『DANNYストレンジ』

俺、死村百太郎がコンビニの薄暗くて汚い便所で手を洗う。
顔を上げたとき、ふと気づいたのは洗面台に鏡が取りつけられたことと、そこに写ったのが髪が薄くなって少しやつれた俺だったことである。
用を足しトイレから出るとレジに立ったアルバイターのおっさんがこちらに会釈した。
どことなくさび付いた表情……。
髪には白髪が目立ち、これまでの生き様の苦渋が滲み出ている。
このコンビニによく通うためだろうか、俺のことはいつの間にか顔パスになっていた。
通りがけに、こうやってトイレを使うためだけに来るのだが…少しそれが煩わしい。
接客なんて目を見てする必要なんてないだろ。うまく、うまく、相手から目を逸らしてやり過ごすことを考えるべきで……一々、会釈など便所を使うだけの中年にする必要ない。
申し訳ないのでおにぎりを一つだけ買うことにした。
梅おかか(130円税込み)を商品の陳列された棚から探す。
俺はあれ以外のおにぎりを買う気はないのだが……シーチキンやらビーフやら……。
若者が好みそうなおにぎりがぎっしり並べられている。
胃がもたれるんだよ……この歳になると。
元々さ、おにぎりは日本の伝統文化であり、西洋の文化と混ざる必要はないだろ。
それは西洋文化への迎合であり、百歩譲ってね、百歩譲ってだよ、多面的に見れば商戦として仕方ないことかもしれないけど、我々ジャパニーズの伝統文化として……いや、まぁ、仕方ないので若鶏おにぎりというのを買った。
買う気はなかったのだ……ただ申し訳なかったから。
そう、申し訳なかった。
俺がこのコンビニの最後のトイレットペーパーを使い切ったから。
義理の文化なんだよ、ジャパンは。
レジを済まし(中年アルバイターの仲間を見るような目がいささか不愉快だった)ドアをやつれて汚れた指先で開ける。
重い金属音の向こう、外は夕暮れでくの字がオレンジの中を飛んでた。
入り口脇では高校生ぐらいの若者がたむろしていたので、出来る限り目を合わせずその場を去った。
俺は歩きながらおにぎりの包みを開けようとする。
が、指先が思うように動かず、袋が開けれない。嗚呼、俺って奴は。
こんなことジュースのプルタブで苦戦する人間がすることじゃない。
仕方なくおにぎりの袋を力任せの無茶苦茶に破る。
「……」
海苔はおにぎりと分けるためのフィルターの向こうで粉々になっていた。
それでも若鶏おにぎりはまぁ、そこそこうまかった。そこそこね。
しばらく歩きおにぎりを食べ終わる頃、交差点に差し掛かった。
夕日に溶け込んでいた信号機の赤が数回点滅する。
すると信号が切り替わって通りゃんせのメロディが流れ、歩行者が動き出した。
向かって来る人の波は真っ直ぐ歩行者道路の線の上を、俺はその外側を外れて歩く。
俺はごくごく自然にその動作をしていた。
それはまるで『風呂に入る時に服を脱ぐ』みたいな無意識の反復動作に似ている。
俺のため息と共に、おにぎりの海苔が風に流れていった。
狭い交差点を渡り、コンビニから数分歩いた所に俺の住むボロアパートがある。
歩くとギシギシ軋む階段を上って、二階隅のが俺の部屋だ。
ポストの中には教会のチラシがまた入れられていた。
『おいおい、俺の神様はシド・ヴィシャスだぜ』とか言っていた学生時代が懐かしい。鍵をねじ込みたてつけの悪いドアを開ける。
「ただいま」
返事は沈黙だった。
夕日が差し込む薄暗い部屋は赤くて少し広い。
部屋の隅に置かれた机にはインク、雲形定規、ペン先などが乱雑に氾濫していた。
ペンたてからGペンを引き抜くと、何気なくテレビのリモコンを押す。
ブラウン管には派手な衣装のバンドが映る。
スポットライトと歓声の華々しい世界……。
それは数年前にデビューした某人気バンドであり……俺の大学時代の知り合いでもある。
「なんだかなぁ」
ふと、俺はテレビの横に立てかけられたGibsonのギターを見つめていた。
未練というのだろうか。
最後に演奏したのは兄貴の娘の前だった。
やっぱり未練だよなぁ。
俺はテレビをつけたまま机に向き直る。
ちゃっちゃと今月分の原稿を仕上げないといけない。
これが俺のオマンマの元なんだから。
机に向かって仕事しだして数分後チャイムが鳴った。
「先生」
玄関から声が響く。
透き通った若い女性の声だ。
誰かは分かってた。
分かってたから少し、戸惑うのだ。
声の主は俺の兄貴の娘、死村一九実。
現在、大学一年生だったと思う。
兄貴の遺伝子を継いでるとは思えない器量良しである。
ウェストはキュッとしまってるし、背も高いからスタイルがいい。
顔つきも小顔で伸ばした髪と似合ってると思う。
眼鏡のせいで少しシャープな感じだがきっと大学ではもてるんだろうなぁ…。
一九実はよく、フッと現れては俺の漫画を手伝ってくれた。
俺のことを先生と呼び慕ってくれている……と思う。
以前来てからどれぐらいぶりだろうか。
そう……二週間ぶりか。
一瞬すぐにでも飛び出そうかと思ったが、少し焦らしたいという気持ちに駆られた。
「先生、いませんか」
