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by SakasitaNanohana

 





ブラム・ブラウン・ロウズ

 

「うん、興味深いな」
心地良いうたかたの中にいた男は、その声に眉をしかめた。
「興味深い」
白いティーカップを手に、男装の麗人が呟く。
男のぼんやりとした視界に、ロッキングチェアでゆったりとしているその姿が映った。
「実にいい」
女性の呟く声は子供のように高いが、けしてあどけないわけではなく熟した果実のような危うい魅力を持っていた。デスクに投げ出した足はスラリと長く、どこまで続くのかとさえ思わせる。いつもは付け髭をしているが、ベイカー街にある事務所にいる時は別だ。今日は仕事の依頼もないのか、いつもはきっちりと着込んでいる紳士服も脱いでいた。
「興味深い。実に興味深い」
女性は珈琲を片手に新聞紙を読み、一人で何かを確認するように何度も頷いていた。
先ほどまでソファで眠っていた男性は金色の髪をかきむしる。
「おはよう、寝ぼすけ殿。また論文書いてて徹夜かい?」
女性は男性が起きたのに気づくと珈琲をティーカップに注いだ。
男性はそれをぼんやりと眺めながら、しなやかな肢体を起こす。
「ああ。こなし仕事みたいなもんだ。お前こそ、今日は仕事がないのか?」
「生憎ね。仕事がないのはいいことだよ。今日もベイカー街が平和なんだから」
そう言いながら女性はクスリと笑い珈琲を差し出す。
「事件がなければ探偵なんて廃業だな、名探偵殿」
男は珈琲を受け取りながらいつも通りの皮肉を呟く。
「それでもいいと僕は思うんだけどね。いざとなったら君の所に転がり込むよ」
「おいおい、ろくに飯も食ってない奴に言う言葉かよ」
男はそう言うと珈琲を一気に飲み干した。
そして、手で髪を整えながら時計を確認する。現在、正午を過ぎた所だった。
「ワトソン君、これから予定は?」
「ああ、仕事が一件入ってる」
「そっか。僕は女性人権の講演会に行った後、これに行こうと思ってるんだ」
そう言いながら、女性はワトソンに新聞紙を見せる。そこに書かれた記事には名探偵ホームズが解決した事件の紹介と、浮世絵展の紹介が小さく記されている。
どうやら女性――ホームズはここに行くつもりらしい。自分が解決した事件に興味を示さず、こんな小さな記事に興味を向けるのがホームズらしい。
「知ってるかい、ワトソン君。この浮世絵というのは、シャラク・トウシュウサイという日本人が描いた物なんだよ」
「ああ、知ってる。日本では消息不明扱いだったな」
シャラク・トウシュウサイ。東洲斎写楽。生没年不詳は、江戸時代の浮世絵師。1794年にデビューし、およそ10か月の間に約140点の錦絵を描いて、その後消息を絶った――ことになっている。
そんなシャラクがベイカー街にふらりと現れ作品を書き始めたのは数年前のことだった。
「意外だな、ワトソン君。詳しいんだね」
「一応、お前の助手だからな。まぁ、芸術なんて俺には縁遠い話だ」
ワトソンは興味なさそうに答えると、ティーカップをテーブルに置いた。
「しかし、お前が浮世絵に興味を示すとはな」
「うん。溢れてくるエネルギッシュさと、どこかミステリアスな感じが好きなんだよ」
それはホームズらしい答えだった。
活動期間の短さ、膨大な作品量、何故日本の名門出版社「蔦屋」が無名の絵師を看板絵師としたか、初期に比べ、後期の作品群の迫力が格段に落ちるのは何故か、シャラクには多くの謎があった。
ホームズの嗅覚は常に謎の臭いを嗅ぎ分ける。その能力は他の探偵の追随を許さない。浮世絵から漂う何かがホームズの感覚に反応したのだろう。
「ワトソン君はどう思う?」
「さぁな」
と、だけ答えた。
だが、ワトソンは絵から確かな物を感じ取っている。
どす黒い執念と、背筋を上りあがり纏わりつくような悪意、何度も落下する夢を見るような不安感。練り込まれた負の情熱がこの絵を芸術の域まで高めている。
それは間違いなく――狂気だ。ここまで神がかったマッドアーティファクトは見たことがなかった。
「面白い絵だとは思うがね」
ワトソンはそう呟きながら口の端を僅かに吊り上げる。
ホームズが謎を嗅ぎ取る天才ならば、ワトソンは狂気を嗅ぎ取る天才だ。
彼の本業は探偵助手でもなく医者でもない。
ワトソンことを、裏社会の好事家達はこう呼ぶ。
狂気収集人――ブラム・ブラウンと。


