『蝉の抜け殻』


響くのは蝉の声と風の音。
伝わるのは熱気と人の声。
感じるのはあの夏の懐かしさ。
眼前にそびえる色あせた校舎は今も変わらない。
あの頃より僕は少し大人になって。
色んなことを知って。
色んな物を失って。
それでも瞳に映るここは変わらない。
僕が母校の校舎の前に立つのは数年ぶりだった。

来賓口から校舎内に彼女と入る。
内装もほとんど変わってない。
落書きも刻まれた傷も、そう何もかも。
胸が締め付けられるようなノスタルジーに心のベクトルが動く。
ふと窓からグラウンドを眺めると野球部員や陸上部員が暑い中、部活動に勤しんでいる。
今しかない時間のために。
今できることのために。

職員室の前で僕と彼女は軽く手を振り別れ、
彼女はその中へ入っていく。
僕は屋上への階段を登る。
湧き上がる汗も拭わず一気に登りきると屋上のドアの前に立つ。
立ち入り禁止の紙が張られていたがかまわずドアを開けると、
一瞬にして吹きつけるような蒼い風が僕の体を通りすぎた。
いや、包まれたと言った方が正確かもしれない。
僕の体に刹那にして染み込んだのだ。
一歩踏み出すと入道雲と青空が広がる。
屋上にはフェンス前に座る少女と本を読む少年がいた。
ドクン。妙に大きな鼓動を立て心臓が高鳴る。
フェンス前に座っていた少女はこちらにゆっくり振り向く。
まるで二人だけ色が抜けてセピアに染まっているようだ。
「……友香」
僕はつぶやいていた。
そう、僕はここであの頃と同じように、再び今野友香と出会ったのだ。

初夏……蝉の声が聞こえ始めた頃だ。
僕は嫌いな数学の授業をさぼり屋上にいた。
ただ、ぼんやりと本を読んだり、くだらないことを妄想したりして、
それなりに屋上ライフをエンジョイしていた。
今日も屋上のフェンスにもたれかかりヘッドフォンをつける。
曲はマイナーポップス。
はやりは聞かないのがポリシーだ。
バックから小瓶を取り出すと膝の上で遊ばした。
瓶の中に転がる蝉の抜け殻が乾いた音を立てる。
何もない空っぽの音。
虚空音。
何も生まれない音。
虚無音。
ぼんやりと蝉の抜け殻の入った瓶を見つめていると屋上のドアが開いた。
ドアから長い黒髪に眼鏡の少女が近づいてくる。
「や、友香」
僕はヘッドフォンをずらし手を振った。
友香は目の前から僕を見下ろす。
「またさぼったの?」
人のことは言えないと思うが。
僕は笑いながら答える。
「蝉の抜け殻」
「は?」
友香は聞き返す。
「蝉の抜け殻と同じで空っぽだと思ったから」
「……ばか?」
「うん。ばか」
にっこり満面の笑顔を返す。
友香はゆっくりセラー服のスカーフを取った。
そして座っている僕に、腰をかがめキスをする。
蝉の声が遠くなった。
全ての熱が唇に集まる。
何かの本で読んだが極上のキスは唇にワインを注ぐ感覚らしい。
よくは分からないがきっとその感覚なんだろうと思った。
僕はゆっくりと友香を引き寄せる。
彼女はすんなりと身を寄せた。
友香を膝の上に座らせ、セーラー服を脱がしていく。
ヘッドフォンからがミュージックが漏れていた……。
『生まれてこの方飽きもせず 僕らは季節のない街で暮らし続けてるのさ 灯りにたむろしてるのさ』
友香のセーラー服を脱がし終わるとゆっくり白い下着の中に手を滑らせる。
じらすように、戯れるように。
彼女の隠された部分に触れていく。
「風彦……」
もだえるような憂いを含んだ甘い声とベルベットの吐息が耳に触れる。
柔らかいボディ……。
マシュマロに触れているようだ。すべっとしてそれでいて弾力、熱をもっている。
『最低最悪の条件付きの見知らぬ大人の言葉など 聞く耳など持つわけないさ 若気の至りなのさ 』
もう一度ゆっくりキスをする……。
奪い合うように、求め合うように。
下着の上下を脱がし抱きしめあう……。
いい匂い……。
「あ、夏みかんの匂い……」
「バカ……」
『貴方がこの世にいることが それだけがせめてもの救いのような気がするのです』


一通りやることを終えると友香と僕は服を着た。
恥ずかしがり後ろを向いて着替えるのがかわいい。
着替え終わると友香はいつものように僕の横に座り、肩にもたれかかってきた。
僕は何も言わず本を読む。
「別に……貴方のこと好きじゃないから……」
分かってる。僕たちの間に愛情も友情も何の感情もない。
ただの……。
「このまま寝ていい……?」
「うん」
「夜は暗いから眠れないの…嫌なことたくさん思い出して……」
「うん」
「風彦もバカだよね。こんなとこにいたら成績下がるよ?私は成績優秀だからいいけど」
「別にいいよ。そんなこと。チャイムが鳴ったら起こすから」
「……うん」
僕は蝉の抜け殻を手の平に出した後、太陽に透かした。
ただの……共依存。
チャイムと共に終わる僕らの時間。
刹那の時間。
名残おしいとも思わない。
切ないとも思わない。
愛しいとも思わない。
ただの……僕らの現実逃避。
空っぽの蝉の抜け殻。
『このままでもっと空高くもっとはばたきたいのに まるで僕らは羽をもがれた飛べないバタフライ 分かってるんだ 皆病んでるんだ 彷徨ってるんだ 傷つけあいをただくり返す 不条理なエヴリィディ』


「友香……」
僕がつぶやくと僕と友香の姿はスッと消えた。
分かってる……。
夏の残滓だ。
空っぽの幻だ。
あの頃の僕らの抜け殻……。
「おーい!風彦!」
彼女が屋上のドアを開けて入ってくる。
「ああ、友香」
彼女に……友香に手を振った。
「何してんの?」
「あの頃の空っぽの僕らと会ってた」
「……ばか?」
「うん。ばか」
僕はその言葉に満面の笑顔を返す。
「……そうそう、これさっき見つけたんだわ」
「ん?」
友香はポッケから蝉の抜け殻を取り出した。
「好きでしょ?」
「ん」
僕は受け取るとそれを太陽に透かした。
蝉の抜け殻はやっぱり空っぽでその向こうに空を映している。
「蝉の抜け殻ってさ、空っぽだけどさ、中に何が入ってると思う?」
友香が首をかしげた。
「何か入ってるの?」
僕たちは蛹から大人になった。
過去を脱ぎ捨てて。
過去を自らの力で乗り越えて。
馴れ合うことで傷を舐めあう僕たちはもういない。
自分の羽で飛んでいけた。
これは僕たちの抜け殻だ。
「さぁ、なんだろ?」
「アンタねぇ、教えなさいよ」
僕は入り口に向かって歩きだした。
「置いてくよ?」
「あ!待ってよ」
蝉の声は夏の空に響いていたのだった。

 

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