第六回


 目を覚ますとオレンジ色の光が差し込んでいた。
 かなりの時間を眠ってしまったらしい。そのおかげか、首と腕の再生はほぼ済んでいた。
「起きたならどいてくれないかしら?」
 僕が上半身を起こすと、山野は呼んでいた文庫を閉じる。カフカの変身だ。
 僕はゆっくりと起き上がり、左手の調子を試す。まだ多少、痛みは残るが問題はない。
 左手で思い出し、傍らに転がったあの男の腕を拾い上げた。
 布で拘束してあったはずが、布が解除されている。そんなはずはないのだが。
「どうしたの、高瀬君」
「いや……」
 山野ににわか返事を返し、違和感を振り払う。
「さすがに、まだ気絶したままみたいね、その手……」
「あれだけの電撃だからね」
 あの男の腕はまだ眠ったままだった。電磁ジャケットがショートするほどの電流を喰らったのだから、それも仕方ないのかもしれない。
 もしかしたら、山野も火傷をしているかもしれない。例えそうでも、山野のことだからそんなことを僕に言わないだろう。
 何にせよ、あのジャケットは使わない方がいい。リスクの方が高すぎる。
 と言っても、あそこまで派手に壊れてしまえば、もう使うことは不可能だろう。
「高瀬君、どうするの、この後は」
「一度、冬の所に戻って状況を整理しよう」
「そうね。高瀬君の疲労もあるものね」
 山野の言う通りだった。傷そのものは回復しかけているが、まだ体力の消耗は回復しきってない。出血量が多すぎるのも原因の一因だろう。
「いつものパターンで言うと、ここから変な人たちがどんどん出てきて話がややこしくなってくるのよね……高瀬君と組むとろくなことがないわ」
 その元凶に言われても説得力はない。
 山野は露骨に嫌そうな顔をしているが、そうやって言い出すことは大概、実際に起こってしまうのが今までのパターンだ。それに気づかない山野の神経は見習うべき物かもしれない。
「とりあえず、服は着替えたら?そんな格好じゃ街の中歩けないでしょ?」
「ああ、そうだね」
 確かにこんな血まみれのシャツを着て街中を歩くわけにはいかない。山野はまだ上着でごまかせるが、僕は学生服の中まで血で汚れてしまっている。
 シャツを作ろうと、僕は右手から布を具現化しようとした。いつも通りのイメージして力を練りこむ作業だ。
 具現化しようとした。確かに僕は力を発動させた。間違いなく、確実に。
「どうしたの?」
「布が具現化できない」
「冗談で言ってるの?だとしたら、殴るだけじゃ済まないわよ。いいえ、むしろいい機会だから二、三発……」
 山野はスタンロッドを振りかぶったが、僕が本気で言ってることに気づき、それを降ろした。
「疲れてるからなの?」
「いや、この状態は初めてだから分からない」
「無理矢理どうにかできないの?」
「精神論でどうにかできれば楽なんだけどね」
「そう……まずいわね。多少は貴方の能力に期待してた部分もあるんだけど。あ、あくまで高瀬君にじゃなくて能力の方よ」
「しばらく様子を見る必要があるかもしれないね」
「相変わらずこんな時でも淡々としてるわね」
「そう?」
 僕が尋ねると山野が溜息をつく。
「冬架さんなら何か分かるかもしれないわよ」
「ああ、そうだね。とりあえずは戻ろう」
「そうね」
 山野が小さく頷く。
「あ、私、その前にお風呂入って着替えてくるわ」
「別にそんなに気にしなくても」
「冬架さんの前で失礼じゃない?もし、私と冬架さんの間に、禁断の放課後的な甘い過ちが起こってしまったら困るし……」
 いつものことだが、本気で言い切る山野はすごいと思う。
「言ってる意味は理解できないけど、それだけはないから安心していいよ」
 無言でスタンロッドを構えた山野のを見て、僕はそそくさと出口に歩き出す。
 ルーンを使えないのは確かにマズイ状態だった。
 こうなった以上、できれば今回の事件にはもう関わりたくないが、山野がいる以上は仕方がないかもしれない。必ず、首を挟んでしまった事件は僕たちの元を再び訪れるだろう。


