第四回ノ一
『儀式の夜』
五月の少しだけ暑い夜、震月は蒼く蒼く怪しく輝いていた。
「まるでこれからを祝福するような輝き。儀式上手くいくといいねぇ」
「ああ」
そんなことを話しながら少年達は国道沿いの道を歩く。後数分、もうすぐ霧沙希怜貴と佐東総司の儀式が行われる公園に到着するとこだった。
「ん?」
公園が目と鼻の先に見えてきた頃、背の高い方の少年がふいに立ち止まる。
「どったの?」
それに合わせて並んでいた少年が足を止め、同じ闇の向こうを見つめる。
「本町か」
長身の少年はセーラー服の少女がこちらに向かって走ってくるのを確認した。
「なんか変じゃない?」
背の低い童顔の少年が呟いた時、何が変なのかはっきりとした。
頭からすべる様に本町の体が二人の足元に転がってきたからだ。
二人の少年は咄嗟に身構える。
だが――。
◇
その日は霧沙希怜貴と佐東総司の契約(リ・バースディ)が行われ、総司がスレイヴとなる――はずだった。
「おいおいおいおいおいおいおい、洒落にならねぇ、冗談にしてもほどがあるって奴だぜ、この俺が、この俺がだぜ?」
闇の中で芋虫のように這い蹲った時に感じたのは、ただただ流れていく血の温度とアスファルト冷たさだった。
「ふさけるのも大概にしとけよ、なんだなんだよ、あいつらは。このデニム様にここまでしやがって――」
鋭い痛みに襲われながら体を動かすと胸に激痛が走った。体中を駆け巡る血の流れと熱がそこに集中しているかのようだった。
鎖骨から胸骨までが切り裂かれ、脇の下に集まっている小胸筋、大胸筋が切り裂かれてしまっている。物を抱えたりするような、肩を前に突き出したり押し出したりする運動をする時に使う筋肉であり、巨大な戦斧『渇望』を使うにはダメージが大きすぎた。
それでもデニムは目の前の敵に対しての戦意を失っていない。
「畜生、山村――」
デニムの僅かに動く首が倒れている少年を見つめた。山村は同じ新第七班に所属している仲間であり、デニムと同じようにスカウトされて藍空市で生活している仲間だ。
「山本――」
同じように仰向けで倒れている山本も山村と同じく第七班にスカウトされた男だ。
デニム同様に儀式の警備に配置されたはずだった。
「本町――」
公園のジャングルジムにめり込んだまま動かない少女を見つめ、デニムは歯を噛み締める。山村、山本、本町は少なくともランクD、デニムと同等の強さを持っているはずだった。それがゴミくず同様にいともあっさりと――。
「怜貴、総司――」
デニムはそこに向かって血まみれの体を動かす。心の何万回も叫んだ、畜生と。不甲斐ない自分と殺すべき相手に向けて。
「まだ動けるのか、お前」
それに気づいたのは怜貴の胸倉をつかみ上げている男だった。
暗くて顔はよく分からないが背の高いがっしりとした男だった。
だが持っている雰囲気は鋭い。それもかなりの数の修羅場を潜り抜けたものが持つ独特の静かな殺意を纏っている。
『やばいな』――デニムは心の中で呟く。
自分達はここで殺されるかもしれない、そんなことを覚悟した。
「儀式の最中だったか、邪魔して悪かったな」
「テメェ……」
男が闇の中でスッとデニムに掌を向ける。
デニムには何が起こるか分かっていた。どうなるか分かっていた。
だが、一瞬、実を強張らせるだけで対処することなど出来なかった。
衝撃が体を突き抜ける。空中をドライブするような感覚の後、痛みが襲ってくる。地面に激突する叩くきつけられる痛みと体中を切り裂かれる痛みだった。鎖骨へのダメージで狭くなっている肩甲骨の稼動範囲ではまともな受身すらままならない。
叩きつけられ呼吸が止まりそうになって頭の中が真っ白になりそうだった。
この攻撃だった。儀式の最中に乱入し山村達に瀕死の重傷を負わせたのは。
「苦しいか?だが俺が、このコドーが受けてきた痛みに比べればそんなものは痛みでも何でもないな」
男の掌が気を失っている怜貴頭を掴んだ。
「恨むんだな。お前が佐東と関わってしまったことを」
ニヤリと男の口元が笑ったのをデニムは見た。醜悪で邪悪、黒い怨念に塗りつぶされた心を持つもの、復讐者の顔だ。
「お前の眼球でなら美しい花が咲くかもしれないな。そうすれば久美子も――」
「いつも思うんですけどなんで悪役ってそんなに説明台詞が多いんでしょうね?」
