『おれんじ&だぶるそーだ』


褐色の少女がプールサイドから飛び込んだ。
飛び散る飛沫と弾ける音……。
水に触れたその瞬間、全て消え真っ白になる。
そして青に包まれていく……。
水の中の限りない静寂の世界……。
筋肉と世界が溶け込み、それが連動し動きの一つ一つが新しい世界を作って行く。
その世界こそ、限られた一流のスポーツマンだけがたどり着く超感覚世界『ゾーン』だった。
少女の周囲で泳いでいた者達がポカンと見とれてしまう。
無論、極限まで集中している少女にはそんなこと分からないだろう。
速い……。
それだけじゃなかった。
そのフォルムの美しさ……。
一流の格闘家は強いだけでなく美しい。
まさにその通りだった。
白い飛沫をあげて青い世界で輝く少女は、まるでブラックダイヤのようだった。
その少女には見えていた。
青い世界の先で輝くものが。
それがこの世界の終着点であり、ゴールだ。
体を包み込む青をかきわける度に光は強くなっていく。
その先に向かい少女は突き進む。
『一……』
なぜだろう。
少女の脳裏に幼馴染の少年が浮ぶ。
もう長い間会ってない……。
その幼馴染が楽しそうに黒い髪の少女と笑う姿が浮んだ。
その瞬間、光は急に途絶えてしまう。
「ぷはぁ」
少女は水面に上がるとゴーグルを取った。
「どうした、初生!集中できてないぞ」
プールサイドからの怒声。
「……すいません。コーチ」
褐色の少女はいたずらっこのような表情で舌先をだす。
「タイムがどんどん落ちてる!こんなんじゃオリンピックは無理だぞ」
「むぅ……」
少女……殺姫初生は鼻先まで水面に沈め、コーチを見つめたのだった。


