『ラムネキッス・チョコレートライフ』

五限目の授業が始まる最中、津筒都綴喜は保健室のドアを開ける。
「常葉さん」
中に入ると、開けっ放しの窓から秋風がそぎ、カーテンレースがユラユラとゆられていた。
「あ……」
思わず綴喜が呟く。
常葉は机につっぷして、気持ち良さそうに寝息をかいていた。
机の上には相変わらず書類や本がゴチャゴチャとして……。
片付けられないのは常葉の癖で、綴喜はそれに関して半分諦めてる。
常盤常葉(ときわときは)。二十四歳。
低い身長と童顔に三つ編み、眼鏡のせいで子供っぽく、綴喜とそう違わない年齢に見えるだろう。
「う…んん」
「常葉さん」
綴喜は人差し指でチョンチョンと肩を叩く。
「常葉さん?」
「んん……」
眠たそうに眼をこすり常葉が起き上がる。
綴喜はこのまま起きなかったらキスしようと思っていたのだが。
「おはようございます」
常葉の視界に、やんわりとした表情の綴喜が映る。
ゆっくりと起き上がり、綴喜のふわっとした髪に触った。
「うむ。綴喜……」
常葉はいつも通り、綴喜の身体に抱きついた。
常葉としては目覚めて一番最初に見るのが綴喜というのはかなりうれしいことだ。
「目覚めの充電なのだ。ジッとしていたまえ」
「はい」
綴喜もそっと常盤の細く華奢な体を抱きしめ返す。
柔らかな感覚と互いのぬくもりを存分に感じる。
常葉にとっても、綴喜にとってもこの時間は幸福な時間だった。
「ん〜」
常葉の口から子猫が甘えるような声が漏れる。
「常葉さん、昼休み来れなくてすいませんでした」
「ん。」
ふと、常葉は昼休みのことを思い出す。
わざわざ、律儀に言うのが綴喜の悪い癖だ。
「綴喜、昼休みに来なかったな」
常葉が綴喜を抱きしめたまま呟く。
先ほど眠っていたのは、綴喜を待っているうちに眠ってしまったのだ。
昼休みに会うのは二人のいつもの日課だ。
何か理由があったのは分かるし、こうして授業をさぼってまで来てくれるのはうれしい。それでも、易々と約束ごとを破ったことを割り切るのは……。
「あ、怒ってます?」
「うむ」
常葉が少し口の端を尖らせる。
子供っぽいすねたような仕草だった。
綴喜はそんな常葉も可愛いと思ってしまう。
「委員会の仕事があったんですよ」
「だから最初から保健委員になっていれば良かったものを……」
「ジャンケンに負けたから仕方ないですよ」
常葉は気づいてないが、常葉は男子に人気がある。
保健委員の決定が争奪戦になるほどだ。
「分かっている。分かっているが言いたくなる時もあるだろう」
「ごめんなさい」
分かっているが割り切れない、そういう傾向は男性より女性の方が強いと言われる。
綴喜はそれを知っているからこそ、必要以上は言い訳しない。
「あ、チョコ持ってきたんですけど……」
綴喜がポケットからチョコレートのケースを取り出す。
ビターやホワイトが入った詰め合わせだ。
「むぅ。そんな物で機嫌が取れると思ってないだろうな」
「思ってませんよ。会えなかった僕が悪いわけですし……」
常葉がため息をつく。
中々、分かっているのだが素直に思いを伝えられない。
「授業は出なくていいのか?」
「はい、常葉さんと居る方が好きですし」
常葉の頬が赤らんだ。
あまりにも真顔で言われると……。
「まぁ、なんだ。これに懲りたら私に会うことを最優先とするのだな」
「はい。心得ます」
互いにそう言った後、微笑む。
結局、言いたいのは『一緒にいる時間を多く取りたい』そういうことだった。
綴喜も常葉もこういう回りくどいやりとりは嫌いではない。
どんなに回りく、不器用で、子供っぽくても、確認するためのプロセスが大事なのだ。そして、それが楽しいと思う。どんなやりとりでも二人が交わす物であれば意味があることだ。二人でいる時間に我楽多なんかない。