言葉を途中でさえぎられたコドーは声の方向に視線を動かす。
公園の木の上、そこに月明かりを浴びた二つのシルエットがあった。
『おいおいおいおいおいおいおいおい』、心の中でデニムは呟く。
最悪の夜だった。なんで今夜に限ってこんなことが起こるのだろうか、と。
儀式をわけの分からない奴に邪魔をされ、さらに乱入者が現れるなど――。
しかも、しかも、しかも、この状況において味方の助け等とは思えない物、場違いな風体をした異分子が乱入してくるなど最悪に近い。
しかもそれが――メイド等とは誰が想像しただろう。
ひらりとした長いエプロンドレス、リボン、色は片方それぞれ黒と白で統一され、二人がつけているマスクも白と黒に分かれていた。
「最……悪だ」
デニムはあらん限りの声を振り絞り、木の上で構える二人に向かって呟く。そんな言葉が届くはずもなく。
「貴方の悪事は許さない、キュアメイド黒!」
「あの、その、キュアメイドホワイト……です」
「二人揃ってキュアキュアです!!」
「はい、キュアキュア……です」
言葉はなかった。若干、黒の方がのっていて白はとても嫌そうだったが、そんなことはどうでもいいことだった。
何の目的で現れたかも分からないがどうやらこの二人はコドーの敵らしく、コドーはポージングを決めた二人を冷静に観察していた。その視線は揺らぐことなくデニムがありったけの力を込め不意打つことすら難しい。
そんな状況の中で死を覚悟したデニムの意識はゆっくりと混濁の中に飲み込まれていった。
デニムが何故か助かり、士郎答の病院で目を覚ました時、当然、既にコド−もメイドの姿もなく――総司にその夜の記憶どころか、怜貴に関する記憶はなくなっていた。
第四回ノ二
『儀式の夜ノ二』
ポツリポツリと家々の明かりが消えて寝静まる頃――。
「総司君、ボクたち、やっと一つになるんだね」
少しだけ恥ずかしそうにキタロウカットの少女は笑った。
「ああ……」
神妙な顔つきをした少年は静かに答える。
夜の公園の真ん中で二人は互いを見詰め合う。
その距離、二人の様子、それは見るものが見れば恋人同士にも見えたかもしれない。実際、霧沙希怜貴は佐東総司とそういう関係になることを望んでいてこうして一つになることは夢のまた夢だった。それゆえに霧沙希怜貴は内心、冷静さを欠くほどに浮かれていたのかもしれない。実際、授業などほとんど上の空だったし、生徒会業務の書類作成でもちょっとしたミスが多かった。浮かれるのも仕方のないことだと、同じクラスのダムドたちは笑った。
ダムドという種族にとってスレイヴを持つことは結婚するのと同義なのだから――。
「総司君、君はまだこちらに踏み込んで日が浅いからもう一度確認しておくよ。スレイヴとは――」
「ああと、ダムドと契約し、使役されている者の総称。ダムドはダムドではない生物を己のスレイブにする(契約する)能力を共通してもっておりこれを使役することによって自己を守ってきた――だったか。スレイブにされた生物には共通して、以下のような特徴が現れる。1、身体の筋力、代謝機能、自然治癒力の上昇。2、特殊能力:ルーンの付加。3、体の一部に小さい幾何学模様の痣(紋章)があらわれる、だったか」
「うん。オーケーだよ、総司君。一番、重要な部分が抜けてはいるけどね」
ほんの少しだけ怜貴はぼそりと付け足した。
「普通スレイブは一人だが、強力なダムドは複数のスレイブと契約することがある。このとき、先にスレイブになった者からファーストスレイブ、セカンドスレイブ、サード……と呼ぶことがあるって奴か?それとも、ええと、また、ダムドとスレイブの契約は本人たちが死ぬまで消えることはない。またダムドが死んだときのみスレイブはその数時間後には消失して(死んで)しまうってのだったか」
「うん、それも、大事なんだけどね。いいんだ。きっと口にするのは照れくさいだろうしね、うん」
かつて自己防衛手段の一つでしかなかった契約によるダムドとスレイブの関係。しかし、ダムドと人間との対立が減少する中で、ある意味が付加されるようになってきた。
一生を共にする者、つまりは恋人――。
