『クロス/オルタナティブ』

 

 

 琴音義姉さんが好きだった。
 子供の頃からずっと。
 僕は姉さんの後ろをついて追いかけてばかりだった。
 義姉と弟。
 そんな関係でも側にいられれば良かった。
 もうすぐ、義姉さんはアメリカへ旅立つ。
 そして僕たちの関係も終わる。




 僕、御堂草介と琴音はロートルな赤い電車に揺られて犬杉山を目指していた。
 窓から涼しい風が流れては姉さんの長い髪を遊ばせる、僕はそれをぼんやりと見つめる。銀に近い白髪と同じミルクの肌が電車から差し込む光に輝いてるのが言葉に出来ないほど綺麗だった。体も手足もスラッと細くて…華奢で…ガラス細工のようだ。
 耳には真っ白でシャープなデザインのヘッドフォン。
 このヘッドフォンと僕がプレゼントしたクロスのネックレスは手放せないと言っていた。
 それが僕の密かな自慢だった。そんなことを考えていると、姉さんがこちらを大きな紅い瞳で見つめる。
「ソウ?どうしたの?」
「う、ううん。なんでもないよ。もうすぐ乗り換えに着くね」
 コクリと琴音は頷く。
「ん。そうだね。皆元気だといい」
「一は駅で待ってそうだよね。あいつは時間にうるさいから」
「ん。普段ルーズなのにね」
 少しの間の後、僕は尋ねる。
「姉さん、聞いていい?」
「ソウはいつまでも姉さんって呼ぶ癖が治らないね」
 思わず『あ』と呟いてしまう。
「ごめん」
「ん。いい。それで、何を聞きたい?」
「そのヘッドフォンってさ……」
「ああ。風彦君からもらったんだ」
 やっぱり。琴音はきっぱり、さっぱりと言ってのける。
 そんな琴音の態度に以前から聞けなかったことも聞けるんじゃないか、そう思ってしまった。
 思ってしまった。聞いても何も僕たちは変わらない、そう思ってしまった。
 胸がどうしようもないほどに痛んだ。
「姉さ……じゃなくて琴音……」
 引き金を引く。僕はどうしてもそれを聞いてみたくて我慢できなくなった。
 傷ついてもいいから触れてみたくなる。頭では分かってる。それは薔薇と知って棘に手を伸ばす行為だ。
 試したくなっちゃいけないんだ。触れちゃだめだ。聞くな。聞いたら全てが終わる。僕たちの全てが。まともでなんかいられなくなる。
 でも、でも――。傷ついてもいいから――。
 この手でゆっくりと姉さんの核に触れたい。
 そして、僕を選んで欲しかった。僕が姉さんの特別でいたかった。
 姉さんがしてくれてるクロスを見るたびその気持ちは増殖してく。
 それを抑えることができなかった。本当に伝えたい気持ちを伝える勇気もないくせに。
「琴音は風彦が好きなの?」
 僕の口から出たのは卑怯な質問だった。



