第四回


 朝食のトマトスパゲティとトマトサラダを食べた後、僕は山野に付き合って事件現場を見に行くことにした。着いて行くとごねる冬をなだめるのは苦労したが、巻き込むよりはいい。
 山野が調査に選んだのは、喜七優子の遺体が発見された町外れの廃屋だ。
 廃屋は、元々、病院だったらしい。だが今はすっかり荒れ果てている。
 バブルの煽りと地元の人間は言っていたが、定かではない。
「遺体を通報したのは高校生男子よね?」
「うん。警察にはそれが誰か特定できてないらしいけどね」
 そんなことを話しながら電車を乗り継ぎ、僕たちが廃屋前に着いた頃、既に十二時だった。
 廃屋は話し通り蔦や葉に覆われすっかり荒れ果てていた。
 この苔や蔦や植物は中に放置された観葉植物が成長した物だろうか。
 ひび割れたクレバスや色あせた外観は風雨に晒されてきた果ての姿だ。
 確かにここで殺害されても、誰も気づくことはないだろう。
 人気も無ければ、幾ら叫ぼうが声だって届かない。
「ここなのね」
「そうだね」
 いざ、廃墟を目にして山野がゴクリと喉を鳴らす。
「山野、置いてくよ」
 僕は眼前に張られた立入禁止のロープをくぐる。
「ま、待ちなさい」
 僕は山野を置いて薄暗い家屋の中に歩き出した。
 ひんやりとした空気。廃病院内に山野の足音と軋む音が響く。
 作りはそこら辺にある病院とあまり変わらない気がする。
 埃塗れの床には大小の足跡、現場検証した警察や犯人の物だろう。
「わざとでもいいから足音たてたら?なんだか不自然よ」
「そうかな?」
 言われて僕は足音をたててみる。
「あ、いいわ。やっぱりたてなくていいわ……」
「そう?」
 再び、僕と山野は歩き出す。
「今日は色々、秘密兵器を持ってきたの……使うときが来ないときを祈るわ」
 静まり返った院内に山野の声が響いた。
「改造スタンガンロッド?」
「……何よ、そのワンパターンと言いたげな態度は。確かに貴方の『布』には劣るけどこれは立派な武器なのよ」
「武器ね……」
 僕はそう言うとスッと立ち止まった。
「な、何!?」
 山野が僕の背後で素早く警棒を構える。
「地面に新しい足跡がある」
「それは警察じゃなくて?」
 山野も同じように床を眺める。
「子供の足跡だね。警察が現場検証を終えた後できたものかもしれない。どうやら、大人の足跡に重なるように歩いてるみたいだね」
「な、なんでそんなことが分かるのよ」
「埃の積もり具合や、男性だと思われる靴跡の上に出来てるから。もしかしたらこの先に犯人がいるのかもしれないね」
「……あっさり言わないで」
 山野が額を抑えた。
「この先に犯人がいるかもしれないのね?」
 もう一度、そのことを確認すると深く溜息をつく。
「そうだね。殺すとこを見たくなければ帰った方がいいよ」
「殺すって……高瀬君」
「とりあえず殺すよ。後々、害になったら面倒だから」
「動機とか知ろうと思わないの?」
 少し考えてから僕は答える。
「興味はないよ。知ったところで意味はないからね」
「じゃあ、私は止めるわ」
 山野が僕の前に立った。
 こうなると山野は一歩も引かないのはよく知ってる。
「冬架さんの為にも、貴方の為にも……止める為に貴方と戦うわよ」
 そう、普通の人間は真っ先に殺そうなどと思わない。それは僕の壊れたどうすることもできない部分だ。人間らしさを学んだところで、どうすることもできない。
「……了解」
「……」
 と、だけ僕が答えると、山野は面倒そうに髪をかきあげる。
 ここで争っても仕方はないことが分かっているのか、お互いに言い争いはしなかった。
 僕達は再び歩き出し、足跡を追って病棟の奥へ踏み込んでいく。
「高瀬君……」
 僕の背後で山野が小さく呟く。
「貴方はいつまで冬架さんとそんな関係を続けるつもり?」
「僕が冬のマスターであり、僕が僕である限りは永久に」
「本当にそんな曖昧な関係がいつまでも続くと思ってるの?分かってるでしょ、冬架さんが貴方に何を求めているか」
 少しだけ、山野の声が震えている。
 だが、それは僕には関係ないし、どう答えればいいか僕には分からない。
「山野が僕と冬をどういう関係だと思ってるかは理解しかねるけど、冬は山野の思ってるような存在じゃない」
「知ったことじゃないわ、そんなこと」
 まるで呆れたように山野が溜息をついた。
「私にとって冬架さんは冬架さん。冬架さんの為に私は在るのよ。子供の頃……助けられてからずっと、この気持ちは変わってない。冬架さんが何であろうと私は最後までこの想いに従うわ……でも冬架さんが本当に必要としてるのは……」
「僕はその気持ちには答えられない」
 カッと目を見開いた山野が拳を振り上げる。
 殴りたければ殴ればいい。
 僕の存在意義は冬架を守ることだ。
