『L'ecame des jours3(うたかたの日々)』

1.

 スーパーは戦場だ。
 ここで勝ち残ることが出来るのはスーパー側の経営戦略に嵌らない消費者だけだ。商品鮮度を正しく把握せよ。特売品を手に取れ。お一人様一個商品は家族で買え。ここは戦場。それは暗殺一家にとっても。
「十五君、牛乳を選びますよね? そういう時に大事なのは後ろの方の牛乳を選ぶことなんですよ? スーパーさんは前の方に古い賞味期限前の牛乳を置いて売り切りたいわけです。そう考えると、ほら、後ろに置いてある方が賞味期限が長持ちなんですよ」
 陳列棚の後ろにあった牛乳の賞味期限を確認し、三六は十五に見せる。
 十五は目を丸くしてその事実に驚嘆して拳を握り締めた。
 暗殺一家の一員らしくもないキラキラとした少年らしい瞳が三六を見つめている。
 二人の姿は周囲の客から見れば仲のいい兄弟が買い物しているようにしか見えないだろう。
「本当だ!賞味期限が三日も違うぞ! すげぇや、三六姉ちゃん!!」
 牛乳パックを手に十五が感嘆の声を上げると、三六は薄い胸をそらす。幼い頃から買い物感を鍛えている三六にとってそれは常識であり、この知識と技術は十五が継いでいかねばならない。
「クロちゃんは低脂肪ミルクが好きだからもう一本買って帰りましょうね」
「うん!! 今日は98円の牛乳が特売だね」
 三六の言葉に十五は笑顔で頷く。幼さを残したその顔にはまだ絆創膏が残っている。それが三六の心をキュッと締め付け、その細い指先が懸命に買い物籠を持つ十五の手をキュッと握る。
「姉ちゃん?」
 十五は不思議そうに首を傾げていたが三六の手を握り返す。
 あれから――。
 李の事件が解決し既に二週間が経っていた。
 文龍の起こした電車内の虐殺も事故として処理されていた。
 それは分からないから事故と処理したのではない、分かっているからこそだ。
 表の人間が境界線を越えてこちらに踏み込ませない為、あるいは無用な混乱を防ぐ為に、世界は情報を操作する。
 スーパーで買い物する死村家がごくごく普通の家族に見えるように――。
 街を闊歩するDが人間の社会の中に溶け込んでいるように――。
 世界は既に癒着し絡み合っている――。
 システムによる情報操作はそう言った異分子が、夜の住人が、表と裏が混ざり合ったこの世界には必要なことだった。
 維持原殺害もワイドショーなどで派手に報じられたが、それとなく核心に迫る情報は隠蔽されているおかげで表の人間が真実を知ることはない。それ故に、その事件のことも、闇賭博場ナインドラゴンのことも、九頭龍門のことも死村にとってはそれほど問題ではない。
 問題なのは一三と九六三の怪我の方だ。
 二週間経ったが九六三はまだ布団から起きることができない。
 複雑骨折が数箇所、重度の火傷、筋繊維断裂、そして切断した左腕――挙げればキリがなかった。
 三六はキュッと唇を噛み締める。やはり未だに怒りは納まっていない。それは三六だけではなく大勢の死村がそうだ。
 一三と九六三が復讐を願えば九頭龍門本体と戦争しても構わないとさえ思っている。
 当の一三の右目は今のところ問題はないが、万全の体調で一度使えるかどうかの大技をボロボロの体で使ったせいか不調

 だが、それよりも何かを考えていることの方が多くなったことの方が心配だった。いつもの飄々とした憎たらしいほどに余裕たっぷりの態度の中、時々フッとそういう横顔を見せるのがたまらなく寂しい。
 三六の気持ちが十五に伝わったのか十五も眉を顰める。それに気づいた三六は人波を歩きながら十五の頭をなでた。
 自分にできることそれは家族を支えることだ――。
「クロちゃんには、ボクの料理をたくさん食べてもらって元気になってもらわないと。十五君にも手伝ってもらっちゃいますよ?」
「うん!! 頑張る!!」
 三六の呟きに十五が無邪気な笑顔を見せる。まったくもって暗殺者らしくない笑顔だがそれが三六を微笑ませた。
 正直、不安はある――九頭龍門がしたことはシステムからしてみれば均衡を崩す行為、世界の秩序を乱す行いだ。システムは誰がどこで何をしようがよほどのことがなければ動かない。だが、この世界の秩序を乱す存在には容赦しない。過剰と言ってもいいほどの行動に出ることがある。もし、その矛先が死村に向かったら――。
 ふと三六がその視力を持って周囲を見回すと、一般客を装った者が数人ほど買い物していた。もしかしたら監視者かもしれないし異能者、あるいは亜人種かもしれない。何にせよ、溜息がその小さな唇からこぼれてしまう。
 いつかシステムを――この世界そのものを敵に回す日が来るのだろうか――。
 そんな漠然とした不安はあるが――家族がいるから大丈夫、そんな根拠のない安心感があるのも事実。
三六はその揺ぎなさを傍らの小さな手から感じ取っていた。

2.

