『Dear my srave
/Overdrive』
〜或不廃児の惨殺人形・第二回〜
藍空市の連続婦女暴行事件から一週間が過ぎた。
バイトも大きな仕事はなく、迷子の子猫探しなどばかりだった。
僕は寝ぼけた頭のままシャワーを捻る。
砂礫の大地に水が染込むように、僕の皮膚が、細胞が、降り注ぐ湯の雫を吸収する。
結んでいた手の平をほどき見つめた。
うっすらと纏っていた何かがゆっくりと剥がれ落ちていく感覚がする。
流れ出す熱いシャワーの飛沫が、寝ぼけていた意識を呼び覚ましてくれた。
湯気で曇ったガラスを指で拭うと僕の姿が映る。
昨日の擦り傷も、夜の内に再生していた。こういう時はスレイヴであることが便利だと思う。
女の子みたいな顔立ち、身長の割りに華奢な体は、男性的な鋭さよりも女性的な柔らかさが目立つ。
鏡の中の『高瀬卓士』は頼りない。
「情けないね、君は……」
もう一人の自分への呟きはシャワーの音にかき消された。
シャワーを出て学生服制服のズボンを履くと頭にタオルをかぶる。
シャツは着ないでリビングに入ると、ひんやりとしたフロアリングが軋んだ音を立てた。
僕の部屋は調度品が少ない割には狭い。
壁も薄くあちこちにガタが来ているようだ。
元々破格のボロアパートなのだから、それも仕方ないことかもしれない。
それに、ボロアパートでも高校生の一人暮らしには十分だった。
開けっ放しのベランダから吹く息吹は少し冷たいものの、シャワーを浴びて火照った体にはちょうど良い。僕が制服に着替えようとした時、デスクに置いてあった携帯が鳴った。
曲はアップテンポのマイナーポップス。僕の幼馴染である冬が無理矢理入れた曲だ。
――局長だろうか。
液晶の着信履歴には鈴原冬架と名前が表示されていた。
僕は無意識にデスクの上の写真立てを見つめる。
写真の中の僕と冬。
子供の頃の写真だが、冬は今も昔もあまり変わっていない。
金色のツインテールも蒼い瞳も。小さくても華奢な体も。
「おはよう、冬……」
『おはー!!ラヴラヴラヴラヴ〜!!大好きだよ、たっちゃん!!』
電話から勢いよく飛び出す冬の声が僕の言葉をかき消す。
「おはよう、冬。朝からどうしたの?」
『うにゃ。朝は起きたら、まずたっちゃんの声聞かないと落ち着かないのですよ〜。朝一番たっちゃんだね♪』
「ああ、そうなんだ」
『うん!!電話越しってのを何だか味があっていいね。もどかしい距離が恋人同士っぽいよね』
「……恋人同士」
こうして、考えるようになったということは、僕も多少は人間的な思考を学んだ証拠だろうか。
以前ならただ言われたことを機械的に受け止めていただろう。
『たっちゃん?』
「いや、何でもないよ。学校行く前に冬の所で朝御飯作るよ」
『うん!!』
「そっちに行く前に買っとくものある?」
『なんか暇潰しの厚い本かなぁ』
「昨日の六法全書は?」
『読破済みなのです〜。ん〜。たっちゃんチョイスでいいよ。私、基本的にはたっちゃん全肯定だから』
「うん。分かった」
分厚い本――冬にはそこら辺の辞書か電話帳でも持っていってあげよう。
探偵のアルバイトでお金の入ったことだし、何か買ってあげるのもいいかもしれない。
男女間の交際はプレゼントが有効な効果をもたらすと聞いたことがある。僕たちの関係は男女の交際の類ではないが、そういうのもたまにはいいだろう。
『あ、それとテレビ見た?』
「いや」
『また例の事件の被害者がでたみたいだよ』
「例の事件……『藍空市刺殺事件』か。チェックしてみるよ」
『ん。ではでは。愛してるよ、たっちゃん。ラビュー』
「ラビュー」
そう言うと僕は電話を切る。
局長がいるかどうか聞きそびれてしまった。
早速、僕は冬に言われた通りテレビをつけた。
真っ黒なブラウン管に映像が映る最中――。
玄関のドアをノックする音とチャイムをめちゃくちゃに押す音が響く。
