『夏来(なつき)→乾夏(かんな)』


曇天模様にシフトし始めた空の下、雲間から漏れた光の柱が降り注ぐ。
光のシャワー、違う。そんな陳腐な物じゃない。
もっと、神秘的で見る者の心を奪うような輝きだと私は思う。
その輝きの洗礼を受けたレンガ造りの駅舎はどこか神々しくもあった。
それは西洋風の建築のせいもあるし、大正時代から変わらぬモダンなデザインのせいかもしれない。どちらにしろ、周囲を囲むビルとは不釣合いだと私、殺姫初生は思う。
まるで、そこだけ周囲から断片的に取り残されたような――そんな感じがしてしまった。こういう統一感のなさは都会特有のものだろうか等と思いつつ、チラリと隣を見る。
隣を歩く優希はさきほどから、どこかソワソワとしていた。
まるで――ココロココニアラズ。
それはそうだろう、もうすぐ恋人に会えるんだから。
中学以来ほとんど会ってない恋人と会えるとなればトキメクってもんでしょう。
白い頬なんて、ほんのりと染まり、無垢な表情には艶やかさが滲み出てる。
長い髪の一本一本さえも輝いて見えてしまうのは、恋する乙女の特徴だろうと思う。
ホルモンが女性らしさに与える影響が、どうこうのという話を思い出したが、きっとそんなことではない。
純粋に恋というのは少女を輝かせる、そういう力を持っているのだろうと感じた。
それに比べて私はどうでしょか。
部活動の水泳のせいで、髪は脱色され、肌は浅黒い。
可愛さも女らしさの欠片すら持ってやしない。
きっと、これは恋の一つもしなかったダイショウというやつだ。
――取り残される。
それは他でもなく、私なのかもしれないと思った時――妙に肌が乾いた。
このひりつくような感覚は夏の日差しのせいかもしれないし、あるいは肌にまとわりつく夏風のせいかもしれない。
どちらにしろ、燻られるように乾きを感じてしまう。
「うう、ドキドキするよぅ……」
「あはは。会う前から緊張してどうすんのよ」
「だ、だって……」
駅舎で切符を買うと、私たちは人がごったかえるプラットホームに向かう。
街の匂い、人の匂いや夏の匂いが、陽光に溶けて夏色の風に混ざっていく。
そんなオレンジ色の風も電車が通過するたびに、遠ざかるエコーを響かせ人並みと一緒に消えていった。
一瞬の静寂の後、プラットホームに再び響くアナウンスの声と蝉の声。
風音がシンフォニーを奏でるようだった。
奏でる音の中に身を任せると夏の乾きが少しだけ薄れる。
「克己さん来るかな……」
克己君とはここの駅で合流する予定だ。
もちろん、私は適当に理由をつけて去り、優希と克己君を二人きりにするという計画だったりする。
ここからは優希の問題で、私が口を出せるのもここまでだろう。
歯がゆいけど、やはりどこかで線引きはしないといけない。
後は本当に優希が頑張るしかない――と、思うのだけど。
当の優希は、やはりどこか緊張した面持ちで、心底ドキドキしているようだった。
今は心臓でエイトビートがガンガンに鳴ってるような状態ではないだろうか?
シンフォニーどころじゃないのは私にも分かる。
「来るよ。絶対来るって」
「う、うん……」
少しはにかむように優希が微笑む。
垣間見せる戸惑いすら乙女チックだ。
彼氏と久しぶりに会って――その家に泊まるわけで。
これは男性に対する免疫ゼロで、おっとりと生きてきた優希にしてみれば大きな決断だろう。
私は失礼ながら、二人がそういう所に至るのは十年ぐらいかかると思っていたりした。
一歩を踏み出すのが下手なのか、奥手なのか。
雲がゆっくり流れて一日終ってしまうような感覚の恋愛。
しかも、いまだに中学から続く交換日記を長距離宅配で続けてるような関係なのだから。
「……あ!!」
優希が小さく声をあげる。
そして、どう動くか戸惑うような仕草を見せた。
飛び出したいのを我慢する感じというのだろうか、どこかモジモジしている。
なるほど、と私は察知して周囲をうかがう。
遠く人ごみの中に克己君が立っているのが見えた。
あのシャープなシルエットは間違えるはずがないし、大人びた端正横顔も中学から変わっていなかった。
無愛想な仏頂面もそのままだ。
それを優希が見間違えるはずがない。
「行きなよ、優希」
「う、うん」
戸惑いながらも優希が克己君に近づくと、克己君もそれに気づく。
「か、克己さん」
第一声は思いっきり裏返ってる。それでも思いはこもってた。
克己君は一度ゆっくりと頷くと、優希に向き合う。
「ああ、久しぶりだ、優希。初生も」
「す、少しまってください」
優希が真っ赤な顔をで深呼吸する。
伝えたいことは山ほどあるはずだ。
それがうまく言葉というフォルムにならないんだろう。
「会いたかったです……!!」
「ああ」
きっとその言葉が一番伝えたかった言葉なんだろう。
いつも通り短く答え、克己君は口元だけで笑う。
ああ、変わらない。変わっていない。
克己君は見事に私の不安を裏切ってくれた。
ココゾという時、それを克己君は絶対に裏切らない。
そして、優希を絶対に裏切らない、それが私の知ってる克己君だ。
――と思った。
その時、克己君の隣に並んだ女が優希を見つめた。
「あら?」
そう言うと微笑んでみせる。
はっきりと言えば美人だった。
ウェーブのかかった髪も、厚めの唇もどこか妖艶な――かなりの美形さんだ。
