第七回・前編
アンセムは不完全を許さない、死を。
アンセムは失敗作を許さない、死を。
アンセムは無価値を許さない、死を。
敗北者には死を――それが僕のいた超人機関アンセムのルールだ。
人間の手により人間を越える人間を生み出す、何かが欠けた者は出来損ないでしかない。
いつの間にか、アンセムにとって二十七体の完成体以外のアンセムチルドレンはモルモットでしかなくなった。僕はそのことに疑問の欠片さえ抱かなかった。僕と同じ失敗作のアンセムチルドレン達もそれが当たり前のことだと思っていた。
僕がアンセムを出て十年近く経つ――。
冬やドク、山野、局長、終と出会って分かったことがたくさんある。変わったこともたくさんある。出来ることもたくさんあると知った。
戦うことが全てじゃない。
殺すことが全てじゃない。
従うことが全てじゃない。
不完全でも、失敗作でも、無価値でも、僕を必要としてくれる人がいる。
それに僕は――答えたい。
それが僕の意思だと思う。
「冬……」
朝の光を受け止めながら僕は瞼を開ける。
昨日は結局、手当てされた後に添い寝することになってしまった。
「たっちゃん……」
隣を見ると白いブランケットに包った冬が僕を見つめていた。
花を見れば綺麗、虹を見れば綺麗、アンセムでは綺麗という概念をインプットされるだけだった。
でも今は、綺麗なサファイアの瞳は光を吸い込んで輝く、それが本当に綺麗だと思える。
「えへへ……なんだかこういうのって照れくさいね……おはよ、たっちゃん」
朝の光を浴びて、少しはにかみながらも柔らかな微笑を浮かべている。
それを見ていると不思議な気分になった。心が落ち着くと言うのだろうか。
今なら分なんとなくかる気がする。冬を何で守りたいのか。
それは冬が僕のマスターだからだけじゃない。
きっと、僕は冬の幸せを守ってあげたかったんだと思う。
それはもしかしたら、放っておけないとか、保護欲とかそういう感情かもしれない。
最初は、確かに護ることが自身の存在意義でしかなかったけど、やはり今は違う気がする。
「あら目が覚めたのね」
その声に気づき後ろを見れば――殺気をみなぎらせた魔女がいた。
「そのまま眠っててくれればいいのに」
ああ、そうか。三人で寝たんだった。いや、違う。あの偽関西弁との受け渡し時間を過ぎた後、僕は山野のスタンロッドをくらったんだった。
そうか、そうか。僕の指先が山野を弾く。
「イタッ!!デコピン!?何をするの、高瀬君!?」
「なんで僕が寝てるのかな」
「スタンロッドの仕返しのつもり!? 貴方が寝ろって言ったのに朝まで見張りするとか言って、アウ!! 起きてようとしたから……ハグッ!!」
デコピンが山野を黙らせる。
涙目になりながら山野が額を押さえた。
なんだろう、この湧き上がる気持ちは――こういう感情を持てたのは山野のおかげかもしれない。
「身体がまだビリビリするんだよね」
と言いながらも山野の額を弾く。
「確かに最大出力で……イタッ!! ちょ、貴方、デコピンでこないだ普通に林檎粉々に……アグッ!!ぼ、暴力なんかに屈しないわよ!!」
それを山野が言うのかと思ったが口にはしない。
冬はおかしそうに僕たちのやり取りを見つめていた。さりげなく冬が僕に抱きついてるのは内緒だ。今度は別の秘密兵器を使われそうだから。
数十分後――僕達がそれぞれシャワーを浴びて着替えた。
僕が事務所内の厨房でスクランブルエッグを作っていると、電話が鳴る。
どうやら山野が電話に出たらしく『ええ』と頷いていた。
「高瀬君」
厨房に入ってきた山野が歯を噛み締める。
「どうしたの?」
「学校から休校の連絡よ。どうやら、ウチの生徒でまた犠牲者が出たみたい」
声が僅かに震え、心拍数が上がってる。山野が平静を装いながら怒っていることはすぐに分かった。
「そっか」
僕は短く答える。
「冬架さんが今、街中の無線監視カメラの画像を盗んでるとこよ。そこに何か収穫があればいいんだけど」
そう言いながら、山野は冬の部屋に戻っていく。
