『ディアラバ2』

時計の針が丁度、朝六時を示した時。
ベッドの中で眠っていた冬架がパチッと瞳を開ける。蒼く深い海の色をした瞳だった。
「たっちゃん……」
小さく呟くと、その華奢な身体がベッドから起き上がった。
長い金色の髪は所々はねてボサボサのままだったが、冬架はぼんやりとしたまま玄関に向かう。
「冬、来たよ」
玄関から聞こえるいつも通りの穏やかな声。
その瞬間、さきほどまでぼんやりしていた冬架は微笑を浮かべる。
早朝に飲む一杯の珈琲よりも目覚めの効果があった。
「入るよ」
玄関のドアが開くまで、三、二、一。
玄関のドアを開け、中に入ってきた少年に冬架の小さな身体が飛びつく。
「たっちゃん〜!!」
少年は動じることなく冬架の小さな身体を受け止めた。
「ん〜。朝一番たっちゃんだよ〜」
冬架は子猫がじゃれつくように少年の胸に甘える。ギュッと、学生服をつかみ放そうとしない。たっちゃんこと、卓士は慣れているのか表情一つ変えようとしなかった。
「幸せ〜」
「はいはい。離れないと御飯作れないよ」
「あう〜」
仕方なく冬架は心底残念そうに離れる。すると卓士は慣れた手つきで冷蔵庫のチェックを始めた。幼馴染である卓士が冬架の朝食を作るのはいつものことだった。
「冬は人から何かされるのは恥ずかしがるのに、自分が何かするのは平気なんだね」
抑揚のない、おおよそ感情など感じられない声で卓士は呟く。
冬架は眉をハの字にして上目遣いに卓士を見た。
「うに〜。だって〜。あ、されるのが嫌いなわけじゃないよ」
子供の頃から一人ぼっちだった冬架は、与えられるということに慣れていない。与えられるという経験がなくどう対応すればいいかに戸惑ってしまう。その点、与えるのは簡単だった。
「たっちゃんになら何されてもオールオッケーだもん。アダムとイブみたいに一日中甘々えっちぃことしてても……クフフ」
「あー、はいはい」
一人悦に入る冬架を無視して卓士はフライパンを温めだした。冬架は幸せそうにその姿を眺める。
「あ、たっちゃん、後で髪結んでください」
「了解」
「シャワー、一緒に入る?」
「いやいいよ」
「たっちゃんのケチ」
冬架は本気で一緒に入ってもいいと思ったのが――。
卓士と冬架。幼馴染にしては少し曖昧な二人の関係。近すぎず、遠すぎず、二人の間合いと気持ちでバランスを取っている。それが二人の関係を進ませないことは冬架も分かっていたが、この曖昧さも嫌いではなかった。もう少し、卓士に好きになってもらいたいという気持ちは当然あるが。それが少し冬架の中でモヤモヤしていた。



