『DANNYストレンジ++』
〜ベースの弾けないシド〜

 

「先生、アメリカンコミックのセンスって微妙ですね」
 俺の仕事椅子に座りギターを鳴らしている一九実が呟いた。どうやら今見ている映画の内容が気に喰わないらしい。
「しょうがないだろ、編集さんが見ろって言うんだから」
 一九実の隣で頭から毛布をかぶった俺は、そんなことを言いながらテレビ画面を見つめていた。
 今見ているのはアメコミを原作にしたアクション映画であり、担当の編集者から勧められた物だ。やはり、一九実ぐらいの年齢になればラブロマンスかそういう映画の方が面白く感じるのだろうか。
 日頃から素っ気無いタンクトップにジーンズを愛用しているのを見ると、そういうのに興味があるかどうかは怪しいところだ。もう少し年頃の娘らしい格好すればいいのにと思う。
 死村一九実(いくみ)は現在美大一年生。
 俺の実兄の娘で、兄貴の遺伝子を継いでるとは思えない器量良しだ。ウェストはキュッとしまってるし、背も高いからスタイルがいい。北欧系ハーフ特有の端正な顔立ちは眼鏡のせいで少しシャープだが、その凛とした感じが真直ぐ伸ばした栗色の髪と似合ってる。一九実のことは子供の頃から知っているがこんなに大人びてくるとは思わなかった。それでも、素直な性格や絵が好きなことは昔から変わっていない。
小さい頃から絵が得意だった一九実は、高校生になるとちょくちょく俺の仕事を手伝いにマンションまでやって来るようになった。将来はデザイン系の仕事に就くより俺と同じように漫画を描きたいらしい。あまりオススメできない進路だ。一九実には才能があるのだから何も漫画を選ばなくてもいいと思う。
「原作の方が映画より面白いですね」
 どうやら一九実が怒っているのは、映画の内容が原作に劣っていることのようだ。
 確かに原作の面白みとか、そういう部分がかなり削られている。
 だが、ヒロイックなアクション映画としては申し分なく合格点だろう。
「アメリカはヒロイックなストーリーが好きなのですね。原作よりその点が強調されてます」
「ああ、アメリカはそういうの好きだなー」
 最近は向こうで日本のコミックが人気だとか聞くが、まだ向こうの本家本元には勝てないだろう。アメリカンコミックの人気は根強い。
「先生もそういうのお好きですか?」
「俺? 俺も人並みに好きだよ。まぁ、俺はホームランを打てない側の人間だからね。こういうのには憧れるって言うか何と言うか」
「ホームラン?」
「そ。ガキの頃かな、近所で野球大会あったわけよ。当然、俺みたいな運動音痴君は補欠な。それが何の因果か試合にでることになってさ。頼むからバット引き係でいさせてくれって感じだったんだけど。あ、バット引き分かる? 試合中にバッターが打ったバット引く係りなんだけどさ。まぁ、補欠の仕事なわけよ」
 裏方、聞こえはいいが補欠の雑用だ。大体そういうことをやらされるのはそのチームの味噌っかすと決まっている。
「先生はその係りだったのですね」
「そ。出番なんて当然来ないもんだと思ってたわけだ。そこで急に代打で出ることになってさ。最後の試合だから出してくれたんだろうけど、ツーアウトの満塁の場面で俺なんか起用したわけだ。現実は甘くないね。そこで俺がホームランでも打ってればヒーローだったけど、見事に三振でアウトしたわけだよ。ああ、やっぱりねとか皆に言われちゃってさ」
 それは俺だってせめて当たればいいなとか、青空を打ち抜く快音が鳴らなくたってせめて塁に出れればいいなとか思ってた。でも、現実には、空振りと言う奴で、祇園ナンタラの鐘の無情な音すら鳴らなかったわけだ。
「先生……」
一九実が小さく呟いたが俺は画面を見たまま話を続ける。
「そんで俺は悟ったわけだ。俺は決してヒーローにはなれない存在だって。そういう人間ほどそういうヒーローとか憧れちゃってさ。俺は絶対ホームランは打てないっての……」