 天音風彦。
 ややくせ毛。長い手足。どこか今にも消えてしまいそうな印象。いつも浮かべる笑顔は本人曰く、『痛みだした日常』らしいが、言っていることが時々分からない
 風彦は学校の屋上でよく姉さんや今野と授業をサボっている。
 その日も教室に姉さんがいなくて、僕は当然のごとく探しに行った。
 引っ張ってでも連れてく――つもりだけど。押し切られそうな予感はしてた。僕は致命的に押しに弱いのを自覚している。
 階段を上って屋上のドアを開けると、涼しい夏風が吹きつけてくる。
 さぼる気持ちも分かる気がしてしまった。退屈な授業に出るよりはこちらにいた方がいいのかもしれない。
「やぁ」
 そんな声が聞こえた。
 風彦はフェンスに持たれて座っていた。姉さんはその脇で座布団を枕にしてごろんと寝ている。
 僕はそれがかわいくて仕方なく、これは起こせないだろと自分を納得させた。自分の意思の弱さが嘆かわしかった。
 ふと、風彦は目が合うと満面の笑みで僕に微笑んだ。
「隣、どう?」
 言われるままに僕はその隣に座る。
「今野は?」
 少し意地が悪いとも思ったが風彦の彼女の名前を出した。
「今日はいないよ。明日はここに来るだろうけどね」
「そう――なんだ」
「いやかな?」
 風彦はそんなことを尋ねてくる。
「別にそういうわけじゃないよ。ただ、ここには姉さんも良く来るから」
 少し言葉に詰まりながら僕は呟く。言いにくいことだがはっきりと言わないといけないこともある。
「あんまり学校で……ああいうことは……」
 その意味が分かったのか、『ああ』と風彦は笑った。
「SEX?」
「ヘラヘラ言うなよ!」
 怒鳴っている自分に気づきハッと我に返る。
「ごめん」
 フフと笑いながら風彦は謝る。
「別にいいよ」
 ただ琴音にそういう姿を見せなければそれでいい。僕や琴音が二人の関係に干渉する必要もない。
なんとなく不安になり、琴音を見てから風彦に尋ねる。
「姉さん、寝てるだけだよね?」
「秘密」
 スラリとそんなこといを口にして微笑む。
「殴るよ?」
 僕はけっこう本気で言っていた。娘を思う父の心境に近いかもしれない。
「はは、寝てるだけだよ」
 俺はため息の後、空を見上げる。まるで霞や雲を相手にしているようで疲れてしまった。
「時々、風彦が分からないよ……」
 風彦は友達だ。でも――理解し合っている関係ではない。
 雲のように、風のように、つかめなくて、消えてしまいそうに思える時がある。
「分かることって怖いことだよ」
 僕はそう呟いた風彦を見た。遠くを見つめるような、虚空に消えていくような儚い瞳だった。
「人間がお互いを完全に理解できないのはトリガーを引かないためのセ−フティだからね」
 それが傷つけあわないためだとしたら。
 多分、風彦は誰よりも――悲しい。
「風彦……優しすぎるんだよ」
「そう?」
 悲しすぎるほどに、誰よりも優しくて、孤独だ。
 優しいというのは優しくされたいから。
 優しくされたいのは寂しいから。
 寂しいのは孤独だから。
 つまり誰よりも優しいのは誰よりも孤独だから、悲しいからだ。
「……あのさ、聞いていい?」
 僕は少し迷ったが尋ねた。
「ん?」
「風彦は姉さんのこと……好きなの?」
 ふいに風が強く吹いた。僕が答えを聞くのを拒むように。
「うん。好きだよ」
 風彦はあっさりと当たり前のように答える。なんとなくその隙のニュアンスは僕の言っている好きとは別の物に思えた。
「そういう好きじゃないんだよ。男として好きなのかって」
 風彦はフフフと笑う。
「草君は?」
 僕は――。
「僕は……」
 真剣になった僕を見て、風彦は口元を押さえて笑う。
「なんだよ」
「いいや、僕はそういう君が大好きだから」
「それを誰にでも言ってんじゃないだろうね?」
 僕がそう言った時、かわいらしい寝息の後に姉さんがゆっくりと上半身を起こす。
「琴さんも起きたし、授業でようか?」
 そう言いながら風彦が立ち上がる。
「あ、まだ聞きたいことが……」
 言いかけて僕と姉さんの目が合う。
「あ、いや、何でもない」
 そう言った僕を見る風彦は満面の笑みだった。

「秘密」
 僕の問いに琴音はそう答える。一瞬の空白に電車の音だけが響く。
 その答え方はまるで――。
「ひ、秘密って……」
「ん。秘密。ソウは?」
「え?僕?」
 突然の切り替えし。当然のごとく僕は答えにつまった。
「僕はその……」
「ん。ソウが言ったら教える」
「いや、だって、それは」
 言える訳が無い。言ってしまえば、きっと僕と琴音の関係は壊れてしまうから。
 少し考えて僕は尋ね直す。
「あ、じゃあ、僕のクロスとヘッドフォンどっちが大事?」
 琴音は少し考えることもなく、
「ん。両方」
 と答えた。
「両方?」
「ん。どっちも代わりなんてない」
 なんとなくそういう風に言うと分かってた。そんな琴音が好きだから。
「あの、あのさ」
 僕はそっぽを向いて小声で言った。
 アナウンスの声が次の駅の名前を告げる。
「じゃあ、僕はさ」
 そう言いながら立ち上がり琴音と自分の荷物を手にした。
「琴音にとって特別だと思っていい?」
 好きだとはっきり言えない代わりに――。
 琴音が自分の気持ちを伝えないと知りながら――。
 僕の気持ちに気づいて欲しくて――。
 そんなことを言った。
 ゆっくりと、口を開き、その愛らしい唇が、琴音が言葉を紡いだ。
「――」
「え?」
 それは電車の到着音で姉さんの声がかき消された。
「今、なんて……」
「ん。秘密」
 そう言いながら姉さんはドアに向かう。
「いこ?」
 姉さんが歩き出し僕も後を追う、その構図は今も変わらない。
 多分、思いなんて伝えない方がいい。この関係であり続けたいのなら。
 そのはずなのに――僕は迷ってる。

 迷いを抱えながら、姉さんと故郷で過ごす最後の夏が始まる――。

 

end

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