第三回



薄暗い、少し乾いた空気のする部屋の中、白煙のゆらめきがたちこめる。
 どこからか、ゴホゴホと咳き込む女性の声が不満を言う。
「兄さん、煙草臭くてかなわんわぁ」
「おお、悪いわ」
「もう、可愛ええ妹が煙草嫌いって知ってる癖に」
 その声を聞いて、男は先ほどまで寝転んでいたソファから起き上がった。
 流れっぱなしだったテレビのリモコンを面倒そうに押す。
 ブツッと言う音の後、ブラウン管から色が消えた。
「藍空市連続殺人事件ねぇ、物騒な世の中やなぁ」
「兄さん、うちらが言うたら笑われるよ?」
「ははは、お化けがお化けに驚くみたいなもんやね」
 右手の煙草を手にしたまま、面倒そうに長い金色の髪をかきあげる。
 鋭利さよりも甘さの目立つ顔つきや、その切れ長の蒼い目や色の白さから、女性が好みそうな繊細さが感じられる。ジャケットを着た姿から、外人特有のスラッとしたしなやかさが見て取れた。
 長い手が窓を開けた途端、春風が入り込んでくる。その風が男の髪をゆらす、それだけで女性の目
を引くだろう。
「なんや、もう春来てんねんなぁ」
 と、男は高い声で呟く。
 ひどくなまりの強い口調で、関西方面の言葉とは異なった。
 イントネーションも似てはいるのだが独特であり、それは聞く者が聞いたら似非関西弁と腹を立て
そうなほどだった。
 それは、この男がこの歳になるまで一つの地に留まるということをしたことがないせいだった。幼
くして就いた仕事のせいでもあるし、留まらないのはこの男が元からもったサガだった。世界中を点々とした為に、いつのまにか言葉という存在は酷く曖昧になってしまったのだろう。
「そうですよ。もう春ですよ、兄さん」
 またどこからか、妹らしき女性の声がした。
「せやなぁ」
 故郷を持たぬ者は春を愛せる。
 代わり映えしない春の些細な変化さえ、新鮮な物として感じることができるからだ。
「今年はええ春になりそうやねぇ」
 男がそう答えた時、テーブルの上に置いてあった携帯からクラッシックミュージックが流れる。
 曲はエソント作曲の行進曲『赤の進軍』だ。男はこの曲が昔から好きだった。
 クラッシックそのものは陰気な感じがして苦手だが、この曲の内に秘めた荘厳さには強く惹かれて
しまう。
 まるで、全てを塗りつぶし、それでも止まらぬような――そんな雄々しさをもっている。
 そういう物に強く引かれる。それはこの男の性格とは相反することだった。
「はいはい。毎度ありがとうございます。こちら緒川でございま……ああ、どうもどうも」
「兄さん、お客さんなん?」
「静かにしとき。例のお客さんや」
「ああ、あのお客さんな」
 男はニッと微笑む。
「ええ。調べの方は。はいはい。一週間も頂きましたからね。いや調べてみたら面白いことが分かりましたよ。英語で言えば、
ベリー簡単。餅は餅屋に、裏側のことは裏の調べ屋にって感じですわ」
 男はデスクの上の用紙を手にする。
 クリップで束ねられた用紙の一番上には、高校生ぐらいの少年の写真が貼られていた。
 男の似非関西弁がその調書を読み出す。
「高瀬卓士、湯澤高校二年生、湯澤で生まれ、父、母は自営業……ってことになってますね。この
子の表向きの経歴はほとんど嘘ですね、はい。家族なし、出身地不明、少なくとも日本人じゃないですわ」
 綺麗な顔立ちの少年だと思うが、男はその目が気になった。
 嫌な目をしている。その死んだ魚のような黒く淀んだ瞳は、なんの感情も宿してない。
 それだけでどんな経歴を送ってきたか容易に想像ができる。
 この少年は犬だ。多分、どこかの組織に所属してはずだ。こういう目は、与えられた命令だけを実行す
る狂犬特有の目だ。そこで、人形のように何の感情も持たず生きてきたのだろう。
 時々、裏側にはこういう存在がいるが、大概は側溝の反吐にも劣るクズだ。
「で、そのマスターの鈴原冬架、湯澤高校二年生。出身はイギリスで表向きには、日本人とイギリ
