『ステップ・バイ・ステップ』
喧嘩の理由なんて些細なことの積み重ねで――致命傷になった傷がどれなのかなんて、僕には分からない。
周囲を染めるオレンジフィルムに混ざる扇風機の微風。
そっと髪をくすぐるのがまるで君みたいだと思う。
学生服のまま、縁側に寝転んで日に焼けた両手を広げる。
いくら伸ばしたって、届く範囲なんて限られてるのに。
寝転んだまま、ざんばらに短くカットされた笑夢の髪と、夏色の肌を思い返す。
『なんで、こうなっちゃうんだろうね。メリーゴーランドみたいにグルグルさ』
そして――笑夢の言葉をなぞる。
そう言いながら、真園笑夢(まぞのえむ)は僕、佐渡野維持流(さどやいじる)に背を向けた。
僕の話はいつだってまわりくどい。
笑夢も負けず劣らずまわりくどくて、結局、決断はいつも僕に委ねる。
それは、ずるいことだけど、選択権があることに安堵する僕はもっと卑怯だ。
「もう、ダメか……」
心にもない言葉が溢れて、消えていく二人のシンパシー。
何もかも重ならないまま、いつの間にかすれ違ってた。
浮かれたままの僕は君のサインを見逃してばかりで――。
いつだって気づいた時には君は傷ついてて――。
決断を下せずにいるまま、喜びも悲しみさえも分け合った日々は遠くなっていく。
僕達は冷却期間を設けては思いなおす――そんなことを何度も繰り返したけど、いつだって胸のつかえはとれはしない。
傷つくことを怖れていたから笑顔を見せ、争うことを避けてるうちに疲れ、僕は僕が分からなくなった。
まわりくどい言葉で、言いたいことも誤魔化してばかり。
そんなことを言訳にしてもどうにもならないことは分かってるのに。
一人ぼっちでいる時みたいに素直な気持ちになれないんだろう――そんな風に思うけど、きっともう遅い気がする。
もしも、いつか涙の跡や心の痛み消えてなくなって時、歩んだ道を澄んだ瞳で振り返った時、後悔以外の何かが見えるのだろうか。
してあげたかったことも、言いたかった言葉だって幾らでもある。
フッと、自然に笑夢がいたはず空間に手が伸びた。
「……」
彷徨う指先は、何をつかめるはずもなく。
瞳を閉じて、ただただ夏風だけを握り締める。
隣に笑夢のいない夏。
動き続ける扇風機の音、鳴り止まないひぐらしの声が、空っぽの胸に響いていた。
ふいに。
冷たい感触が頬に触れる。
ゆっくりと僕が身体を起こす。
「なんか、夕暮れって転寝したくなるよね?」
夕陽を背に受け焼けた顔を微笑えませる。
「なんで、ここに……」
驚く僕を見て、笑夢は唇を尖らせながら缶ジュースを手渡す。
缶には橙色と白のデザインでファジーネーブルとかかれていた。
「なんでって。それってさ、あれだよね、ここにいて欲しくないわけ?」
「いや、そうじゃなくて。なんか雨が降ってたけど、遠足に来ましたみたいな――欲しくないけど、買っちゃったみたいな」
笑夢は『ん〜』と考え込み、手を叩いた。
「なんか、バイクで知らない道走った時みたいな感じ?テンパッてる?」
「少しね。いや、正直な話、僕もびっくりしてる以外の何物でもないんだけど」
僕がそう言うと笑夢はおかしそうに笑って縁側に腰掛ける。
「私も正直なとこ、自分からここに来といて、右と左が分からなくなってる感じだけどさ」
「あー。なんとなくそんな感じだね……ってそうじゃなくてさ、僕たちってアレじゃないの?」
そう言いながら、僕はジュースを飲む。
「ん?」
笑夢は小さく首を傾げてみせる。
「今日は何かあったの? 僕達、こないだから喧嘩してたよね?」
『あー』と声をたて笑夢は大きく口を開く。なんとなくわざとらしい素振りを見せた後、縁側にゴロンと寝転ぶ。