ワトソンがブラムブランとしての仕事――シャラクからの依頼に取り掛かるのは二杯目の珈琲をおかわりした後だった。


続く





DANNYさんの二次創作企画


エレメントの季節


二章・記憶の食い違いについて



『円谷英旬(つぶらやえいしゅん)と集団自殺』

 

 それが起こったのは――。
 私が出張で山形まで言っていた間だった。誰もいない職員室でぼんやりとその日を思う。
 集団自殺事件――その出来事が全てを変えてしまった。たった一つの出来事が何かを変えてしまうことは往々にしてある。六十数年近く生きてきて何度もそれを繰り返してきた。それでも慣れるものではない。慣れてはいけない。慣れるということ怪物と同じだ。銃を撃ち続ければ人は慣れる。傷つけ続ければ人は慣れる。私は慣れることは怖れる。慣れなければ全てが新しい。
私の手元にあるマグカップに注がれた珈琲だっていつも些細な変化をしている。それは私の感情が味に僅かな変化をもたらすからだ。その変化に気づかなくなった時を私は怖れる。
 ぼんやりとしたまま飲み干す珈琲の苦味が口の中に広がっていく。
 いつも私はこうだ。誰よりも慣れることを恐れ、取り残されることを怖れるのに気づくのが遅すぎる。気づくというのはタイミングが大事だ。速すぎず、遅すぎず、それが出来れば良かったと思うことが何度でもある。この歳になってもだ。
 取り残された私は未だに現状を受け入れることが出来ないでいる。
 集団自殺に加わらなかった多くの生徒は疎開し、生き残ったほとんどの教員も辞めて廃校が決定した。
 元々ロートルと馬鹿にされ疎まれていた私は前も今も何も変わらない。
 もしかしたら、私のいた世界は既に終っていたのかもしれないと思う。
 人は人と結びつくことで己の存在を証明することができるというのなら、空気と変わらない私は誰とも結びついていなかったからだ。そのことに私は慣れてしまっていたのかもしれない。
「先生」
 職員室の入り口から生徒が私を呼んだ。
 疎開しなかった生徒の一人、安治屋一楼太君だ。
 彼のように今日までに残った生徒は数人。私と同じで取り残された子供達だ。
 その子達の為には何ができるんだろうか――そんなことを考えると自分が教師なんだと改めて感じる。
「疎開の話ですか?」
 安治屋君の言葉に私は頷く。
「ええ。もうすぐここも廃校になりますから……」
 物事にはタイミングがある。廃校にするにしても、何故このタイミングなのかと思う。
「どうするかまだ僕は考えてません。先生は?」
「私もまだ何もです」
 元々、日雇い労働者のたむろする港のドヤ街で生まれた私には帰る場所がない。よくある話、見かけは大人のくせに中身が子供と変わらない連中に嬲られ続けた。母親が私の寝ている隣で、客を取るのを見せられるのは苦痛だった。大人たちは私の顔が気に喰わないと殴り続け、そんな環境から逃げ出す頃には悲しくも無いのに微笑んでいられるように慣れてしまった。
「そうですか。まだ先延ばし出来ませんか?」
「そうですねぇ……」
 ふと、安治屋君の視線が私のデスクを見つめる。
「どうしました」
「先生、それは?」
「ああ、これですか」
 そう言いながら、私は一冊の薄い冊子を手にする。
「廊下にあったんですが生徒の作った物でしょう」
「神奈川大空襲のどさくさでどっかにいったと思ってました」
「安治屋君のですか?」
「いえ、僕も読んだことあるだけです。確か選ばれた少年と少女が怪物と戦って世界を救う話でしたね」
「ええ」
 人類に憎しみを持った怪物たち。
 どうすることも出来ず、滅びていく人間たち。
 そして、それを救う選ばれた人間が現れる。
 選ばれた仲間たちが集い、最後は怪物を倒す、そういう物語だった。
「幼稚な話ですよね」
 安治屋君はそう言った。その表情には思春期独特の暗い翳りがあり、ニヒルでシニカルな突っぱねるようなニュアンスが含まれている。
「そうですか?私は素敵な物語だと思います」
 いつになく強く私はそう言う。
 そのことに驚いたのか、安治屋君は眼を丸くしていた。
「この物語はきっと希望なんだと思うんです」
 誰が書いたかは分からない。だが私はこの物語から強い希望を感じとった。希望というよりもこれは願いだ。取り残された人間が抱く思いと良く似ている。
「希望ですか……僕には分からないです。そういうのって欺瞞に似てる気がするから」
「君は若いのに難しい考え方をするのですね」
 私は微笑むとマグカップを口元に運ぶ。
「ところで、神奈川大空襲とは何ですか?」
「え――?」
 数秒間の沈黙が私と安治屋君の間に訪れた瞬間だった。
 その感覚は取り残される時や気づくのが遅すぎた時と似ていた。


