『ワンダーライフ』

 狂った果実のような鮮烈なオレンジの中、いつも通りにお袋は割れた皿を洗い続けてる。死んだ魚の目に何も写すことはなく、吸い込まれたオレンジがそのまま闇色に変わってく。親父はいつも通りに、ゴミみたいに床の上を這い蹲りながら絵を書いてた。それが俺達家族だってんだからたまらない。
 壊れちまった理由なんて俺には分からないしどうでもいい。何とか飯も食ってけてる。
 そんな俺は『オーケー、オーケー。人間なんてそんなもんだ』なんてことを考えながら煙草を吹かしながら姉貴の白い下着を眺める高校生。将来は絶望的だけど、そんなの誰だってそうだろ?
 だけど、諦めてるわけじゃない。偉人の言葉を借りるなら『人の足を止めるのは諦めで、進ませる意志だ』とか、何とか。
 確か、実在主義派の哲学者で革命家だった人の言葉。煙草の吸ったまま死んだらしい。最高にクールだ。
 紫煙が複雑な紋様を描いて消えていくのを見てながら、何を考えたのか。
 煙の向こうに見た物はなんだろう――そんなことを考えた時、腹が鳴った。
 生きてる証拠。どんなに苦しかろうが腹は減るし、クソは出る。
 ぶっ壊れちまったお袋と親父だってそうだ。
「ただいま」
 玄関の開く音の後、少ししてキッチンに姉貴が入ってくる。
部活の方は早く終わったらしい。
「お帰り」
 俺を見ても特に驚く様子も動揺することもなく。
 ごくごく自然にテレビのリモコンを手にした。姉貴の好きなドラマの再放送が始まる時間だ。クソくだらないサスペンス。
「アンタ、学校は?」
「だるいからさぼった。どうせ、俺トップだし」
 『まぁ、それもそうか』と姉貴は言いながら、手を俺の方に差し出す。
「あ、タバコ一本くんない?」
 姉貴に言われてマイセンを箱ごと差し出すと、姉貴はそこから一本引き抜く。
 ライターを差し出そうとすると、俺の吸ってるタバコの先でキスするように火をつけた。
「なぁ、姉貴」
 俺は尋ねる。
 慣れてるのかな、俺たちは。
「なに?」
 姉貴はテレビを見たまま答える。
 慣れてるよな、やっぱり。
 この世界に慣れちまってる姉貴も俺もやっぱり壊れてる。狂うギリギリで正気を保ってる。
「なんでもねぇ、愛してるってだけ」
 少しの間の後。
「ああ、うん、あー、そう、じゃあ保険入って死んで」
「ひど。弟を弟と思ってねぇ」
「つーか、ドラマの邪魔だから」
 シッシと姉貴は手を振る。
「下着持ってていいからさ、部屋でソロ活動に励んだたら?」
「むしろ、姉貴と俺のデュエットを切実に――」
「あー、うん、死ねばいいと思う」
 あまりにもいつも通りの回答。愛は伝わらねぇ。
「とりあえず、飯作るぜ?」
「うん」
 台所で何か作ろうと椅子から立ち上がったとき、
「煙草、サンクス」
 姉貴が呟いた。それだけのこと。
 その一言が案外、俺を救ってくれてたりする。いや、本当にそれだけ。
 ついついバカみたいに笑った。ありとあらゆる意味で救いはない。
「オーケー、オーケー」
 狂って壊れた世界は本日も問題なく過ぎて終る。明日も明後日も。
 俺が俺を辞めない限り続いてくし、腹も減る。
 オーケー、俺の世界。壊れた世界。最高にハッピーでクールだ。笑いがとまらねぇ。
「うるさい」
 姉貴の投げたリモコンが頭に当たった。ストライクって感じの抜群のコントロールだ。
 悔しいから今見てるドラマのこの先の展開をベラベラ話してやろうと思った。


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