 血まみれの格好で出来る限り人目につかないように努力したつもりだ。
 こういう時に、堂々と『何がおかしい?おかしいのは貴方達よ』と言わんばかりの山野に感服するしかなかった。
 とりあえずの問題はいくつもあるが、無視するとして、力を使えなくなったことを冬に使えるか迷う。そんなことを考えながら、自宅で血を拭った後、服を着替える。あの左腕は適当に布に包むことにした。わめかれるとやっかいなので、猿轡の代わりに針金をする。本当は目も開かないようにクリップで止めようかとも思ったが、それぐらいで良しにした。この腕にも呼吸の問題もあるだろうか、窒息しようが何だろうが僕の知ったことではないし、本体と切り離されても生きてるのだから問題はないのだろう。まだ生かして置けば取引に現れた本体の方の男を殺す時に利用できるかもしれない。出来れば話し合いに応じて欲しい所だと思う。
 ――僕は何を焦っているのだろう?
 そこまで考え正気に戻る。なんだろうか、この感覚は。
 今までここまで、殺すことに固執したことはなかったのに。
 左手を鞄に詰め込み、事務所の階段を上る。
「あ……」
 その度に傷口が開き、血がシャツを染めていく。
 着替えに戻っても同じことだろう。仕方ないからそのまま冬の部屋のドアベルを押した。
「はい」
 足音の後、冬が事務所のドアを開けた。
「ただいま」
「たっちゃ……」
 僕を見つめ、笑顔を浮かべたまま冬が固まった。
 そして、ゆっくりと笑顔が強張り涙がこぼれていく。
「手当て!!手当てしないと!!」
 転がるように小さな身体はアパートの中に飛び込んでいく。
 慌てて動くものだから、そこら中から物落とすような音がしている。
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない!!早く横になって!!」
「あ、うん」
 言われるがままに僕は寝転ぶ。
 冬は大きな蒼い瞳からこぼれる涙を拭いながら、乱暴にヤカンや包帯を用意する。
「冬……泣かないで」
「無理だよ!!」
 冬は泣きながら僕の言葉を遮る。
「そんなの無理!!無理なんだから!!」
「ごめんね、冬」
 いつも悲しませないつもりなのに。僕はいつもこうだ。その方法が分からない。
 ああ、だから、そうか、失敗作と言われてきたんだ。
「誰に……やられたの」
 透き通った蒼い瞳がゆっくりと、灼熱の色に変わっていく。
「私はそいつを許さない。絶対に許さない……!!」
 まずいと思った時には遅かった。
 室内の気温が急激に上昇していく。冬の髪の先端が徐々に赤色に変化しだしている。
 僕は肌に感じる熱気がさらに上昇するのを感じた。
「冬……」
「たっちゃんを傷つける奴は許さない……絶対に」
 真紅に染まった瞳に宿っているのは怒りだった。
 僕がダメージを負ったのを見て冷静差をなくしてる。
 まずかった。冬の怒りの臨界点を越えた先は――。
 どうすればいい。
 こういう時に僕は何が出来るだろう。
 こういう時に――。
「冬、添い寝してくれる?」
 一瞬の間。
「添い……寝」
 もう一度、ゆっくりと冬が尋ねてくる。
「うん」
 僕が頷くと、一気に冬の顔が真っ赤になる。まるで辺りに立ち込めた熱気を全て冬が吸い込んだようだった。
 落ち着いたのか、真紅化してた髪や瞳がいつもの冬に戻っていく。
「あうう……」
 冬はモジモジと指を交差させる。
「いきなりすぎるよ……たっちゃん」
「そう?」
 僕を見つめながら真っ赤な顔で冬は頷いた。
「傷の手当てが済んだら……ね?」
「そうだね」
 何とか、気はそれたらしい。この状況で思いつく方法はそれぐらいしかなかった。
「でも、ちゃんと話してね、たっちゃん。何があったか」
「うん……」
「私だけ蚊帳の外はもう嫌なんだから」
「ごめんね……」
 そうか。僕の根本的なミスは冬を交えずに事を進めようとしていたことだ。
 冬がいればもっと違った結果になっていたかもしれない。
 冬がいない穴を埋めようと一人で焦ってたのか。
 だとしたら、僕は――馬鹿だ。
「くふふ。たっちゃんなら添い寝どころかもうワンランク上でもOKなのに」
「いや、それは……」
 今、山野に金属バットで殴られたら太刀打ちできない。
「ハッ!!傷の手当てするにはたっちゃんを生まれたままの姿にしないと!!」
「いや、する必要ないから」
 欲望に冬の瞳が爛々と輝いていた。こういう時の表情は山野に良く似ている気がする。
 冬がにじりよると、足音が聞こえた。階段を上るこの足音は――。
 いつものパターンで言うとここで山野が――と、思った瞬間、ドアが開く。
「冬架さん、山野夕陽、無事帰宅致し……」
 僕のシャツを脱がしにかかったまま固まる冬。
 無言でスタンロッドを構える山野。
「おどらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!なんをさらしとんじゃああああああ!!この獣がぁぁぁぁぁぁ!!」
「夕陽ちゃん、落ち着いて、夕陽ちゃん!!たっちゃんは悪くないの!!愛ゆえのあやまちなの!!」
「寝かして欲しいんだけどね」
 スタンロッドの電撃で気を失いかけながら、これが僕たちのいつもの形だったことをやっと思い出した。
 僕が大馬鹿だっただけのことだけど。

 

back  next

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送