続く




『第四世界魔術探偵ラズ・シャドウズ〜プロローグ〜』


 ザックの町は首都シャーノアカザックから北西約300キロメートルに位置した。
 レンガ造りの建物や教会などが連なる美しい町並みは、古い歴史を持っている。
 太古――この大陸がヨーロッパと呼ばれていた頃の言葉で、シャーノは『選ばれる』、ザックは『たくさん』という意味を持っている。言葉、文化、建築物、人はいつの時代も必ず何かを次の歴史に残す。古代、旧世紀からの歴史が折り重なり、この町は出来上がっている。
 古びたザックの裏町にある古びた探偵事務所、眩しい朝日を浴びながら建物から青年が現れた。
 欠伸をしながら手紙受けから朝刊を抜き取る。
 赤銅色の髪は起きたばかりの為ボサボサで、表情からは眠気が抜けていない。
 朝刊を手にぼんやりとしたまま事務所の中に戻っていく。
 青年は事務所の中に入ると、テーブルに置いてあった黒縁眼鏡をかけ暖炉に火を灯す。
 青年の名はラズミュート、ザックの腕利き探偵である。
 魔術師ギルドにも所属しており、ランクはB。属性カテゴリーは無属性。
 二つ名は『ラズ・シャドウズ』。
 所有している魔術書は――。
「眠い……」
 背後から聞こえた声にラズミュートは振り返る。
 そこにいたのは――二十歳のラズミュートよりも数歳年下の少女だった。
 肩口で揃えられた白髪が、陽光を浴びて透き通るように輝いている。
 長く伸びたもみ上げに付けられた赤い布飾り――それも白い髪とよく似合っていた。
 幼さの中に凛とした涼しさを宿している。
「おはよう、ラズ」
 眠たそうな声で少女はゴニョゴニョと囁く。
 大きな朱の双眸はぼんやりとラズを見つめていた。
「ああ、ジオ。おはよ……」
 ラズはそこまで言いかけて止まる。
 そして頭を抱え、ジオに背を向けた。
「どうした?」
「服」
「ん? ああ……」
 ジオは面倒そうに答えた。そして外を見つめる。
「今日は天気がいいな。オレは天気がいい日が好きだ。風がとても気持ちいい」
 暢気に欠伸しながらそんなことを呟く。
「どうせ、仕事もないんだろ。二人でどこか行かないか?オレはラズと一緒にいるのが好きだ」
 男言葉でそう言うとジオはニッと笑う。
 その言葉遣いが不思議とジオの雰囲気と似合っている。
 それはジオの持った、冴えた空気のような雰囲気のせいかもしれない。
「いいから服を着ろ」
「ん? ラズは男の癖に細かいこと気にするんだな」
 背を向けたラズミュートに、やれやれという溜息が聞こえる。
「いいから!!」
「ボロボロなんだよ、オレの服。気に入ってたのにさ。昨日のモンスター退治のせいだぜ」
 至極不満そうにジオは呟く。
 ごそごそという衣擦れの音を聞きながら、ラズミュートは昨日の仕事のことを思い出していた。
「もういいか?」
 尋ねると返事が返ってくる。
「ああ、いいぜ。別に気にすることでもないのに。オレはラズの物なんだから」
 ラズミュートが振り返ると、ジオはボロボロの白マントを羽織り立っていた。
 脱ぎ捨てられたボロボロの服から、その下は何も来てないことが分かる。