「気になるのは……君のお兄さんが約束を破ったことだよね」
僕は厨房のテーブルに、無造作に置かれた人間の手に話しかける。
ごくごく普通に置かれた人間の手。
それはチェーンとガムテープでボンレスハムのような状態だった。
「ああ、そうか」
その掌につけてあったガムテープを外す。痛がる声の後、その下に隠れていた顔が僕を睨む。
「おはよう」
手は僕に答えなかった。ただ恨めしそうに僕を見つめている。
「よくもヌケヌケと挨拶できるもんやな」
手は女性の声で偽関西弁を語りだす。
「ああ、ごめん。それよりもお兄さんのこと何か分からないかな?」
「なんでアンタなんかに……」
「冬が危険に巻き込まれる可能性は消したいから」
僕がそう言うと、手は舌打ちしてみせる。
「君を見捨てたのかな?」
「アホ言うな!!兄さんがウチを見捨てるはずはない……!!」
怒鳴った後、小さくつぶやく。
「きっと、なんかあったんや」
「本当はね、僕もそう思ってる」
「え?」
「少なくともあの目は護る者の目だったから。それだけは分かるよ」
「アンタ……」
あの偽関西弁の男は約束の時間に現れなかったのはやはり気になる。
冬の目である街中の無線監視カメラにも映らなかった。僕が殺すと脅しをかけた以上、遅れるとても連絡をしてくるなりすると思ったが。
「そんなことアンタにそんなこと言われても……」
「そうだね。敵同士だからね」
僕はスクランブルエッグとサラダ、パン、トマトジュースの準備を終えるとそれを運び出す。手はジッと僕の方を見ていた。
「何か、食べる?」
何を主食としてのか分からないが尋ねてみた。手は少し黙っていたが答える。
「パン……とサラダ。出来ればスープも」
「了解」
朝食の支度を終えると手を持ってリビング代わりにしているバーに行く。すると、ボックス席に山野と冬が座っていた。
二人の視線はジッとテレビを見つめている。
「あ……あ……」
手が引きつった弱々しい声を漏らす。僕はそれを聞きながら画面を凝視する。
「嘘や、嘘や、嘘や、嘘や、嘘や、ああああああああああああああ……」
ニュースは一晩で四人もの人間が新たな犠牲者となり殺されたことを報道していた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
その四人の中の一人には見覚えがあった。
――偽関西弁の男だ。
「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇああああああああああああ!!」
叫びがバーの中に響き渡った。
ぐちゃぐちゃに歪んだ顔から涙が零れ落ちてくる。
その手を山野は沈痛な面持ちで抱きしめた。
ずっと叫ぶように手は泣き続ける。それでも山野は震える手を抱きしめ続けた。
敵であろうと何であろうと山野にとって弱い者は全て護るべき者なのだろう。
それが山野の原動力であり、強さであり正しさだと思う。
「たっちゃん……」
冬の蒼い瞳と山野の鋭い瞳が僕を見つめる。
その眦には決意のような物があった。きっと、昔の僕ならそんなことに気づかなかっただろう。
僕はそれに無言で頷く。
この事件を終らせよう――それぞれの護るべき者の為に。
◇
錯乱した『手』を落ち着かせている間、冬にこれまでのことを僕の口からの説明することにした。
すでに山野から話はあらかた聞いていたようだが、何となく僕が話したかった。何となく、時と場合によるが、こういう不確かな感情に従うのも悪くはないと思う。そう思うことができるようになった。多分、僕の本質や根本は変わらないがそれだけで大分人間らしい気がする。
僕が朝食の片づけを終える頃、冬はカタカタとバーテーブルに置かれたパソコンいじり、無線式監視カメラから盗んだ情報を眺めていた。もちろん、それは冬がしかけたわけじゃない。コンビニや無人契約機、街中の監視カメラが冬の目になる。冬の話では現行のセキュリティシステムは、複数のカメラをケーブルで接続するため、多額の設置費用がかかる上に監視箇所の変更も困難であり、接続できるカメラの台数にも限界があるらしい。TV帯域を利用した無線監視カメラもあるが標準的な伝送フォーマットを使っているため、通常のTVで簡単に傍受できるという。
