『弱虫の歌』

 

 放課後の全てがオレンジに染まりそうな夕暮れ。
 駐輪場前を通りすぎようとして、いつも通り君の姿を見かける。
 君は淡い茶色の髪が、フッと風に吹かれるのを押さえながら自転車に乗ろうとしていた。
 僕は『急に近づいて話しかけるのは変かな』なんて、考えながら学生服のポケットに手を入れて歩き出す。本当はそんなことなんてできもしないのに。
 君にうまく声をかけられなくて、今日も何もかもうまくいかないことに僕は悩まされる。
 きっと、皆、もっと自然に君と話すことができると思う。でも僕にはそんな当たり前のこともできない。だから、きっかけが必要だった。
 君が来ないか周囲を見回した後、白い息を吐きながらバスストップの自販機の前に立つ。
 百円と書かれた色あせたラベルを眺め、財布の中に一枚だけあった百円玉を取り出す。
 入り口に硬貨を入れると自動販売機は凍えるような音をたてた。
 僕は指先を宙で遊ばせたまま、君を待ってジュースを選ぶフリ。
 自動販売機の音に口笛のリズムを合わせ君を待つ。ペースを速めた心臓のベースがそこに加わる。
 きっとそれは臆病者の歌。きっとそれは弱虫の歌。きっと誰にも聞こえない。僕が僕自身の為に歌う歌。
 そんな小さな歌を吹き消すように軽快なペダルの音が響く。君が僕に近づく音だ。
 自転車に乗った君が軽やかにペダルをこぎ、僕の側に近づいてきた。
 君が僕に到達するまで、3、2、1、0。
「あ、委員長」
 タイミングを合わせて僕が声をかける。
 名前で呼ぶのが気恥ずかしくてそんな呼び方しかできなかった。
「田端君」
 通り過ぎようとした君の自転車が停まった。
「今帰り?」
 色々台詞は考えていたけど、うまく話せなくて短い言葉で僕はそう言う。
「はい。やっと委員長会が終わったので」
 君はそう言ったけど、そんなこと知っていたなんて言えなかった。
「あ、そうなんだ」
 白々しく僕はそう答える。
「なんか飲んでく?ここって百円でジュース買えるんだぜ」
 少しだけ言葉を強めにして格好つける。君と仲のいいクラスメイトの真似だった。君にはばれているのかな。
「あ、ここは百円なのですね」
「うん、穴場なんだよ」
「本当に奢って貰っていいのですか?」
 少しだけ笑いながら君が尋ねてくる。
 君は今何を考えているだろう。この瞬間、僕は君の中にいることができているだろうか。
「うん。いいよ。これぐらい」
 そう言って僕は笑う。出来るだけ自然に見えるように。
「何がいい?」
「じゃあ、暖かいレモネードで」
 僕はゆっくりとボタンを押す。
 機械音の後にレモネードが落ちて来た。
「はい」
 レモネードを手渡す時、君の冷たい指先が僕に触れる。
「あ……」
「どうしたのです」
 不思議そうな顔で君は尋ねる。
「ううん、何でもない」
 僕は照れてそう返す。
 気づいたのは僕だけで君は気づかなかった。寒さのせいで、悴んでいたからじゃない。僕の指が冷たかったからでもない。シンプルな理由だった。
 だけど、君は気づかない。だから、きっと、この痛みは僕だけもの。弱い僕だけの痛みだ。
「ありがとうございます」
「うん。じゃ、また明日」
 そう言って僕は後悔する。本当はもっと話を広げたかったのに。もっと話していたかったのに。でも上手く会話を続けることができなかった。
「はい。また明日」
 僕が本当に言いたいことも言えないままでいる間に、君は遠くへ走り去っていく。
『何を言えばいいんだろう』なんて考えたけど、どんな言葉をかけたって届くわけなかった。
 君の心の中にきっと僕はいない。
 そう思うとやっぱり胸が痛んで、君の姿がかすんで見えてた。
 夕陽の向こうで。
 ふいに君が振り返った。
 缶を握った手を振る。
 握ってるレモネードが夕陽に輝いていた。
 だから僕も大きく、ここにいるよと君に手を振るよ。
 声をかけようかと迷ったけど、やっぱり何も言えずに。
 君が遠くへ消えていくのを僕は何も言えず見つめていた。
 弱い僕にはきっかけが必要で、きっと皆にはそんな物必要ない。
 僕のこの頑張りはきっと些細なことで、他の人が簡単にこなせることだろうと思う。
 やっぱり今日も何一つうまくいかないけど、君の微笑みが見れてことだけが嬉しくて僕の心臓がまた音を奏で出す。
 だから、口笛を吹いて帰ろう、弱虫の歌を歌いながら。誰も気づかない僕の小さな頑張りを褒めながら。
 君のいなくなった向こうを見つめたまま、僕は歌うよ。
 明日はもっとうまくやっていけると信じながら。

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