 仕方がない気もするが服をどうにかしなければならない。そして、社会の常識を教え込まねばならないようだ。
「体の調子はいいのか、ジオ」
「調子?」
「昨日、モンスターを撃退したあと倒れたから……」
「オレは倒れたのか」
 ジオは少し考え込むような仕草で唸った。
「そうか。どうりで体がだるいと思ったんだ。魔力の使いすぎだな」
「今日は休んでいいぞ。僕がなんとかやっとくから」
「そうはいかないさ。オレはラズの魔術書なんだからな」
 そう言うとジオは得意げに薄い胸を張った。ラズミュートは溜息をつきながら苦笑いを浮かべる。
「分かった、分かった。飯食ったらすぐ動くから準備しろ」
 ジオはニッと八重歯を見せながら笑うと、テーブルに置かれた新聞紙とストローを手に取る。
 そして、開いた新聞紙に咥えたストローをあてがう。ラズミュートがそれに気づいた時、既に遅かった。
「待て、ジオ。僕はまだ新聞を読んで……」
 呼び止められジオはストローから口を離す。
「なんだ、まだ読んでなかったのか。もう食べたぜ?」
 ジオはラズミュートにポンと新聞紙を投げる。
「シャーノアカザック・タイムズは味が悪いな。同じ新聞でもザック市民新聞の方が美味いぜ」
 ラズミュートは溜息と共に、真っ白な紙切れとなった新聞紙を捲った。
 一つ残らず文字は消え去っている。消えた文字の行き先はジオの胃の中だ。
「書いた奴が悪いのか、それとも内容が悪いのかのどっちかだな。味のアクセントもなければパサパサしてるぜ。ああ、でもコラムの味はそこまで酷くないかな」
 ラズミュートはブツブツと新聞紙の味に文句を言っているジオの頭を新聞紙だったものではたく。
 するとジオは頭を抑えながら、子供のように口の端を尖らせる。
「お前なぁ……」
「なんだ、しょうがないだろ。魔道書の主食は本なんだからさ」
 魔道書の主食は書物や新聞紙の文字やそこに込めれた思いであることはラズミュートも分かっている。
 それにこういう子供みたいな表情をするジオを怒る気になれない。
「同じ魔道書でもハルナさんのスープーと大違いだな」
 ハルナは魔術師ギルドに勤めている友人であり、当然ラズミュートと同じように魔道書を所有している。
 当然と言うのも、魔術師を名乗る最低条件は魔道書を所有することだからだ。
「スープーはおしとやかで美人だってのに、お前と来たら乱暴で……」
「む!」
 ピクリとジオはラズミュートの言葉に反応しながら眉を動かす。
「大食いで……」
「む!」
 ラズミュートは溜息交じりに呟き、小さく一言付け足した。
「胸もないし」
「おい、聞こえてるぞ、誰の胸がなんだって!?オレをあの性悪乳牛と一緒にするな!!そりゃあ、オレだってああなりたいさ。ああ、そうさ、オレだってな……」
ジオが八重歯をむき出しにして唸ると、ラズミュートはその頭を『ヨシヨシ』となでる。
「はいはい。悪かったよ。とっと準備して仕事行くぞ、じゃじゃ馬娘」
「むぅ〜。オレを子供扱いするな」
 そういうとラズミュートは朝食の準備を始める。
 言い返す言葉が見つからないジオは頬を膨らませるのだった。
 魔術書『エルトダウン・シャーズ』に宿る精霊ジオと魔術探偵ラズミュートの長い一日が始まる。