「冬、話があるんだけどいい?」
僕が背後からそう言うと冬が振り返り、
「たっちゃん!!」
僕に向かって満面の笑みを浮かべる。
「たっちゃん、ここ!ここ!」
冬の白く小さな手で自分の隣の椅子をポンポンと叩いた。
僕が冬の隣の椅子に腰掛けると、体を僕に傾ける。柔らかな金色の髪がくすぐったい。
「うにゃ〜。たっちゃん〜。最近甘々してなかったから寂しかったんだよ〜」
「うん、ごめん」
「いいよ、たっちゃんなら何でも許しちゃうんだから」
冬は子猫が甘えるような声で呟き、
「浮気以外はね」
と付け足した。ダムドは人間よりも愛情深く、反面人間よりも嫉妬深いと聞いたことがある。特にスレイヴに対する所有欲は凄まじい。そういう面を見るとハーフとは言え、冬もダムドなんだということを改めて感じさせられる。
「冬、今回の事件のことだけど……」
「うん。その前に髪ほどいてもらっていい?」
「ああ、いつものだね」
「うん!!」
僕の指先が冬の滑らかな金色に触れた。
「あ……ん……たっちゃん……ん……んく」
吐息と共に冬がくぐもった声を漏らす。
「冬、いい?」
「うん……あ……」
僕はそっと冬の髪止めを解いていく。
「あ……ん……」
「大丈夫?痛かった?」
「うんん……大丈夫……あ……気持ちいいから続けて……」
そっと僕が冬のツインテールを解いてあげると、冬は潤んだ瞳でブルブルと身体を震わせる。その白い頬はほんのりとピンクに染まっていた。
「大好きだよ……たっちゃん」
それが合図だった。
そう囁くと冬の表情からあどけなさが消えた。
深く全てを見透かすような蒼い瞳が僕を見つめている。
やはり何かを考える時は髪をほどいた方が落ち着くらしい。
「あ、あのね、たっちゃん」
「うん?」
「できれば膝枕も……」
「了解」
そっと冬の華奢な身体を抱きかかえると驚いたのか小さく声を漏らした。
「あ、やっぱりこのまま抱きかかえててくれる?」
「いいよ」
冬は子猫のように甘えて来たが別に嫌ではないし、冬も心底嬉しそうなのを見ると問題はなさそうだ。
とりあえず、僕はこれまでのことを細かに話し始める。
冬は僕の話を聞きながら黒いフロッピーをいじっていた。こういう状態でも真剣に聞いてることは分かっているので僕は話を続ける。
廃墟であったこと――。
あの少女のこと――。
僕のルーンが使えなくなったこと――。
僕が話せることは全て話すと冬は少し考えた後、フロッピーディスクをいじっていた手を止めた。フロッピーが既にその手の中でバラバラに分解されてしまったからだ。ゆっくりと冬は起き上がり僕を見つめる。
「たっちゃん、その子達はどこにいったと思う?」
いつになく真剣な目で冬は僕に問うた。いつもの蒼い瞳に鋭さが宿っている。
冬がこうして本気になるのは久しぶりのことだ。
「僕だったら目的さえ果たせば市外に逃げるけどね」
「うん。多分、私でもそうすると思う」
「じゃあ、今は市外に?」
「ううん。街中の無人監視カメラをチェックしてみたけど引っかかってなかったんだよ」
「市外とも市内とも言い切れないわけだね」
「うん。手ちゃんのお兄さんの死亡時刻は死体画像から見て深夜ってところかな、警察から後で情報を奪ってみるけど間違いないと思うよ。そうなると市外に逃げる時間は十分だよね」
冬は僕を見つめたままフロッピーディスクの組み立てを始めた。まるでルービックキューブをいじるような手軽さだった。
簡単にハブやライトプロテクトタブをはめ込んでいく。確か七歳ぐらいの時に『ドク』と話をしながら車を分解していたこともあった気がする。
「でも、気になることがいくつかあるんだよね。まずなんであそこにいたのかが分からないでしょ?動機、目的ってヤツ」
「ああ、確かに。でもあそこにいたのは犯行現場に戻ったと考えれば辻褄は合うと思うけど」
