『せつなサイクル×5』
放課後、切りすぎた前髪を触りながら更衣室の鏡とにらめっこ。特に見せたい相手がいるわけでもないし、気づいてくれるような彼氏さんもいるわけでもない。
スッと、伸びた手で鏡の中の殺姫初生に触れてみる。
水泳部の焼けた褐色の肌も短い髪も女の子らしさとは無縁だし、そういうのはいざ自分のこととなると苦手だ。
「あ、初生、戸締りよろしくね。最近水着ドロとかあるみたいだし」
先に着替えた部長が部室の鍵を私に手渡す。
「あいよ。部長もデート頑張って」
私がそう言うと部長はガッツポーズをしてみせる。
「任せなさい。今日こそ口説いてみせるんだから。口説いてダメなら押し倒せってね」
「確か部長の彼氏って小学生だったよね……」
部長は得意げに私と同じぐらい薄い胸を張る。
「いいの!!光源氏計画なんだから!!」
「うっわー、最低な計画」
「初生こそさ、そろそろ彼氏作りなよ。秋よ、秋、恋愛の秋なんだから」
痛いとこを突かれて私は苦笑いを浮かべる。
「いいよ、そういうの。私はプールが恋人だし」
んべっと舌を出すと部長はおおげさにおどけた。
「うわっ!!悲惨な青春!!愛がないって言うか、むしろ哀しかないよね」
言いたい放題言った後、部長は私の肩をポンと叩く。小学生を自分好みに育ててる青春よりはマシだ。
「初生、私の弟でよければ紹介するよ?」
「それって小学生じゃなかったっけ?」
「何言ってるの?小学生だから良いんだって」
真顔で断言するこの人は本当にすごいと思った。
「んじゃ、初生、明るい青春すごしなさいよ」
「はいはい」
私が苦笑いを浮かべると部長は部室から出て行く。
「恋人か……」
一人になった更衣室で、いまいちピンと来ない言葉をリピートしながら水着からセーラー服に着替える。
そういう話は嫌いじゃない。なのに自分のこととなると苦手なのが我ながら不思議だ。
更衣室を出ながら理由の分からない溜息をまた一つ。
外は夕暮れ。フッと吹きつけるオレンジ色の風が髪に触れた。
九月も終わりに近づき、少しだけ風が寒くなってきた気がする。
私は変わらないのに、何も見つけられないのに、いつも時間だけが過ぎていく。
親友の優希は克己君と付き合って――。
草君と琴さんは留学を決めて――。
幼馴染の涼は一と最近仲がいい――。
また私だけが変われずに水の中にいる――。
いつも水の中から皆が通り過ぎて行くのを見つめている。
なんなんだろう、この気持ちは――。
少しもやっとして、胸の奥がチクチクする。
なんなんだろう――秋風のせいだろうか。
ふと、ポプラの木の下からグラウンドの方を見て一の姿を探す。
いつもなら走り回っているあいつの姿はなかった。
「帰っちゃったか……」
ポツリと呟いた言葉が風の中に消えていく。
誰もいないグラウンドはただただ広くて――静かだった。
私がただただぼんやりとそれを眺め続けていると、また冷たさを含んだ秋風が通り過ぎる。
なんとなく、風が吹きつける中で一人立ち尽くすのと、人ごみで誰かとすれ違った時に感じる孤独は同じ気がした。
ふと、遠く――背後から声が聞こえる。プールの方だ。
それは聞き覚えのある声――。
『あれ、初生いないぞ』
一の声だ。
『あちゃ〜。遅かったか』
ここにいる、私はすぐに振り返ろうと――。
『もう帰ったのか?』
涼の声――を聞いた瞬間、私の身体が止まった。
『みてぇだな。部長と一緒だったのかな』
私は開きかけた手をキュッと握りしめる。
『しょうがねぇ、帰ろうぜ』
『仕方ないか……』
二人の笑い声が通り過ぎていく。
私は二人の声が聞こえなくなってもずっとそこに立っていた。
なんで、私は振り向かなかったのだろう。
声を出して駆け寄ればよかったのに。
なんでこんなに苦しいんだろう。
そんなことを考えなら、歪んだ視界でグラウンドを見つめる。
子供の頃から三人で――。
私は二人が本当に大好きで――。
涼も一が好きで――。
一もきっと涼が好きで――。
二人が幸せならそれでいいはずなのに――。
好きなのに苦しい。
この気持ちが愛かどうかなんて分からないけど、哀だけは分かった気がする。
胸の中を冷たい風が吹くと、私はグラウンドに背を向け走り出した。
帰ったら自転車でどこかに行こう。そうしよう。
どこでもいい。遠くどこかへ。行けるだけ。
それでこの胸の痛みやモヤモヤとかそういう物が消えるかどうかは分からないけど。そうしなければどうかなってしまいそうな気がした。
吹き抜ける向かい風は相変わらず冷くて、胸が張り裂けそうなぐらい痛かった。
この胸の痛みは――きっと秋風のせいだ。
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