「なーにが、オリンピックよ」
私はアパートのベランダで背伸びした。
手にはおっきな夏みかん。
好きなんだわ、この香り。
夏の太陽が心地よくて、風だってすンごく涼しい。
練習の後は黒いタンクトップにジーンズを着てこうやってのんびりするのが好き。
高校水泳連盟のジャ−ジは嫌い。
あんな模様だのロゴだのなんだの……私はシンプルなのが好きなんだから。
「初生たん、またそんなとこで何してるですか。宿題手伝うですよ。その後、ウチとナウシカの録画見るです」
ぶかぶかのワイシャツを着たちびっ子が部屋の中から私を見た。
おっきなクリクリした目と長い黒髪が似合っててかわいい。
「一たんのことでも考えてたですか?」
「いや、風が気持ち良くて」
「んー。そんなかっこいい台詞似合わないですよ。ウチの甚六様なら似合うですが……初生ちゃんは焼肉食べて、がはっははとか笑ってる方が似合うです」
失礼な。そんなことしたことないっての。
「甚六様って死村のおっさんのこと?」
「おっさんとはなんですか!私の王子様に向かって!一一たんなんてただのヤンキーですよ!ヤンキーゴーホームなのですよー!」
「あー、わめかない、わめかない」
私はパタパタと手の平を振った。
彼女の名前は墓守愛媛(はかもりまなめ)。御兄弟の名前は墓守群馬さん(はかもりぐんま)らしい。すごい名前……。私も人のこと言えないか。
ちなみに愛媛ちゃんは同居人で現在中学生。
思春期に親元離れて一人暮らしとは……。
「あー、それにしても夏だねぇ」
「ですね」
私がタンクトップをパタパタさせてると、愛媛ちゃんは私の横に座った。
「愛媛ちゃん、髪伸びたねー。切ったら?」
「ふっふっふ。三三花たんの情報では甚六様は長い方が好きらしいですよ。だから私も伸ばすですよ」
愛媛ちゃんが口元をおさえ笑う。
甚六様、甚六様言うのは昔、人さらいに会った時に助けられて好きになったかららしい。
ぶっそうな話だよ。まったく。
「ところで初生たん、どうしたですか?最近水泳が芳しくないそうですね?」
「あ、うん、まぁ……ね」
「頑張ってオリンピックに出るですよ!ヤンキー達に勝つですよ!あいつらだけは倒すですよ!」
た、倒すって……。
なんか恨みでもあるのかなぁ。
「あ、うーん」
「と、言っても、無理は良くないのですよ」
「……うん」
「ウチは初生たんが心配だったです。アホコーチにそそのかされたら行けないですよ。あいつはいずれセクハラで捕まるですよ!初生たんの八重歯狙ってるです!」
心配させちゃったてたか。
「さんきゅ」
私はその言葉がうれしくて愛媛ちゃんの頭をなでた。
「んみゅー!!」
愛媛ちゃんが私の腕でもがいた。
なんだかんだいっても、
実際、泳ぎ続けることに迷ってるんだよね…。
この歳になって男の子とキスもしたことないし、デートもない。
泳いでばっかだった。
好きだからいいんだけどさ、オリンピックっての?
話がおっきくなってから全然おもしろくなくなったんだ……。
今年の夏もこのまま蛍の墓見て終るのかなー。
「あ、そうです。いいものを用意したですよ」
愛媛ちゃんはポンと手を叩いたあと、ペタペタと音を立て部屋の中へ入っていく。
「?」
「これですよ。これですよ。ちなみに二回言うのは強調なのです。ふっふっふ、注目するですよ」
愛媛ちゃんの手には……。
これは……。
「あ、ダブルソーダ!!」
「ですよ。初生たんはこれが好きと聞いたですから買ったですよ。代金は貸しにしとくですよ」
ちゃっかりしてますね、貴方は。
でもこれはうれしい。
「うわぁ!サンキュ〜!お姉さんちょっと感動したよ」
受け取ると手の平に冷たい感覚が伝わる。
「ナウシカ並みに感動して欲しいですよ」
「蛍の墓ぐらいの感動はあるよ〜」
私たちにしか理解できないだろう比喩のやりとり。
私はダブルソーダを二つに割って愛媛ちゃんに差し出す。
「この分けっこが醍醐味なんだよね」
あの夏もこうしたっけ。
一口かじる。
ああ……。
懐かしいよ……。
もう一口、もう一口。
私は一や皆とずっと一緒だと思ってた……。
琴さんは日向ぼっこしてて……。
その横で草君は編み物してて……。
楓は騒いで暴れまわって、そのまま涼にちょっかいかけてる二郎に飛びついて……。
克己君は優希とお茶飲みながら照れて……今ちゃんは皆がまとまりなくて怒るんだわね。
風彦君と和弥君はそれ見てのんびり笑いながら、私は一と涼が楽しそうにしてるのをうらやましく思いながら、二人はお似合いだと思ってて……。
そんなのがずっと続くと思ってた。
でも違った。
あの頃感じた予感はその通りだだったわけで……。
ははは、確か、一と二人でアイス食べた時はずれだったよね。
なんでだろう。
なんでこんなに……。
「大丈夫ですか?初生ちゃん、なんで泣くですか?」
え?
あ……。
私、泣いてた……。
涙がゆっくり頬を伝って手の平の夏みかんを濡らした。
「はは、変だよね……」
愛媛ちゃんがうつむく。
「初生たん、ごめんなさいです。実は……」
「?」
愛媛ちゃんが裾から封筒を出す。
「アホコーチから手紙とか一切渡すなと頼まれてたですよ。今は余計なこと考えさせるなって言われたです……」
愛媛ちゃんは私に手紙を手渡す。
「あ……涼からだ!」
私は慌てた手つきで封筒を開けた。
心臓がドキドキと高鳴る。
「あ……!」
私は思わずつぶやいた。
だって……。
だってさ。
これ以上うれしいことってない……!
「どうしたですか?」
「皆……皆……集まるんだ!犬杉山に皆が集まる!」
一……。
皆……。
また会える……。
ふと手に残った棒アイスを見る。
あの日外れた棒アイスは……当たり。
当たった。
あの時も願ったんだ。
――――棒アイス、あの夏をもう一度、って。
私にとって本当に大事なこと……。
そうだ、行かないと……。
行くんだ、絶対。
行く。
行かなきゃ!
「行くですよ!初生たん!皆の所に行くですよ!」
「うん……!」
私はあの夏と同じように、オレンジに皮さらかじりついた。
あの時、一がやった食べ方で。
口の中に広がる夏の匂いと酸っぱさはあの日のまま変わらない。

――――私の夏をもう一度。

オレンジの噛み跡は夏の光にキラキラと輝いていた。

 

end

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