ス人のハーフになってますね。ハーフにはハーフですが、混ざりもんみたいですよ。魔術師教会にも一時期席を置いてますね。いやぁ、でも、この子の経歴は面白いですよ……あ、興味ないですか
 それはそうだ。仕事は情報収集じゃない。その次のステージこそ本来の仕事だ。
「ええと、残りは……まぁ、ごくごく普通の人間みたいですから気にしなくても問題ないですね」
 黒髪の少女――高瀬卓士と鈴原冬架に比べるとごくごく普通の人間だ。
 なんでこの二人と行動を共にしているのか男には分からない。
 ただこちら側の世界に片足を突っ込んでいることは確かだ。
「ええ、そろそろ次のステージに進みたいと思います。はい。依頼の方はしっかりと。しかし、大
変ですね。御兄弟が去勢されて、収容施設に……」
「兄さん、そんなん言うたら失礼やん」
 にやにやと笑う男に、妹は小声で囁く。
「ええ、しっかりと報復の方はさせて頂きますよ」
「案外簡単に終ると思いますよ。まぁ、なんちゅーか、相手は所詮まだまだ素人の子供ですわ。甘
いっちゅか、英語で言えばシュガーというかスィートって感じですね。ええ、では」
 男は溜息と共に携帯を切る。
「なんや、心まで豚になったら、お終いやねぇ」
「もう。だったら依頼なんか受けへん方が良かったやん」
 男はどこからか聞こえてくる妹の言葉に笑う。
 仕事は仕事。依頼人がどんなクズであろうと仕事をこなすのがプロのプレイヤーだ。
「しっかし、気になるのが……」
 机に投げ置かれた調書が、パサリと音を立てた。
「このオチビさんの個人情報、変だと思わへん?」
「ん、そう?」
「なんか、こっち側の世界の住人の癖に表での情報しかないやん?」
「ふ〜ん……良く見ればそうやね――何やの、この子の経歴!?」
「な、えらい面白いやろ」
 男が鈴原冬架の経歴を面白いと言ったのには理由がある。
「今、十六で六歳の時に大学入学!?」
 鈴原冬架は六歳にしてアーカム州ミスカトニック大学に入学。
 「なんなんこの娘。ミスカトニック大学ってあのミスカトニックやろ?ウチでも名前聞いたことあ
るよ。天才様しか入れへん大学やん」
「そ。しかもこの子は本物やで。モノホンの天才。八歳でARPA機関に入っとるわ」
「なんやの、それ?」
「ミスカトニック大学は知っとっても、さすがにこれは知らへんか。アメリカさんの研究機関やね
。これもごっつ黒い研究機関なんやけど」
 ARPA機関とはAdvanced Research Projects Agencyの略であり、アメリカにおいて重要な研究
機関の一つだった。だがアメリカ宇宙航空局(NASA)が設立され、ARPA機関は財源の半分も取られ、所期の目的も削られ、歴史の闇の中に埋没していくことになる。その為、ほんとんどの人間はそんな機関の存在は知らない。後に、ARPA機関は200ヶ国、ほぼ一億台のコンピュータを含むインターネットの起源をそっと世界に提供し、その後ARPAUを設立した。
ARPAUはその数年後――暴走を開始し人類最悪の研究機関として名を残すことになる。
「でもな、兄さん、この娘のどこが妙なん?経歴が華々しいだけやん」
「ンー。わざと表で目だってますみたいなのが気になんねん。うちら裏側の世界で生きる連中は表
なんかに出んやろ?しかもこの子、裏側での活動期録が一切不明ときとるわ」
「んー。兄さんの考えすぎちゃうかな」
 男はゆっくりと立ち上がり、ドアに向かう。
 故郷を持たない者は帰る場所がない。
 帰る場所がない者は闇の中で生きる。
 闇の中で生きる者は子供だろうと命を奪える。
「問題ないんちゃう?うちら緒川兄弟は負けへんよ、兄さん」
「そやな。うちら『二人式』は絶対に負けへん」
 男はそっと右手を開く――そこに現れた顔は微笑んだ。
「そう、うちらは絶対に」
 ゆっくりとドアの向こうに男の姿は消えていった。


 

4.


