『スカイラーク』

 


 今日は天気がいい、きっと見える――白いセーラー服と長い黒髪に注がれる陽光を浴びながら、今野智香(こんのともか)はそんなことを考えた。輝く黒髪を躍らせステップも軽やかに階段を上がっていく。足取りが軽いが決して嬉しいことがあったわけではない。汝なやむことなかれという奴だ。昨日のホームルームに配られた進路希望調査書もどこへやら。
 智香がいつも通りに大嫌いな数学をさぼりに屋上に行くと、これもまたいつも通りのことだが、そこにミユウがいた。クラスメイトのミユウこと身遊有理(ミユウユウリ)だ。どこにでもいる生徒で、智香の認識では真面目な方に分類されるが、時々、屋上で智香と出会う。俗に言うとこの優等生の憂鬱という奴だろうか。
 そのミユウが何をするわけでもなく、セーラー服のままアスファルトに寝そべって、何も持ってない掌をかざしてた。風がそよぐたび、太陽に透けたミユウの前髪をくすぐるように揺らす。それなのに瞬きもしないでミユウは開いた掌を見つめ続ける。
「何してんの、アンタ」
 友香がそう言うと、ポケットの中のスカイラークを取り出しフェンスに持たれかかった。
「今野さんこそ、何しに来たんですか?」
 ミユウが掌を見つめたまま呟くと友香は小さく頬をかいた。
「ああ、まぁ、待ち合わせ」
「待ち合わせ……」
 ミユウが小さく『ああ』と呟く。どうやらそれだけで状況を察したようだった。
「またセックスですか?」
 ミユウは全く智香を見ずにそう言った。そこらのガキみたいに好奇心むき出しで尋ねられるよりはずっといい。そう言えば、本番真っ最中を見られたことがあったことの思い出し智香は髪をかく。照れと共に吐き出したスカイラークが空気の中に溶け込んだ。
「まぁね」
「今野さん、よくも飽きずに猿みたいにやりますね。別に付き合ってるわけじゃないんですよね。あれですか?セックスフレンドですか?」
「アンタ、こっち見て同じこと行ったら眼球にコレめり込ませるからね、クソガキ」
 そう言いながら友香は再び煙を吹き出す。
 スカイラークとセックス。智香は別に自分のことを不良とも何とも思っていない。特別な家庭環境だとかそういうのとは無縁であり、スカイラークもセックスもただ何となくだった。
「今野さんは美人なのにそういう性格だから損ばっかりするんですよ」
 クラス内のことを言ってるのだろうか。確かに、周囲からは異分子の智香は怖れられ、一歩引かれている。それは群れの中にあって自分と全く違う、理解できないという認識だ。
「別にいいの。太く短くやりたい放題やって死ぬから」
 カラカラと智香が笑うとミユウが吹き出すように笑った。乾いた二人の笑い声が屋上に響く。
「あ、私もそれに便乗させてください。どうせ長く生きててもしょうがないし」
「アンタ、若いのに乾いてない?」
「今野さんと同い年ですよ。それに人のこと言えるんですか?」
「ああー。まぁ、そりゃ、そうか」
 智香もミユウと同じように大の字で寝転ぶと、鼻先に濡れたアスファルトの匂いがした。見上げれば白い絵の具のこぼれたブルーのキャンバス、フレームのない永遠。漂うスカイラークの白煙が空に返って行く。
「一本、どう?」
 スッと、智香がスカイラークを差し出すとミユウは恐る恐る受け取った。
「初めて?」
「あ、家で一度……」
 そう呟くと、安物のライターでぎこちなく火をつけ、勢いよくむせ返った。
「うう、やっぱりダメです……ご、ごめんなさい」
「あー、いいって、いいって」
 落ち着いたのかミユウは大きく息を吐き出し、またむせた。ダメージは甚大のようだ。
「私、アンタのこともっと優等生だと思ってたわ」
 智香は白い煙を深く吸い、細く長く吐き出しながら言った。
「よく言われるけど、別にそんなじゃないです」
「決め付けないで欲しいわけ?」
「……はい」
『ああ、なるほどね』と智香は呟いた。
「で、アンタはここで掌かざして何してるわけ?」
少しの間の後、
「今野さんはこの世界が好きですか?」
「まぁ、それなりにね」
ふいの問いかけに智香はぽりぽりと髪をかいた。
「世界ねぇ……」
「はい。こうやって、空に手をかざしてると世界が見える気がしません?」
 ミユウの話を聞きながら、智香も同じように掌を広げてみると、
「私、全然普通なんですよ。普通に育って、普通に学校通って、普通に友達もいて……」
 指と指の隙間から漏れた眩しい光が降り注ぎ、遠い空がかすんで見えた。
「私……全然普通に生きてるのに、こんな世界終ってしまえって思うのはおかしんでしょうか?」
「誰だって多かれ少なかれ思ったことあんじゃない?」
「今野さんも?」
 智香を見つめミユウが小さく呟く。
「私は世界なんかクソクラエだから」
「それって否定してるんですか?」
「いいんじゃない、その時の気分で受け入れたり否定したりしても。掌の隙間から世界を見ててもさ、見えるもんなんてたかが知れてんじゃない。まだまださ、酸いも甘いも知らないで終らせるにはちっと早いでしょ」
「またいい加減な……」
 智香は意地悪く笑うと白い線を吐き出す。白い線は空気の中に複雑な模様を描き消えた。
「あー、今日は良く見えるわ」
「何がですか?」
「どこまでも続くこの世の果て」
 智香が短くそう言うと、ミユウはおかしそうに吹き出した。
「ちっちゃいですね、私達って」
「まぁね」
 ほんの僅かに、ミユウは空を見つめる双眸を潤ませる。
 アスファルトの温度を感じながら、二人は見上げた先を眺め続けた。
 空の上では風が吹いては白い雲が流れていく。スカイラークの煙もこの世の果てまで届くのだろうか。
 きっと、この時間はとてもちっぽけな一瞬しかなくて――。
 狭い世界の中で生きているほんの小さな一瞬でしかなくて――。
 大人になるまでの瞬きするような一瞬でしかなくて――。
 意味も何もない一瞬でしかなくて――。
「あー、まぁ、いいや」
 智香はそう呟くと面倒そうに身体を起こす。
「適当に何か食べにいかない?おごるよ」
「いいんですか?」
 同じようにミユウも身体を起こした。
「あー、いいの。いいの。気にしなくて」
「じゃあ、遠慮しないですからね」
 眩しい日差しと蒼の中、二人は歩き出す。
 今は今でしかなく、この一瞬しかない。
 大人になるまでの一瞬を、時にはウダウダと、ダウナー気味に、戸惑いながら、悩みながら、少女達は駆け抜ける。


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