0.

 ――遠い昔の記憶。
 僕が躊躇いもなく人を殺していた頃の記憶。
 一片の感情も持たず、目に映る物は機械的な情報と映像でしかなかった頃の記憶。
 金色の髪の少女と居た記憶。
『いいか、よく聞け』
『はい』
『一度しか言わないからな』
『はい』
『私は……』
『……』
『私は……最初はお前なんか大嫌いだった。でも、でもな、違うんだ』
『はい』
『今は……お、お前が好きだ』
『はい』
『大好きなんだぞ!!』
『はい』
『つまり、ダムドである私、鈴原冬架のスレイヴたるお前、高瀬卓士は、その…私の恋人も同然ということになるのだが……』
『はい。問題はありません』
『いいのか!? 後悔しても知らないぞ!!』
『はい』
『あうう……ちょ、ちょっとそっち向いてろ』
『マスター。目から体液がこぼれています』
『す、少し……うれしかっただけだ。い、いいからそっち向いてろ!!』
『はい。了解しました』
『恋人同士ということは……その、だ、抱きついたりするからな!!』
『はい。了解しました』
『言葉使いだって、
もっと柔らかくして、猫なで声で甘えてやるからな!!』
『はい。了解しました』
 ――遠い昔の記憶。
 僕が躊躇いもなく人を殺していた頃の記憶。
 何も感じず、何も思わなかったあの頃の記憶。
 バンパイア、鈴原冬架のスレイヴである僕――高瀬卓士の記憶。



『Dear my srave /Overdrive』
〜或不廃児の惨殺人形・第一回〜

1.