ダムドは人間よりも嫉妬深く、愛情深い。離婚率はほぼ皆無。それ故に一度愛すると決めたものの為に存在することを好み、それを相手にも強いることがあり奴隷であるスレイヴを一生の恋人と考える若年層が目立ってきた。
主に若い者の間でこの考え方は一般的になってきていた。それは鈴原冬架と高瀬卓士のような関係であり、藍空市ダムドコミューンの中では冬架と卓士の関係に憧れている者も多数いたりする。
デニムは公園の片隅で二人の話を聞きながら沈痛な面持ちを浮かべていた。
怜貴は総司がちゃんとこの説明を受けていると思っていた。実際は教育係のデニムが見事に教え忘れているのだが――。もちろん、怜貴には説明し忘れていたデニムが頭を抱えていることなど理解できなかった。
「じゃあ、始めよう、総司君。『契約(リ・ヴァースディ)』を」
ダムドは儀式を行うことによって他の生物をスレイブにすることが出来る。これを「契約」といい、ダムドが古来より使用してきた自己防衛の手段である。これは種族を問わず共通に備わっている能力であり、これから二人を一つにする行為だ。
「冬架君やみんなにも見て欲しかったな……」
「なんか恥ずかしいな、それも」
「フフ、そんなに恥ずかしがることはないのに」
怜貴は苦笑いを浮かべる総司を見つめて微笑んだ。
契約を冬架や仲間達も見届けたいと言っていたが、藍空市議長が見届人を限定し選出してしまったから仕方がない。この後の披露目会までお預けだ。
「契約」
呟いて怜貴はゆっくりと瞳を閉じた。
怜貴の細い指先が総司に向かって伸びた時――。
二人の手の上にフッと浮かび上がる光が紋章を創って行く――凡字にも似たそれが二人の手の上でフワリと止まった。その強烈な存在感、輝きに総司は元々細い目を細める所か見開いた。
二人の元に現れた紋章は、風と共に白く輝く。柔らかな、朝の木漏れ日に似た優しい光と風だった。
「総司君、誓って欲しい」
総司を見つめたまま怜貴は言葉を紡ぐ。
「我は汝の剣。例えこの身が苦闘に折れようと、我はこの手で血路を開く、と。我は汝の盾。例えこの身が厄災に砕けようと、何度でもこの身を投げ出す、と。我は汝の影、例えこの身が光に焼かれようと、我は必ずその側に佇む、と。我は汝の風、例えこの身が汝と離れようと、季節の巡りのように、何度でも汝の姿を探す、と。汝の寵愛の元に。汝こそ我の全て、と」
それは契約の言葉――。
共に生きる者同士の誓い――。
「怜貴……」
光と風が織り成すセレモニーは終わりを迎えようとしていた。
力を増した風と光が紋章を包み込んだ。
「怜貴、俺は――」
誓いの言葉が発せられようとした時だった。
二人の視界が覆われたのは。
見詰め合っていたはずの互いが隠れ、またお互いの視線が重なる。
二人の間に飛び込んできたそれが地面に落ちた。
自然と二人の視線がそれを見る――。
その少年の面影を残した顔と細い肢体を見間違えるはずもなく――。
藍空市新七班所属、山本工事、通称、山工。『ハーピーの山工』。
何が起こったのか理解できなかった。
それは二人を見守っていたデニムも同じだった。
総司と怜貴が僅かに声を漏らした刹那、魔力の奔流は容赦なく暴走を始めた。
それは力の奔流となり辺りに強い疾風を巻き起こす。
「怜貴!」
「総司君!」
風の中、吹き飛ばされそうになりながらも、伸ばされた総司の指先を掴もうとした怜貴の身体は力の奔流に吹き飛ばされていた。
儀式の失敗――二人はそのペナルティを受けることになる。
第四回ノ三
『儀式の夜・羅針盤』
瞼が重い。身体もだ。酷い頭痛と吐き気がした。
それよりも何よりもたった一人のことを考えていた。
佐東総司のことだ。
ゆっくりと瞼を開けると、その瞬間、背中に鋭い痛みが走る。
「お目覚めか?」
かすれた笑い声が眼前から聞こえる。
それが目の前でかがみこんでいる男のものだと分かった。
男は倒れたままの怜貴を見つめ、ジッと観察していた。その周囲には壊れた遊具や仲間達が横たわっている。デニム、山本、そして総司――。
「どうした?ひどく汗をかいているぞ」
見透かされた――声を漏らしそうになるのを怜貴は必死に押さえ込み、睨み返す。
その厳格で鋭い眼差しからは感情を感じない。高瀬卓士のように虚無的な感情のなさではなく、自身の感情を抑え坤こんでいるタイプだ。
「総司君――」
