『我楽多博物館』


本編とあまり関係ない人物紹介

○紅月久仁子(こうづきくにこ)……姉。優秀。

○紅月久美子(こうづきくみこ)……妹。灰皿。




『経血』



 父子家庭である私の家では毎朝、私と双子の姉である久仁子が朝食を作ることになっている。
 納豆、サラダ、白米、味噌汁。それが我が家の朝食スタンダードメニューで父はそれ以外は許さない。機嫌を損ねればまた殴られてしまう。準備も起きてくる前に終えなければならない。
 私は食器を用意しながら、久仁子の鼻歌に耳を傾ける。久仁子は歌が上手い。鼻歌でも流れるようなそのメロディをはっきりと感じることができる。流れる英語の歌詞と緩やかなメロディが朝のキッチンを満たしてくれているような気さえした。久仁子の外はねしたくせ毛が、手にした御玉がリズムに合わせてゆれる。
「♪」
 食器の準備を追え野菜を刻み始めた私の包丁も音楽に乗るようだった。
 曲はレッド・ホット・チリペッパーズのUnder The Bridge。久仁子は英語が得意で良く洋楽を聴く。父もそれを好ましく思っているのでよく久仁子にCDを買ってきたりもする。時々、それが羨ましくはあるが私はいつも殴られないので必死だ。
 可愛がられるのは同じ双子でも久仁子が可愛いからだろう。私から見てもやはり久仁子は可愛い。いつもどこか陰鬱でやせ細った私と違い、学校でも皆に好かれ、いやみのない明るい笑顔を見せる。私もそんな久仁子のことが好きだ。
 包丁を止めて久仁子の方を見ると、その大きな瞳で、満足げに鍋を見つめている。
 鍋からは味噌汁の食欲をそそる香りが漂っていた。
 切り刻んだネギを味噌汁の上に散りばめ、味噌汁の完成だ。
 久仁子は指先でおたまをくるりと回転させると、並べてあった御椀に素早くよそっていく。久仁子は料理も得意リズミカルに、テキパキと朝食の準備を進めていく。
 その様子に私は思わず、感心してしまう。最初に家事係を命令されていたのは私なのにあっという間に追い抜かれた。幼い頃から母親代わりで料理を作ってきた私に追いつけないと言うがそんなことはない。
 私は久仁子の邪魔しないように朝食の支度を行う。
 出来上がる頃には父がリビングで待ち構えていていつものように殴られ、衣服を剥ぎ取られ乳房にタバコを押し付けれる。それをいつものように久仁子に助けられた。そんないつも通りの朝。



