クリスエグジスタンス幕間


『死村家の人々〜L'ecame des jours2(うたかたの日々)〜』



 乾いた風が吹き、巻き起こる砂埃が舞い上がる。
 ひび割れたアスファルトにモーターの駆動音が響いた。
 2000ccはあろう重量超過気味のバイクが、夜の街を疾走していく。
 アルミを多用したボディの黒い輝き。それは洗練されたシャープさを持っている。
 ガソリンタンクをシート下にレイアウトし、通常タンク部分をエアクリーナーボックスとすることでより洗練されたフォルムとなっていた。
 疾駆する姿は、美しくも鋭い。まるで、荒々しさを宿した黒い獣が街を蹂躙するようだった。
しかし――。
 その巨躯の黒獣を駆るのは、不釣合いなほど華奢な女性ライダーであり、モンスターマシンとの組み合わせは美女と野獣だ。
 フルフェイスからあふれた長い艶やかな黒髪。
 ジーンズと白いファー着きのジャケットに浮かび上がるしなやかなボディライン。
 ライダーが女性であることはその見事なボディラインを見れば一目瞭然だろう。
 ただ華奢なだけではない。
 その身体はバイクと同じで、洗練された美しさと女性らしさを秘めていた。
 バイクは先ほどまで軽快だったスピードを落とすと、マンションの前で止まる。
「ふぅ……」
 女性は吐息と共にバイクに乗ったままフルフェイスを取った。髪がフワリと風にゆられる。
 黒髪が月明かりの下で広がっていく。
 黒いフルフェイスの中から現れたのは、凛とした鋭さをもった女性だった。
 それに反して、厚めの眉と切れ長の双眸が大人びた中にも愛らしさを感じさせた。
「いい夜ですね、先生」
 女性に語りかける声。振り返ればマンション前の暗がりの中に一人の男が立っていた。
「十四か……」
 女性の高い声がその名を呼ぶと男はニッコリと微笑む。
 それは女性と並んでも見劣りしないほど、美しい男だった。
 長い髪は夜の輝きを吸い込み、整った顔に通り過ぎるヘッドライトが当たる度に、その美しさが際立たされる。まるで、雲に隠れていた月が出てきた時のような神秘性さえ感じさせる。
 「相変わらず、そんなバイクに乗ってるんですね。もう大分古いでしょう?」
 十四がクスリと微笑むと、女性はバイクのシートを愛しむようになでる。
「オレの愛馬だ。こいつに乗ると他のに乗る気はしないよ」
 オレ――。
 その言葉が妙にこの女性と似合っていた。
 女性の名は悪原転寝(あしはらうたたね)。『友』を信条とする悪原一族出身であり、同じ『八属』で『忠』を信条とする死村とは相性が良い。一族ぐるみの付き合いのみならず転寝自身も一三や十四との付き合いは長かった。
「傷の方はどうだね、十四」
「ええ、先生のおかげで僕の方は大丈夫です」
「一三はどうだ?」
「ええ、まだ治りかけですからね。言いつけどおり大人しくしてますよ」
 転寝はうんと小さく頷く。
「トランシルヴァニアで吸血鬼と殴りあいやって、死にかけたと聞いた時は、さすがのオレも血の気が引いたよ……しかも相手は八大伯爵の一人、ドラクロアだからな」
「フフフ、御心配おかけしました」
 それはつい、数週間前のことだった。
 十四と一三が仕事で、トランシルヴァニアの吸血鬼と戦闘したのは。
 その戦闘で一三と十四が負った傷は完治まで数ヶ月はかかる物のはずだった。
 ――はずだった。
 十四の傷は、僅か数週間で治り、一三の傷も回復に向かっている。
 それは転寝の治療が云々ではない。
「その治癒力は恐ろしいものがあるな……さすがのオレも驚くね」
「ええ、だから先生のような闇医者が必要になるんですよ。僕たちが病院に行ったら間違いなく化物扱いですからね」
「違いないな」
 転寝の職業は闇医者――。
 訳があって医療機関を利用できない者や、訳ありの患者を扱い、裏では病医者(やみいしゃ)などと揶揄されることもある。転寝自身はそう呼ばれることは気にしていなかった。
「そう言えば、クリスは元気かね?」
「九六三ですか?段々馴染んできましたよ。私をお兄ちゃんと呼ぶ日もそう遠くはないですね」
 転寝は十四の戯言を無視する。絶対にそれだけはないことは確かだ。
「確かあの子は……」
「ええ、叔母の子です」
「そうか……あの時の子がな」
 どれぐらい昔だろうか、一三達と仕事した時に傷だらけの九六三を治療したことがある。
 孤独な瞳をした少女だった。
 まるで、ずっと雨の中に立ち尽くして空を眺めてるような――。
 十四は叔母の子と言ったが、それだけじゃない。
 何かを隠していることはすぐ分かった。
 だが、それを問い詰める必要もなければそこまで愚かでもない。
 十四が隠すとすれば本人にも伝えていないことなのだろう。
 死村という存在の根幹にかかわる様な――何かだ。
「どうぞ中にお入りください、先生。ダージリンのいいのが入りましたから」
「ああ」
 十四の背の後を着いて、転寝はマンションに歩き出した。