ふいに怜貴が呟いた言葉に男の眉がピクリと反応した。
そんなことに怜貴は気づくことなく、倒れている総司に近づこうとモソモソと身体を動かし始めた。
「みっともない姿だな、霧沙希怜貴」
聞こえなかった。そんなことよりも総司のことしか考えていない。
霧沙希怜貴は冷静ではなかった。
「あのゴミがそんなに大事か?」
男は立ち上がると怜貴の背中を靴底で踏みつけた。
痛みで声が漏れそうになったが怜貴は必死で堪える。それでも総司の下へ行かねばならない。そして、無事を確かめなければならない。
「まだ貴様は生かしてやる。お前は花を咲かせる肥料だからな」
男が何を言っているのか理解できなかった。霧沙希怜貴がいつものように冷静であればそれが藍空市で起きている事件のことだと分かっただろう。
「だが、佐東はダメだ。苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて……」
男はスッと一息ついた。そしてまた呪詛じみた言葉を繰り返す。
「苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて……このコドーが殺す」
「なんで……」
「ん?」
自分の世界に浸っていたコドーの瞳が怜貴を見つめる。
「総司君はずっと表で生きてきた。彼が何かをするはずなんてない!!」
「誤解するな、佐東総司には何の罪もない。俺は恨んでいるわけでもない」
『そう、俺は』とコドーが小さく呟く。
「佐東のことを憎んでなどいない。はっきりと教えておこう。俺は既に貴様の血族がしたことは許している。そう、既にそれは問題などではないのだろう」
佐東血族――まさかとある名前を思い浮かべつつも『ならばなぜ』と問おうとした瞬間、怜貴の胸倉を節くれだった手がつかみあげた。怜貴の目の前でコドーの冷たい瞳が輝く。コドーが怜貴の身体を持ち上げ、無理矢理自分と目線を合わせたからだ。
「貴様は許し受け入れると言うことを考えたことはあるか?その意味を、その行いの尊さを。それはこの世界で最も美しく優れたものだ」
「何を言って――」
「最後まで聞けよ。俺は許していると言っているだけだ。俺は佐東一族にされた全てを許している。何もかも。何もかもだ。だから俺には――」
ゆっくりと――。
ゆっくりと――。
唇がつり上がり――。
目は弧を描き――。
「権利がある。たった一つ、俺が許すことで手に入れた権利――それは俺が許した全てを俺が他者に強いることを許す権利だ」
――破顔した。
火が灯るように無表情だった無骨な顔に笑みが浮かぶ。狂気の笑みだった。自分のロジックを信じ、それをこれから行使することにこの男は快楽を感じていると怜貴は悟った。
「子供の頃に習わなかったか?人の嫌がることはするな、と。俺は許した、だからそれは嫌なことではない。それならば俺がされたことと同じことをしても問題はない。そうだろう?」
自分のロジックを嬉々として語りながら、その人差し指の先がスッと怜貴の眼球に触れる。ビクリと怜貴は身を震えさせたが反応することはできなかった。まるで遊んでいるかのように指先は瞼の上、眼輪筋の辺りをなぞっていく。
「例えば俺の眼球を抉る、俺が苦しむと分かっているのに眼球を抉るということは、相手は俺が苦しまないと思っているのか、あるいは俺が苦しんでも問題はないと思っているからだ。ならば俺がそれを許しさえすれば、互いに眼球をえぐることに何の問題もなくなるはずだろう?許しているのだから。違うか?」
違う――怜貴はコドーの言葉を否定しようとした。
受け入れるということは――。
許すということは――。
そんなことではない。
佐東総司という存在が霧沙希怜貴という存在を受け入れてくれたように――。
佐東総司という存在が霧沙希怜貴という存在を受け入れてくれたように――。
許すということは受け入れるということはコドーの考えているようなことではない。
「そういうわけでだ。俺はお前をこいつの目の前でレイプする」
ビクリと怜貴の全身が強張った。