完全な不協和音。
朝からこんな非常識なことをする人間を三人ほど知っている。
一人はコミュニケーション能力を欠いた同級生の少女と、もう一人は馬券と株に生活費を費やす大学生、もう一人は僕にセーラー服やメイド服を着させる書店店員だ。
三人とも常識のカテゴリーで考えると、ダメ人間に分類される。
僕は注意深く、ゆっくりと玄関のドアを開けた。
すると、玄関に立っていた眼鏡の少女は残念そうにため息をつく。
その手は面倒そうに、長い黒髪をいじっていた。
「あら。起きてたのね」
予想通り、三人の中の一人だった。
コミュニケーション能力が著しく欠落した同級生の少女の方だ。
いつも通りの押しつぶすような高圧的な口調と眼鏡の奥の鋭い眼光――多分、狩人とかそういう言葉が似合うかもしれない。
一言でいい表すと――魔女だろうか。
「高瀬君が寝てるところを無理矢理叩き起こすつもりだったのに……」
僕は無言でドアを閉め鍵をかける。
「あら? ちょっと、高瀬君?」
こういう時の台詞は既に学習している。
「……セールスなら間に合ってますので」
「高瀬君。何故、ドアを閉めるのかしら。あら、鍵まで」
「……朝から目覚めの悪いもの見たから」
「高瀬君。いい度胸ね」
扉の向こうから爪で扉を掻く音、それと一緒にブツブツと呪詛じみた呟きが聞こえてくる。
こういう時は確か、塩をまけばいいと聞いたことがあったが。
「言ってくれるわね、まったく。別に私は貴方がご近所にいられなくなっても構わないのよ。なんなら今すぐここで貴方が私にしてきた数々の行為を熱弁しても……そして、冬架さんからも捨てられるがいいわ。そして冬架さんは私が……」
どうやら僕の学習内容には不備があるらしい。早急の見直しが必要だ。
「……どうぞ、山野」
僕は仕方なく玄関のドアを開ける。
すると山野夕日は勝ち誇ったように微笑んだ。
きっと、こういう表情を邪悪な表情と言うのだろう。
「お邪魔します」
「どうぞ」
山野夕日は臆すことなく、威風堂々と敵地に入ってくる。
品定めするように室内を見回すとリビングに座った。
そして、卓袱台に頬杖をついた後、ポンと手を叩く。
「さ、お茶を出しなさい」
「……」
僕は蛇口を捻ると水道水をコップに注ぎ、山野の前に置いた。
数秒間、山野はカルキ入りの水道水を凝視していたがフッとため息をつく。
「貴方に常識を求めるのが間違いよね」
「こういう時、終がいると助かるよ、精神的にも」
高瀬終は僕の義弟であり、友人でもある。同じ探偵事務所でバイトしているが、少し前から藍空市を離れている。
「同感ね。終君は今、静岡だったかしら?」
「調べごとがあるからもう少しかかるらしいよ」
山野はため息の後、視線をテレビに移す。
「あら、この事件……」
「ああ、この事件か」
お互いにテレビを見つめたまま呟く。
『藍空市連続刺殺事件』というテロップの表示……。
テレビでは最近市内で起きている連続殺人事件のことを報じている。
ブラウン管に映っているのは先日、僕と冬が出掛けた公園だった。
確か今月で八人目だったろうか。
市内の住民が刺殺され、発見された殺人事件だ。
被害者は学生からお年寄り、子供、学生、共通点が全くない。
白い白線の引かれた地面は――現場検証の等で、しばらくはこのまま放置されるのだろう。
僕は特に何も感じないが、普通の人間はこういうのを嫌がるのではないだろうか。
「鋭利な刃物で斬り殺す……通り魔」
山野の手が素早く動き取り出したノートに情報をメモしていく。
「これは……能力者かもしれないわね」
山野夕日はごくごく自然にその言葉を口にする。
それは日常とひどくかけ離れた異音だ、最近になりそう感じるようになった。
もし世界に線引きするとすれば、それはこちら側の世界の言葉だと思う。