『じゃあ放課後、家庭科室で待ってるから』
昼休み――卓士と冬架は二人でお弁当を食べていた時、一緒に帰る約束をした。
卓士の感情を持たない瞳を見つめながら冬架は頷く。
『うん、一緒に帰ろうね、たっちゃん』
冬架は少しモジモジしながら、指先を遊ばせる。それに卓士が気づいた。
『どうしたの?』
『ううん、何でもない』
卓士が冬架の抱えてるモヤモヤに気づくことはない。
放課後、一緒に帰る約束したはいいのだが――。
夕暮れ、鴉がくの字を描く頃――。
秋風に揺れる稲穂の海原のような鮮やかな金色。それは暗闇を切裂くライジングサンの輝きに似ていた。
そのツインテールにされた金色の髪を揺らしながら、冬架は廊下に上履きの音を響かせる。
冬架の子供みたいに華奢で小さな体と金色の髪、蒼いサファイアの瞳はすれ違う生徒達の目を引く。冬架の方はそのことを特に気にすることもなく、ハーフだから嫌でも目立つぐらいに思っていた。日本に来て長いせいか、そういう視線にもなれていし、今はそんなことよりも体育の補習で待ち合わせに遅れてしまったことの方が問題だ。少し焦ってはいるが走る体力がない。
鈴原冬架が遅刻したのも身体が重いのも、先ほどまでグランドを走り回らされていたせいだ。
『すぅずぅはぁらぁ。お前みたいなお勉強ばっかの貧弱チビは俺が徹底的にしごいてやるゥ〜』
体育教師はそんなことをニタニタしながら冬架に言った。この体育教師は真性のサディストで男色で女子からすこぶる評判が悪い。自分好みの男子生徒には異様なほど優しいが、気に喰わない女子生徒には容赦しない。特に成績が良く、体育の出来ない生徒はネギを背負った鴨以外の何物でもない。その条件を全て満たし、さらにハーフという目を付けられる要素を持った冬架が狙われるのは当然だった。冬架はグラウンドを十周も走らされた上に、自転車で追い掛け回されてしまった。
『走れ、走れ!!ヴぁははははは!!』
竹刀を片手に涙目で走り回る冬架を追い掛け回す様は教師のすることではなかった。
『にゃあ〜!!来ないで〜!!』
子供が走り回るような速度で冬架は懸命に走る。少しでもスピードを緩めた瞬間、冬架の走りに竹刀が飛んでくるのだ。
『ヴぁあはははははは!!』
『やめて〜!!』
他の生徒達がそろそろ可愛そうになり助けようと思い出した時――。
『ヴぁはははは!!このチビが!!だからお前は胸がないのだ!!』
プチンと冬架の中で何かが弾けた。
『ないとか言うな!!小さいだけだ!!この変態!!』
ついつい素に戻った冬架を、体育教師は引きつった顔で見つめる。
『ほう、言ってくれるじゃないか、チビ助』
竹刀が冬架のお尻を叩いた。
『にゃ!』
思わず冬架が飛び上がると、体育教師は満足そうに笑う。
『逃げろ、逃げろ、ヴァははははは!!』
――そんなことをやっていたせいで冬架は待ち合わせに遅れた。
今日は学校を一緒に帰るはずだったのに。まだ待っていてくれてるだろうか。家庭科部の活動時間は既に終っている。
置いてかれる不安を感じながら、冬架は家庭科室の扉を開けた。
そこに幼馴染の高瀬卓士が待っていてくれることを祈りながら。
「たっちゃん」
冬架は勢いよく中に飛び込む。
――いた。
卓士は家庭科室の隅の席で眠っているようだ。
トテトテと歩きながら冬架は卓士に近づく。
「たっちゃん……」
冬架はジッと、夕陽に染まった卓士の顔を見つめる。
それは可愛い寝顔だった。元々、線が細く中性的だが、こうしていると女の子のようだった。起こそうか、起こすまいか。もう少しこの寝顔を見ていたい気もした。
子供の頃から何回も寝顔を見ているが、いつもドキドキしてしまう。冬架は自分の胸のリズムが早くなっているのに気づいた。卓士はきっと、冬架のこんな気持ちには気づかないだろう。恋人と言うには遠すぎる。親友と言うには近すぎる。二人のセンチメートルは微妙な距離を保っている。
それは今までがそうだったように、この先も――。
きっと、互いの均衡点でバランスを取ってしまうのだろう。
それでも冬架は――。
「たっちゃん……大好きなんだよ」
ゆっくりと、卓士の頬に唇を近づける。心臓のエイトビートはニルヴァーナのギターのように激しく響いていた。
キスまで――数センチ。
そのタイミングで――あろうことか卓士の瞳が開く。
「冬……?」
ビクリと冬架の身体が固まった。
「にゃ、にゃあ!?たっちゃん!?」
冬架は転がるように大慌てで距離を取る。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
卓士は特に気にすることもなく、身体を起こす。
「あうう……」
真っ赤な顔で冬架はひたすらモジモジしていたが、それを卓士が気づく様子を見せなかった。
「ごめんね、遅れて」
「ああ、いいよ。問題があったわけでもないしね」
冬架は卓士を見つめ、『ム〜』と唸る。
「たっちゃんはもっと、要求したり色々欲しがったりした方がいいと思うよ?」
「そう?」
卓士はそう言いながら、戸締りのチェックを始める。
「うん、そうだよ……あ」
ふと窓の外を見た冬架が声をあげる。
「たっちゃん、体育倉庫の裏でハグしてる人がいるよ」
「ああ、本当だね」
卓士も冬架の指さす方向を見つめた。確かに冬架の言うように男子生徒と女子生徒が抱き合っている。
「わぁ、いいなー。ねぇねぇ、私達もハグしよう?」
「はいはい。帰ってからね」
そう言うと、卓士は歩き出す。固まった冬架は真っ赤な顔で立ち尽くしていた。そして、小さく『帰ってから……』と呟く。
「どうしたの?」
帰ってから――冬架の心臓が再びドキドキしている。
二人の均衡点はもしかしたらとっくに傾いているのかもしれない。
でも、それは二人の関係をきっと変えてしまうことであり、その勇気が冬架にあるかと聞かれれば――。
「う、ううん。何でもないよ。か、帰ろう?」
感情をごまかすように冬架も歩き出す。
少しモヤモヤ。もどかしいのに胸はずっとドキドキしたままだった。



back

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送