 雑居ビルの三階、そこが探偵社の事務所であり鈴原冬架の居候先であり、局長と一緒に暮らしている。五月頭、冬のアパートが燃えた。どうやらアパートが連続放火事件の標的に選ばれたらしい。
 幸い死者もなく一階を焼いただけで納まったが、引越しを余儀なくされた。
 学校の規則などもあり、局長がしばらく預かることになり、一緒に暮らしている。
 放火された時、山野が泊まりに来ていたと聞いてすんなりと納得できた。
 どうせ、ハーメルンの笛吹きのようにまた異常者を呼び寄せたのだろう。
 その山野は、先ほどから、少しだけ足を引きずりながら歩いている。
 革靴に隠れているが、右の基節骨の動きが僅かにおかしい。
 もしかしたら、ビルの二階から飛び降りた時の痛みが残っているからかもしれない。
「痛むの、足」
「別にたいしたことないわ」
「なら問題はないね」
「そうよ、余計な心配しないことね。貴方は冬架さんのことを考え――それも腹立つわね」
 商店街を過ぎて雑居ビル前に着いた時、山野は自然と顔がほころんでいた。
 ここに来る時は嬉しい反面、緊張するというのが山野の話だった。
「高瀬君、放課後は事件現場を見て回りたいんだけど付き合いなさい」
 普通は付き合わないと尋ねる物だろうが、それは命令形であり、断る余地をボクに与えない。
「了解」
 裏手口の階段を上りながら僕が答えた。既に断ろうとするだけ無駄だと学習しているが、ここで僕
が答えるのをまずいのかもしれない。
 こないだ受身の姿勢は良くないと冬に言われたばかりだった。
「……高瀬君、足音立てずに歩くのね」
 山野がふと呟いた。
「ああ、そういう風に訓練されてたから」
「冬架さんと会う前……育てられた組織にいた頃?」
「そうだよ」
 僕が育ったのは組織だった。そこで教えられたことは戦闘技術や自分をいかに一般社会に溶け込ま
せるかだった。気配や足音を消すのは基本中の基本、初期訓練で習う。
「そう……」
 僕達は冬の部屋のドアの前に立つ。
「高瀬君、勘違いしないでね」
「?」
「今の貴方は組織の殺人機械じゃないのよ?」
「分かってるよ。僕にも最低限の感情はあるから」
 そう答え、僕はドアのチャイムを鳴らす。
 それが自身に対する無力感だと言えなかった。
「おはよう、冬。朝ごはん作りに来たよ」
 部屋の中から冬の返事が返ってくる。
「うにゃ。どうぞ」
「入るよ」
「失礼致します」
 玄関の鍵が開いてる。
 山野と僕はドアを開け、玄関から事務所に入っていく。
 中のドアは二重になっている。
 一つは待合室、もう一つは本来の意味でのドアだ。
 二つ目のドアの後は、ソファやテーブルがゆったりと配置され、バーや喫茶店のようにカウンター
まである。それらは元々喫茶店だった物を局長がそのまま買い取ったものだ。
 無論、カウンターの奥には厨房もある。
 珈琲をこよなく愛する局長なら大喜びで買い取るのも頷けた。
 二つ目のドアを開けた瞬間、勢いよく何かが僕に飛びついて来る。
「グッモニ〜ン!たっちゃん〜!」
 僕はその勢いで、倒れそうになりつつも冬を抱きとめた。
 これは僕にとって日常的な行為であり、対応には慣れている。
「たっちゃん〜」
 冬は心地よさそうに僕の胸に甘えた。
「ん〜、たっちゃん〜。大好き〜」
 子猫がじゃれつくような甘い声で冬がささやく。
 至福――そういう言葉が似合う表情だった。人の表情の意味が分かるというのは少し嬉しい。
「うん。分かったから、とりあえず離れよう」
 これ以上くっついていると後ろで歯軋りしてる山野に何かされそうだった。
「え〜。もっと甘々したかったのに」
 しぶしぶ冬が僕から離れる。
「冬架さん、おはようございます」
 満面の笑みで山野が微笑む。
 その表情からは爽やかささえ漂っている。
 これが俗に言う猫かぶりという物だろう。山野を観察してる実に勉強になる。
「うに。二人ともおはようです!」
 冬が微笑むと山野がモジモジとした。
僕の家にいた時と全く態度が違うのだが、それを指摘すると後でどうなるか僕は分かっている。
「冬架さん、これ……よろしければ」