 和室への廊下を歩きながら、転寝はぼんやりと一三のことを考えていた。
 死村一三と悪原転寝の付き合いは長い。
 お互いの好きな音楽も知っていれば、お互いの味の好みも知っている。
 それこそ、十代の頃からの付き合いで、一三や仲間達とは様々な仕事をこなして来た。
 だからこそ、分かることもある。
 一三が怪我をするのは――大概において他者、家族の為だ。
 仲間達の中において、一三は常に『家』だった。仲間を常に守り、そのことで傷つくことを怖れない。
 転寝にとって一三のそういうスタンスが好きでもあり――嫌いでもあった。
 何度もそのことで、言い争いになったり喧嘩したこともある。
 その度に、他の仲間たちは『またかよ』と笑っていたのものだ。
 それも随分と昔のことなのに、一三のそういう所が変わっていないのは少し嬉しいし、怪我するのはやはり心配だった。
 ぼんやりとしたまま、一三のいる和室の引き戸をゆっくりと開ける。
 ドアの隙間から見えたのは九六三の滑らかな金色の髪であり、一三の顔をタオルで拭っている所だった。
 それが心地良いのか眠っている一三は穏やかな表情をしていた。
「すまない……一三」
 寝かされた一三に向かって小さく呟く。
 その潤んだ瞳と懸命な姿に宿るのは――後悔だ。
 昔、治療した時はもう少しツンとした少女だったのがここまで変わるとは転寝も思わなかった。
「私のせいで――」
「君が責任を感じることはない」
 九六三の蒼い瞳が転寝を見つめる。
 転寝はゆっくりと部屋の中に入り、一三の枕元に座った。
「先生……」
「一三が好きでやったことだ。こいつは昔から、自分の家族が傷つけられるのが許せないんだよ」
 九六三は戸惑いながら頷くと、一三を見つめる。フッと転寝も溜息をつき、寝かされた一三の状態をチェックしていく。
「そういう奴なんだよ、一三はな。家族が辛い思いや孤独を感じてるのが耐えられないんだ」
 『孤独』とは一人でいることではない。
 真の『孤独』とは他者との関わりを諦めてしまうことだ。例え一人であろうと、必ずどこかで誰かと繋がっている。それすらも否定した時、それは真の孤独であり終わりだろう。なぜなら、人は他者との係わり合いによって存在することができる生物だからだ。他者を完全否定した時、その人間は存在していないのと同じだ。
 全てを否定し、暗い闇の中で一人ぼっちだった九六三を助け出したのは一三だ。
「でも……」
 僅かに蒼い瞳を潤ませ九六三がうつむく。その瞳に宿るのは後悔と戸惑いだった。一三に護られてしまったこと、傷つけてしまったこと、様々な後悔が表情を曇らせている。
「私はここにいていいのだろうか……私に家族を口にする資格など」
「本気で言っているのか、それ」
 転寝は呆れたように溜息をつく。
「え?」
「本気で言っているのならオレは怒るぞ」
 少しぶっきらぼうに、九六三を見ずに転寝は呟いた。
「先生……」
「悪原は友を信条とする。友とする者を選ぶ。友とする者を尊ぶ。友とする者を愛する。我が友、死村一三は君の為に命をかけた。それは君が家族だからだ。一三はな、飄々としているが大事な物が何か分かっている男だ。それを護るためなら何だってする。どんなリスクがあろうと関係ないんだ、軽口をたたきながら勝てない戦いだってやるだろうね」
 厳しい表情を浮かべていた転寝はフッと笑みを浮べ、九六三の頭に手を置いた。
「自分以外の大切な誰かの為に命を張れれば、それはもう家族だろう?もし、君が自分を責めるなら強くなればいい。そして護るべき者の為に命を張れるようになれ」
「家族の為に……命を……」
 転寝の言葉をなぞり、九六三は潤んだ瞳を拭う。
 そして、ダイヤモンドのような気高い輝きを宿した瞳を転寝に見せる。
「よし、九六三。お湯を用意してくれ」
 コクリと九六三が頷き、部屋から出て行く。
 きっと、これから先も九六三は迷い戸惑うことがあるだろう。だが、九六三には一三や十四、家族達がいる。
「強い良い子だ。真直ぐで純粋で昔の君に良く似ているな」
 一三の前髪をそっとかきあげながら転寝は囁く。
「あまり無茶してくれるなよ」
 その言葉が届くことはないのは分かっていた。
 一三が己の意思を曲げることはないだろう。やはり、それが嬉しくもあるし心配でもある。
「まったく、昔も今もいつだって私は君を心配する側なんだな……。待っている女というのは辛い身だよ、一三。あの子が少し羨ましいぞ」
 転寝は溜息と共に微笑を浮べ、一三のおでこを弾いたのだった。


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