 守る為に戦うことぐらいしか僕にはできない。
 幸せにすることも、喜ばせることも。
「僕には、冬架の為に何かすることは……守るぐらいしかできないから」
 ゆっくりと山野が手を下ろした。
「貴方でも……そういう表情する時があるのね」
「表情?」
「時々、そういう表情されるから怒れないのよ」
 僕には山野の言葉の意味が分からなかった。
 表情、それは日常生活に溶け込む為に身につけたパターンでしかない。
 それがどうしたと言うのだろうか。
 僕が少し戸惑うと、山野はまた溜息をつく。
「貴方、前に比べると少し変わったわね」
「……かもしれない」
 こんなことで戸惑うことなんて今までないし、自分と冬架の関係についてそこまで考えることもなかった。
「さっさと行くわよ……しっかり着いてきなさい」
 山野が再び歩き始めると、僕もその後ろを歩き出す。
 自分の中で沸き起こるこの気持ちが何なのか、僕には分からなかった。
 僕達はしばらく歩き続け、ボコボコになって変色した扉の前で僕達は立ち止まる。
「ここね……」
「そうだね」
 僕は躊躇いなくドアノブに手をかける。
「ちょっ!!そういうのは少しは躊躇して開けるのが……!!」
「そう?トラップはないと判断したから」
「と、とらっぷ?」
 ドアの前で長くいれば気配を読まれることもある。
 相手に思考させる暇は与えてはいけない。
 その際、気をつけるのはドアの向こうでの待ち伏せだ。
 山野がスタンガンを構えると、僕は感覚意識を集中してドアを開ける。
 金属を引っかくような音の後、ドアが開いた。
 僕たちは警戒しながら、ゆっくりと中に踏み込んだ。
 その瞬間、山野は小さく悲鳴をあげる。


……そこにいた。


 僕が手から布を具現化すると、山野もすぐにスタンガンロッドを構える。
 薄暗い部屋の中に、軋む音だけが響く。
 眼前にいる者は敵だと認識するには戸惑うほど、弱々しい。
 ブレザーに身を包んだ幼い少女だった。
「……来ないで」
 部屋の隅に蹲っていた少女は小さく呟く。
 極めて冷静な反応。
 普通の人間なら山野のような反応をしてもおかしくない。
 だが、この少女は驚くこともなく、まるで誰かが来るのを分かっていた節すらある。
「……なんなの、それは?」
 山野が少女の脇を指さす。
 寄り添うように少女の隣にいる者は、巨人や巨躯。そういう言葉が相応しかった。
 筋肉質な腕と膨れ上がった上半身。
 その大きさは僕の二倍はあるだろうか。
 下半身は地面を擦るほど長い着物で覆われていた。
 フロアリングを擦ったのはこの着物の裾だろう。
 人間に見えないことはないが、街にでれば人目についてしまうだろう。
 ガラス球のような瞳と、体の至る所からはみ出した螺子や歯車の露出は異様過ぎた。
「なんなの、それは?人間なの?」
「……」
 山野の言葉に何も答えず、ただこちらを見つめる。
「てむじん、ダメ」
 少女は包帯の巻かれた腕で、てむじんと呼ばれた巨人を制した。
「貴方は何なの?」
「……」
 少女はやはり、その問いに答えない。
 まるでこちらの出方を窺うような、見定めているようだった。
「てむじん、てむじんというのそれは?」
「早く帰って。巻き込まれる前に」
 初めてまともに少女は言葉を返した。
「巻き込まれ……る?」
 山野が言いかけた瞬間、僕は山野を突き飛ばしていた。
 その瞬間、赤い飛沫が音をたて舞い上がる。
「高瀬君!!」
「てむじん!!!!」
 噴出する血の中に、白い骨と肉片が沈んでいく。
 もげた僕の腕が左腕が空中で弧を描いた。
 僕の腕をもいだのはてむじんの巨大な手だ。
 腕が、千切れた。
 思わず歯を噛み締めるほど、痛い。
 だが、問題は、ない。致命でなければ、痛みは耐えることができる。
「高瀬君!!」
「ああ、機械か」
 ロケットのように腕を飛ばしてくるギミックがあるとは僕も思わなかった。
 切り離された手と、二の腕をつなぐチェーンが、金属音を唸らせながら空中で波うつ。
 落ちる僕の手をてむじんのアームがキャッチした。
 腕がもがれる、それはほんの数秒間の出来事だが、敵、だと認識を改めるには十分であり、反撃するにも十分だった。
 距離推定五メートル。打撃による接近戦に持ち込むにはリスクが高い。
「遊布」
 僕はそう呟いた。
 その瞬間、てむじんがつかんだ僕の腕が膨れ上がり、広がっていく。
 正確には腕ではない。学生服に偽装していた布だ。それが広がりてむじんを飲み込んでいく。
「高瀬君のルーン……」
「そうだね」
 僕のルーンは布の具現化であり、最大で三枚まで、布の材質、性質、色、形を自由に変えることができる。布に文字を書き込むことや、布の性質を金属にすることも可能だ。