思えば山野がこちら側に踏み込んだのは、数ヶ月前に巻き込まれた事件がきっかけだった。
血と肉片と魔術と異能の世界――それはすぐ日常の隣に存在する。
歓楽街の隅、街角の交差点、気づいた瞬間、それはいつもの日常を変えてしまう。
こちら側は僕や冬にとって当然の世界でも、山野にとっては日常とひどくかけ離れた非日常だったと思う。
「山野……。どうせ山野は今回の事件に首を突っ込むだろうけど、正義感だけで行動しない方がいいよ。山野は……」
ほっといても山野は事件に巻き込まれるだろう。
体質というのだろうか。それとも引き寄せる力と表現するのか。
山野夕日という存在はそういう才能を持っている。
「ただの人間って言うんでしょ?分かってるわ。でもね、許せないじゃない。この町で好き放題されるなんて……」
山野の目はそう言いながらもブラウン管を見つめていた。
「普通の人間なんて言うつもりはないよ」
正しいからこそ、危険な目に遭うと本当は言いたかった。
山野夕陽という存在は正義感と正しい感情で行動する。
いつだって死ぬのは正しい人間だ。残るのは僕のような人間の失敗作ばかりだ。
「高瀬君は今回の事件をどう思う?」
「特に感想はないよ。冬の害になるなら排除する、それだけだよ」
「……少しは人間らしい思考をするようになったと思ったら相変わらずね」
人間らしい思考――普通ならそこで正義感に燃えたりするものだろうか。
人の道に外れた行いは許せないと怒るべきだろうか。
だとすれば、人を殺すために製造された僕が人間らしい思考をするのは無理なのかもしれない。
「組織にいた頃に比べると、少しは変わったつもりだけどね」
あの頃の殺人人形だった頃よりは――ずっとましだと思う。
僕と冬――。
互いに出会うまで僕たちは何も持ってなかった。痛みも苦しみも喜びも意味も価値もない。
はじけそうな世界はセピア色に染まっていて、そして終わっていた。
心を消された生きていた僕。心を誤魔化した生きていた冬。あの日、僕たちは出会い……そして今が在る。誰かを殺すことではない――冬を守ること、それが今の僕の存在意義だ。
「ところで山野、なんで朝から僕のアパートに?」
「ええ、冬架さんの所に行くから着いて来なさい」
「僕も行くつもりだったから問題はないけど、先に行けば良かったのに」
山野がため息をしながら肩をすくめる。
「恥ずかしいじゃない。玄関のインターフォン押すの苦手なのよ」
「人の家に堂々と入っておいてよく言えるね」
「別に貴方なんかどうでもいいのよ。私が大事なのは冬架さんよ……」
陶酔してうっとりとした瞳。
それは狂信者の目というのだろうか。
「嗚呼、冬架さんの小さくて華奢な輪郭。天使のような蒼い瞳……」
「ダムドは天使より妖怪や悪魔の方が近いと思うけど」
吸血鬼、人狼それらは総称してダムド――もしくはDと呼ばれている。
だから、天使などではなく悪魔の方が正しいと思う。
「冬架さんのたゆたう金色の海原ツインテール……。白い雪の結晶を帯びた肌……。まるで大聖堂に描かれた天使……素敵、素敵すぎるわ」
「山野が思ってる以上に腹黒くて計算高いよ」
昔から冬を知ってる僕は山野の幻想を全否定することができる。
「冬架さん……。F・U・Y・U・K・A。行間に隠された天使の福音。その名前の一文字、一文字をつなげてあの方の名前を口にする時、私は至福を得るの……嗚呼、愛しきバンパイア」
「人間と吸血鬼のハーフなんだけどね」
山野がテーブルを叩いた。
「黙りなさい。相変わらず私に対してのみそういう態度なのね」
「どうしてだろうね。自分でも分からないよ」
茶々を入れていた僕を山野が睨んだ。
山野の冬への執着は僕も認めるところがある。
本人曰く、冬への敬愛と忠誠と言っているが――何が山野をそこまで追い詰めているのかは知らない。