「そうだとしてもそこに戻る理由が必要だよね?しかも、そのてむじんってかなり大きいんだよね?それなのに、わざわざ廃墟に戻ってきたと考えると少し妙かなって思うよ。あそこは拠点にするには不便だしね」
言われてみればそんな二人組みがウロウロすれば嫌でも目立つ気がする。
「無人監視カメラに映らないのは人前に出れないからかもしれない」
僕の言葉にコクリと冬が頷く。
「うん。コンビニやデパート、街中の監視カメラに映ってないこと考えるとね。ちくり屋ネットワークからの目撃情報もない。そこまでして人のいるところを避けてるのに、一度殺人を行った場所に戻ってきた理由って何のかな。事件の直後なら、取材やら警察やら誰かが来ないとも言えないでしょ?しかも廃墟に戻る前にまた一人街中で殺してるわけだし」
僕は冬の言葉を聞きながら被害者の殺害された順序を思い出した。
「待って、冬……」
「うに?」
「街中で殺したって言ったけど、犯人は人目につくのを避けてるんだよね?」
僕の言葉に冬はコクリと頷く。
「じゃあ、なんで人目につく可能性や姿が残るかもしれない街中でわざわざ人殺しを?」
「多分、接触しちゃったからだよ、たっちゃん」
「接触?」
「そう。街中で殺害された被害者以外にも、人の少ない場所で殺された被害者がいるでしょ?」
「ああ、そうだったね」
「簡単にAグループを街中で殺された人、Bグループは人気の無い場所で殺された人ってことでわけようか。するとね、Bグループの被害者って昼間に集中してるんだよ。逆にAグループは全員が夜なのにね」
「つまり、冬。Aグループの被害者は夜中に偶然、犯人と遭遇したから殺されたってこと?だから人目にもつかないってことかな」
「うん、大体そんな感じだと思うよ。街中で食糧の調達とか……その最中に見つかって殺害したみたいな感じかな。もしくは夜の移動中とかね。少なくともAグループの人間を殺害したのは突発的だと思うよ。殺す場所も選べない予定外のアクシデントみたいな感じだね」
それではまるで――僕は思いついた自分の考えを否定する。
「朝は人目につかない場所で行動してるってこと?」
「うん。それに市内でアレだけ殺してて他の街に移動するのも考えにくいんだよね。目的があるとすればまだ藍空市内にいると思うんだよ」
そう言うと冬は急に僕を抱きしめ甘えてきた。柔らかで暖かい冬の感触が伝わってくる。僕はそれを振り払うことも、鬱陶しがることも、嫌がることもなかった。
冬は『ン〜』と呟き、伸びをする。するとその蒼い瞳から吸い込まれそうな深みが失われ、澄んだ蒼に変わっていく。
「真面目モードは少し疲れちゃうね。ん〜。充電、充電」
「じっくり充電するといいよ」
じゃれていた冬が不思議そうな顔で僕を見た。
「うにゃ?どうしちゃったの?」
「特になにもないよ」
僕が視線を逸らすと冬は可笑しそうに笑う。
「たっちゃん、もしかして照れてますか?」
「どうだろうね。僕には分からないよ」
「うん……でも照れてくれたら少し嬉しい」
そういうものだろうか。やはり僕にはまだ理解できない。
「冬、そろそろ藍空市が動き出す頃かな」
「随分、後手だけどね。私達が七班から抜けてから動きが遅くなってるみたいだね。組織のスムーズ化は必須だって分かってるはずなのにね」
藍空市――僕と冬が暮らす街であり、人口十万人の内の一万人はダムドや異能者で構成されている。
そのダムドや異能者による事件を解決する自治組織に僕と冬は所属していた。
「ふふ、なんだか懐かしいね。ほんの少し前のことなのに」
「そうだね」
僕の言葉に冬は頷く。そう、僕達が七班を抜けたのはほんの数週間前だった。正確にはいられなくなったからだ。本当なら市外に追放されていてもおかしくない。
「あの頃は皆いたんだよね。猫ちゃんが旅立って虎徹ちゃんも操ちゃんもそれを追いかけて。士郎ちゃんも監視がつけられて、十五君と三三花ちゃんは地元に帰って……。怜貴ちゃんと総司ちゃんは契約が上手くいってないみたいだね」
「総司は戦闘訓練もあるからね」
「やっぱり皆変わっていくんだよね」
