そういう部分の持った鈴原冬架は周囲が言うほどに優れた存在ではなく、凡庸な高校生女子でしかない。
そういう冬架の複雑な感情が理解できないのか藤蘭は首を傾げてはいたがそれ以上は追求しなかった。
「とりあえず、もうちょっと『ごりあて』から距離を――?」
藤蘭が言い終える前に冬架が呟く。
「――しまった」
「え?」
「気づかない?この感じ」
ほどなくして藤蘭もその意味を悟る。
「ね、ねぇ、どういうこと――?」
辺りを伺う藤蘭の額から汗がこぼれた。
冷静に冬架は何かを考えながら呟く。
「最初からこういう仕掛けだったってことだね。行きは良い良い帰りは怖いってところかな。少し油断してたよ」
無音の――。
「ねぇ、つまりこれって――」
いつもと変わらない――。
いつもの藍空市――。
或不邸宅の庭――。
「そう、まだ結界の中ってこと。出ようとした奴を捕まえておくゴキブリ取りみたいなものだね」
「どうすればいいの?」
時間軸がずれてしまたように、生命も気配も音も消えた結界の中で藤蘭が叫ぶ。
「逃すつもりはないってことだね。でもこんな結界は或不には作れないはずだよ。そもそも、或不が藍空市に拠点を作ってた情報がなかったのもおかしいしね」
響く機械音に向かって冬架は囁く。
「もしかしたら、或不が『ごりあて』を作るのに誰かが関与してるってことかな。ねぇ、或不」
藤蘭がかすれた悲鳴をあげた。
『てむじん』の首を手にした黒い巨躯が玄関に立っていた。
冬架の言葉に、表情のない機械の肩が揺れる。それは怒りではない。『ククク』というくぐもった笑い声が発せられる。怒りなどではない。侮蔑に似た笑いだ。その笑いを表情の代わりに声と全身を使って表現していた。
『鈴原冬架……』
黒い巨人の中から流れたマシーンボイスが冬架の名前を呼んだ。それにコクリと頷き冬架は答える。
「或不だね」
二人の言葉が夕暮れ中で交差した。
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