『掃除機』


正倉院美津子の朝は、夫と祖父、祖母の仏壇に手を合わせることから始まる。
「健二さん……」
美津子の潤んだ瞳が仏壇を見つめる。
歳若く、大人の女性としてはまだ未熟な顔つきだが、その瞳には何か強い意志が宿っていた。
「あの子は私が立派な人間に育てます……」
いつものように、美津子は仏壇に向かってその思いを誓う。
最初に祖母が階段で――。
次に祖父がお風呂場で髭をそっている最中に――。
そして、夫は――。
相次ぐ不慮の事故で家族を亡くした美津子の支えは息子の浩二だけだった。
絶望している暇などない、まだ残された幼い息子がいるのだから。
夫や、祖父、祖母の為にも浩二は立派な人間に育てなければならない。
美津子は仏壇の前から去るとキッチンへ向かう。
これから朝食を済ませ、浩二を幼稚園に連れて行って、自身もパートに行かなければならない。
時間的にも、肉体的にも過酷だ。だが、それが先に逝った大切な人たちの為に出来ることだと美津子は思う。
「あら?」
キッチンへ入った美津子は眉をしかめた。
ゆっくりと屈み込み、ソフトタイルの床に散らばった皿の欠片に触れる。
「浩二ったら」
それは息子の浩二が皿を落としたのだろう。
落としたまま、何処かにいくとは――と、思いつつ、美津子は手早く掃除機を持ち出す。
すると、ドアの影からこっそりと、浩二が顔を出した。
つぶらな瞳はジッと、美津子を見つめている。どうやら美津子の顔色をうかがっているようだ。
自分のしたことで怒られると思っているのだろう。
「浩二」
「……」
「こっち、来なさい」
呼ばれて浩二はゆっくりとキッチンへ入ってくる。
「お皿、割ったのね」
「……」
浩二は黙ってただ俯く。
「あのね、お母さんが怒っているのはね、浩二がお皿割って黙ってたことに対して怒っているの」
「うん……」
「お母さん、浩二にそういう曲がったことが出来る子供になって欲しくないわ」
「ごめんなさい……」
俯いた浩二が小さく声を絞り出す。
「分かったら、正直に謝ること」
「うん……」
浩二はゆっくりと屈みこむ。
「浩二?」
「ごめんなさい」
そして、掃除機に謝った。
美津子は思わず、吹き出しそうになった。
正直と掃除機を間違えたのだろう、それが子供らしくて、可愛い。
「これからも悪いことしたら、ちゃんと正直に謝るのよ?」
「うん」
美津子が浩二を見つめ微笑んだ時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「奥さん、米屋です」
「あ、はーい」
美津子はスリッパを鳴らしながら、キッチンを出て行く。
残された浩二はもう一度、掃除機に頭を下げた。


「おばあちゃんと、おじいちゃんと、おとうさんをころしてごめんなさい」


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