・兎吊贄仔(うつりにえこ)……生徒会役員。
『ファクトスクラップ(断片収拾)』。チミっ娘。
「うん、いこいこ!!」 楽しそうな男女の声――殺したくなってくる。 教室のどこから聞こえてくるそんな会話を聞きながら、僕は溜息をつき眼鏡のズレを直す。暗澹としてもないし鬱屈してもない。ただ溜息がでるだけなのだが――。 「いいね。恋人持ちはよぉ」 それは僕だけでもなく、隣の席の宮川も溜息をついていた。 僕がプリントを整えながら、『そうだね』と短く答えると宮川の肘が小突いてくる。 「お前もだろ」 再び宮川は溜息をつく。殺したいと思っておいてこんなことを言うのも変かも知れないが、別に彼女の一人や二人で嘆くことはないと思う。 「八雲さ、彼女と上手くいってるの?頑張ってる?」 彼女と聞かれて『ああ』と僕は呟く。 「ああ、贄仔?大丈夫だよ。宮川が思ってるよりは上手く言ってるんじゃない?」」 「なんだよ、上手く言ってるのかよ。別れちゃえよ」 頑張ってるとか聞いておいて。 宮川は時々平気でろくでもないことを言う。 「そう簡単に別れないよ」 「なんだよー、寂しいじゃんよー。オレは好きなんだよー。八雲のことがよー。もうね、なんちゅうかラヴってるわけよ」 宮川の悪い冗談が始まった。 「鳥肌が立つからそういうことを言うのはやめて欲しいんだけど」 宮川は机につっぷしたままだらしない声で答える。 「なんだよ、オレは本気だぜ。お前の尻の穴狙ってるよ、オレは。ガツンガツン、フィストファックする勢いだよ。むしろする気がするね」 「僕は宮川と修学旅行には行けない気が本気でしたよ」 僕が溜息をつくと宮川は少しだけ焦る。 「ちょ、オレが冗談で言ってると思ってる?」 もしかしたら宮川がカップルに溜息をついたのは好みの男子生徒が――そこまで考えて吐き気がした。 「冗談であって欲しいし、宮川が彼女を作らない理由が分かった気がする」 その言葉の意味が理解できてないのか宮川は僕の肩に手を置き笑顔を浮かべる。 「とりあえず、一線を越えて――」 冗談じゃない。 「いや、僕達はいい友達でいよう。じゃあ贄仔のところに行くから」 「おう、早めに帰れよ。最近は物騒だからな」 「ああ、通り魔殺人事件のことか」 「そ。何考えてるか分からないから怖いよな。ああいうのってよ。どうしてそんな気分になんだろうな」 夕暮れのオレンジは血が一番似合うからじゃないかな――等と殺人鬼の気持ちを考えてみたが口には出さない。 「とにかく気をつけてくれよ。お前の尻はオレのもので――」 僕はとりあえず無視して歩き出す。 宮川もいつか幸せになれればいいと思った。僕以外の男と。 宮川と別れて腕時計を確認すると、時間は五時。 兎吊贄仔の生徒会室で僕を待っているはずだった。 新しく出来た喫茶店――その言葉を思い出し溜息を吐き出す。 一度は僕もそういうことを言ってみたいが、きっとこの先もそういう言葉を口にすることはないだろう。 思い出すとやっぱりさっきのカップルを殺したくなった。 決して嫉妬などではなく、贄仔と上手くいってないからではない。僕は贄仔が好きだし、贄仔も好きでいてくれてると信じている。 信じているけど――やはり問題は僕の方にあり、僕の贄仔に対する気持ちとスタンスこそ悩みと溜息の原因だった。 そんな些細なことでもやもやしたまま、生徒会室の前まで来るとけたたましいロックが流れてくる。 曲はいつも贄仔が聞いている珠喜代羽那日のクラシックロックだった。僕がこないだプレゼントしたものであり、少し嬉しい。 「贄仔」 僕がドアを開けると書類を書いていた贄仔が僕に気づき手を止めた。 そのクリクリとしたつぶらな瞳をより大きくして僕を見つめる。 身長や華奢な体格のせいか子供みたいで可愛い。 「やっくん!!」 こっちが嬉しくなりそうなぐらいハミングした声が生徒会室に響く。 「待っててね、やっくん。今、片付けるから」 「うん。慌てなくてもいいよ」 と、言うのに大慌てで鞄を片付け始める。とにもかくにも大慌てでそれが微笑ましい。 ふと贄仔の机に置かれた書類は苦情届けが目に入った。 『最近、女子生徒のリコーダーが盗まれます。スクール水着も盗まれます』と書かれた紙に、贄仔の丸文字で返事が書かれている。 『もし急に戻ってきたら、慌てず消毒するなり、捨てるなりしてください』と。 根本的な解決にはならないが、確かに捨てることをオススメする。犯人を見つけたら殺した方がいい。 