「なんか、その一言を言うまでに大分回りくどかったね。まぁ、私ってば、実はあんまり気にしてないっす」
「なんだ、そりゃあ。こっちはけっこうブルー入ってて、ずっと気にしてたのにさ」
結局、一人相撲ということだろうか。僕はややごねながら、縁側に寝転ぶ。
こういう照れ隠しは少し子供っぽい気がしたけど、少し安心してると悟られたくなかった。
「言い方が回りくどいと不便だよね」
「まぁ、それは僕の癖だけど。君だって人のことは言えないんじゃない?」
「あはは、そうかもね。ってか、そうなんだよね」
スッっと小さな手の平をオレンジにかざした。
少しだけ苦笑いを浮かべながら。
「私たちって何度も何度もステップしないと跳べないんだよ」
「そうかもしれないね」
口の中のオレンジの味が甘くて少しだけ酸っぱかった。
「あのさ」
僕が、目を逸らしたまま呟くと、笑夢は頷く。
「ごめん」
僕はそう言いながら笑夢の手を握った。すると笑夢はおどけたまま答える。
「おうおう、随分と思い切って謝ったね」
「まぁ、たまには」
きっと、笑夢は僕の決意や覚悟みたいなのには気づかないだろうと思う。
それでも、伝えたいことを言えたことは嬉しい。
「こっちは喧嘩の理由なんてもう忘れてるのにさ」
「確かにきかっけなんて、くだらないことだったと思うんだ」
「だね、いつもそうだったよね。おんなじことの繰り返し」
そう言いながら、笑夢は僕の手を握り返した。
まだ遅くない――何を始まったつもりになってたんだろう。
一度だって、僕は本心からぶつかったことはなかった。
キュッと胸がつまる。もう格好なんてつけてられない。傷ついたって、壊れたっていいんだ。
今まで何度もステップを繰り返してきて、きっと僕達はここにいる。その積み重ねこそ僕達自身なんだと思う。
だから、たった一言、まっすぐに伝えないといけない気がした。
「でもさ、色々考えちゃってさ」
「色々?」
「そう、色々」
笑夢の深い瞳をまっすぐに見つめてそらさない。
「君がいないのが少し寂しくなったんだよ――やっぱり、君のこと好きだから」
ただただ、胸の隙間に生まれた気持ちを夏風に乗せる。
「うん」
キョトンとしていた笑夢はさもおかしそうに笑った。
「まぁ、こっちもそんな感じです。ってか、直は直でハズイっての」
少しだけ照れた顔で笑夢ははにかむ。
それが嬉しくて僕も思わず微笑み、君の赤らんだ顔を見つめる。
「ウダウダ、ウダウダ、同じこと繰り返してるけどさ、全然飽きないのが不思議だよね」
「きっと、この先もこうしてそうだ」
「あー、私たちってそんな感じするよね」
フッと手を伸ばした時に、笑夢が僕の手を握り返してくれる――それが今、ここにはある。
笑夢がいるこの距離は、僕の手が届く距離。
してあげたかったことも、言いたかった言葉だって幾らでもある。
ウダウダと、ステップ・バイ・ステップ。それも悪くはない、笑夢がいてくれるなら。
笑夢が空っぽの心を満たしてくれるから、ひぐらしの声も扇風機の音も、もう響かない。
僕達は互いの手をつないだま、オレンジ色の風に吹かれる。
メリーゴーランドで白馬に乗ってるように――。
卒業した時、使っていた机が巡り巡って誰かに使われるように――。
同じ事を繰り返しながらも僕達は互いから離れない。
もしも、いつかもっと素直に気持ちを重ねられるようになったら、言えなかった言葉や笑夢にしてあげたかったことを――笑夢の隣でしよう、今にも眠りそうなぐらいまったりしてる笑夢を見ながらそう思った。
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