『ジュブナイル』


僕、駒鳥囀流(こまどりさえずる)は学生服のまま土手にいた。
何をするわけでもなく、枯れた芝生に寝転んでぼんやりと空を見つめる。
今頃、クラスメイトの皆々様方はアルゴリズムがなんとやら。
僕はそんな話に一片の興味もなく、スナック感覚で逃避行中だ。
大事大事と言いながら、僕達はただただ赤ペンで黒板の文字を書き写す。
喪服のように黒い服で身を固めて、リズム良く与えられたカリキュラムを消化する日々を繰り返してく。
はみ出さなければいい――この世界で生きてくたった一つのルールを僕らは学ぶ。
どこのジュブナイル作家だったろうか。
『窓の外に飛行機雲が見える日、僕らは青になる』なんて言ってくれたのは。
ジュブナイルとは、「少年(少女)らしい、少年(少女)期の」という意味を指す。
いつ訪れるんだ、その日は――そう思うと溜息が溢れる。
15になった頃は、漠然と変われる気がしてたてのに――何も変わらない毎日のまま、ジュブナイルは終ろうとしてた。青になるという言葉の意味も分からないまま。
フッと、風は僕の頬を通りすぎて埋まることのない空白をなぞっていく。
空っぽの心――。
「エンプティ・ダンプティ……」
と、一人呟く。
ルイス・キャロルが好きじゃないと分からないようなくだらないジョークだ。
「うわ、くだらな」
まさか返事がかってくるなどと思わず。
その声を聞いて僕は上半身を起こす。
道路脇に停めた自転車――その隣に立っていたのはクラスメイトの羽鳥ナビスコだった。
風の中、茶色の髪を隠したベレー帽を押さえている。
「隣、いい?」
ナビスコは微笑むと、返事を聞かずに僕の隣に寝転ぶ。
いつも通りの強引さなので、僕もさほど気にはしない。
「ナビスコもさぼり?」
「そっちこそ。囀流君はもうちょっと優等生だと思ったけどな」
「そっちこそだよ」
ナビスコはかなり成績の優秀な方だ。
それなのに、時々、フラッとしたまま授業をさぼる癖がある。
理由は特にないらしいく、『今だけだよ』とよく口にしていた。
その今だけだよ、はなんとなく僕の持っている感覚と似ている気がする。
「優等生でもなんでもない。なんちゃってだよ、僕は」
「うん、皆なんちゃってだね。一人がジルバ踊れば、みんなジルバを踊りだす」
「そんなもんだぜ」
ナビスコは蒼草の欠片をフッと吹いた。
「でも、皆はバカじゃないよ」
「分かってるよ。僕らだってそうなんだから」
本当は踊らないぜって言いながら生きてみたい。
でも、僕らの社会は右にならえ方式で成り立っている。それに従うことがバカなことじゃない。
むしろ――。
「こうやって悟った気になってる僕らの方が馬鹿だよ」
「ん。そうだね。それもきっとどうでもよくなると思うけど」
そういってナビスコは笑った。そう、僕が感じる空虚さはこれなんだ。
そういうどうにもならないことに妥協してしまう度に、深く、深くエッジが僕の心を抉る。
そして、抉ったままどうにもできないで、ただの空虚な空白に変わっていく。
「ナビスコ、借りた本の話だけど青になるってどう意味?」
「んん、そのうち分かると思うよ。でも、今じゃないと分からないと思うよ」
「今だけか……」
「うん、きっと今だけだよ。私や囀流君が青になれるのも」
どうしょうもない寂しさが胸に込み上げてくる。
結局、僕らには今だけしかない。
今だけが少年、少女でいられる時間なのだだろうと思う。
僕らがこうしていられるのも、きっと長いレールの中での切れ端で――それはすぐに終ってしまうだろう。
青もジュブナイルはきっと一瞬の輝きみたいな物なのだと思う。
ナビスコは僕を見つめ微笑んだ。
「囀流君、学校行こ」
「ん。そうだね」
結局、僕らは進むしかない。
進む先に不安があっても、疑問があっても――。
不安定で馬鹿みたいなレールでもそれに乗ってくしかない。
「ナビスコ、乗ってく?」
「うん」
僕は起き上がると自転車のスタンドを蹴った。
ナビスコが乗った瞬間、自転車は走り出す。
「飛ばすからね」
「うん。思いっきり飛ばしていいよ。青になれるぐらい」
それは感情論みたいな――流れも何も無い完全な暴走だった。
自転車のペダルをバカみたいに踏んで、脳ミソを空っぽにしたままフェイドアウト。
千切れそうな雲を追い抜いて、その果てを目指していく。
縺れる雲、全て、振り切って。
吹き抜ける風なんかよりシャープに鋭く。
少しよろけると、クルッと回る視界。
体が宙に浮いて、したたかに背から叩きつけられる。
その上にナビスコが――。
痛みよりも柔らかさ、ナビスコの華奢な身体を僕は抱きとめる。
心臓が強く脈打って、そのエイトビートが心地いい。
「無理だったね」
「方法に問題があったな。でも今のはかなり近かった気がする」
「うん」
自転車の落ちる派手な音が土手に響き、僕たちは離れた。
倒れたまま――ただ、そうしてた。
バカみたいに二人で笑いながら空を見つめる。
僕達の目の前には、淀みない蒼がどこまでも広がっていた。
「あ……」
ナビスコが小さく呟いて、指と指を重ねて四角いフレームを作る。
僕も同じように四角いフレームから青を覗き込む。
「あ……」
思わず、僕もナビスコと同じように呟く。
「窓の外だ……」
僕たちのフレームの中にはしっかりと飛行機雲が映っていた。
僕の胸の中で何かが音をたてて動き出す。
世界が揺れ動くとき――。
日常が微妙にずれて――。
それが大きなうねりになり――。
些細な始まりであっても――。
そうした予感に"青は生まれる。
僕はそのフレームをナビスコに向ける。
「――青だ」
きっと、今だけ――。
きっと、刹那――。
きっと、瞬き――。
きっと、僕は――。
「今だけなんだね」
「今だけだよ」
空白を埋めるように、青は僕の心の隙間に入り込んでいた。
僅かな胸の痛みを伴いながら。

『窓の外に飛行機雲が見える日、僕らは青になる。そして――胸の奥で震えている切なさと儚さに気づく。そして僕らは――』

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