「本当に良かったのか?」
 布団に包まったままの子猫のような九六三を見つめながら転寝は水桶を手にする。九六三の枕元に座わったまま濡れタオルを取り替えると九六三は首だけ動かし頷く。
 その蒼い瞳は失ったはずの自分の左腕を見つめていた。
 眼前で掌を結んでは開く。傷だらけの掌に窓から注ぐ太陽の光子が透けている。
 既に左腕はかなり動くようになり、簡単な動きならできるようになってきていた。
 転寝の作ったこの左腕は完全義手と名付けられたものであり、元の自分の腕と何等変わらない。生人形使い、または『修復師(レディファイスト)』の二つ名で呼ばれる由縁がこの義手だった。
「不思議だ、生きている義手だなんて」
 そう呟き、九六三はもう一度掌を結んで開いた。
 悪原転寝の作り出す義手は生きている。九六三の意志で動き、傷つけば血を流し痛みを感じさせる。
 ほとんどの人形師がその領域を目指すが、その領域にまで辿り着いた人形師は悪原転寝ただ一人であり、その気になれば呼吸する生きた人形さえ作り出すことができる。
「どうせ作るなら傷も完全に治すこともできるんだが」
 九六三は掌を開き、その傷を、今まで累積されてきた戦痕を見つめる。その傷までそっくりに作ってくれと頼んだのは九六三だった。
「ううん、この傷は生きてきた証だから」
 一三が好きだと言ってくれた傷だらけの指先や掌には今まで生きてきた傷や痛み、ぬくもりや思い出がある。それを失うことが九六三には辛く思えた。
「生きた証か……」
 その言葉に転寝はフッと笑う。どことなく爽やかなさっぱりとした印象を与える微笑だった。
「そこだろうな。九六三と李の違いは」
 九六三は僅かに首を傾げる。
「九六三は痛みや傷から目を逸らさなかった。李は娘が死んだ痛みから目を逸らした。自分が奪う側になった時、痛みを忘れたんだとオレは思う」
 子守という男は現実の苦しみから目を背ける為に命を賭けた。
 文龍という少年は痛みから眼を背ける為に他者を傷つける愉悦を選んだ。
 李という男は喪失感から逃れる為に忘却を選んだ。
 九六三は孤独の痛みを怖れ、戦うことを選んだ。そして、悩んで苦しんでその先にある何かを求めた。
 何かを失うことから目を背けた時に人は道を見失う――かつての九六三のように。
 孤独になることを恐れるが故に人を遠ざけた。
 一人で生いこうとしていつも心は孤独の闇の中を彷徨っていた。
 失うことを怖れれば何かを手に入れることはできない。
 痛みから目を背けてしまえば逃げ続けるしかない。
 孤独を怖れるなら、痛みを怖れるなら立ち向かわなければならない。
 それを教えてくれたのは一三だ。
「一三はまだ……」
 その憂いを帯びた眦を見つめ、転寝も頷く。
「ああ、不器用な男だからな。あいつも。気持ちの整理にはまだ時間がかかるだろう。誰かに打ち明ければ楽になれるだろうに。昔からそうなんだ、あいつは。自分の足で歩いて自分の手で答えを見つけないと気が済まない、そういう奴さ」
「一三らしいな。でも、本当に止めなくて良かったのか?」
 文龍を殺したのは十四だ。それは変えようのない事実。一三が頭の中で割り切っていても、痛みもわだかまりもそう簡単に消えるものではない。
「こういう時にぶつかり合うのがあの二人のいつものやり方だ。少しハードな兄弟喧嘩ってところさ。そんなに心配しなくてもいい」
 もしかしたら一三がそうやって弱さをさらけ出すことができるのが十四なのかもしれない。弱さを晒しても一三は必ず自分の痛みに対する答えを、何かを見つけだすだろう。
 馴れ合うだけが家族じゃない。時には突き放すことも大事なことだ。最後には自分で乗り越えなければならないこともある。
「うん。一三なら痛みだってどんなことだって乗り越えられると信じてる」
九六三は満面の笑みで微笑み、ギュッと左手を握り締めた。
この左腕の傷は痛みと向き合い続ける為のもの。
求め続けた思い、言葉にできないエトワスは決して離さない。
もう一人でなければ迷子でもないのだから――。


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