続く





『シムラ・バッドメディシン』

第一回



『シムラ・ハッピートリガー』


第一回


脇役であること――それを嫌と言うほど思い知らされた。
物語があるとすれば決して主役にはなれない、そんなことは子供の頃から分かっていた――男は自分にそう言い聞かせる。
「ちくしょう……」
深い闇と灰色のビルに囲まれた路地に荒い呼気が溢れる。
男は走りながらもずっと後悔を続けていた。
「こんな、こんな、こんな――はずじゃなかったのに……」
スーツの姿の男は走る。
ネクタイは風に煽られ首元に絡みつき、流れる汗はスーツを汚す。
落ちた眼鏡がアスファルトに乾いた音をたてた。
死んだ魚のような瞳を歪ませ、歯を鳴らし続ける。
男は肩で息をしながら、なりふり構わずに闇の中を走る――。
こんなはずではなかった。
取引は成功して、女を抱いて高い酒を飲んで、浴びるように金を使うはずだった。
それなのに――取引場所に奴等は現れた。
圧倒的な存在感と力を持った物語の主役達が。
「あ……」
男は絶望を込めて呟く。
――路地裏は袋小路になっていた。
「クソ……化物め!!」
男の震える指先が懐から黒光りする鉄の塊を取り出す。
P38マニュリーンと呼ばれるオートマティックの拳銃だ。
それはカタギの人間が手にするような代物ではない。
普通の人間には全く縁がないだろう。
それを人に見られるかもしれないということも考えず、男はP38マニュリーンを構え辺りを警戒する。
警戒するというのは正しくないかもしれない。
最早、警戒では済まされなかった。
この鈍い鉄の塊と弾丸で命を張らなければならない。
「ちくしょう、どこだ!?」
吠える声は虚しく闇のビロードに飲み込まれていく。
焦りを宿した呟きは、追い詰められた子兎のように弱々しい。
こんなはずではなかった。
金を見れば誰もが目の色を変えて男を褒める。
高い酒は女を酔わせ、誰もが頭を下げるだろう。
その瞬間、舞台の中で主役になれたはずだった。
子供の頃に夢見た主役、ヒーローになれたはずだった――。
「ちくしょう……俺が何したってんだよ」
銃を構えるこの男は臓器ブローカーだった。
主な仕事は斡旋であり、移植希望者を探しその移植の世話をする。
扱う臓器は腎臓バンクなどの正規ルートの物でなく、アジアなどの第三世界で入手した物だ。
その中には、子供の臓器なども多く含まれている。
金持ちの為に、香港やそこらから子供を二、三人連れてくるということもザラだった。
そんな仕事に手を染めてればいつかは危険な目に遭うだろうと男は分かっている。
殺人、斡旋、売買、詐欺、裏事に関わる者は犯す罪の大きさに関わらず、死を覚悟しなければならない。死に備えなければならない。だが、この男には少しそれが足りなかった。勿論、覚悟も備えも。
「出て来い、殺してやる!!」
そう、叫んだ瞬間、男の目の前を黒い影が横切った。
いや、横切った等という速さではない。
駆け抜けたという方が正しい。
スッと、音もなく、男の眼前に伸びた手が、P38マニュリーンの遊底をつかんで押し上げた。
男はそれを見て大きく目を開く。どうやらそのの動作の意味が分かったらしい。
男の震える指が引き金を引こうとしたが――引き金を絞り込めるはずもなかった。
「あのですね、オートマティックは遊底を押すと、排莢孔が露出して撃針が作動しないのは分かってるはずだと思うんですけど……」
それは少し困ったようなソプラノボイスだった。
「あ、なんか偉そうだったらごめんなさい。全然そういうつもりはないんです。ただ――諦めて早く殺されてくれないとドラマが終わっちゃうんですよ」
銃を抑えた小さな白い手が、男の震える指先から拳銃を奪い取る。
「なんなんだよぁ……」
歯をならしながらも男は問う。
弄ぶように銃を指先で回転させている少女に向かって――。
そう、それはセーラー服を着た小柄で可愛らしい少女だった。