きっと冬の表情に僅かによぎったのは懐かしさよりも寂しさだと思う。
僕も冬も皆がいた毎日は騒がしいが嫌いではなかった。
「そうかもしれないね」
僕がそう言うとジッと冬が僕を見つめた。
「たっちゃんもかなり変わったよね」
「そうかな?そこまで変わったかな?多少は変わったと僕も思ってるけど」
「そうだよ」
「じゃあ、そうだね」
「うん。でもどんなにたっちゃんが変わろうと私の気持ちは変わらないよ、えへへ」
はにかみながら冬が笑う。
確かに僕は変わったかもしれない。でも根本から変わらない部分もある。その変わらない部分には否定すべきことも多いが、僕を形為す冬への気持ちも含んでいるのだろう。
「きっと、たっちゃんはもっと自分を大事にできるようになれると思う」
「そうかな」
僕にとって一番大事な物は既に決まってる。だけど僕はそれを言葉にはしない。言葉にする仕方が分からなかった。
「私はね、私がどうなったってたっちゃんが幸せならそれでいい」
「冬……」
「本当はたっちゃんが私以外の女の子を好きになってもいいんだよ。私は我慢できるんだから」
少し寂しそうに呟くと冬は微笑む。
「たっちゃんが幸せじゃないと嫌だよ。だから無茶はもうしないで」
「幸せか……」
僕の幸せはなんだろう。考えたことがない。そもそも考える資格はないことだ。
でも、僕は願う。冬の幸せを。
もしかしたら僕の為に犠牲になってもいいと言った冬も僕と同じ気持ちかもしれない。それもずっと、ずっと。僕が人形だった頃から。出会った頃から。
僕はそれをずっと無視し続けてきた。踏み躙り続けてきた。
それなのに、冬は――僕を必要としてくれる。
なんでそれがこんなに胸を締め付けるのだろう。
「冬、僕は……」
「うにゃ?」
心の底から湧き上がる言葉がある。伝えたい言葉が胸の奥につっかかっていた。胸の痛みが加速するような感覚にせかされる。
スッと、冬に手を伸ばし僕がそれを言葉にしてみようとした時、
「冬架さん」
冬を呼ぶ声と共にドアを開ける音が響き、山野が入ってくる。
僕は行き場のない手で自分の髪に触れた。
「こちらは大丈夫です。手も大分、落ち着いたみたい」
そう言った山野の手元には布に包まれた包みが抱えられている。それが『手』だとすぐに分かった。
「あら、高瀬君。冬架さんと何を話してたのかしら?」
山野が僕を睨みつける。添い寝の一件から妙に視線が鋭い。
「別に」
「そう。それならいいのよ」
もしかしたら山野のように変わらないことも強さなのかもしれない気がした。
「ここからだけど、とりあえずは情報収集だね」
冬の言葉に僕と山野は頷く。
「その為にまずは『あの人』と接触しようと思うんだよ」
「あの人……ああ」
僕の頭の中にある人物が浮んだ。この状況で情報を持っているのはあの人しかいない。
「彼女と?」
冬がコクリと頷くと、山野は首を傾げる。
「あの人?」
「うにゃ。けっこうディープでハードコアな人なんだけどね、今回の事件のことは多分、私達よりも真相に近いと思うんだ。必ず会えるわけじゃないんだけどね」
確かに情報収集ちう意味ではあの人に会っておくことの意味は大きい。もしかしたら、冬の言うように僕たちのもっていない情報をもっているかもしれない。ただあの人は限りなく気まぐれだ。
「ウチも……行く……」
包みの中から『手』が呟いた。声に深い切望を宿して。幾ら落ち着こうが簡単に憎しみが晴れるわけがない。
「手ちゃん……」
「冬架さん、私からもお願いします」
ジッと、山野が冬を見つめた。
「うん、そうだね。じゃあ、接触するのはたっちゃんと手ちゃんに任せていい?」
「了解」
僕が答えると冬は頷く。
「うに。私は犯人の捜索と局長ちゃんを呼び戻すね」
「そうか。局長か」
「今の状況だと局長ちゃんの力が絶対必要だからね」
「そうだね。じゃあ、山野。冬を頼むよ」
頼む――自然と僕は口にしていた。
山野は少し驚いた顔をしていたが、フンと鼻を鳴らす。
「私を誰だと思っているのかしら?」
「そうだったね」
その様子を見る限り問題はなさそうだ。