「今日の生徒会は贄仔一人なんだね」 僕がそう言うと贄仔はコクリと頷く。 「うん。紅城先輩は那岐先生に呼び出されてるみたい」 「皇司郎さんでも怒られることがあるんだね。あのスパルタ教師か……三神楽先輩や霧沙希先輩は?」 「三神楽先輩は小学生とデートという名の光源氏計画、霧沙希先輩は彼氏がエッチィビデオ隠してたから鉄拳制裁してくるって。×子先輩は困っている人を助けに行くっていいながらナイフ磨いでたよー。最近、通り魔殺人事件が続いてるしね。竜胆さんは……言う必要もないかな」 「……相変わらずろくでもない人ばっかりだね」 このメンツに贄仔が染まらないことを心底祈る。 「でも、宮川君よりはいいと思うなー」 『同感』と僕が呟くと贄子も可笑しそうに笑った。やっぱり可愛い。 「じゃあさ、贄仔」 「あう?」 「少しぐらいベタベタしてても問題ないかな」 贄仔があまりにも可愛くて我慢できなくなったのは恥ずかしくて言えなかった。 「んー。だね。少しイチャイチャラヴしてこっか」 そう言うと贄仔はフッと僕の胸の中に飛び込んでくる。 腕の中にフィットするようなこの感覚と贄仔の柔らかさが僕は好きだった。 「ベスポジー」 贄仔は子猫のように僕の胸で甘えながらそんなことを口にする。 「ベスポジだね」 『よしよし』とそのやや栗色の混じった髪をなでると心地良さそうな声を漏らす。それは柔らかで滑らかな触り心地で何と言うか『これが幸せ』みたいな気分になった。 「やっくんの胸ってすっごい安心できる」 安心――その言葉は嬉しくもあるが複雑でもある。 ある意味、一番物騒な狼は僕だから。 「安心してもらえるのは嬉しいな。最近は物騒だからね。知ってる?最近、ニュースでやってる連続殺人事件の話」 「小指狩り事件?」 「違うよ、通り魔殺人の方さ」 「ああ、あのバラバラ殺人事件の方?贄仔は可愛いから狙われるかも」 「大丈夫、やっくんがいるから」 少し嬉しさを感じつつ、そっと贄仔の小さな身体を壊さぬように抱きしめ続ける。 多分、それは傍から見ればどこにでもある光景なんだと思う。 どこにでもいる凡庸なカップルが放課後の生徒会室でイチャイチャしてる――そんな感じだと思う。 多分、贄仔もそう思ってる。いや、別にそれが問題のあることではないだけど。 問題があるのは僕の方で――。 華奢な贄仔の身体を抱きしめながら、ズッと柔肉にナイフが食い込んでいく感じを思い出していた。 皮膚を切裂くとプッと血が噴出して、ブツッと言う音と共に肉が裂ける何とも言えないあの感覚。 セーラー服の引きちぎってその柔らかかな腹に煌く銀刃を突きたて――。 『ああ、放課後の夕陽に照らされた贄仔の栗色の髪が血に塗れているようだ。この時間のナイフの輝きが一番綺麗だけど、君の臓物の色もそれに負けてないね』なんて言ったら――嫌われるかな、なんてそんなことを考えた。 その身体をズタズタに引き裂きというのは――ある意味、愛の一つではないだろうかと僕は信じてる。 これ以上好きになったら殺してしまうかもしれないとかそんな風に思うことは誰にでもあると思うんだけど。 だから、やはり僕たちカップルの問題点は僕なんだろうと心底思う。 僕が普通の正常な人間であるならどこにでもいる凡庸なカップルだったのに。きっともっとより良い関係になれたはずだったのに。 それが少し残念だけど贄仔はきっとそれを知ることはない。少なくとも僕に殺されない限りは。 ゆっくりと贄仔が僕から離れ微笑む。子供っぽい照れのある笑顔。 贄仔のそういうところが好きだ。時々、部屋の中にあるコレクションに加えたくなってしまう。 「ねぇ、やっくん」 僕の名前を呼びながらクスクスと笑う。 小鳥が朝靄の中で囀るような可愛らしい声。その声帯を抉り取ってしまって置きたくなってくるのを僕はこらえる。 「帰りにどこか寄ってこ?」 ふいにズキンと僕の胸が痛んだ――。 「ああ、そうだね」 心の乱れを平静を装うことで保つ。狂ったビートを整える。 「時間あるならゆっくりしてこうか」 と僕は彼女に答える。人のいないところがいい。殺したて死体を安心して解体できる場所を幾つか知っている――なんて、『いいパスタの店を知ってるんだ』みたいな感覚で言ってしまいそうだった。多分、この先もこんなことを口にすることはないんだろうなと思うと少し胸が苦しかった。 こうやってきっと僕は嘘をつき続けることになるのだろう。薄い薄氷を歩き続けるような気分のままでいるのだろうか。 「行こうか」 『うん!!』