『メンソール』

 

窓の外で雪がふってるのを見た時、綺麗だと思うより先に汚れてしまうことが辛いと思った。
汚れちまった悲しみにってなんだっけ。
いつかどっかで聞いたような言葉だけど、あんまり聞かない。
そんなことを思い出しながら、私はスーツのままソファに転がった。
引越し準備しないといけないのに身体は動きそうにない。
「汚れちまったって、夏目漱石だっけ……」
天井を見つめながら、短くしすぎた前髪をいじってみる。
なんだかダメな時って誰にだってある。
失敗したときとか、ダルダルの時とか、一人の夜とか。
それってなんだか汚れた時に似てる気がする。
そういう時は、誰かにすがりたくてしょうがなくなってしまうわけです。
寝転んだままクッションを抱きしめると、ハッカみたいな煙草の臭いがして――。
三日前に出てったあいつの顔がふいに浮ぶ。
いつもどっかだるそうで、なんかクールなあいつ。
人との距離の取り方が抜群に上手いくせに。私と一緒の時は遠慮の一つもしない。
どこにでもあるような理由で、誰にでもあるような理由で、私たちの同棲は終わった。
あっさりとあと腐れなく。綺麗にさっぱりと。
それこそシミ一つ、汚れ一つなく。
嗚呼、明日はあいつの使ってた物を処分しないと。
二本並んだ歯ブラシも捨ててしまおうと思いながら起き上がってみる。
ふと、ベッドのシミとビショビショになったメンソールが目に入る。
昨日の夜、起き上がるとベランダの外に雪が振っているのが見えた。
なんとなくベランダに出て見る。
本当になんとなく、ただの気まぐれで、あいつが雪が好きだったことを思い出したから。
吹きつける冷たい風と白い息の中、目の前のそれをただ見つめる。
月明かりの下、ベランダ枠にチョコンと雪だるまが立っていたのだ。
メンソールを両腕代わりにしたスノーマン。
不器用な形で格好よくもないし、愛嬌もないけど。
それが随分、誰かさんにそっくりだ――なんて、そんなことを思いながら、私はその雪だるまを両手で抱え、ベッドに置いて眠ったのだ。
当然のこと。朝、目覚めれば当然雪だるまは溶けていて、雪だるまの中から指輪が――なんてロマンチックなこともなく。
ベッドは汚れてしまったわけで、バカみたいな溜息一つ。
気づいてくれる人のいなくなった前髪をいじりながら、ソファに寝転ぶ。
もう一度、寝なおしたら引越しの準備を始めようと思う。
ダルダルとあいつの残したメンソールをくわえたのでした。
汚れちまった悲しみに。
どっかで誰かが使ってるような言葉。
そんなのそこら辺に溢れてる。
でも結局、この濡れたメンソールの冷たさも、ツンとするハッカみたいな匂いも、私だけのものなわけで――。
どうしてどこにでもあるわけもないことが、こんなに胸の奥を染めるんだろうか。
真っ白な雪にシミをつくるように、白い息に灰色をまぜるように――。
「ああ、芥川龍之介だったっけ……」
などと、呟きながら。
なんだか無性に涙が流れてきて、また一つシミが増えた。


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