 すっかり冷たくなった風が容赦なく吹きつけ、僕の耳元でごうごうと唸っている。
 見上げたビルとビルの間から見えたのは蒼い月とニタニタと笑う男達だった。
 歳は三人とも二十歳前後だろうか――。
 僕の口の中に丸めて詰め込まれたハンカチのせいで声が出させない。
「へへへへへ……」
 手には銀色に輝く手錠をさせられた上、押さえつけられている。
「へへ、今日も上玉じゃん。ついてる時は本当についてるもんだな、おい」
「こないだのよりよくない?」
「最初は俺な……。好みなんだよ、こういう子。眼鏡で、細くて華奢で……髪はやっぱセミロングだな」
「眼鏡っ娘って、マニアックだな、おい」
 男達は笑いながら、僕のセーラー服を剥ぎ取ろうとする。
 もう少し抵抗するふりをして、情報を引き出した方がいいかもしれない。
 僕はわざとらしく身をよじる。
「暴れるなよ、抵抗しない方が気持ちよくなれるぜ」
「へへへ……ここに来たのが運のツキだな、おい」
 男の一人が荒い息で僕の耳元を舐めた。
 ここに来たのが運のツキ――それは違う。
 僕、高瀬卓士が此処に来たのは――。
「うらぁー!!もう我慢できるかぁー!!待て、そこの三人組!!」
 闇の中に高い声が響く。
 路地裏の入り口には、月明かりを浴びた一人の少女が立っていた。
 ブレザーの制服を着ているが、その上に黒いマントを羽織っている。
 その無骨な黒マントと短いスカートは不釣合いだ。
 ビル風が足首まであるマントと、両耳の上で結った金色の髪の毛の束を揺らした。
 蒼い瞳がキッと男達を睨みつける。
「たっちゃんにそういう、アグレッシブかつハードコアな、えっちぃことしていいのはマスターの私だけだ!!」
「なんだ、このガキは……」
「かまわねぇ、犯しちまおうぜ、おい」
 僕の手足を押さえてなかった男が立ち上がり、少女と対峙する。
 ――計画台無しだ。
 僕は塞がれた口で『冬……』と、少女の名を呼んだ。
 マニュアルにない対応を求められる状況――いつものことか。
 僕が思考する僅かな間に、僕のマスターである鈴原冬架は片手を男達に向ける。
「轍を刻み来たれ、銀の戦車。我の声に答え、愚者を踏み鳴らせ!!」
――まずい。
 瞬間、冬の掌に小さな炎の塊が出来上がっていく。
 それは周囲の酸素を取り込みより大きくなる。
 冬と対峙した男が、迫力におされたのか咄嗟に身構えた。
 他の男達も冬を、掌の火弾を凝視してしまう。
「イフリートジャベリン!!」
 ――ポンという小さな音が鳴った。
『 にゃあ〜』という間延びした声と共に、具現化された炎の子猫が男達に向かっていく。
 声と同じで、どことなく弱々しく間抜けな表情で――そのスピードは限りなく遅い。
 対峙した男が恐る恐る指で火の弾をはじくと、子猫はパチンと音をたてて霧散してしまった。
 まずいと思ったが、やはり失敗したようだ。
「にゃ〜!! イフリートジャベリンが〜!!」
 冬の悲痛な声には動揺が混ざっている。
 どうやら、さきほど攻撃は自信があったらしい。
「え、ええと、次!! わが道を照らせ、蒼い月の灯火。その玲瓏たる輝きをもって隠者を……」
 冬が次の呪文を唱えようとした時、スタッ、という音が響く。
 男達と、現れた人物の視線が重なる。
 ビルの間から降り立ったのは――少女だった。
 目の前に降り立った少女は、片膝をつき僕の前に着地した。
 長い黒髪の間から覗く、鋭い眼光がこちらを捉える。
「なっ……」
 次の瞬間、闇を裂くように少女が疾駆した。
 そして、スパークする閃光。
 僕を抑えていた男の一人が声を上げる間もなく言葉を失う。
 男の身体にあてられたスタンロッドから流れる高圧電流のせいだ。
 廃ビルの二階から飛び降りてきた少女から、突然スタンロッドを叩きつけられるなんて、予測できるはずもない。男達とは対照的に、それを見た冬は、パァっと笑顔になる。
「夕陽ちゃん!!」
 冬の声に満面の笑みで答える。
 それも一瞬、男達を見ると同時に無表情になった。
「なんだ、てめぇは!!」
「……正義の味方じゃダメかしら」
 フッと呟くと同時だった。
 僕を抑えていたもう一人の男にも、すぐさまスタンロッドで殴りつける。
 唸りをあげる音とゴンという鐘を叩くような音がした。
「が……」
 腹部にスタンロッドを当てられた瞬間、男は小さく呻く。
 再度、電流がスパークする音のあと、男はアスファルトに倒れた。
「高瀬君、残すのは一人でいいかしら?」
 スタンロッドを手にした山野夕陽はそう言いながら眼鏡の蔓を直す。
「そうだね。少し予定が狂ったけどね」
「ふみゅ〜!! ごめんなさい、たっちゃん」
 冬がややうつむきながら指をモジモジさせた。
「問題はないよ、冬」
 僕は自分を拘束していた手錠を引き契る。
「後は僕がやるから冬は安全な所にいて」
 何の魔術的な細工もなければ、これぐらいの物は造作はない。
 冬と対峙していた男の顔が驚愕に歪むと、冬は隙を見て素早く逃げた。
「夕陽ちゃ〜ん」
「冬架さん、お怪我は大丈夫?」
「うん」
「ああ、良かった……」
 山野は抱きついた冬をそっと愛しむように抱きしめる。
 その悦に入った表情は、冬に見えてないようだ。
 安全な所はそこではないと後で冬に教えよう。
「質問していいですか?」
 僕はゆっくりと男に近づいた。
 セーラー服からナイフを抜くと、虎の牙のような銀刃が煌く。
 サーベルタイガーと呼ばれている殺傷力の高いナイフだ。
 男はナイフを見つめていたが、危険に気づいたのか僕から背を向け逃げようとする。
 ゆっくりと、僕はその背に向かって腕を振った。
「もう一度、言います。質問していいですか?」
 その瞬間、僕の投げた『布』が男の足に絡みつく。
 布は足元に巻きつき、包むようにその足を絡め取る。
 それは男が逃げ出すより速い。
 布に足を取られ、バランスを崩した男が地面を転がった。
 男の足にからみついた布、それはさっきまで僕が着ていたセーラー服だ。
「なっ!! 布っ!! どこから……!! おい!!」
 布がからみついた瞬間には、僕の服はジーンズとパーカーに変わっていた。
 困惑する男を他所に僕は質問を続ける。
「おい、くそ。お前、異能者か!! おい!!」
 異能者、男は何の気なくその言葉を口にする。
 その言葉のあと、ゆっくりと、男の顔の皮膚が崩れ落ちていく。
 それは、こないだ冬と見たホラー映画のようだった。
 ただれた皮膚がアスファルトに落ちていく。
 その剥がれ落ちた皮膚の下から現れた顔が歪んだ。
「お、お前らもダムドだろ、おい」
 突き出た鼻と垂れた皮膚がヒクヒクと動く。
 その容姿は容易にある動物を連想させた。
「うん、オークだね」
 冬の呟きに僕は頷く。
 冬の言うようにこの男は種族で言えば、豚――オークだろう。
 オークとは、元々は日本にいない外来種で、聖書にはオルクス、またはプルトーとして記されている。
「種族確認」
 これで、亜人種――ダムドであることが確認できた。
「頼むから、見逃して――」
「貴方は他に婦女暴行しましたか?」
 手足をもがいたまま男は答えない。
 思考は逃げることを優先しているのだろう。
「もう一度、質問しますが、貴方は婦女暴行しましたか?」
「それがなんなんだよっ!! おい!!」
「では他にも複数、婦女暴行したのですね」
「やったよっ!! だから、なんで俺がこんな目に……!! おい!!」
 確認完了。データも情報と一致する。
「被害者の方から依頼がありまして……犯人に自分達と同じ苦しみを味合わせて欲しいそうです」
「俺たちをどうする気だ!? おい!!」
「はい。男性器を潰します」
 男は大きく口を開け、目を見開く。
「冗談だろ、なぁ、おい……冗談、やめ、やめろ、おい」
 男が涙目で首を振ると、僕はゆっくりと男に近づく。
「すいません、仕事なので。ゆっくりやらないで一瞬で潰しますから。痛かったら手をあげてください」
「おいぃぃぃぃぃ!! 歯医者じゃねぇんだぞ、バカヤロウぉぉぉぉぉ!!おい!!」
 できる限り優しく言ったつもりだったが。まだ学習が必要なようだ。
「心が痛まないのか!! 人の心はないのか!! 痛みをなくした十代みたいな顔しやがってぇぇぇ!! おい!!」
「本当は殺す方が簡単なんです」
「おい……?」
「でも依頼には忠実じゃないといけませんから」
 そう、依頼は忠実に、確実にこなす。
「やめろぁああああああああああああああ!! この、人間の皮かぶったろくでなし!! おい!!」
 僕、高瀬卓士も鈴原冬架も、表向きには高校生ということになっている。
 どこにでもいる高校生で、探偵社のアルバイトと言ったところだろう。
「やめて、やめてぇぇぇぇぇぇ!! お前らなんか人間じゃねぇぇぇぇぇ!! おいいぃぃ!!」
「そうですね、人間ではありませんから」
 バンパイヤのダムドである鈴原冬架と、そのスレイヴである僕は人間ではない。
 この町では大勢のダムドが人間社会に溶け込んで生活している。
 その境界線は限りなく薄い。そもそも、人間だろうと何だろうと僕には関係ない。
 僕にとって大事なのは、冬を外敵から守り抜くことだ。
 ゆっくりとオークに近づくと、ナイフを構える。
「では、潰しますね」
「や、やめろろろろろおおおおおおおぃぃぃぃぃ!?」