「貴方が佐東さん?」
「は、はい」
優希がキョトンとしながら答える。
嫌な予感がした。たまらなく沸きあがるような不安感。
それがぐらぐらと足元を揺るがす。
「ああ、忘れてたな。赤月暁(あかづきあかつき)だ」
克己君はまたっく動じず、尚且つ何事もないように、その女性を紹介する。
私の中に怒りメーターが存在するとすれば、振り切れる寸前だった。
「ハァイ! ストップ!! 克己君、集合!!」
集合と言いつつ、私は克己君の袖を無理矢理引っ張る。
気分としては二、三発殴ってやりたかった。
返答次第では右の拳でテンプルを打ち抜く。
「何考えてるの!?」
「何を考えてるか、か……」
克己君が頷く。
「優希のこと。初生のこと、犬杉山のこと……」
克己君の口からドンドン、皆の名前が出てくる。
いつもそうだ、無関心なフリをして、いつも周囲のことを考えてる。
それも昔と変わっていない。
何より優希のことが一番に出てきたのが私は嬉しい。
私の人差し指を克己君のおでこにピタッと当てた。
「そうじゃなくて、なんで他に女こさえててんのよ!? 克己君には優希がいるでしょ!?何なのよ、あの女はさ!?」
「赤月はクラスメイトだ」
「クラスメイト?」
「ああ」
私は克己君が嘘をつけないことを嫌と言うほど知っていた。
優希がスローボールだとしたら、克己君は剛速球だ。
真っ直ぐな球しか投げられないが、ストライクを外さない。
「犬杉山に帰るから、ついでに同行したいらしい」
「あ、そっか……。でも二人っきりでデートがてら帰るつもりだったんでしょ?」
そう言うと克己君は顎先に手を当て考え込む。
「そうか……」
「え?」
「既にデートだったのか」
克己君の顔面直撃コースを狙った、私の右ストレートが風を切る。
いつもの無表情のまま、克己君は首をひねってかわしながら謝る。
「すまん」
をいをい。
確かに、克己君は二人で帰るしか言ってなかったが、それはもう男女のデートと言う物でありまして。
もしかしたら、優希も同じようなことを考えていたとしたら――と、考え、私は思わず頭を抱える。
なんでこんなに私が疲れてるんだろうか。
二人ともそういう所があるから、長期遠距離配達交換日記が続いたんだろう。
普通の恋人同士ではそこまで続くもんじゃない。
ある意味、とてつもなく二人は相性がいいのだと思う。
恋愛のペース配分も限りなく同じに近いはずだ。
克己君が雲だとしたら優希はそれをずっと待っているだろう。
優希が雨だとしたら、克己君はそれをただひたすら待つだろう。
二人のペースは恐ろしいほど、ゆっくり進みそれを疑問に思わない。
優希は克己君と手をつないだだけで、次の日ずっとぼんやりしていたことを思い出した。
きっと優希が克己君の家に泊まっても手を繋ぐこともできないかもしれない。
まぁ、それはそれで高校生らしくて健全なんだけど。
このままだと家に入った瞬間、三つ指ついてしまうのではないだろうか。
私は疲れた目で優希を見た。
優希は優希で、対抗心をむき出しにすることもなく、あまつさえ不機嫌になるどころか、にこやかに赤月さんと談笑している。
赤月さんが何を考えてるかは知らないが、克己君に対して多少なりの好意を持ってるはずだ。
「初生?」
もしかしたら、優希は克己君と恋人同士というだけで安心しきってるのかもしれない。
――実は克己君の競争率は恐ろしく高い。
「初生?」
本人があんな性格のせいで気づいてないが、中学の時、クラスの大半の女子は克己君に好意を持っていた。ただ格好いいから好かれたのではないし、勿論、それはただの好きではない。
恋人になりたいとか、お付き合いしたいとかそういうレベルの感情だ。
「初生?」
「ん、うん」
克己君の呼び声に気づくいた時、アナウンスが電車の来訪を告げた。
談笑しながら、優希達がこっちに近づいて来る。
「初生ちゃん?」
「ううん、何でもない」
私は数回頷いてみせる。
「あ、私、急に用事入っちゃったから、優希先に犬杉山に帰ってて」
「え、そうなの?」
「うん、まぁね。恋人同士なんだから、ゆっくりして来なさいって」
照れながらも優希はうなづいて、克己君を見る。
二人はそれだけで、意思疎通ができたようだった。
二人の間に言葉はいらないのだろう。
再びアナウンスの声と電車の近づく音がした。
「初生ちゃん、先に行ってるね?」
「うん、ファイトだよ、優希」
私が小声で囁くと、優希は頷いて小さくガッツポーズの真似をしてみせる。
「ん。頑張る」
ゆっくりと電車が到着すると、三人は電車に乗り込んでいく。
手を振る優希と、無表情にに手を振る克己君。そして、微笑する赤月さん。
三人を乗せた電車は動き出す。
「先に行ってるか……」
――サキ二イッテル。
ああ、また、少し乾く感覚。
どうして、こう、私は水の外からでると乾いてしまうんだろう。
水の中から空を見上げてる時は、こんなこと忘れてるのに。
電車がゆっくりと遠ざかっていくのを見ながら、ひりつく身体をオレンジ色の風に任せる。
私はそのまま、遠ざかるエコーの音と蝉の声をいつまでも聞いていた。


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