 父が今夜帰らないことを聞いたのは久仁子と帰り道の土手歩いている時だった。久仁子の話ではまた愛人のやっている店で原田さんという上司と飲んでいるらしい。
 願いが叶うならばと考えたことがある。子供の頃は父からの解放願っていた。でも今は久仁子と歩き続けるこのオレンジの光景が続けばいいと願っている。
「久美子を傷つける奴なんて帰らなければいいのに」
 と、久仁子は憎々しそうに呟いた。それは私が言葉にしたくても言えず抱えたまま、言い方も忘れてしまった言葉だった。
「火傷痛む?」
 心配そうに久仁子が尋ねてきた。今日、何十回目の問いだったろうか。
「今日はやめとく?」
 久仁子は少し恥ずかしそうに小声で囁いた。
「ううん、大丈夫だよ」
 私がそう答えると久仁子は嬉しそうにはしゃいだ。火傷は痛むが久仁子が喜ぶなら何でもいい、それが私の役目だ。久仁子には久仁子の役目があり、私には私の役目がある。そう信じなければ私はただの灰皿だから。
 私たちは帰った後、二人で昼食を食べ、二人でシャワーを浴びた。そして、いつも通りにベッドで横になった。
 こうして、私と久仁子の時間は父のいない夜に訪れる。
 それはまだ幼く何も知らなかった頃から高校生になった今も。
「久美子」
 使い古したようなやせ細った私の手を姉の久仁子が握った。
 久仁子の指先はガラスの陶器に触ったようにひんやりしていた。継接ぎで創られた毎日のような手首の傷音をなぞる。軋むベッドの上で、まるで互いの輪郭を確かめるように。そこにいることを確かめるように。鏡合わせの私たちはそうやって心を重ね合わせる。
「久仁子……」
 薄暗い部屋に響く優しさが乾いた私の喉を震わせる。
「ねぇ、久美子。いつも思うの。何で私たちはこんなにも同じで違うのかしら?」
 その理由は知っている。その言葉はずっと抱き続けてきた物だから。
「ねぇ、久美子。私たちは同じ菩提樹の実を食らう二対の鷹のようね」
 私と違って久仁子が優秀だったから。
 勉強、運動、何もかもが全て予め久仁子の手により支配されるように存在していたかのごとく思える時がある。私にはそれが誇らしい。
「ねぇ、久美子」
 それは私自身も含めて。全てが久仁子の為に用意されていた物に過ぎない。いつか話した夜でさえ、交わした言葉でさえ、全てが久仁子の為にある。私はそれが嬉しい。
「私と貴方が同じであり違うのはカントのロジックよりも確実な何か大きな隔たりがあるの」
 ベッドの海に沈んでいる私を見下ろし久仁子は微笑む。
 そんなことを口にしながら久美子は私の喉元に白い指先を這わせる。
「私が幾ら同じ存在だと思っても望んでも、貴方が拒む限り私たちは一つの存在にはなれない。その何かは何なのかしら?」
 それは貴方が優秀であるから――出来損ないの私との大きな相違点。
 それを告げることもできずにいると久仁子の指先が私の指先を手に取る。
 キスをした――。
 柔らかな唇が久仁子の舌先でこじ開けられ蹂躙された。
 父がいない日、何度も繰り返してきたことなのに慣れない。私たちはこうやって戯れに互いの輪郭を確かめ合ってきた、同じであることを。子猫がじゃれつくように、恋人同士が求め合うように、傷ついた者同士が慰め合う様に、気持ちを、同じ事を確かめる為に。だけど、決定的に私たちは違う。
「ごめんね、私がもっと強かったら――」
 そっと愛しむように久仁子の指先が私の乳房に触れる。火傷だらけ私の乳房に。
「ううん。私はお父さんの灰皿代わりだから――」
 呟いた私の乳首を久美子の指先がつねりあげ、硬い乳首の先が伸びたのを久仁子の指先がこねくる。
「痛いよ、久仁子」
 と、私は意識を冷静に保ちながら感じてしまったことを隠し嘘をつく。硬くなった乳首の先だけが正直だった。
「そんなこと言わないで、久美子。貴方の苦しみは私の苦しみなんだよ?」
「でも、私たちは――」
 私たちは互いの存在のオルタナティブ。父から虐げられるのは私の役目。父から愛されるのは久仁子の役目。私の役目、久仁子の役目。決して同じ役割を演じることはできない。それは久仁子も気づいているはずだ。
 気づいているからこそ、久仁子は私の瞳をジッと見つめ首を振る。そして、ベッドサイドからそれを取り出した。
「同じだよ、私たちは」
 限りなく優しい声で久仁子は囁く。
 生臭い匂いが膝の辺りから立ち上ってきた。
 大きなフックで瞼を持ち上げられたように、瞬きができなくなった。
 口元を庇おうとした手を久仁子が片手で素早く押さえた。
「私たちには同じ血が流れてる」
 経血を吸ったどす黒いナプキンが、私の顔に突きつけられていた。
 根気良く流れる血を精一杯吸収し、光に晒されたナプキンは真中が盛り上がっている。これが私と久仁子が同じである証――。
「久仁子、それでも私たちは――」
 私たちは違う役割を持って生まれた。そして、完全に一つになることもできずいつか、それぞれの道を生きていくことになる。
「なんで――」
 つぶやいたのは久仁子だった。小さく消えてしまいそうな声で、この世界からつまはじきにされてしまったようだった。
「なんで泣くの?」
 私の瞳からこぼれた雫がナプキンに吸い込まれていく。
 きっと久仁子には私のこの気持ちは分からない。だから私たちは一つになれない。
 同じ血を宿していても、こんなにも傍にありながらも、私たちはすれ違ってく――。


 

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