『ウコン茶』


山利根家では父、母、祖母、孫二人の五人家族であり、数年前から、祖母である山利根うめの自宅療養が続いていた。
うめは『味噌汁は赤にしてくれんかね』と言った翌日には、『いつ、誰が、そんなこと言ったんだね。味噌汁は白に決まってるだろう。全く馬鹿な嫁だねぇ。おや、何を泣いてるんだい? 味噌汁がしょっぱくなるだろう』と、言い張り、次の日には赤味噌がいいと言う。
それを一ヶ月ほど繰り返して、ようやくやめるような人物であり、嫁の雅代はいつも困らされ泣かされていた。十六で嫁になったばかりの雅代には少し辛いことだった。
眼鏡におさげ、童顔でやんわりとした笑顔を浮かべる雅代はうめの格好の標的だったのだ。
夫の誠一郎は教師であり、どちらかと言えばやんわりとした笑顔を浮かべるような男性で、自分の意見をあまり口にしない。
近所からは『あのババァからなんでこんな立派な息子と天使のような嫁さんが……』と言われるほどだ。
それでも雅代は誠一郎を愛していて嫌な思いはさせたくなかった。
だが、うめが家族の前で洗浄器に入れ歯を入れた時は雅代も絶句した。食いカスが洗浄器の中でグチャグチャになって回転する様を見ると――家族は皆、もう、食事をする気にはなれなかった。
そんな偏屈で卑屈な祖母は家族からも疎まれ、疎まれていることにも気づかない人物だった。バイト先によくいる嫌なパートさんみたいな存在だ。自分が間違っていると気づかない人間ほど、たちの悪いものはない。うめは家族にかける迷惑など微塵も意に解さないのだった。
その日、孫である健二は幼稚園から帰った後、留守番をしていた。
ベッドに寝転ぶうめをジッと見つめている。
母が近所にでかけ、その間、祖母を監視することを命じられたのだ。うめの身体が悪いと言うのは数年前の話しで、今ではピンピンしている。それを分かった上で仮病を続け、家の中を徘徊しているのだ。特に深夜、雅代と夫、誠一郎がセックスしてたのを見た翌日には、
『昨日の夜、醜いマグロが二匹、ベッドでのたうってたねぇ。あん♪あん♪』などとケラケラ笑っていた。
その時は雅代も、さすがに意見した。
「お母様、どうかそのようなことはなさらにでください。今度このようなことがあれば、鍵をつけさせて頂きます」
無論、部屋に鍵をつけることなどうめは許さなかった。
うめには雅代が恥辱に耐えるのが面白いのだろう。
セックスを隠し撮りされ朝のリビングで上映された時、雅代は三日間実家に帰った。
それでも耐えるのが雅代らしいと言えば雅代らしい。
二十歳になり女の艶が出てきた雅代に対するいじめは熾烈を極めることだろう。
耐え忍ぶ雅代を見て育った健二はうめをどう思っているか、定かではない。
多分、健二はただ無垢な瞳をうめに向けている。
雅代も子供相手にうめも無理難題を押し付けないと思ったのだろう。
それは甘い、子供相手なら子供相手の無理難題を押し付けるのがうめだ。
「ばぁちゃん、びょうきだいじょうぶ?」
健二がくりくりとした瞳で、ベッドのうめを見つめた。
「健二、茶を入れてくれんかねぇ」
「おちゃ?」
「そう、ウコン茶だよ、ウコン茶」
勿論、この家にそんなものはない。
そう言われた健二が慌てたり、不安そうな顔をするのが見たかったのだ。
「うん、わかった」
うめの予想に反し、健二は部屋からトコトコ出て行く。
多分、茶の違いが分からず戻ってくることだろう。そしたら一つどやしてやればいい。
うめがどうやって嫌がらせしてやろうか考えていると、五分ほどで健二は湯飲みを持ってきた。
その瞬間だった。部屋の中に嫌な匂いがしたのは。
「なっ……!?」
思わず、うめはベッドから起き上がる。
「もってきたよー」
ニコニコとした顔で健二は異臭の根源たる湯飲みをうめに近づける。
「お前さん、何をお茶に……」
うめの言葉に健二は首をかしげる。
恐る恐る、鼻の頭を抑えたうめが湯飲みを受け取った。
――絶句。
「これは……」
メタンの芳しい匂いを振りまくウコン茶は茶色の輝きを放っていた。

 

「うんこちゃだよー」

 

――絶句。
何を言っているのだろうか、この小僧は。
ウコン茶、そう言ったはずだ。どこでそう取り違えたらそんな間違いをするのだろうか。
間違えたとしても、疑問に思わないのは子供故の純真さか?
正気を取り戻したうめがニコニコしている健二を見つめる。
「のまないの?」
「健二、アンタ……!!」
うめの言葉に怒気がこもった瞬間だった。
「飲めよ、ババァ。飲みたかったんだろ」
唐突に、健二の声色が野太い声に変わった。
「え……」
その豹変はうめを戸惑わせるほどだった。
「飲めってんだろ。俺がせっかくいれてやったんだからよぉ」
眉間と顎に皺を寄せた健二が肩眉を吊り上げる。
「飲めねぇなら飲ますぞ、てめぇ。ふひ、ふひひひひひひひひ」
「け、健二……」
「ほら、今朝喰ったコーンが美味そうに浮いてんだろ、ほら、俺から飲まされてぇのか、あ?」
健二の手がうめの口元に湯飲みを押し付けてくる。
臭い、強烈な匂いがうめを襲う。子供の力とは思えない力がぐいぐいと湯飲みを押し付けるのだ。
汚物、汚物の毒液。
この世の者とは思えない液体が蠢く。
「やめ、やめぇぇぇぇぇぇぇ……!!!!」
「ひゃはははははははははははぁぁぁ!!!」
悪魔の笑い声と断末魔の叫びが家中に響く。
うめは気づかなかった。
それは日頃、雅代が不安に感じていることでもある。
そのことに気づいているのは雅代だけなのだ。
成長するにつれ、子供が親に似てくるのは当然のこと。
しかしこの家で健二が一番似ているのは――うめだった。



その後、うめへの健二の嫌がらせが始まったのは言うまでも無い。
だが、それ以上に、うめから八つ当たりの激しい嫌がらせを受けるようになったのは雅代だった。


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