俺が一度も来いなんて言ってなかったのに、なんで今まで来なかったんだ、というひどく勝手な気持ちがあるのだ。少し俺のこの寂しさというのを分かって欲しいのである。
「先生」
呼ばれたって出るもんかね。
俺はドアの前で寂しそうに座り込む一九実を想像した。
「先生、いないなら帰りますね」
おい。
俺は椅子をけり倒し飛び出した。
最近の子供はクールだと言うがそれはあんまりだろう。
いそいでドアを開けたがそこに一九実の姿はなかった。
「一九実……」
自然と名前を呼んでいた。
いつもこうだ俺は。
こういうことの繰り返しなんだ。
ダメだと分かってても気持ちがしてしまうんだよ。
どっか行く時だって『行くか』じゃなくて『来て』って言いたいんだよ、本当は。
ドアの側には持って来たんだろう漬物の袋がポツンと置かれていた。
風が少し冷たい。
ドアが軋んだ音をたてるのと風の音が混ざり合って泣いている気がした。
俺はゆっくりと部屋の中に戻る。
「一九実……」
認めたくはないが一人はやはり寂しい。
呟く俺の声は少し震えてた。
「はい」
あろうことか、部屋の中で一九実はそう答える。
タンクトップとジーンズのラフな姿……。
俺の仕事椅子に体を丸めて座り、まるで『最初からここで仕事してます』みたいな顔で。
「お前、どこから……」
「お隣のベランダからです」
一九実はクルゥリと椅子に座ったまま回転させて見せる。
その手にはお煎餅の袋が握られていた。
「居留守使うと思ったのです。ついでにお隣の常盤さんからお煎餅を頂きました」
俺は大事な髪の毛を、無造作に手でかいていた。
「まぁ、いい。仕事するから手伝ってくれ」
「はい」
一九実がテレビを消そうとした。
「ああ、すまん。つけといてくれ」
俺は一九実の隣に座りテレビを見つめた。
「?」
「知り合いが出てるんだ」
俺は極めて短くそう言った。
「あ、例のバンドってこの人達なのですね」
今、テレビの中で紹介されているバンドは俺が昔いたバンドだった。
「大学生だった頃はさ、俺も音楽で食ってこ、生きてことか思ってたバンド青年だったわけだよ」
当時バンドにいた俺は就職するため、あっさりバンドをやめた。
『お前ら現実を見ろ』みたいなことなんか言っちゃって。
皆からはそうやってくだらない大人になれって言われて。
その後、互いに何がどう転んだのか……。
ブラウン管の連中は夢を追いかけて成功したわけで。俺だけこうして安アパートで髪の毛を気にしながら売れない漫画描いてるわけで……。
一九実は突然テレビを電源をOFFにした。
「いいじゃないですか、別に」
今度は一九実が短くそう言った。
「でもなぁ、成功してる奴見ると焦るよ。俺、同窓会だって行けないもん。皆頑張ってるのに俺だけなーんかさ」
「そういうものでしょうか」
「そういうもんだよ」
一九実はテレビの横に立てかけられたギターに触れた。
「これもらっていいですか?」
「ん、ああ、いいよ。そんなもの」
「ギター弾いた先生、格好良かったから私も覚えようかなと思うのです」
俺はそれを鼻で笑う。
「格好いいわけないだろ。こんな毛の薄く鳴り出したおっさんなんかさ。三十いったしさ、体重なんか五キロも減ってるし、こないだなんか髪の毛がごっそりと……」
一九実がギターを無茶苦茶に鳴らした。
まるで俺の言葉を遮るように。
「先生は今のほうが格好いいです」
一九実は俺を真っ直ぐ見詰めて何度も頷く。
本当に一片の曇りもない瞳で。
俺がそっぽを向いて鼻を鳴らしだすと、一九実は正座した。
そして自分の腿の上をポンポンと数回叩く……少し頬を赤くして『どうぞ』と小声でつぶやいた。
「いいじゃないですか、ハゲでも痩せこけてても。それが先生なんですから」
「……」
俺は一九実の膝に頭を乗せてた。
一九実はそっと俺の薄い髪に触れる。
オレンジが照らす一九実が綺麗で、俺はさ、俺は。
俺は少しだけ。
少しだけ……。
多分、今もバンドにいれば手に入った者もあんだろうさ。
でも、そこにいたら今手に入らない物もあるわけさ。
きっとさ、それは俺にとって胸が張れるもんだと思う。
なぁ、お前ら、間違ってなかっただろ、俺も。
一九実の膝の上が心地よくて少しウトウトしてた。
実際はそんなに経ってないけど俺にはそれが長く思えた。
「なぁ、一九実」
離れるのに少し戸惑いながら俺は起き上がる。
「ファミレス行くけど、来るか」
「先生、作業は?」
「飯食いながらやるさ」
「はい」
そう言って一九実は微笑む。
アパートから出ると陽はもうほとんど沈んでる。
歩き出した俺たちの影は遠く伸びていた。
「後でギター教えてやるよ。シドもびっくりのテクニック。ジミヘンだって逃げ出すぜ」
「シド・ヴィシャスはベースだったと思うのですが」
「俺の神様だよ」
交差点に立ち止まると一九実はそっと俺の腕に、自分の細い腕を絡める。
通りゃんせが流れ出し人の波が動き出した。
俺たちは向こうから来る人の波に向かって、真っ直ぐ歩行者道路を歩いてく。

線の上を真っ直ぐにさ。

 

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