「そう、レイプするんだ。その後は二十四時間犬に犯させる。穴と言う穴を犯させる。肉体的に貴様をどん底まで叩き込むと約束しよう。次はその画像を貴様の知人、学友、親族に見せよう。それはそれは恥ずかしいだろうな。体中バターまみれにされ犬に犯されて糞尿と精液で塗れた姿を、愛する隣人、家族達に見られるのだからな。これによりお前個人としての存在価値をどん底まで叩き込む。次にお前の学友達による輪姦だ。誰の子を孕むのやら」
言葉を聞いているだけで異がムカつき、反吐が出て吐きそうになった。暗く深い暗黒の谷間が目の前で待ち構えているようだった。
「そうしてゴミくず同様になった貴様は花の肥料となる」
「……されたの?」
「ん?」
「そんな酷いことを君はされたのかい?佐東一族に。あの佐東一族に」
一瞬だけ、コドーはその瞳を閉じた。
「お前がこいつの『本当の素性』に気づいているか、いないかは俺にとって問題ではないが『システム』の中核にとってそんなことは日常茶飯事だ。俺がさっき言ったことなど生ぬるい」
「システム……羅針盤か」
『羅針戒(ラシンカイ)』。怜貴が知っている言葉で語れば、世界規模で政治を牛耳る企業、団体の複合体(コンプレックス)、システムと呼ばれるもの。
西邑(にしむら)、佐東(さとう)、南浄(なんじょう)、北都(ほくと)、央華(おうか)の五家と下部四家を核としている。様々な国の機関に干渉する力を持ち、国連規模で政治的発言権があり、羅針戒は組織内部に多くの異能者を抱える、あまりにも巨大で漠然とした存在。
「俺はシステムを許す、故に佐東総司を許す」
『なんで総司君が』と呟いた瞬間、怜貴の身体を悪寒が突き抜けた。それは見てはいけないものを見てしまった時の寒気に似ている。知ってはいけないことを知ってしまった時の冷たい汗が額からこぼれた。
「まさか……」
「薄っすらと気づいていたのだろう?」
返す言葉はなかった。その代わりに心臓が不自然な鼓動を奏でている。
「佐東なんてどこにでもある名前だと思ったか?真名は東遠見(とうとおみ)、その性質と役目上、偽名を名乗る五家の一つ。佐東総司の兄、佐東零時の名は聞いたことがあるだろう」
「そんなはずはない、そんなはずは――」
雨の中で出会った総司との今までの日々の中、総司のことは分かっているつもりだった。家に反発し、一人暮らしをしていることも兄と妹がいることも。だが、総司は間違いなく普通の世界の住人だった。怜貴が知らない総司があったとしても総司は怜貴と同じ世界の住人ではなかったはずだ。
「貴様は気づいていないフリをしていだけだ。こいつは――。いや、こいつ自身は気づいてもいないのだろう。なぜなら――」
「はっはぁ!うるせぇ野郎だ!!」
コドーの言葉を遮り叫んだのは倒れていたはずのデニムだった。
一つ目のイラストが描かれたバンダナで、両方の目が隠れるまで降ろし大斧を構える。それこそデニムの種族、『サイクロプス』本来の姿であり、ハーフダムドであるデニムは本気になった時だけこの姿になる。
「怜貴、伏せてろよ!!」
背後を取ったままデニムは巨大な戦斧『渇望』を振りかざす。
「直撃を避けていたか。さすがは第九位戦斧『失墜』のコピーである『渇望』の持ち主でもある。破壊力だけなら第七位大剣『不浄』にも劣らないだろう」
「ハッハァ!知ってるなら話は早ェ!!この大刃はテメェのことを存分に切り刻んで細切れにしてくるだろうぜ!!」
「……使いこなせていなければ意味はないがな」
コドーは振り下ろされる刃に動じることもなく、ほんの数ミリ、身体を動かした。その瞬間、渾身の力を込めた刃は空を切り地を砕いた。全く無駄のない動き、よどみも迷いもなくギリギリで一撃をかわされていた。それ故に隙が出来たデニムは懐に入られてしまう。
「デニム君!!逃げて!!」
怜貴の言葉は遅すぎた。
「俺は羅針戒にいた頃――まだ人間だった頃に『失墜』の持ち主とやり合っている。貴様と違って完全に斧の力を使いこなしていたぞ」
「テメェ……!!」
「劣化版のコピーしか使いこなせないお前が俺に勝てるなどとは思っていないだろうな。俺はそういう思い上がりを許さない」
「テメェええええええええええええええええ!!」
「カタ・ヴェンート(風見鶏の赴くままに)。そして、俺はお前の存在を許すつもりはない。黙って寝ていろ」
その言葉の後、鋭い衝撃が周囲を包んだ。
それでも怜貴は手を伸ばす。総司に向かって。届かないと知りながらも。それを知りながらも手を伸ばし続けた時、ふいに総司が自分を受け入れてくれたことを思い出した。