と贄仔は微笑み、僕の腕にその細く白い腕を絡める。 「やっくん」 甘えるような声で贄仔は僕の名前を呼ぶ。 ニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべながら。 「殺したい?」 「え?」 贄仔は思わず尋ね返す僕の瞳を見つめていた。 あまりにも唐突な言葉だった。心の中を読まれているような気分がした瞬間、嫌な汗が一気に噴き出してきた。 冗談とも取ることのできるその言葉は、僕にとっては意味のある言葉であり、現実味を持った言葉だった。 「私のこと殺したい?」 まるで『私のこと好き?』と尋ねてくるようにそんなことを聞いてくる。ごくごく自然に。 「なんで――」 言いかけて、僕は気づいた贄仔の瞳の中の歪な輝きに。黒く淀んでまるで闇が渦巻いているようでもあり、僕の心を惹きつける暗黒の吸引力を持っている。 そして僕はいまだかつてないほどに贄仔の瞳に魅力を感じてる。 バラバラにしたい――その瞳を指先から掌までコロコロと転がしたい。 「何となく分かるんだ、やっくんの気持ち。だって私もやっくんのこと殺したいんだから」 殺人鬼が殺人鬼の恋人とめぐり合えるなどどれぐらいの確率だろうか。 殺人鬼は孤独だ。自分の中の本性を誰にも話すことができないまま生きていかなければならない。殺人鬼の少年と少女がめぐり合えるなんて奇跡に近いだろう。 贄仔は戸惑う僕を見つめ、握った手を差し出す。 「やっくん。手、出して」 贄仔に促されるままに僕は手を差し出す。そっと贄仔は僕の掌にそれを置いた。瞬間、僕は言葉もなく、ただ掌のそれを見つめる。 「最近起きてるバラバラ殺人事件ね」 「うん……」 まるで僕に告白してきた時のように贄仔は言葉につまりしどろもどろで、ようやく言葉を紡ぐ。 「私なんだ」 「そうだったんだ……」 僕は掌に置かれた、丸く滑らかな輝きを持った眼球から彼女に視線を移す。 「驚いてる?」 「そりゃあね」 まだ少しだけ頭の回転が追いついてない。 僕はずっと贄仔が同じ趣味を持っていたらと願っていた。それがこんな形で叶うのがまだ信じられない。同じ気持ちで、擦れ違ったまま僕らは付き合っていたなんて。 「けっこう冷静な人間だと自分では思ってたけどここまで驚かされるとは思ってなかったよ」 「ごめんね。ずっとね、やっくんが人を殺してるって知ってたんだ」 「そうなの?」 贄仔の言葉に僕は再び驚かされる。 「うん。ああ、こんなに楽しそうに人を殺す人がいるんだ――って思ったら嬉しくなっちゃった。自分だけじゃなかったんだって思えて」 そう言いながら恥ずかしそうに贄仔は笑う。 僕に会うまで、もしかしたら贄仔もずっと孤独だったのかもしれない。だからこそ、拒絶されるのが怖くて、また一人に戻るのが怖くて言い出せなかったのかもしれない。 「なんで黙ってたの?」 「だって……中々言い出しにくかったんだもん」 「早く言ってくれれば良かったのに」 「ごめんね」 「いいよ。今はそれよりも嬉しくて仕方がないんだよ」 僕は自分の心が躍動するような感覚を感じている。贄仔の声と同じようにハミングするような気分だった。 「贄仔の前で我慢したり演じたりする必要はもうないんだね」 「私も本当のことが言えて嬉しいよ」 「贄仔……」 「やっくん……」 もう一度、いずれは互いにバラバラにし合う僕達は抱きしめあう。 間違いとかすれ違いなんかに僕たちの絆を切り離させない。 僕を掌の中の眼球のように、贄仔を切り離すのは僕。僕をバラバラにするのは贄仔だ。 僕を理解できるのは贄仔だけ、贄仔を理解できるのは僕だけ――。 だから、僕はようやくこの言葉を言うことができる。 きっと誰にも理解できるはずもないと諦めてたこと――。 極々普通の恋人同士が自分の好きな場所を彼女に知ってもらうこと――。 それは自分自身を本当の意味で受け入れてもらうことでもある。 「ねぇ、殺したての死体を安心して解体できる場所を幾つか知っているんだ。そこに行こうか?」 僕の言葉に、満面の笑顔で贄仔は微笑んでくれる。 「うん!!」 手を繋ぎあい僕達は生徒会室を出ていく。 まずはあのカップルを殺しに行って、そして二人でゆっくりと解体を楽しもうと思う。 僕はこの手を離さない。いつかバラバラなる日まで。 互いのことをバラバラにするのは、きっと、大分、大分、先のことだけど――。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||