『リトル・シューティングスター』


 僕の隣から聞こえる愛らしい寝息が、トゥールビヨンのような規則正しいリズムを刻む。
 肩まで毛布を羽織り、僕の肩にその華奢な身体を寄せて眠る琴音義姉さん。
 さきほどから、その透き通った銀色の髪が僕の頬をくすぐっている。
「ん。ソウ……」
 どんな夢を見ているのだろう、寝言で僕の名を呼ぶなんて。
 クスリと笑うと漏れた白い息が大気の中に消えていく。
 寒空の下、学校の屋上で僕達は一枚の毛布に寄り添い包まっていた。
 ハレー彗星を最初に見ようと言い出したのは義姉さんだった。
 義姉さんがそんなことを言い出すなんて珍しいこともあるものだと思いつつも、僕はすんなりとそれを了解した。
 義姉さんが海外留学してしまうまでに残り数ヶ月。それを一緒にいられるのがうれしくて、二人きりというシチュエーションに不埒なことを考えずにいられるはずもなく、ロマンチックな幻想を抱いていたりもしたが――。
「……姉さん」
 小さく呟きそのアルビノの証たる髪に触れれてみれば、柔らかなフーラードの薄絹のような肌触りがした。沈みかけた蒼い光を浴びる白い肌に触れようとして、僕は手を止めた。
 きっとそれが出来たらどれだけ楽だろうと考える。最も触れたい人は、とても近くて遠い所に存在することを改めて僕は思い知らされてしまう。
 痛みと共に、ふいに高鳴る鼓動で義姉さんが目を覚ましてしまうのを恐れ、交代時間になったら起こすはずだったのをそのままに、少し離れた所で毛布に包まった。
 夜通し眠れずに、ただぼーっと座り込んで、果てしなく広がる空のそのずっと果てを見るともなしに見ていた。
 もうすぐ明けようとする夜は夜中のそれよりも冷たい空気をまとう。切り込んでくる様な張り詰めた澄んだ冷たさが心地いい。
 ふと気配に目を遣るといつの間に起きたのか、義姉さんが僕の右隣に立って僕を見下ろしていた。
 その手には僕たちがいつも使ってるおそろいのマグカップが二つ、何も言わず僕に一つ差し出すと、用意してあった水筒の中身を注ぐ。
 ミルクがたっぷり入れられたらしい甘い珈琲のフレグランスがマグカップから漂う。
 乳白色がかったコーヒーの表面を見下ろしていると、香ばしい香りを漂わす珈琲に義姉さんが口をつける音がした。
 僕も自分のカップを口に運ぶと、甘さと温かさが胸を満たしてくれる。
 子供っぽく舌を少し出して『苦いね』と慣れない珈琲に戸惑う義姉さんを見て、僕の身体や心が熱くなってしまうのはきっと珈琲のせいなんかじゃないだろう。
 ふと、見上げた空は今まさに明けようとしていた。
 黒や藍、紫や緋、黄や橙、そして薄い水色。
 見る間に様々に色を変える空に、目を奪われていると、
「……綺麗だ」
 義姉さんが言葉を発した。
 振り仰がずにはいられないほど淡々と。
 ただ 淡々とした声。もう一度呟く。
「綺麗だね、ソウ」
 僕はサンライトイエローの光を浴びた義姉さんを見ながら言葉を返す。
 銀色の髪が、白い肌が、優しく輝いて、強い輝きに変わって――。
「本当に綺麗だ……」
 珈琲の湯気の向こうで。
 ぼんやりと光る義姉さんの横顔。
 義姉さんの隣で見る姿を見せ始めた眩しいオレンジ。
 胸が苦しくなるぐらい綺麗だった。
「ハレー彗星見れなかったね、義姉さん」
「ん。そうだね」
「姉さんは何か願うつもりだったの?」
「ん……」
 義姉さんがコクリと頷く。
「これからもソウと仲の良い姉弟でいられますようにって。ソウは?」
 僕は一瞬、答えを迷った後、
「うん、僕もだよ」
 そう、答えてキュッと手を握った。
「またハレー彗星が来たら……二人で朝日を見に来ようか」
「ん。そうだね」
 もし、僕が結んで解くこの掌の中に、消えていった流れ星をつかめていたら、最も近くて遠い星に、この手が届いたのだろうか。
柔らかな光の中、義姉さんの輝く朱色の双眸を見つめると、いつも無表情な義姉さんが少しだけ、ほんの少しだけ微笑む。
 僕はそれが嬉しくて、胸で中で輝く星を抱きしめていた。
 見逃さないように、見失わないように。



back


 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送