自分が異種族と知りながらも総司は受け入れてくれた。
自分が傍にいることを許してくれた。
だから総司の正体が何であろうと関係ない。
殺させるわけにはいかない。許すわけにはいかない。どんなことがあろうと共に生きると決めたのだから――。
「総司君」
ゆっくりと怜貴の意識が薄れていく中、総司の名を小さく呟き怜貴は意識を失った。
ダメージを負ったデニムの前にメイドマスクが現れる数分前の出来事であった。
第四回ノ四
『儀式の夜・後悔』
第四回ノ五
『儀式の夜・ライダーズ・オン・ザ・エッジT』
突き抜けるような夜風が啼いた、外灯に照らされた二人のシルエット、白と黒のロングスカートにじゃれつきながら。大樹の枝をしならせてエプロンドレスの二人がひらりと夜空を舞う。コドーにはそれが娘と見たいつかの蝶々のように見えた――しなやかでかろやかな、今の自分にはピンで留めて殺したくなるような愛らしい蝶々に。
二人のメイドはしなやかに着地し身構えてみせるが、冷静に観察を続けているコドーは身構えることをしなかった。
メイド服と鉄仮面というマヌケな姿だが油断させる為だろうし、武器何か仕掛けを仕込んでいる可能性もある。
さらに、その位置は自分の間合いではないしもう数歩ほど踏み込んでもらう必要がある。ほんの少し、三歩ほど。
「いいですか、ホワイト」
「は、はい……またやるんですか?」
「さっきのはいまいちでしたから今度こそですよ」
「わ、分かりました……」
コドーの前で鉄仮面白と黒が中国武術のような動きの後――。
「いっせーので」
ブラックの掛け声でポージングを決めた。
「悪を許さないブラックキュアメイドです」
「あの、悪とか交通ルール違反とか取り締まるホワイトキュアメイド……です」
「二人揃ってキュアキュアです!!」
「はい、キュアキュア……です」
間合いに入る――。白メイドと黒メイドの奇妙なやり取りに注意しつつもコドーは間合いを詰めた。
白い方のメイドが何者かは分からないが、黒い方のメイドはこの距離なら攻撃に移るまでコンマ数秒を要する。だが自分は一瞬で攻撃することができるだろう。ブラックの方の間合いは分かっていた。
どんなにマヌケなフリをして隠そうと染み付いた死臭までは隠しきれない。
覚えている、その丸くて柔らかくて神経を逆なでする声も、手の内も全て知っている――。仮面の下に隠した素顔も。
「久しいな、『地獄軍曹(ヘルズサージェント)』。『失墜』使いのガキは一緒じゃないようだな」
ゆっくりとブラックは首を傾げた。さも『分かりません、この人は何を言っているんだろう』と言うように。
「ん〜。どちら様でしょうか。私の知り合いには少女に向かってレイプ、レイプ、チンコ、チンコ連呼する変態さんはいないつもりですが。網走の変態鑑別所に帰ったらどうですか?」
「チン……ブラック、ブラック、そこまで言ってはないです。網走にもそのような建設物は……」
二人のやりとりを聞きながらコドーは喉を鳴らし笑う。
「相変わらず口だけは達者だな、混ざり物」
混ざり物――コドーはそれがこのブラックにとって最も屈辱的な言葉と知っていた。自信のアイデンティティを失ってしまっているブラックには耐え難いはずだった。
「あらあら? それは私に負けて半泣きで逃げ帰った方の言う言葉じゃないですよ、下衆変態さん」
二人のやり取りを見ていたホワイトが小声で囁く。
「ブラック、お知り合いなのですか?」
「さぁ。ド下衆変態さんなんて名前も覚えてませんから」
「ああ、そうだろうな。お前は虫けらのように俺を踏み潰したからな。金で雇われた薄汚い傭兵の分際で」
ゆっくりとコドーが瞼を閉じ、開けば血に塗れた足元が映った。
その脳裏に過ぎったのは苦い苦い敗北の経験、人間であり、まだスレイヴとなる前、羅針戒の末端だったあの頃の――忘れなければならない思い出の一つだった。
「あの時の俺じゃない」
――『今まで、ここまで、どれだけの血が流れ自分を汚しただろう』。
そんな思いを胸に抱きながらコドーは自信と覚悟を持って意思を宿した瞳を開く。