全くの場違いも甚だしい。場違いも甚だしいからこそ――異様だ。
考えてみればどこにでもいそうな中高生女子が、取引場所で何人も狙撃し、今、この場で男を追い詰めている。しかも、男を見つめたまま、指先はカチャカチャと銃の分解まで始めている。
闇の中で、ブラインドタッチのように見抜きもせず、中高生女子が銃を分解していく。
しかも、それがどれだけの技量と訓練が必要か、全くわかっていないような顔だった。
「お前らはなんなんだよぉ……」
その場に腰から砕け、座り込みながらも男は呟く。
いつの間にか、闇の中に立っていた二人の男の影に向かって――。
「俺が何したってんだよぉ……」
「すいませんが仕事でして。それだけなんですよ。それだけ、それだけです」
嫌味に聞こえるほど、丁寧かつ穏やかな声で男の一人は答える――手にした闇色の薔薇をかざしながら。
クラシカルなデザインのサングラスのせいで表情は分からないが、口元は僅かに微笑んでいる。
流麗にして耽美な横顔と微笑は、見る者の目をさぞや引くことだろう。
「フフフ、私も今日は早く仕事を終えたい理由がありまして」
その男は長髪にシャイニースーツを着た一見するとホストのようだった。
存在感のあるシャイニー素材のスーツに、それに負けないVゾーンのコーディネート。
スーツと相性のいいソリッドタイが上手くまとまっていた。
本当にいい男とは、そこにいるだけでインテリアになる。
その男はこの無機質な路地裏を彩る華のようだった。
とてもじゃないが取引現場で人間を何人も殺した男とは思えない。
「ええ、実は私もドラマは毎週欠かさずチェックしてます。無論、完璧に録画はしてありますが、リアルタイムで見てこそ――やはり通なのですよ。ねぇ、三六さん」
「ですね、十四兄さん」
「狂っている……お前ら狂ってる……」
呟くと、もう一人の男が『たはは』と笑う。
笑いながら、男はピンストライプとネイビーのレジメンタルタイを風になびかせていた。
ややクシャッとした黒髪がもう少し長ければ、十四と呼ばれた男と良く似ている顔つきだ。
「まぁ、俺はドラマなンざぁ、どうでもいいンだが――」
チャコールグレイのスーツと、メタルフレームの眼鏡が整った顔つきをシャープに見せている。
その鋭さはエッジ――闇すら切裂く銀の刃だ。
ブラックのトレンチコートが男のしなやかな体型にマッチして、シャープに洗練された様を際立たせていた。
「さっさと帰って可愛い弟と風呂に入りたくてね」
極めて個人的な理由だった。ドラマが見たいというとか言う理由よりも性質が悪い。
最悪だ。まったくもって最悪だ。
それなのに、その男は微塵も悪びれることなく、はっきりとそう言い放った。
「人の命をなんだと……」
追い詰められた男は小さく呟く。
自分が殴られれば痛い。人が殴られれば痛い。
これはどちら側の世界でも共通のルールだ。
自分が殴られる側に立った時――。
今まで命を売り買いしてきた者が、そういうことを口にするのは――果たして、許されるのだろうか。
十四と呼ばれた美男子が黒薔薇を構える。
「登場場面に颯爽と名乗りを上げるのが死村の嗜み……」
フフフと、十四と呼ばれた男は妖艶に微笑む。
「では高らかに誇りを持って私の名を名乗りましょう。『黒き眠りへ誘う者(マインスリーパー)』の二つ名と……死村十四の名を」
もう一人の男は面倒そうに髪をかいた。
「ま、信念と忠義を持って俺の名を名乗ンぜ。『死村第六位・甚六(ジンム)』の二つ名と……死村一三の名をな」
「し……むら……しむらしむらしむらしむら……」
男はその言葉をうわ言のように繰り返す。
「しむら、しむらしむらしむら……死・村」
裏事に関わる者が必ず聞く名前。
それはシンボルでもあり、海賊旗。
その名の意味は一言――絶対に関わるな。
「死村……」
禁じられた名を男は口にする。
口にしながらも、死ぬことを感じながらも、ただただ呆然としていた。
この世界の住人が人間だけではない、と知ったときよりも――。
