『ウィスパー』


学生服の上から吹きつける風が、少し冷たい。
吐き出す白い息が珈琲の湯気と共に、闇の中へ溶けていく。
月明かりのない静かな夜だった。
人もまばらなプラットホームに、ただ雨の音だけが響く。
僕たちの間に言葉はない。
僕が雨のリズムに合わせ口笛を鳴らしているだけだ。
言葉なんて、何もない。
僕の隣のベンチに座った貴方は、その物憂げな双眸で闇を見つめていた。
濃紺のスーツを着た貴方の足元には大きめのトランク。
『明日の夜、実家へ帰るから』
貴方はそれだけ言った。
勝手に見送りに来たのは僕だし、何も言えることなんてないのは分かってる。
ただ、さよならだけでも言わないといけない気はした。
さよなら……始まりなんてなかったのに。
兄と貴方の関係が終わり、自然とその延長線上で始まった僕たち……。
それでも、さよならだけは言わないといけない。
『貴方は、あの人の代わりだから』
この関係が始まるとき、それでもいいと僕は思った。
貴方が僕に求めたものは兄さんの面影であって……。
何度も、何度も、肌を重ねあう度に貴方は兄さんの名前を繰り返してた。
それでも、僕は良かった。
貴方の側にいれたから。
でも、貴方はいつも泣いてた。
呼吸や哲学、言葉まで全て兄さんの真似をしたけど、
僕は兄さんになることなんてできやしなかった。
貴方がベッドで震えたまま、呟いていた言葉をまだ覚えてる。
それは、かすれて小さく消えそうな声だった。
『甘やかすようなこと言わないで。優しくしないでよ』
その言葉の意味が今なら分かる……。
プラットホームに響くアナウンスの声。
遠く闇の中から列車の近づく音。
かける言葉は見つからない。
ただ、もう優しい言葉は言っちゃいけない気がした。
だから、僕は代わりに、貴方が好きだと言ってくれた口笛を拭き続けてるのかもしれない。
闇の中で輝くテールライト。
それが振り続ける雨の欠片を輝かせる。
ただ、軋んだ音を闇に響かせて、列車はプラットホームについた。
格好いい台詞なんて何一つ言えなくて、僕はただ貴方を見つめる。
さよならとだけ言おうとした、その時、貴方は立ち上がると僕に微笑んだ。
ただ、それだけだった。
何も言えなかった……さよならさえも。
ハローもグッバイも僕らにはなかった。
なんとなく始まって、明確な別れもなく僕たちは終わる。
だから、きっと言葉はいらないのかもしれない。
僕たちの関係は、最初からどこにもなかったのだと思う。
何もない。ゼロに戻るだけだ。きっと、僕たちは何も変わらない。
停車した列車に乗る貴方の後姿を見つめた。
何もないまま僕らは離れてしまう。
そう思った瞬間、貴方の後姿に手が動く。
「……」
吐き出す息が指先に触れて消えてゆく。
ふいに伸ばした手は、どこに向かうことなく宙をかいた、ただ、それだけ。
目も合わせられないまま列車は動き出して、ただ、ただ、遠ざかる電車を僕は眺め続ける。
列車の音もやがて消えて、雨だけが闇の中で響く。
最後にくれた貴方の微笑だけを抱きしめて、貴方の好きだった口笛を吹く。


もう、届かない、貴方の為の歌。


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