 直接的な力はほとんどないが、偽装や拘束、トラップには適している。
 てむじんも仕込んであった布には気づかなかっただろう。
 あっという間に、広がった白い布はてむじんの巨体を包んでいく。
 その巨躯を白い布が覆いつくすと、当然てむじんは布の中で暴れた。
 冬が好きなネズミとネコの追いかけっこするアニメでこんな場面があった気がする。
「あの布は何なの、高瀬君」
「ケプラー繊維。ケプラー繊維に変えた布を千切るのはたやすくはないと思う」
「てむじん!!お願いやめて!!」
 少女が叫ぶと同時に、てむじんは『ま”』と吠えて暴れるのをやめた。
 僕は転がって来た左手を拾い上げ、千切れた左手と傷口を布で覆う。
 撒きついた布が完全に傷口を隠すと同時に止血してくれる。だが、再生にはまだ時間がかかるだろう。
「高瀬君、大丈夫なの!?私のせいで……!!」
 腰を抜かしていた山野が震える声をあげた。
「落ち着いて」
「落ち着いてるわよ!!」
「特に問題はないよ。スレイヴの再生能力は、マスターの再生能力と同等だから」
 だから、こうしてくっつけておけば、だいたい半日でつながる。『なんで自分を大事にしないの!?』と、冬に怒られることには抵抗感があるが。
「また、貴方はそういうことを……」
 山野が頭を抱える中、少女はただ僕を見つめていたが、身体を震わせると目を逸らす。
 感がいい。僕が何をしようとしてるのか分かったのだろう。
「山野、とりあえず、状況が状況だし……この子を殺していいかな?」
 率直に、最も効果的な意見を僕は述べる。
 これで殺人事件が収まれば問題はないだろう。
「ななななななっ!!ちょっと待って!!高瀬君!!い、今、考えるから!!」
「危険因子は排除したいんだ」
 必死で状況に追いつこうとする山野を見つめ、少女はただ震えていた。
 僕はその少女に問う。
「君が市内で起きた殺人事件の犯人?」
 むき出しの刃で問うような質問だと自分でも感じた。
 だが、それ以外のことは質問するつもりはない。
「ちょ、高瀬君!!」
 余りにも直接的な問いに、少女は首を横に振る。
「私はそんなことしてない……!!」
「じゃあ、そこのてむじんがやったのかな?」
「てむじんは私を守ってくれただけ!!悪くないの!!」
 強く少女は言い切ると、てむじんの身体にもたれかかった。
 守ったと言った、だが、これはただの殺戮兵器であり、この場で破壊する必要がある。
 それに、この巨人には奇妙な苛立ちに似た感覚を感じさせられた。
「てむじんは悪くないの……」
「そう……そうね」
 ゆっくりと山野は少女に近づく。
 そして、今にも泣き出しそうになった少女の頭をなでる。
 山野がどんな感情を抱いているのか分からない。
 ただ、山野は弱者に対して極端に甘い。それは致命的だと僕は思う。
「貴方の名前は?」
「……」
 少女はひどく戸惑って答えない。
 それを見て、山野はフッと笑う。
「私は山野夕陽。そこの彼が……」
「僕は鈴木正志」
「シレッとデタラメ名乗ってんじゃないわよ」
 正直に名乗るのは得策ではないと思ったのだが。
「これが高瀬卓士君。貴方は?」
 少女はジッと山野の顔を見つめた。
 その姿はどことなく怯える小兎を連想させた。
「大丈夫、私は貴方を傷つけないわ」
「……信じていいの?」
「それを決めるのは貴方だけど、少なくとも高瀬君よりは信用できると思うわ」
 コクリと少女は頷くと、
「……藤蘭」
 消えそうなほど小いさな声で呟く。
「……北崎藤蘭」
「綺麗な名前ね。一緒に来て話を聞かせてくれる?」
 少女はゆっくりとクビを横に振った。
「貴方達は巻き込めないから、てむじん」
 その瞬間だった。
 何とも言えない低い音が響いた。
 布を突き破った、てむじんの両手が自身を包み込んでいた布をつかむ。
 よりいっそう、耳障りな音が響いた。
 布を裂くというより、糸を千切るような音だ。
 次の瞬間には、てむじんの腕がケプラーでできた布を無理矢理に引きちぎっていた。
「てむじん、逃げるよ」
 高く響くアイロンのスチームのような音。
 僕と山野が身構えた。
 その瞬間、てむじんの体から白い煙が噴出す。
 室内に白煙が充満していくのが分かった。
 とっさに僕は具現化した布で、山野と僕の口元を覆う。
 室内に充満ししていく煙の中、てむじんの巨体がゆらめくのが見えた。
「高瀬君!!」
 咳き込みながら山野が叫ぶ。
「しまったね」
 煙が張れる頃には、てむじんと少女の姿はなかった。
「逃げられたの?」
「ああ、それもあるけど、尾行に全く気づかなかった」
「尾行?」
 山野が聞き返した時、軋んだ音を奏でてドアが開いた。


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