刃物よりも銃よりも強い力が存在する、と聞いた時よりも――。
世界が大きな嘘の塊だ、と気づいたときよりも――。
自分が裏ではほんの小さな存在だ、と悟った時よりも――。
この名を聞いた瞬間の方が、覚めない悪夢のようだ。
本当に幽霊に会ってしまったような――。
噂話が真実だった時のような――。
都市伝説が実在したような――。
昨日見た夢が正夢だったような――。
体の底から背筋を通って震えが来る、そんな気分だった。
男はこれまで何度も死村の名を聞いていた。
どれこれも突拍子もない話ばかりで、とても信じる気にはならなかったが、自分がまさか会うとは思わなかった。
「殺すのか……」
確認の必要などない。殺すと言えば殺すだろうし、言わなくても殺すと感じた時は既に終っていることだろう。
死村に限らず、裏事師全てに言えることだったが、やはり男には覚悟も備えも足りなかった。
暗殺一家、死村は四百年の歴史を持つ暗殺の名門であり、四百年の歴史によって形成された独自のスタイルや価値観、覚悟、備えを持っているという。
例えば、死村では三という数字は奇数ならぬ危数とされ、十三や三十三等の三の絡む数は、一三や三三と表記する。それは日本人が四や九のつく数字を嫌うのと同じ風習的な物らしい。
そして、この一族は金さえ払えばどんな汚れ仕事でもこなすと言う。
「金……金なら幾らでも出すよ!!」
苦し紛れに男は叫ぶ。
その瞬間、一三の右手が男の頭部をつかんだ。
「あひっ!?」
「確かに死村は金さえ貰えばどんな仕事でもすンぜ」
その瞬間、ズボンに生臭い世界地図が出来上がった。
股間から漏れたそれがアスファルトを濡らす。
「なぁ、アンタぁ、子供を殺しただろ?そいつぁ、高くつくぜ、どうにもならねぇぐらいにな」
「そ、それは……」
「払えるのかい?」
男はただ頷いた。
どんな額だろうと払うしかない。それだけが助かる方法だと思った。
「ど、どれだけ出せばいい」
「そうだな、百万、一千万」
呟く一三の鋭い目が男を捕らえる。
「一億…十億」
「え!?」
一三の口にする額がどんどん上がっていく。
男はただただ口を開閉させていた。
「何百億、何兆万でも足りねぇな――アンタぁ、払えンのかい?」
一三の瞳に宿った鋭さ、それは怒りだった。
蝋燭の蒼い炎のように、静かに確かに怒りの炎を燃やしている。
男はこんな時なのに、昔見たテレビ番組を思い出していた。
よくある戦隊シリーズのヒーローだ。
そう、なりたかった。
子供の頃はそういう物が存在し、自分も本気でなれると信じていた。
だが、なれなかった。汚れ仕事で稼いだ金で女を抱いて浴びるように酒を飲む、そしてまた誰かの幸せを踏み潰す。
脇役、しかも自分は悪役でしかない。
だが、目の前の男は違う。
どこかの子供の為に、心の底から怒っている。
その姿が昔夢見たヒーローと重なってしまう。
この最低、最悪、殺人狂の死村はまるで――正義の味方だ。
「そいつぁ、アンタの命でしか払えねぇ……」
男はわめくのも抵抗するのも呪うのもやめた。
「途切れるぜ、アンタのレール。今ここで」
死ぬと分かって男は微笑んだ。
不思議な感覚だった。死ぬと言うのはもっと苦しいことだと思っていたのだ。
それなのに、何故だろう。
何かに心が満たされるような気分だった。
それはこの世に存在しないものを、なれなかったものを見れたからかもしれない。
欲を言えば――。
最後まで果たして、その正義が貫けるのか――見てみたかったが。
掌が視界を覆う。その瞬間、意識が消える。
深い闇と灰色のビルに囲まれた路地に、枯れ木とヘドロを握り潰すような嫌な音が響く。
歪な硬音と軟音のハーモニーは、街風の中に途切れた。
「十四兄さん……」
三六が小さく呟く。
「なんだか、この人――死ぬ瞬間、幸せそうでしたね」
「ですね。ああいう死に方が出来れば人間は幸せかもしれませんね」
三人の姿はゆっくりと闇の中に溶け込んでいった。