「高瀬君……。いずれ、貴方を倒し、私が冬架さんのスレイヴになるわ」
「どうぞ」
鈴原冬架。
僕の幼馴染にして僕を支配する者、マスター。
最弱のヴァンプ。
そして、僕の守るべき幼馴染、存在理由。
別に誰が冬のスレイヴになろうと問題はない。
大事なのは――冬を守ることだ。
「冬の害にならなければ何でもいいよ」
そう言って、ふとテレビを見ると、
『現場に残されていた遺留品から、昨夜から行方が分からなくなっている市内の高校生の……』
テレビの中でアナウンサーが淡々と被害者の名前を読み上げる。
「あら、高瀬君、この人……」
「ああ、クラスメイトだよ」
「少しは驚きなさい」
「ああ、そうだね」
驚くべきことかもしれないが ――問題はない。
僕は立ち上がりデスクから鞄を取った。
「行くの?冬架さんなら詳しい情報を既に集めてるかもしれないわね」
僕は立ち上がった山野に辞書を手渡す。
「何かしら?」
「国語辞書」
「それは分かるわ」
山野は辞書を不思議そうに眺めた。
「冬が厚い本か何かが欲しいらしいから」
「あら。高瀬君の『資質』で作れないの?」
スッと、僕が山野に右手を見せる。
「いや、それは難しいよ」
そう言い終わった時には、僕の右手に具現化した辞書が出来上がっていた。
それは山野の手の中にあるものと全く同じ辞書だ。
「僕のデータだけの知識しか具現できないから、辞書としての機能は低いよ」
手の平で辞書は崩れ、一枚の布に姿を変える。
「不便ね」
「そういう『ルーン』だから」
その布すら僕の手の中から消えていく。
「ルーン……資質。なんで貴方にできて私にできないのかしら……」
「そうだね。覚醒の条件が下僕……スレイブになるか、死にかけるような極限の窮地に立つことなら山野がルーンを使えるようになってもおかしくないのにね」
今まで山野が事件に首を突っ込み、窮地に立つことはいくらでもあった。
だが、未だに山野の眠れる資質が目覚めることはない。
ある意味、事件に巻き込まれることが資質かもしれないが。
「単純に山野は資質がないだけかもしれないけどね」
「……高瀬君はルーンの語源は知ってるのかしら?」
少しだけ山野の語気が強まる。
「知ってるよ」
僕がそう言うと、山野がふいにうつむいて呟く。かすかにその声は震えていた。
ルーン。その意味は自然に生じる破壊、残骸、落ちぶれた人、敗残者だ。
スレイブとなった時、僕は人間であることを終えた。
もっとも、元々ただの人間の出来損ないだが……それでも人間というカテゴリーから外れた。
だが冬を護れるのなら、別に敗残者であろうと問題はない。
「ごめんなさい、少し言い過ぎたわ……焦ってるのよ、私」
「なんとなくだけど、そういうのも理解できるようになったよ」
「冬架さんの下僕になれるなら人間なんていつだってやめられるのに……なんで私は資質を使えないのかしら」
「冬が大事に思ってるのは僕だけじゃない……」
「高瀬君……」
「冬は山野のことも大事に思っていると思う」
非常に残念だが、それは事実だ。勿論、独占したとかそういう意味での残念さではない。
冬と山野の関係はまだ僕には理解できない部分が多いが、 冬にとって山野もなくてはならない大事な存在になっている。
山野はフゥーと溜息をついて、呆れたような顔をした。
「高瀬君……何当たり前のこと言ってるの? 思い上がらないで欲しいわ」
そういうと玄関に迎い歩き出す。
「今は貴方に一歩リードされてるだけ。いずれ貴方の地位まで私が上り詰めて見せるわ」
「ああ、そうだね」
こういうポジティブさ、図太さは僕も見習わなければならない気がする。
「ところで、この辞書で本当に冬架さんは喜ぶのかしら?」
それは僕にも分からなかった。
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