 そこまで言いかけた時、ふいに一九実の白い両手が俺の頬を挟む。そして俺の顔を一九実の方に向けてジッと見つめる。
「なれます」
 そう言うと一九実は一人コクコクとうなづく。真剣そのものという感じの真っ直ぐな眼だった。
「なれます。先生はヒーローに」
「なれるって言ったって、もう俺、来年は三十行くしさ。別れた女房の連れてった娘も三歳になるし、髪だってけっこう危ないしさ……」
 一九実の暖かい手が俺の頬から離れた。
 すると、唐突に一九実はギターを手に俺のかぶっていた毛布の中に入ってくる。
「あ、おい……」
「先生の好きなシド・ヴィシャスだってベースが弾けなかったじゃないですか」
 そう言うと、不機嫌そうに画面を見つめギターを鳴らす。それはほんの僅かな表情の変化だった。家族でないと気づかないぐらいの変化だ。
「まぁ、それは……」
シド・ヴィシャスは生き方がパンクだったからベースはあまり関係ないだろう。
「頭の薄くなったヒーローがいたっていいと思います」
 溜息をついた後、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
「毛の薄くなった眼鏡のヒーローって……偉く子供受け悪そうだよな」
「そうですか? 見方によってはダンディかもしれないです」
 一九実は美人で、細くて――少しだけ強情な時がある。
 そういう時の一九実は少しだけ厳しくて優しい。
「先生ならなれます」
「そうかな?」
 なんで、今、子供の頃に欲しかった言葉を言われるのだろう。それはあまりにも残酷で、こんなにも嬉しいことはない。
 俺たちはそのまま交わす言葉もなく、二人で毛布に包まったままブラウン管を見つめる。
 薄暗い部屋が寒いのか、一九実が俺の身体に寄り添う。
 今、近づかれると泣きそうになってるのがばれてしまうが、もしばれたらのは映画のせいにしてしまえばいいと思った。
「一九実、明日暇か?」
「明日は講義は休講なので暇だと思います」
「来週分の仕事しようか?それも、子供達が夢中になるぐらいとびっきり面白くしてさ」
 一九実が一際強くギターを鳴らす。
「ラジャ−です」
 答えた一九実はややはにかんで微笑む。
 俺がそっぽを向いて鼻を鳴らしだすと、一九実は正座した。
 そして、自分の腿の上をポンポンと数回叩く――そして少し頬を赤くして『どうぞ』と小声でつぶやいた。
「いや、あのだな。そういうことはこんなおっさんではなく、恋人や好きな男にしてあげなさい」
「なら問題はありません。私は先生のことが好きですから」
しれっとクールに一九実は言い切った。
「あ、あのなぁ……」
 俺が躊躇っている隙に、一九実は強引に俺の身体を引っ張る。抱きかかえられる形で俺の頭が一九実の膝に乗った。ジーンズに包まれた柔らかな腿の感触がした。
「一九実、俺は向きを変えないと画面が見えないんだけど……」
 一九実は俺の身体を膝に乗せたままシーと言った。
「今いいところなのです。もう少しこのままでいさせてください」
「あ、はい。すいません」
 と、年下の娘につい敬語で謝る。
 さっきまでギターいじってて内容なんてほとんど分からないだろうに。俺たちはぼんやりとそのまま
 画面が見えないが、どうやらラストシーンを終えてスタッフロールが始まったようだ。
「一九実、巻き戻してもいいぞ」
スタッフロールが終って静かになった後、俺がそう言うと一九実はコクリと頷いた。
「はい。ではお言葉に甘えます」
 一九実がリモコンをいじり、カタカタとデッキが動きだす。
 巻き戻して最初から見るなら、もう一度ラストシーンになるまでもう少しこのままでもいいかなと思った。



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