『コラージュシェイド』

 

『どこの子かも分からんへんし、どこで生まれたかも分からん子なんやろ』
僕が子供の頃に、そう確か、町内会の野球大会で会ったタバコ屋の婆さんに言われた言葉だ。
そこからは野球どころではなかったのを覚えてる。
無論、その試合は僕のせいで負けた。
その時、初めて僕は家庭の事情を知ってしまったのだから。
似合わないスーツを着るようになった今、ふと、そんなことを思い出す。
いや、それは目の前でクリームソーダをブクブクさせている僕の娘のせいかもしれない。
緑の泡沫が弾けるのが楽しいのか、さきほどからそれに夢中だった。
すぐ目の前の席では、中年のカップルが私たちもう終わりかもと話している。
クリームソーダをブクブクさせるのを注意しようかと思ったが、しばらくそれに集中していてもらうことにした。
中年のカップル、身なりのよさからそれが不倫しているカップルだというのはすぐ想像がつく。
ひたすら言い訳する男、自己正当化する女。
どこにでもある別れの場面であり、さしたる珍しい物でもない。
会社だってどこだって、僕だってなんだって、似たようなもんだ。
子供の頃に薄っすらと隠されていた社会の矛盾や綻び、そう言った者が見える年齢になってしまった。
ぼんやりと、黒く淀んだ珈琲の中身を見つめていると、子連れの母親が子供を連れてそそくさと席を立つ。
そう、それでいい。
隠してしまうぐらいがきっと丁度いい。
この歳になって気づくことはいくつもある。
モザイクガラスの向こう側が透けて見えるようになった時、僕は世界の色や形を知った。
大人の嘘ってのは面子の為なんかじゃない。
時に、矛盾や綻びは割れたガラスのごとく、覗いた子供を傷つけてしまう時だってあるのだから。
店内を闊歩するモザイクを抱えた大人たち、虚偽で作られた内装、ウィンドウ越しに見える快活な空と鮮やかな緑は切抜合成だ。
見える嘘から子供の視界を遮るのが大人のすることだ。この世界がコラージュで作られた不確かなものだなんて気づかない方がいい。
きっと、愛や正義とか甘い砂糖を信じてる方が幸せだ。
ふと、娘と目が合う。
――いつか、僕もこの子に本当のことを伝える日が来るのだろうか。僕はお前の……。
「なぁ、お父さんもブクブクやっていいか?」
娘は笑いながら頷く。
自分に言い訳しながらも、僕は隠す。
今はまだこの子の父親でありたい、そう思う。


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