 山野が恐る恐る冬に辞書を差し出した。
 冬はキョトンとしていたが、
「辞書?良く分からないけど、ありがとう夕日ちゃん」
 ニッコリと微笑み辞書を受け取る。
 その瞬間、山野の頬が薔薇色に染まった。
今、この瞬間、脳内ではアドレナリンが大量分泌されて
いるのかもしれない。
「あああああああ、あ、朝ごはん作らせて頂きます!!」
 そう言うと山野は飛び込むように厨房へ入っていく。
 僕としては、山野がそのまま厨房から戻って来なくてもいいと思った。
「夕日ちゃん、どうしたの?」
「さぁ、おかしいのはいつもだけどね」
「あ、またそういうこと言う〜」
「じゃあ熱でもあるんじゃないかな。それより局長はどうしたの?」
「うん。調べごとがあるからって朝から出かけちゃった」
「そっか」
 冬が部屋の片隅に置かれたワ−クステションの前に座った。
「たっちゃん、そう言えば、今日は休校らしいよ」
「休校?」
「ん。さっき連絡網で回ってきたよ。たっちゃんって携帯しか持ってないもんね」
 休校になったのは、僕のクラスメイトが死んだからだろう。
 ――問題はない。それはむしろ都合がいい。適当に調査して山野を納得させて終りだ。そうすれば
冬を危険な目に合わせなくて済む。仕事や任務でなければ、冬が危険に飛び込む必要なんてない。
「冬、今回の事件の情報は?」
「うに。だいたい集まってるよ」
 そう言うと冬はワークステーションのキーボードをカタカタと叩く。
「被害者の個人情報と殺害現場はバッチリだよ」
「……またハッキングしたんだね」
 僕がそう言うと上目遣いに僕を見つめる。
「うにゃ。それもあるけど、セキュリティの基本がパスワードってのは知ってるよね?」
「聞いたことはあるよ。特権アカウントのパスワード管理は気をつけないといけないんだよね」
 と、冬から前に習った知識をそのまま口にしたが、実際、僕は冬ほど機械に対し知識が深いわけで
もない。
「うん、実はそれってインテグレーターやメーカーによってほとんど決まってるんだよ〜。だから
セキュリティなんてあってなきがごとしなんだよね。ファイヤーウォールだってすぐ穴だらけにできるし……って、ごめんなさいです、たっちゃん」
 勢い良く喋っていたが、冬はふいにモジモジと謝る。
「いや、いいよ」
 データを盗ったことではなく、僕に対して罪悪感を感じるのが冬らしい。
 冬なら足がつくことはないだろうと思う。
 四歳の頃にC言語でプログラミング書いたのが始まりであり、そこから電脳戦において冬は未だ嘗
て敗北したことがない。
「そもそも、私が作ったセキュリティだもん」
「七歳の時だっけ?」
「うん♪」
 そう言えば、現在、日本国内の重要機関で採用されているセキリユティシステムを作ったのは、七
歳の時の冬だった。
 未だに僕は分からない。
 冬がなんで僕なんかを選んだのか。
 僕に冬の側にいる資格があるのか――。
 冬の周囲なら僕なんかと違う天才たちがたくさんいたはずだ。
 冬と同じ世界が見える天才が――。
 けれど、僕は違う。凡人でもなければ、ただの出来損ないだ。
 今まで人を殺すことしかできなかった。
 冬と違い、何かを生み出すことなんて出来なかった。
「えへ。でも、たっちゃんが心配してくれてうれしいにゃ〜」
 ――時々、冬が本当に天才なのかも疑問に思う。
 冬のいじったワークステーションの液晶画面に、被害者のリストと顔写真が表示された。
 ・喜七優子(きしちゆうこ)……高校生・女子、市内の廃屋にて遺体発見。
 ・安威高尾(あいたかお)……小学生・男子、路上にて遺体発見。
 ・笠田有事(かさたゆうじ)……警察官・男性、交番内にて遺体発見。
 ・楠津銀河(くすつぎんが)……喫茶店員・男性、喫茶店内で遺体発見。
 ・虎外昴(こそとすばる)……高校生・男子、公園にて遺体発見。
 ・上尾庄吉楼(うえおしょうきちろう)……無職・男性。路上にて遺体発見。
 ・家瀬手ヒロミ(けせてひろみ)……高校生・女子、山道に放置されていた状態で遺体発見。
 ・奈丹濡麗美(なにぬれみ)……高校生・女子、山間公園のゴミ箱にて遺体発見