喧嘩してても、すれ違っても……。今過ぎ行く、この刻でさえ、二人でいられる時間なのだから。
綴喜はケースからチョコレートを一つ取り出す。
「つ、次の時間は授業に出るんだぞ」
「え〜。せっかくイチャイチャする気だったのに」
「ば、馬鹿者」
オアズケ、そういうことだろう。
綴喜に少し悪戯心が浮んだ。
「お茶をいれるから……」
「じゃあ、一緒に食べますか?」
綴喜はそういうとチョコレートを口の中に放り込む。
ウィスキーの甘い味が口いっぱいに広がる。
「あ、私はホワイトチョコが……」
常葉がそう言いかけて……柔らかな唇と唇が重なった。
「!!」
突然のことで常葉の体がビクリと震える。
それはウィスキーティストの甘いキスだった。
ゆっくりと、蝋に焔が灯るように心が熱を持っていく。
「綴喜……」
常葉は体の力をゆるめ、ゆっくりと瞳を閉じる。
それはキスの時に瞳を閉じるという思考のものからであり……全てを委ねるという瞳のアイズだ。
唇と唇が絡み合う温もりを感じながら、湧き上がる愛しさの衝動に身を委ねていく。
ウィスキィボンボンが綴喜の舌から常葉の舌へ……。
舌と舌が絡み合いながらウィスキーボンボンをコロコロと弄ぶ。
綴喜から常葉へ、常葉から綴喜へ……。
それは、ねっとりとしたチョコと唾液が意志をもっているかのようであった。
「ン……綴喜…すき」
甘く、切なく呟く言葉が紡がれる……。
それ以上は言葉にならない。
その代わりに言葉を紡ぐのは胸のビートだった。
常葉の細く小さな両手が綴喜の頬に触れる。
体は強い重力を持ち、綴喜に引きつけられていく。
唇の絡み合う熱よりも、いっそうシャープな感覚が舌に広がった。
シャープ、それでいて蕩けるように甘くたゆたう感覚。
互いの舌が、ウィスキーボンボンを転がしながら絡み合う。
それは求めるように獣のように。
指先から全身まで電気が走るように震え、まるで淫靡な世界に堕ちて行くようだ。
絶頂のニルヴァーナへの扉が開いていく。
甘い唾液の味が舌の敏感な部分にからみついた。
それがまた心地よくて、唇を離さなかった。離したくなかった。せめて一時、ウィスキーボンボンが溶けてしまうまで……。
ゆっくりと綴喜と常葉が離れていく。
離れていくことに切なさを感じながら……。
「むぅ……」
常葉が唇に指先をあてモジモジとしている。
「どうしたんですか?」
綴喜が微笑みながら答える。
少し意地悪しずぎたことに、内心反省しながら。
「そういうことはだな、こういう場所で、いきなりするなと普段から……見つかったら君の立場もあるわけで…うれしいけど」
「チョコレート……まだありますけど一緒に食べます?」
一緒に……。
常葉は思わず赤面してうつむく。
再び交わる唇は容易に想像できた。
「し、仕方ないな、うん、い、一緒に……」
常葉はソッと瞳を閉じる。
「ん……綴喜」
ねだる様な求める声。
心臓は先ほどと変わらずエイトビートを刻んでいた。
「はい、常葉さん」
綴喜の甘えるような声。
ソッと常葉の口の中に、ビターチョコがいれられる。
常葉の期待と少し違った。
綴喜としては悪気があるわけではないのだが。
「どうしたんですか?」
常葉は小さく肩を震わせると、綴喜は不思議そうな顔をしていた。
本気で気づいてないことに分かると火がついたように恥ずかしくなる。
すれ違い。
だが、それさえも二人にとって……大事なファクターだ。
「あう……っく。も、もう知らん」
「え?え?」
「知らん。知らん!!」
すねる常葉の口の中でビターチョコが溶けていく。
少しほろ苦くて……甘かった。
二人の緩やかな午後が過ぎていく。


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