あの頃の薄弱で脆弱な末端の駒だった自分にはなかったもの、それは握りつぶしてきた命と無数のシミが作ってくれた。意思がコドーの爪先から指先まで波立たせる。眼前に立ちはだかる過去を許すなと告げる意思に従い視線をゆっくりと移す。
「俺はこの胸に復讐を誓い許せぬものを断罪する力を手に――」
そこまで言いかけて言葉は途切れた。瞳に映ったのはホワイトだった。
『しまった』と思った瞬間には自分の胸を突き抜ける拳と鮮血を見つめていた。
「御容赦ください。ブラックはド下衆変態レイプ野郎さんには容赦しないキャラ設定なので」
「それは――良かった」
胸部を貫かれ致命のコドーは口元を吊り上げる。
刹那――コドーは風の啼く音を聞いた。ヒュンという、ツバメが目の前を飛び去るような音だった。
何かがキラリと輝いたと見た瞬間、目の前を見ていたはずの視点が歪み、目まぐるしく周囲が回転する。壊れたはずの遊具、壊した者、殺すべき佐東、血だまり、ホワイト、ブラック、遊具、者、佐東、佐東、佐東、佐東、佐、遊、血、肉――。
まるで高速で振り回されたような――人間の時に大事な娘とジェットコースターに乗ったのと似ていたが、それはそんな生やしい視界の移動ではなかった。
何が起こったか分からないまま地面に叩きつけられ、自分ではどうすることもできなかった回転がゆるやかに止まる。
そしてようやく理解した。
笑ったまま、動く暇も、交わす暇もなく、コドーが自分の首を絶たれたことに。
褒めたくなるぐらいに素早く的確な判断だった。
「失礼な奴だ、ホワイト。いきなり首を切り裂くとは」
首だけになっても余裕たっぷりのコドーはなおも笑う。
「首を切り裂いた風きり音、一瞬だけ輝いた貴様の周囲、それは一つの答えを教えてくれている。高速の繰糸――弦操師か」
ホワイトは答えない。
代わりに立ち尽くしていたコドーの身体が細切れになって地面に崩れ落ちていく。
高速の連撃は容赦など微塵もなく、たやすくバターを切り裂くように、滑らかにナイフを走らせるように四肢を切り裂いていた。そこまでする容赦のなさ、反撃を許さない鉄の意思は見事としか言いようがなかった。
そして――。
「許そう――貴様のことを」
自分が細切れにされた、つまりは細切れにされることを許容したということだ。ならば、慈悲など、必要、ない、逃げる、暇など、与えない、選択の余地も、必要ない、ただ、わけも分からずに、細切れにされて、悲鳴をあげるだけだ、この、一撃はそれほどに、全てをバラバラにする、許す力。バラ、バラに。
首だけになったコドーの視線の先で――。
「許す……」
地面がスッパリと切り裂かれた、初発、失敗。呟きよりも静かに、囁きのようにさりげなく、それは地を這い、切り裂く。
「許す許す……」
ホワイトの片腕が宙を舞った、次弾。命中。
「許す許す許す……」
血飛沫の花びらに染まったホワイトの姿は美しかった。
よける暇さえなくさらにマスクごと頬がスッパリと切り裂かれ、美しい肌にはクレバスのような傷跡が刻まれた。そこから吹き出す血もまた美しい。
「許す許す許す許す許す許す許す許す許す……」
次はスカートだった。蝶の羽のようなそれは容赦もなく切り裂かれ白い肌が露に。羞恥と苦痛による絹を裂くような悲鳴が心地よかった。
「許す許す許す許す許す許す許す許す許す……」
バラバラになれ。バラバラに、バラバラにバラバラ、バラ、バラ、バラバラバラバラバラバラバラバラバラバラばばばばばばばばっばばばばばばばばっばばばばばばばばばばばばばばばば――集中砲火により霧状に飛び出す鮮血と吹き飛ばされる肉片、泥、巻き上がる砂埃の中に、ブラックが飛び込む。立ち尽くしたまま切り裂かれるホワイトを抱き締め盾となった、自分も切り裂かれるだけだというのに。よほど、仲間が切り裂かれるのは許せなかったのだろう。甘くなったのはどちらだろうか、それとも殺しきれないと判断したからか。どちらでもいい。どちらでも。それはコド−にとってどうでもいいことだ。どこから何をされているのか分かったとしても襲い、遅い。外灯の明かりに照らされ踊れ、踊れ――。
「許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す許す!! 俺は何もかもを許すぞ、許してやるんだ、何もかも!!俺は、俺は、なんて、なんて、嗚呼ぁ、もう、なんて、優しい奴なんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ!? 神様なのかぁなぁ、俺はさぁ!?」