 こうして並べてみるとまるで卒業アルバムのようだ。
「冬、殺害された順番で並べてくれる?」
「ん。了解です」
 冬が小さな手でカタカタとキーボードを叩く。
 ・上尾庄吉楼(うえおしょうきちろう)……無職・男性。路上にて遺体発見。
 ・笠田有事(かさたゆうじ)……警察官・男性、交番内にて遺体発見。
 ・奈丹濡麗美(なにぬれみ)……高校生・女子、山間公園のゴミ箱にて遺体発見。
 ・家瀬手ヒロミ(けせてひろみ)……高校生・女子、山道に放置されていた状態で遺体発見。
 ・喜七優子(きしちゆうこ)……高校生・女子、市内の廃屋にて遺体発見。
 ・安威高尾(あいたかお)……小学生・男子、路上にて遺体発見。
 ・楠津銀河(くすつぎんが)……喫茶店員・男性、喫茶店内で遺体発見。
 ・虎外昴(こそとすばる)……高校生・男子、公園にて遺体発見。
 被害者には市内在住以外、共通点はない。
 画面が切り替わり死体が表示される。
「喜七さんの死体だけど、胸骨体を背後から刃物で貫かれてるね、たっちゃん」
「そうだね、背後からやられたのは彼女だけみたいだね」
「その後、首の中斜角筋をスパンか」
 冬が首の切り傷の断面をアップにする。
 死体を眺めながら唸った後、画面を切り替えた。
「虎外君ってたっちゃんのクラスだよね?」
「うん。そうらしいね」
 そうぐらいしか僕は思わない。
 普通の人間なら、もっと違う反応を示すはずだ。
 だが、僕は虎外昴というクラスメイトに対し、何の感情を向けることもできない。
 この機械的な部分は、殺人機械だった時から全く変わっていない。
 僕のどうしょうもなく壊れた部分だ。
「逃げ回ったのかな。運動したせいで筋肉硬直が早いね。その後、胸骨柄を一突きにされたのかな
。でも、そうなると固定する必要があるよね」
 確かに冬の言うとおりだった。
 普通に考えれば動けないように固定したのだろう。
 ただ、犯人が普通の人間でないのなら、なんらかの方法で動きを止めた可能性もある。
「そうだね、逃げ回って暴れる人間の胸を一突きにするならね」
 僕はふとあることに気づく。
「この高校生女子の死体三つとも頭部が見つかってないね、たっちゃん」
「これはテレビでは発表されてる」
「ううん、まだだよ」
「皆、中斜角筋から切られてるね。しかも殺害した後だ」
 冬が僕の言葉に頷いた。
「うん。殺害方法は同じで切り傷からの出血死だね。あ、でも、これって……」
 呟いた後、冬は黙って考え込んだ。
 僕は頭のない高校生女子の死体を見つめる。
 殺害現場と判断される場所も時間帯もバラバラ。
 共通項を考えるならこの女子高生の首がない死体だけだ。
「年齢も職業も一致しないね……女性で殺されたのは高校生だけか」
「ん。それが手がかかりかもだよ、たっちゃん。この世界の中で法則性がないことなんて絶対ない
んだから」
「法則……」
「ん。異常殺人者が人を殺すのは本能という法則の縛り。事故が起こるのは確率という法則の縛り
どんな無規則、渺茫、無軌道に見えても必ず縛りや法則は存在するんだよ」
 法則と言われ、僕が安易に思いついたのは呪術的なことだった。
「冬、呪術面ではどうかな」
「ん。それも考えたんだけど……例えば、体の一部を持ち去るとか、生贄とかだけどね」
「ブードゥーとか?」
「うん。一応それも調べてあるんだけど、古今東西、どの術にも当てはまらないんだよ。そういう
のも生贄、時間、とか何処かしら法則があるはずなんだけど。最悪、未知の魔術、全く新しい術を作ろうとしてるのかも」
 面倒な事件になりそうな予感がした。
 そもそも山野が興味を示す事件がまともな事件のはずがない。
「それと、実はね、たっちゃん」
 冬がキーボードをタッチすると画面が切り替わり、血痕の映像になる。
 白い線の引かれたアスファルトに残った僅かな血の跡。
「遺体発見現場から被害者とは別の血痕が発見されてるんだよ」
「別の血痕?」
「ん。これが犯人の物か、第三者の物かは分からないけど……サンプルが手に入れば私が調べれる
んだけど」
「最悪複数犯か」
「ん。だね」
 複数の能力者やダムドの場合、僕の手に負える事態ではない。
