『チンチン』


私、小山義男は来年、定年退職する英語教師です。
放課後、私が職員室でプリント採点をしていると彼がやってきました。
「先生……」
高い背に金色の髪と蒼い瞳……。
「どうしたんですか、ハンス先生。お茶をいれましょう」
英語でしゃべる彼、名前はハンス。
ALTとしてアメリカから来て一年が立ちます。
私は入れたお茶をハンスに差し出しました。
「あ、お茶チンチンですから気をつけてくださいね」
つい、私は日本語で言ってしまいました。
「?」
「ああ、日本語で熱いという意味ですよ」
言ったにも関わらずハンスは熱いお茶を飲み干しました。
熱いのは大丈夫なようですね。
「先生、今までお世話になりました」
そうか……そうでしたね。
そう、彼は明日母国に旅立つのです。
「いえ、貴方のおかげで生徒達も……」
あれはハンスの初授業のことです。
……。
…。
「ハンス先生!!」
金髪の頭にヘラッとした顔の稲花二郎君が珍しく挙手しました。
「アメリカのアルファベットではIより先にHが来るのは本当ですか?」
「二郎君、アメリカでも同じですよ」
私の言葉に話せなくても分かることのできるハンスも頷きました。
「だって、愛よりHが先に……あぶぇ!!」
殺姫初生さんの拳と皇涼さんの木刀が二郎君の頭を叩きました。
いつものことなので、私、小山義男は動じません。
「だぁ!俺は涼だけがオンリーラヴ!」
「黙れ、下郎!あ、こら!」
稲花君が皇さんの身体に抱きつきました。
「ちょっ!!涼から離れなさいよ!」
殺姫さんがもう一度殴り飛ばします。
いつも通りのこと、私は冷静に耐えましたよ。
「寝れない……」
静かに寝て下さっていた小さな天才児・皆野川琴音さんがそう言って教室を出ていった時も。
(彼女もうすぐ海外に飛び級するから我々、教師は何も言えないのですよ)
「あああああああああああああああああああああああああ!!!!糞ガキども!!!!」
怒声を上げて校長が入ってきた時も。それはそれは冷静でした。
「かりんとうにぺスの糞混ぜたのはぁぁぁぁお前らぁぁぁぁぁぁぁぁぁか!!!!!!!」
嗚呼、校長の手には丸々としたブルドッグが……。
大人しく座っていた風彦君がシレッと、
「ははは、不慮の事故ですよ。それに校内で飼う方が問題ですし」
殺姫さんと皇さんに首を絞められている二郎君がうなづきました。
「そうそう。慣れれば大丈夫っすよ。校長なら。それにペスだって喜んで出しますよ!」
「だまぁぁぁぁぁぁぁれぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!」
二郎君、初生さん、風彦君、その他の生徒達が窓から逃げ出しました。
机をなぎ倒しそれを追う校長先生。
授業は無茶苦茶です。もう無茶苦茶です。
そ、それでも教師生活四十年、私は耐えたのです。
ただ、ただ、その後、あの、あの、ツンツン頭。
一一が小声で、
「あれ?ABCDEF……J……?」
と、わき目をくれず、逃げるのさえ忘れ、いまだかつてないほど、真剣に考え込んで呟いていたのを聞いた時、私は教師人生であれほど情けなかったことはありませんでした。
私の授業は何だったのか。
君に教えてきたのは何ですか?
私は、私は……。
これは教師人生最大の侮辱だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
……。
…。
思い出すと涙が出そうになります。
それをよくハンスは耐えてくれました。
「あの子達も貴方のおかげで……大分、まともになってくれました」
私は思い返しハンスに言いました。
「私こそ、日本の皆さんのおかげでとてもこの国が好きになりました」
うれしいことを言ってくれるじゃないですか。
「私はこの国に来れた事を誇りに思います」
「ハンス先生……」
ハンスは寂しそうな遠い目でそう言いました。
「ハンス先生、最後に明日の送別会は日本語でお別れしてみてはいかがですか?」
唐突かもしれませんが私はそう伝えました。
生徒達に何か残して欲しいというのは私のわがままでしょう。
それでも……。
「私は生徒達に貴方のようなチャレンジスピリットを持ってほしいのです」
ハンスは少し考えた後うなづきました。
「分かりました。ぜひ」
最後まで挑戦すること……ハンスこそ青い瞳の侍だと心底思いました。



翌日、体育館に集まった生徒達がざわつく中、送別会が始まります。
ゆっくりと会は進行し、ハンスが壇上に登りました。
生徒達が一気に静まり返りす。
それだけハンスが慕われていた証拠でしょう。
「ミナサン……」
ハンスがたどたどしい日本語を紡ぎました。
「ハンスハコレデ、アメリカニカエリマス」
躊躇うようにゆっくりと言葉を選んでいきます。
それだけの思い出がハンスの中にあるのです。
「コノクニデマナンダコトハワスレマセン。リッパナオトナニナッテクダサイ。ツライクルシイマケナイデ」
ハンスは泣いていました。
ありがとう、ハンス。
蒼い瞳の侍。
「ミナサン、コノイチネン、ホントウニ……」
ハンスの声が高まりました。
別れの瞬間なのですね……。
「エロエロ、アリガトウゴザイマシタ!!」
生徒達が一斉に言葉を返しました。
「エロエロありがとうございました!!」
もちろん乗っているのはあのクラスの子達です。
「ミナサーン、チンチンイキテクデサイ!」
え?
『あ、お茶チンチンですから気をつけてくださいね』
『?』
『ああ、日本語で熱いという意味ですよ』
あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!
私は!私はなんてことを!!!!
違うんです!ハンス!その使い方は違うんです!!
ハンスは生徒が引いていることに気づきませんでした。
「ミナサーン、チンチンイレテクダサイヨォォォォォォォォ!!!!チンチン(イレテ)クダサイヨ〜!!」
嗚呼、数人の教師がハンスの両腕を挟み連れて行きます。
「チ〜ン〜チ〜ン〜!!チ〜ン〜チ〜ン〜!!イ〜レ〜テ〜!!ナニスルデスカハナシテクダサイ!!チョッ……!!」
それでも叫ぶハンス。
さよなら、青い眼の侍。
さよなら、ハンス。
私はこの歳になって泣きながら敬礼していたのでした。

 

end

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