衣服が切り裂かれブラックの張りがある乳房が露になった。大きさ、形といい男を興奮させるには十分だった。コドーの身体が健在ならば天をつく勢いで勃起していただろう。自分の身体は既にこの攻撃に使われているのだから仕方ない。
柔らかく若々しい肉体が切り裂かれ血まみれになっていくのはとてつもなく心地良かった。
濛々と立ち込めていた砂埃がゆっくりと晴れていく。
「どうだ。無数の水滴の刃は。この暗闇の中では何をされたかさえ分からないだろう?」
――期待していた通りだった。
ブラックは立っていた。
嗚呼――とコドーは一言だけ漏らす。
なんて美しい姿だろう。きっと、きっと、きっと、自分の肉体を水滴の刃に変えていなければ限界を超えた自分の股間は射精していただろう。白くてぬるぬるとした生臭い精液をずぼん一杯に射精していたはずだ。
そう確信させるほどに美しい。ブラックが混ざり物――両性具有となる前に見た姿と同じだ。何一つ変わっていない。何一つ。
仮面もほとんど意味をなさないほどに砕かれ、頬、鼻先を、額を、女の命を蹂躙され、それでも凛とした気高さを秘めている。メイド服のスカートなどほとんど、腰巻程度にか残されていないというのに動揺すら見せない。それはその腕の中でぐったりしているホワイトのような小娘にはできないことだ。
傷だらけで血まみれになった両方の大きな乳房をぶら下げ、恥ずかしげもなく乳首をさらけ出しながらも、真っ直ぐ前を見つめ続けるその姿は――なんて美しいのだろうか。
「怒れ、俺を憎め」
ゆっくりとコドーはそう告げる。
ヒラリと舞い散る衣服の欠片がコドーの鼻先の前を過ぎった。それをパクリと口で咥え、そのまま租借した。その行為に一瞬だけ、ブラックは反応した。怒った、あるいは軽蔑した、どちらでもいい、ただ許せばいい。
「そして、許せ。俺と同じになれ」
――心の底を見せろ。醜く浅ましい姿を見せろ。
自分と同じように。復讐に酔い醜く変わってしまったコドー自身のように。
「俺の頭を潰せ」
「それぐらいじゃ死なないことは分かっていますよ」
先ほどまでと変わらない丸い声で――怒りも憎しみも見せずにブラックは微笑む。
「スィーウーメス……幸村聡一(ゆきむらそういち)を名乗る――『泡沫(バブルリープス)』スィーウーメスのスレイヴである貴方には、ね」
コドーは小さくため息をついた。
「知っていた、か」
「ダムドとスレイヴの相乗効果――相性が良いダムドとスレイヴは時折、貴方のように主と似た能力を持つことがある……スライムであるスィーウーメスと同様に身体を液体化させる能力を手に入れたみたいですね」
ブラックはコドーの頭をボロボロの右手で掴み上げ、同じように千切れかけた左腕で拳を作る。
嗚呼、あの美しい二の腕から繰り出される拳に俺は叩き潰されるのだなとコドーは悟った。その前に――。
「どこで俺のマスターのことを知った――?」
ほんの少しの間の後――。
「『碧梧の王(グリーンディ)』からの伝言です。座して死を待つズラ、と――」
コドーはその名を聞いて一瞬だけ瞳を閉じた。
分かっていたことだ、それは。碧の派閥はコドーとマスターのことを許しはしないことなど。自分達に時間がないことも――。
「なぁ、ブラック――」
語りかけるようにゆっくりとコドーは小さくブラックの本当の名を呼んだ。
「お前は今、俺を許してい――」
コドーの唇にちぎれた指先が触れた。
「皆が皆、貴方と同じだと思わないでくださいね」
短いその言葉が答えだった。
「それではごきげんよう」
「ああ、また今度」
スレッジハンマーで殴られたのと同じように重い一撃だった。顔の真ん中を打ち抜かれ息が出来ないほど苦しくなり意識がゆっくりと消えていく。
振り下ろされた拳に叩き潰された頭部はいつかの蝶々のように羽ばたくことなく、ただただ粉々に砕け闇の中に霧散していく。
第四回ノ七
『そして、儀式の夜明け』
第四回ノ七
『リッパーウィープス(雨夜に泣く刃)』
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