『セツナさいくる×4』

 放課後、テスト前に三人で勉強しようと言い出したのは優希だった。
 犬杉山市の外れにある大図書館はオレンジ色の光で満たされ、そろそろ日が暮れようとし
ている。静かな館内は人もまばらで、司書の老人(市民からは通称、居眠りさんで親しまれている)もウトウトしていた。
「うわ、もうダメだ、私。なんか笑うしかないっすよ、これ」
 褐色の肌を夕陽に輝かせた少女は教科書を閉じる。
 殺姫初生(さつきはつおい)は教科書とのにらめっこに降参して机の上にだれてしまった
。優希は初生のその仕草が可愛くて思わず吹き出す。
「初生ちゃん、まだ一時間しか経ってないよ」
 優希は微笑みながら初生の教科書を開く。
 その穏やかでナチュラルな微笑みは、おっとりした佐東優希(さとうゆうき)に良く似合う
。しかし、穏やかながらも、その瞳にはエーデルワイスのような気高い気品が宿っていた。
「私としては、一時間で一週間分のテスト勉強やった気分なんだけど」
「まだまだここからだよ。もう二、三時間頑張ろう?」
 優希がサラリとそんなことを言ってのけると、初生が固まる。
「二、三時間!?」
「うん」
 この反応の差が、毎日机に向かう者との差であり、学年トップ組と中位組の差でもあった