続く


 

ひどく不釣合いな組み合わせだった。
地方都市のどこにでもある学校、そのグラウンドに三人はたたずんでいた。
「ぬるいな。反吐が出るような夜風だぜ」
闇の中で呟いたのは、無骨なカスタムライフルを持った――まだ10歳も行かない英国人の子供だった。
気だるげに舌打ちすると、吸っていた葉巻を指で弾いた。
「咳をする度に、三日月は反吐のようにへばりつく……サミュルバーン・キーツ詩集『闇夜と病夜』より」
葉巻の火の粉が闇の揺らめく。
その葉巻を受け止めたのは、左手に詩集を手にした黒人の牧師だった。
縁なしの眼鏡をかけた凛々しい横顔は、どこか神秘的で深い知性を感じさせる。
「おうおう、また詩集かよ、ダックス牧師」
ケラケラと英国人の子供は笑い声を響かせる。
スッと、その黒人牧師に向かい、携帯灰皿を差し出す手があった。
「すまない。礼なき文化は存在せぬ……エリュブフ格言集より」
黒人牧師はそんなことを呟き、携帯灰皿に葉巻を入れた。
灰皿を差し出したのは、初老の英国紳士だった。
鮮やかな銀髪と顔つきも穏やかは、キッチリと着込んだ執事服と似合っている。
ただ、その左目の眼帯には髑髏のマークが老執事の雰囲気を損なっていた。
「ゴミの投げ捨ては禁止ですよ、チャイルドマンさん」
「カカカ。どこがどこまでゴミじゃねぇんだ、レイゼンビー」
「確かに。我が主以外の全ては等しく無価値ですな」
穏やかな声で、レイゼンビー執事と呼ばれた男は世界を否定した。残りの二人はそれに対し反論することはない。他人のメンタリティに口出しする気などさらさらないからだ。
「狩人が三人も集められたんだ、それなりの大物なんだろうな?」
「ええ、もちろんですよ。でなければ、ダックス牧師や貴方が呼ばれることはなかったでしょう」
「カカカカ。もっともだ。そいじゃあ、俺は一足早く準備させてもらうぜ?」
カスタムライフルを足元に置くと、チャイルドマンと呼ばれた子供は注射器を取り出す。
そして、それを何の躊躇いもなく、自分の左腕に刺す。
注射の中身がゆっくりと体内に浸透すると、チャイルドマンは唾液を垂らし蕩けんばかりの表情を浮かべる。薬物が血管を通った後、体中の青白い血管が浮き上がり、顔はまるでメロンのように筋が走っていた。
「へへへへへへへへ、最高ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!おめらもやれれよ、ダダダダックススぼくしいぃぃぃ、レレレレイゼンビーしししつじぃ」
「フフフ、我が主の許可なきことは出来ぬ身でして」
「一時的な快楽は逃避と滅びである……エソント詩集より」
ダックス牧師は溜息と共に本を閉じた。その間もチャイルドマンは恍惚の表情を浮べ、地面を気持ちよさげに這い回っている。震える指先は闇の中を彷徨い続け、ただただ己の中に深い闇を吸い込むようでもあった。
「実は、本日呼ばれたのは四人なのですよ」
レイゼンビー執事がそう言った瞬間、ダックス牧師が反応し、口を開こうとした刹那――。
飛行機の爆撃にあったような、花火が弾けたような爆発音が辺りに響き渡る。
圧倒的な音の震動は三人の体のみならず校舎までも震わせた。
ガラスは粉々に砕け散り、グラウンド周りの木々までなぎ倒されてしまう。
爆心地であるグラウンドの底から、土の塊が噴出するさまはまるで火山の噴火だった。
「始まりましたか」
「きききききききききききききたたたたたたた!!おおおおおおものぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
呂律が回らなくなったチャイルドマンは、降りかかる土を顔に浴びながらも、カスタムライフルを手にする。最早、殺戮への欲求のみが残り少ない理性を支えていた。
チャイルドマン・ジミー。実年齢不明、外見年齢8歳前後。二つ名は『シンプルアンプル・ザ・サンプルズ(陽気な試験薬品)』
「隔離結界を仕掛けておいて助かりましたね。学校が吹き飛びでもしたら、明日、学校に来る子供達がどれだけ嘆くことか」
「どどどどれだけけけけあぼれててもだいじょうぶぶぶぶぶぶだなななな!?」
「ええ、そういうことですね」
レイゼンビー執事は眼帯に手をかけながら、眼前に現れた巨大な複眼を見つめた。呼吸を全く乱さず、自分の数倍はあろう、イナゴのような顔をただ観察する
校庭を埋め尽くさんばかりの巨躯の一端が、地鳴りと共にその姿を現す。
レイゼンビー・R・ウォーケン。61歳。二つ名は『アローレイン(独眼の射手)』
「恐ろしい物ですね。学校の地下でこんな怪物が生まれてるとは。ふむ。バッタですかな、元は」
ダックス牧師は、レイゼンビー執事の言葉に頷くと足元のそれに手を伸ばす。
逆十字の刻まれた黒く禍々しい棺桶に。
ダックス・ダニエル・マグダネル・タイプG。製造年月日、1961年。二つ名は『13ダウン(黒い丘に眠る十三の子)』
「お二方、準備はよろしいようですね。四人目の方が間に合わなかったのは残念ですが、そろそろ始めましょう」
「ころろろろろろろろしあいいいいいいいいいい!!」
「始めようと思った時、既に結果は決まっている……シンスケ・サドウ名言集より」
闇夜の湯澤大学付属高等学校を舞台に、敵味方が臨戦態勢に入った。
空気は静かに、張り詰め、研ぎ澄まされていく。
殺戮が始まろうとした、まさにその時、闇の中を劈くような高音が辺りに響き渡る。
いつの間にやら、グランウドにリッターバイクが入り込んでいた。
そのシルエットを見つめ、レイゼンビー執事は呟く。
「どうやら、間に合ったようですね。イースト・ガンナー」
イーストガンナー。年齢不詳。外見年齢、十後半代。二つ名『イースト・ガンナー(渺茫の放浪者)』



『ナオ、アカツキ   第一回・事件編』

 

第一回


思春期慟哭

『凹式アライヴ』





 

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