山野を信じる――そのことに僕自身が一番驚いている。
「じゃあ、行ってくるよ。あの人に――『漆黒の王』に会いに」
刺客
冬の話では僕が想定してよりも早く局長が戻れるかもしれないらしく、その前に、僕は僕はでやることがあった。
いつものようにトレーニング、調整、確認を終えた後、パーカーとジーンズというカジュアルな格好で事務所から目的地に向かって歩き出す。少し足が重い。そのせいか歩く度に右手に握った紙袋が揺れて声が漏れる。
もしかしたら、揺れるのが気持ち悪いのかもしれないが、『手』を見せびらかしながら歩くわけにはいかない。商店街付近には学生や主婦など行き交う人も多い。多少、気持ち悪いだろうが、それは我慢してもらうしかないだろう。『手』が自分でついてくると言ったのだから。
『手』が、仇や復讐、そういう感情で協力を申し出たことは僕にも分かるし、なんとなくだが『大切な者を傷つけられる怒り』という物がどういう物か理解している。
日本に来たばかりの犬杉山という町に住んでた中学生の頃。冬をいじめた者達を僕が捕まえ、歯と指を一本、一本へし折ったことがある。冬のきれいな金色の髪を切って黒いスプレーを吹きかけるような真似をしたのだから仕方ない。それを僕に知られないように隠そうとした冬も冬だけど。
もしかしたら、その時の僕の思考がこそ、今の『手』の感情に近いのではないかと思う。
「で、どこに行くん?」
商店街の表通りに差し掛かった頃、紙袋の中から『手』があの胡散臭い偽関西弁で尋ねてくる。僕は歩きながら小声で囁く。
「君は標準語では喋れないの?」
僕が尋ねると小さく舌打ちする音が聞こえた。偽関西弁に愛着でもあるのだろうか。
「別に。喋れるけど?こっちの方がいいの?」
突き放すような棘のある口調は山野と似ていた。いや、昔の冬だ。
「出来ればね。慣れてないんだよ」
「アンタこそ、もっと覇気のある口調で喋ったら?」
「そう?普通のつもりなんだけどね」
「一言一言に滅茶苦茶抑揚とかないじゃん」
確かに。公の場や学校ではもう少し声のトーンを調整しているが、私生活ではそれほど気を使っていない。
「うん。気をつけるよ」
僕が少し声のトーンを上げて明るめに言うと、『手』は舌打ちした。
「やっぱいい。なんか気持ち悪いわ」
「そう?」
いつもの調子に戻して僕は答えた。
どうやら声色について、もう一度考え直した方がいいかもしれないと思った。
「アンタ、あの金髪の子のスレイヴなんだよね」
「ああ」
「なんであの子のスレイヴなの?確かに、あの子は頭が切れるみたいだけど、アンタならもう少しまともな主が見つかるんじゃない?」
「冬の魔力のことを言ってるのかな」
「まぁね。あの子から感じる魔力なんて下の中……下手したら下の下じゃないの?」
「否定はしないよ」
それも『手』の言う通りだ。冬の魔術師としてのレベルは高くない。
魔術師やダムドとしてのレベルが魔力の高低なら、冬は下級と言われても仕方ない。
外気を利用する魔術ならある程度、使うことはできるが内気や体内の魔力を多く消費する魔術は使うことができない。まったくもって戦闘に向かない。
そう、冬は戦闘には向かないのに、いつも僕を助けようとするから危なかしくて仕方ない。
本当に僕が冬のスレイヴでいるのは何故だろう。自分でも少し不思議に思える。
「それになんで下の下のレベルのあの子が――あの方を知ってるの?」
その言葉には、はっきりとした畏怖が込められていた。
「色々とあるんだよ。冬にも事情がね」
僕はそう答えながらショ−ウィンドウが並ぶ大通りに出ると、そこから路地裏に入っていく。
「ねぇ、本当に会えるの?冗談でも口にしていい名前の方じゃないのよ、漆黒の王とも、深淵の王とも言われるあの方は」
「僕も知ってるよ。黒の派閥の主がどういう存在かぐらいはね」
ダムドには紅、蒼、黒、白、碧、黄、碧の七つの派閥があり王がいた。現在残っている王は人との協調を目標にしている碧の派閥の王、派閥から身を引いた黒の王だけだ。残りは派閥こそ残っているものの王不在という状況が続いている。