「あ、でも、今日はもうちょっと長くてもいいかな……」
 そんなことを呟きながら、優希はモジモジとした仕草する。頬を少しだけ朱に染める優希
に気づき、初生はニヤリと八重歯を見せる。
「ほうほう、なるほど」
 ギクリとしながら優希は、教科書で顔を隠す。
「本当は優希も克己君と二人っきりになりたいくせに」
「は、初生ちゃん!?」
 優希は慌てながらも、正面の克己をチラリと見つめる。
 優希の目の前で、黙々とペンを動かす少年の名は芹沢克己、優希の彼氏だ。
 その無愛想で鋭い双眸は、優希の視線に気づくことなく、ノートに向けられていた。集中
する姿はいつもにましてシャープで、優希は話しかけることができない。そういう克己ももちろん好きなのだが少し寂しい。
 そろそろ、二人が付き合って三ヶ月は経つ、すこしぐらい慣れても良い頃なのだが――。
『優希、そろそろ二人っきりでいられるようにならないと』
 初生を勉強に誘った時、心配そうに言われてしまった。
 心配かけまいと優希も自分なりに頑張っているし、いつまでも、初生に頼っているわけに
もいけないことは分かっている。それでも、二人っきりになると会話を続けることができなかった。
「あ」
 ふいに、初生が黒い携帯を取り出した。どうやらメールが届いたらしい。
「あちゃ〜」
 悪戯っ子のように、小さく舌を出すと初生は携帯をしまう。
 そして、両手を合わせ、優希に頭を下げた。
「ごめん、部活の方で呼び出しだわ」
「え、そうなの!?」
 優希は少し慌てて、口元を抑える。
 ここで初生がいなくなると、克己と二人っきりになってしまう。
「いくのか?」
 さっきまで黙々と勉強していた克己が顔を上げ、初生にプリントを差し出す。
「ここを重点的に勉強するといい」
 どうやら、克己は優希と同じようなことを考えていたらしい。
 優希も微笑みながら手書きのプリントを差し出す。
「あ、初生ちゃん、これは連立方程式のまとめプリントだよ」
「おお、サンキュー、二人とも」
 初生はプリントを受け取りながら、優希にウィンクしてみせる。それだけで、優希は初生
の意志を察して、受け止めた。
「あはは、じゃあ、後は二人でね?」
「ああ」
 優希が照れる中、克己は特に動じることなく頷く。それもまた優希には少し寂しかった。
 二人で――その言葉が優希の中でリフレインしているのに、もしかしたら克己にとって、
それはなんでもないことかもしれない。克己がいつも冷静で大人びた性格をしてるのは分かるのだが、やっぱり、少し胸がキュッとなった。
 初生が手を振り去っていくと、克己は再びノートに向き合う。
 そして――訪れる沈黙。
 落ちつかない優希は、ふと周囲を見渡した。
 気がつけば、館内は司書の老人が居眠りしているだけで、優希と克己の二人だけだ。
 二人っきり――それを意識した瞬間、優希の顔がボッと赤く染まる。
 二人きりで、しかも夕暮れの図書館。ドラマの中で出てきそうなシチュエーションだ。
 夕暮れの中で、恋人同士の二人は、見つめあい段々と――なぁんて、そこまで考えて優希
はかろうじて正気に戻る。
 現在、微熱三十七度。
 動揺したまま優希はノートを床に落とし、慌てて拾った。
 本当は勉強しに来たはずが、これではまるでデートみたいだ。
 いや、付き合ってるんだし、別にデートと言っても違和感ないわけで。むしろ、一緒にい
られるだけでも満足なわけで。
 纏まらない数列のように、様々なことが頭の中をいったり来たりを繰り返している。
 しかも、その中心にいるのが克己だ。それだけで、それだけで、胸のファンファレーが高
らかに鳴り響いていてしまう。
「二人っきりですね」
 沈黙に耐えれず、何か離さないといけないという気持ちにせかされた優希が小さく呟く。
 克己は淡々とノートを綴り続けていたが、ピタリと手を止める。
「ああ」
 そう短く答え、再びノートに視線を移す。いつも通り、冷静で大人の克己だ。
 その余裕にも似た態度が、優希の胸に何とも言えない痛みを与える。
 何を一人で浮かれていたのだろう、今日は勉強しに来ているのに、と激しく後悔した。
 こういうことで焦ってしまうのは子供だからだろうか、と優希は思う。
 その恥ずかしさから、優希は何も話せず固まってしまった。
 交換日記の中でならどんなことでも言えるのに、いざ、こうなると何も言えないのは何故
だろう。
「あう……」
「どうした?」
「な、何でもないです……」
 ついつい優希はうつむいて、涙目になってしまう。
 何も話すことができず、時計の音だけが静かな図書館に響く。
 なんで、克己の前だとうまくいかないのだろう。こないだも街を歩いた時、トイレに行き
たかったのに、中々言い出せなかったし、克己の前だと緊張してケーキも上手く食べられなかった。
 ぎこちなくて――。
 子供っぽいことばっかりで――。
 そんなことばかり繰り返してると、克己の前で嫌われてしまうのではないだろうか。
「優希」
ふいに克己がその名を呼んだ。
そんな優希を見つめたまま、スッとノートを差し出す。
「?」
 優希が受け取ったノートには綺麗な文字で『大丈夫か?』と書かれていた。
 それを受け取ると優希も丸文字で、『大丈夫です。大丈夫なんですけど、本当は少し緊張
してます』と書いてノートを返す。
 すると克己は珍しく、口元だけでフッと笑った。
 そして、またノートを優希に手渡す。
『俺もだ』
 それは克己らしく短い言葉だった。でも、優希にはそれで十分だった。
 克己も同じ――そう思うと急に肩の力が抜けてくる。
 やっと、分かった。優希は一人で焦っていたけど、克己も同じでもっと、優希と話したか
ったのだ。
 恋愛や恋人同士には様々な形がある。
 優希と克己の恋愛は不器用で、中々スマートな形に決まらない。
 それでも、不器用でぎこちなくてもお互いを好きでいたいという気持ちこそ、二人の形だ

 それから、克己と優希は少しずつ言葉を交わす。それは日記のことであったり、学校のことであっ
たり、お互いに問題を教えあったり、他愛のないことだった。
 それでも何回か、会話が途切れる。そんな時は、黙々とノートを書く克己を見つめ微笑む
。もう、一人で焦るような不安はなかった。
 優希はノートの墨に、赤ペンで小さく『大好きです』と書く。
 いつか、この心の中で溢れてる『大好き』を、もっと素直に伝えられるようになろうと思
った


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