 僕の力は局長や終に比べれば微々たるものだ。
「たっちゃん、十年ぐらい前に愛知で起きた連続殺人事件は知ってる?警察庁指定1302号事件だよ

「警察庁指定事件か」
 警察庁指定事件とは簡単に言えば、県や担当区域の垣根を越えて協力する凶悪事件を指す。
 各都道府県警のもつ情報を相互に交換、統合し、連絡や協力を密にするものであり、これらの協力
は要請が無くても無条件に自動的になされる。
 1302号事件は、日本に来たばかりの頃にテレビで見たことがある。
「愛知特殊科学大学教授だった男が、刃物で市内の住人を無差別に殺害した事件だね」
「うん。その後、他県で長期間に渡って繰り返してたんだよね」
 警察庁指定1302号事件は、四年ほど前、亜既実勇が男女無差別に殺し、十人以上殺害した事件だ。
 その殺人に軌道や方向性という物が全くなく、捜査は難航したが、唯一、女性だけは贄を連想させ
るような華奢で小柄な女の子ばかりを殺害していた。
 その事件が、世間に最も注目されたのは殺害した少女の頭部を食べたことだ。
 警察庁指定1302号事件当時、亜既実勇は今回と同じように頭部だけを持ち去った。
 他県で逮捕される直前、亜既実勇は最後の被害者である少女の頭部を食べた後だったらしい。
「うに。よくよく調べてみたら似てるんだよね」
「同じ?」
「死体遺棄の仕方とか。特に高生女子の殺害方法なんて全く同じだよね、首の切断箇所とか。死体
遺棄の場所も」
 公園のゴミ箱にて遺体発見。
 市内の学校内にて遺体発見。
 市外の廃屋にて遺体発見。
「でも、他県では起こってないよ」
 殺害方法、死体遺棄、そこに共通点を見出しても到底関連性があるとは思えない。
「その事件と似ている所があっても、今回の事件とは何の関連性もないよ」
「ん。だよね。考えすぎだね」
 冬が再び画面を見つめる。
「普通の人間ってこういうの見てどう思うんだろうね」
「うにゃ?」
 ふと思った疑問を口にしてみた。
 僕たちは死体を見ても、それが近い知人でなければ何とも思わない。
 冷静にその死体を観察する。だが、一般の高校生がそういうことをするのは異常なのではないだろ
うか。どこか普通の定義から外れて壊れている気がする。
「う〜ん。まず普通は死体なんて見ないよ、たっちゃん」
「ああ、そうだね」
 冬が画面から僕に視線を移す。冬の蒼い大きな瞳が僕を見つめる。
「私は普通ってことにこだわらなくていいと思うよ。普通の基準なんてけっこう適当だもん。考え
ても見れば普通という概念が幾つも存在するだよね。概念によっては、私達みたいな種族が存在する世界も普通で、異常者が生活してる世界も普通だよ」
「確かにそうだね、見方によれば僕たちの世界も普通だね」
「特別なことなんて何もないんだよ」
 あはっと冬が微笑む。それは、まるで小さな子供が笑ったような屈託のない笑顔だった。
「だからたっちゃんはたっちゃんでいい。世界から見れば普通、でも私にとっては特別だもん」
「特別――」
 こういう時はどういう表情をすればいいのだろう。
 表情に困った僕に気づいたのか、冬が苦笑いを浮かべた。
 こういう時、冬が子供なのか、大人なのか分からなくなる。
 表情の一つも作れない僕は情けない。
「ごめんね、たっちゃん」
「謝らなくてもいいよ」
 特別。きっと、それは僕にとっても同じことだと思う。
 幼馴染であり――守るべき対象、マスター。
 こんな壊れた僕を受け入れてくれる存在。
 だから、時々、僕は迷う――。
 自分が自分を理解できないのに、受け入れてもらって良いのだろうか。
 僕は冬の奴隷であり、盾にしか過ぎないのに。
「冬架さん、今日はスクランブルエッグで――」
 山野がニコニコとした顔で、厨房から出てくる。
 そして、手にした皿をフロアリングに落とす。
 表情ははホッチキスで固めたような笑顔のまま、目線は死体の画像を見つめていた。
 多分、これが正常な人間らしい反応なんだろうと僕は思った。


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