 路地裏に男達を放置した後、僕達は人気のない土手を歩いていた。
 地方都市である藍空市は、市内中心部から離れれば人気が一気に少なくなる。
 今歩いてる土手も、街灯一つない。この道を数分歩けば雑居ビルが見えてくる。
 そこが僕たちのバイト先である探偵事務所であり、このまま事務所まで戻って、今回御のことを報告すれば仕事は終る。
「任務完了だね!! たっちゃん!!」
 冬が僕の手に自分の腕を絡め、抱きつくように体重をかける。
 冬の身体は小さく柔らかい。付けている香水の匂いだろうか、ミントの爽やかな匂いは嫌いではない。
「ああ、そうだね」
「局長さんに報告したら、皆で御飯食べに行こうね!!」
 山野が冬に向かって微笑む。
「ええ、冬架さん。あ、食事代も経費から落ちないかしら……」
「さすがにそれは無理だと思うよ、山野」
 最近は仕事の依頼がめっきり減ったと聞いている。
 局長もやりくりで頭を悩ませているようだ。
「でも、今回は早く終わったね」
 そう言いながら冬は笑った。
 確かに冬の言うとおり、吸血鬼狩りなどに比べれば楽な仕事だと思う。
 長丁場の仕事になると、冬も山野も体力的に厳しくなってくるだろう。
「ええ。私は冬架さんが無事で良かったわ……」
 山野はやや足を引きずりながら、小さく、『高瀬君は別に何されてもどうでも良かったんだけど』とつけ足す。歩き方が僅かにぎこちないのは、ビルの二階から飛び降りた時の痛みが残っているからかもしれない。
 僕や冬に比べれば、山野はまだこの仕事に慣れていない。
 そもそも普通の人間である山野は、僕たちと比較してリスクが高い。
 僕たちの探偵局は通常の探偵業務と異なり、おおよそ、モラルや常識とかけ離れた仕事を扱う。
 俗に言う裏事という部類であり、機密調査、報復、暗殺――それらはほとんど表にでることはない。相手が人間の時もあれば、冬のような吸血鬼や、僕のように異能者の時もある。
 元々、探偵局で仕事をする以前から、そういう世間の裏側ギリギリで生きてきた僕や冬は、すんなりと受け入れられるが、山野はまだそれに戸惑うことがあるようだ。
「でも、たっちゃんって何を着ても似合うんだね〜。可愛かったよ〜」
 頬をやや染め冬が身悶えする。
 そもそも最初にこの囮作戦を提案したのは山野だった。
 山野が囮になればここまで効率が悪くなかったと思うのだが。
 勿論、冬を囮に使うつもりはないと考えた上でだ。
「たっちゃん、今度はナース服を……」
「却下」
 冬の申し出を、僕は即座に却下する。
「あら、高瀬君は冬架さんの下僕なんだから、ナース服やメイド服ぐらい着たらどうかしら? せっかく似合うんだし」
「却下、僕は……」
 そう言いかけて、僕はゆっくりとふりかえる。
「どうしたの?たっちゃん」
 冬が小さく首をかしげた。
「いや、何でもないよ」
 気のせいだろうか。
 尾行されているような気配を感じたのだが――。
「たっちゃん?」
「ああ、局長に報告して終わりにしよう」
「うん!!」
 冬が僕の腕を自分の身体に引き寄せ、抱きしめる。
 僕達は蒼い月明かりの下を歩き出した。

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