『ミント』

夕焼け色に町が染まりだした頃。
田舎じみたのどかな地方都市、藍空市犬杉山町……。
商店街には活気があふれ、たくさんの人間が往来している。
そこから少し離れた民家が群集する居住区の一角にその家はあった。
少し古ぼけた大きな門で囲まれた日本家屋の屋敷……。
表札の名は皇(スメラギ)。
その屋敷の離れにある道場に少女はいた。
高い背に白い胴着……。
冴えた氷のような……。
凛とした夏に吹く風のようなそんな印象を与える。
つややかな黒髪をポニーテールにしているのがまた似合っていた。
素振りは夏休みに入る前から毎日欠かさず行っている日課である。
大きく戸を開けた道場には清々しい初夏の空気が満ちている。
その中で少女は一心不乱に竹刀で素振りをくり返す。
流れ落ちる汗など気にもせず、ただひたすらに。
縁側で茶を飲みながらその様子を眺める少年がいた。
馬鹿みたいに派手な金髪……。
この小さな町ではかなり目立つ方だのだが、少年の母親が息子の話になる度に、
「あの子は馬鹿ですから」
と言うせいで町の住民の間では馬鹿ということで落ち着いていた。
彼が幼馴染の少女、皇涼の家に通いつめるのは毎日の日課である。
夏休みは遊ぶためにあるというのが彼の考えだ。
涼を見つめる顔はいつもに増してにやけきっている。
すっと少年に近づき頭部に竹刀を振り下ろす。
「あんぎゃぁぁぁぁっぁぁぁ!!!!!!」
一切容赦なし。
「気色の悪い笑顔を浮かべるな。下衆」
「元からっす……」
「貴様は確か、楓を迎えに行くのではなかったのか?」
「いやぁ、だってさぁ、なんつぅの?汗?したたる?胴着?グッと来るね。あ、香水の香り!いつものミント?」
「……殴るぞ?」
「タンマ、タンマ。俺のラヴが通じないかなー。こんなにラヴってんのにー」
少年は両指でハートの形を作った。
「……言いたいことはそれだけか?」
涼が高々と竹刀を振り上げた。
「待って!待て待て!今ここで俺を殴るのは日本にとって大きな損失ですよっ!!都庁爆破並みの騒ぎが!東京大ピンチ!!!」
少年が後ずさりしたため縁側でバランスを崩す。
「あわわわわわ!!!!」
少年は涼の袴の裾をつかんだ。
「こ、こら!馬鹿者!」
二人とも縁側から派手に転がり落ちた。
庭を歩いてきた少年が転がる二人を見つめる。
「おっす!時間ぴったりだぜ!涼いるか……って、何してんだ?」
「……一」
つんつんとしたハリネズミのような黒髪にやや三白眼ぎみの少年だ。
名前は一一(にのまえはじめ)という。
家は商店街にある中華料理屋で、夏休みは毎日手伝いに明け暮れていた。
尋ねられた瞬間、涼は真っ赤になって起き上がる。
「ほら、二郎、起きろよ」
一は倒れていた二郎に手を差し出す。
「サンクス。サンクス」
「お前らなぁ、遊んでねぇでちゃっちゃと風彦たち迎えに行こうぜ?」
今日は都会の高校に行っていた今野友香、天音風彦や他の友人達が帰って来る日だった。
「う、うむ。そ、その湯を浴びてきていいか?さっき汗をかいたから……」
「あれ?俺の時はそんなこと言いもしな……」
「貴様はさっさと楓を迎えに行け!」
二郎はとぼとぼと庭を歩いて行く。
「別にそのままでも俺は気にしねぇけど……」
「わ、私は気にする……一には汚い女だと思われたくないから……」
最後の方の声は弱々しく一には聞き取れなかった。

街が完全にオレンジになった頃、無機質な街に黒い中型バイクがエンジン音を轟かせていた。
吹きつける夏風を切り裂き国道沿いの道を走る。
灰色のビルディングも大型デパートも、通りを歩く人波もライダーである少年の視野から流れていく。
少年の名は稲花二郎。高校三年生。進路はこの時期になって……未定。
しばらくバイクを走らせると住宅街の中に白くて真新しい校舎が見えてくる。
狭間市立狭間宮高校だ。
有名大学への進学率も高いそれなりのエリート高校である。
狭間市は元クラスメイトの今野友香が住んでいた街だ。
財団法人スメラギ機関は多数の福祉系NGOなどにバックアップをしている世界的な巨大複合企業である。
一切の地区開発を請負、多額の寄付を行い、それらの支援を受ける狭間市は豊かな国際貢献を目標にしていた。
町としてはかなり大きいが、まだ開発中の地区が多い。
昼間は工事の音が絶えないが、夜になると一転して静寂に包まれるため、最近では不良のたまり場として利用されることもあるようだ。
二郎は校舎の前まで行くとそこでバイクのエンジンを切る。
「ふぅ」
ヘルメットを取ると自慢のオレンジ色の頭が陽光と汗で輝く。
一息つき、ふと校舎を見れば昇降口から一人の少女と少年が歩いて来ていた。
「なぁ、楠。テストどうだった?」
スポーツ刈りの少年が隣の少女に尋ねる。
隣にいるのは眼鏡の愛らしい少女だ。
まだどこか幼さが残っていて子供っぽさを感じさせる。
大きな瞳はまっすぐで夏の太陽であった。
「ンー、数学以外は自信あるよん。あ、ほら私ってば生粋の文学っ子だからね」
にっこりと少女、楠楓が微笑む。
「じゃあ、今度一緒に勉強しょうよ?私も数学不安だったんだよね。また森田センセに補習させられると思うとうんざりだよー」
「あ、ああ!ぜひ!」
(楠まさか俺のこと好きなのか?俺達両思いか?ああ、ちくしょう、チャンスじゃねーか)
「あ、あのさ、楠。今度よかったら……」
(今、俺はこの思いを……!俺は……)
少し早口でまくしたてポケットから映画のチケットを出そうとするが……。
「あっ!二郎ちゃん!やっほーい!」
楓は校門にいる二郎に気づくとうれしそうに手を振る。まるで子犬がじゃれつくような表情だ。
少年がついつい見とれてしまうと、楓は微笑む。
「じゃ、まーたねぃ!」
「お、おう。」
少年は駆け去る楓の小さな背中を見つめながら、ポケットの映画チケットを握り締めたのだった。
「二郎ちゃ〜ん!遅れてごめんね!」
楓が二郎の体に飛びつく。
「あうち!やめれ!」
よろつきながら二郎がバランスを取る。
「むぅー。他の女の子だと喜ぶくせに」
楓は桃色のほっぺをふくらませる。
「子供には興味ナッシング。ほら行くぞい」
二郎はバイクの座席を上げるともうひとつヘルメットを取り出す。
楓はそれを受け取ると二郎の後ろに座る。
「あ、これ……涼ちゃんの匂いする……ミントの香水の匂いだ。いい匂い…」
「ああ、涼?乗せたからな」
楓のかぶったヘルメットからミントの涼しい香りがした。
「ちゃんと掴まってんのよん。飛ばすぜぃ」
「うん!」
楓はぎゅっと二郎の体を抱きしめ、背中に頬をうずめる。
二郎の背中はいつもと同じで広くて…暖かくて…。
でも…ミントの匂い…。
「……大好き…」
「あん?」
「うんん。何でもないよ。友香ちゃん達、早く帰って来るといいね」
今はこのまま…。
二人を乗せたバイクは轟音を轟かせ走りだした。


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