「黒の王が引退したのは知ってるかな?」
少し唸った後、手が『ええ』と呟いた。
ここ数百年で状況が変わってきている。
僕らぐらいの若いダムドには王の存在や階級社会を知らない者が増えてきた。藍空市内のようにコミューンの中に様々な派閥の者が存在するのも珍しくない。黒の王もそれを容認するダムドだった。だからこそ、身軽に派閥を捨て隠遁生活を送ることを選んだ。伝統を重んじるダムドには人間社会の中で秘密裏に容認されて生きるだけでも恥とされ、派閥の存在を軽んじることが良く思われていない。古いダムドと新しいダムドの対立、そういうトラブルも目立つようにもなってきた。人間は道具でありスレイヴという考え方も、スレイヴは愛しい者、恋人というように変わってきている。人間の歴史が変わるようにこちら側の世界の歴史も変わりだしているようだ。
「ああ、そうか」
思わず僕は呟き、路地裏で足を止めた。
「なんで僕が冬のスレイヴでいるか答えてなかったね」
ずっと昔。
あの日、スレイヴになった時、冬は僕に言った。
『一度しか言わぬ、良く聞け』
冬は赤い顔でゴホンと喉を鳴らす。
『これより我等は互いの半身だ』
そう言い放った後、冬は少しだけ照れて付け足した。
『故に側から離れるな!……よ、よいな』
そう、冬は僕に言った。まだ僕が『はい』か『いいえ』でしか自己表現できなかった頃だ。
「僕が冬のスレイヴでいるのはね……」
探してた答えは簡単なことで、考える必要もないことだった。
「冬が僕を必要としてくれるからだよ」
だから、僕は――冬のスレイヴになった。
「これからも冬と居たいし守りたいから僕はスレイヴをやめないんだと思う」
「それだけ?」
「うん。多分そうなんだと思う。それだけなんだけどね、でもそれで十分だと思う」
「それで十分ね……青臭い答えだこと」
『手』は呆れたように溜息をついた。
「アンタ、感情のない人形みたいだと思ってたけどそういう顔もできるのね」
「顔?」
「気づいてないなら別にいいけど。そう、互いが半身か。うちら兄妹も結局そうだもんね。そういうもんかも」
少しだけ憂いを帯びたような声で『手』呟く。かけれる言葉はないが気持ちはなんとなく理解できるような気がした。
僕は立ち止まった先の路地裏で、壁にゆっくりと左掌を当てる。
「何してるのよ」
「黒の王に会う為だよ」
すかさず『手』は尋ね返してくる。
「どういうこと?」
「あの人に会うにはルールがあるから」
「ルール?」
「黒の碑、黒の王がいる居城のことだよ」
冬の話では、黒の碑はフリードリヒ・ウィルヘルム・フォン・ユンツト記した魔道書『無名祭祀書』にも記されていて、無名祭祀書の中ではハンガリー山奥のシュトレイゴイカバールにある石柱とされているらしい。黒の王の居城がそれと何の関係があるのか定かではない。
僕も夭逝の詩人、ジャスティン・ジョフリの幻想詩『碑の一族』を読んだ事があるが、それは黒の碑から強烈なインスピレーションを受けた作品と言われている。個人的にはエソントの詩集『碑色の研究』の方が面白いと感じるけど。
もしかしたら黒の王も実物の黒の碑を目にしたのかもしれない。
「望むだけで黒の碑に行ける人もいれば、条件を満たさないと会えない人もいるらしいけど、僕らは既にある必要条件を満たしてるから」
「え?どういうこと」
「すぐ分かるよ」
僕は壁を押す手に力を込め呟く。
「二重配合、白、自動、愛創、赤霧、九個、流れ、位牌、皇帝」
壁に当てた手を中心に、徐々に変化が起きて行く。緩やかな夜が訪れるような静かな変化だ。
「黄金虫、ストレンジ、螺旋、螺旋、泡、影、死村、五重、自動」
「それは……」
戸惑う『手』を他所に、ゆっくりと壁に黒い切れ目が走っていく。
切れ目からは形を持った闇がゆらいでいた。黒い闇が長方形を模りドアとなった時、僕はその中に向かって歩き出した。
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